ギルの大事なリボン
日の沈み始めた空がとても綺麗だ。
店の裏に置かれた木のベンチに腰掛けて、私は風に当たりながら夕陽を見ていた。
「疲れたか?」
暫くして、ドキドキの原因が私の隣にやってきた。どうやら、私の様子を見に来てくれたらしい。大丈夫だ、もうドキドキしていない。やっぱり、ただ緊張していただけみたいだ。
「少しだけ……」
控えめに私はそう言った。
「肩を貸すか?」
「い、いえ、そんな、だ、大丈夫です」
綺麗な金色の瞳が淡々と尋ねてきたけれど、まさか、一国の王子にそんなことはさせられない。私は全力で断った。
「そうか」
「は、はい」
肩を貸すためだけにわざわざ来てくれたのだろうか? 「そうか」と言ったあと、ギルは夕陽を見つめて、黙ってしまった。
——しまった、話が続かない。そうだった、ギルは口下手な人だった。
そう思ったけれど、彼も少しは成長しているらしい。
「今後のことだが……、この町の町長に話をして、ここの治安を守ることから始めようと思う。もともと、この町には治安を守る組織が存在していない」
夕陽を見たまま、そんなことを話してくれた。また、何かを守る話だけど。
しかし、結構大きな町なのに、警察みたいなものがないとは驚いた。元からそこまで治安が悪くないのか、それとも、国からあまり目を配られていないのか。どちらにしても、アイディール騎士団が町を守ってくれれば、安心だ。
「すごい、一歩前進ですね」
副団長としてであってもギルがそこで活躍出来れば、人は彼を支持してくれるようになるだろう。
「それで、またお前に頼みたいことがある」
「な、なんでしょう?」
急にジッと見つめられて、緊張してしまう。
「難しいことを頼むことになるんだが、町の治安を守ることになれば、お前から離れるときも多くなるだろう。どこで俺が犬になったとしても、飲めば犬化を解除出来るようなものを作ってほしい」
確かに、町を守るとなると、ずっと私と一緒にいるわけにはいかない。犬になったからといって、わざわざ私のもとまで戻ってくるわけにも……。
「分かりました。なんとか考えてみます」
私は快諾した。彼が王になる手伝いをする、それが彼と交わした約束だから。
「感謝する」
そこで、また話が終わってしまった。暫しの沈黙が流れ、ここに時計があったら、カチカチという音が響いてうるさかっただろう。ただ、それでも彼は私のことを見つめていて、急にすっと、何かを差し出してきた。
それは、あの綺麗な紺色をしたリボンだった。
「見ていただろう?」
——うそ、ギルに見られてた? 私、疑われてる?
「え、いや……あの……確かにすごく見てましたけど、決して、盗もうと思っていたわけでは——」
「俺の色だ」
「へ?」
予想していた言葉と違うことをギルが言うものだから、私は思わず間抜けな声を出してしまった。
「王族には一人一人色が決められている。俺はこの紺、アルは深紅だ。これは俺が初めて魔物を退治したときに両親からもらった。これをお前に」
リボンを差し出したまま、ギルが何食わぬ顔で言う。
——いやいやいや、めちゃくちゃ大事なものじゃない! そんな真顔で言うことじゃないって!
「いえ、そんな大事なものいただけないですよ」
両手を大げさにぶんぶん振り回しながら私は断った。たしかにそのリボンにちょっと惹かれてましたけど、私なんかがもらって良いものではないです。
「……」
ギルはまた黙ってしまった。しかも、気まずくなってしまったのか、不意に立ち上がり、店の方に……と思ったのに気付くと彼は私の後ろに立っていた。
「少し失礼する」
ギルの大きな手が優しく私の髪に触れ、後ろで何かをやって、また私の隣に戻ってきた。彼が私の髪にリボンを結んでくれたのだと、私が気が付くまでに時間は掛からなかった。
「ギル……」
「とてもよく似合っている」
そう言われて、少し泣きそうになった。だって、私は地味で、こんなに綺麗な色は自分に似合わないと思っていたから。たとえお世辞だったとしても、とても嬉しかった。
「お前と巡り会えて、本当に良かったと思う」
手を伸ばし、自分の結んだリボンの端に触れながら、ギルは言った。相変わらず、彼の感情は読めない。でも、本当の婚約者じゃないのに、ただの協力者なのに、ああ、ずるいな……、ちょっとトキめいてしまった。
このあとは、どうしたら……、と思っているときだった。急に裏口の扉が開く音がした。
「エラちゃん、客人だぞ?」
シルバだった。
——客人?
沈み残った夕陽の光が、今にも消えそうだった。




