情緒不安定の私
「わわっ、一体なんなんですか?」
ぞろぞろと入ってくる男性たちに、私たち三人は慌ててしまった。
強盗だと思ってカウンターのこちら側で包丁を握りしめる私。
台ふきんをギュッと握って突っ立って固まってしまうイマリア。
危険かもしれないのに一番最初に入ってきた男性の前に立ち塞がるマーカス。
一瞬、静まり返って、「もうお昼は終わったんですけど」と言おうとしたけれど、私は口を閉じた。なぜなら、店の中に入ってきた見知らぬ男性たちの間を縫って、見知った顔が前に進んできたからだ。
「ギル……」
——それにシルバも……。まさか、あれでしょうか? あれなのでしょうか?
「元アイディール騎士団の騎士たちを招集した」
ギルはいつもの落ち着いた表情と口調でさらっと言った。そして
「我々アイディール騎士団はここに復活する!」
いつもの彼では考えられないほど大きく、強い声でそう言い放った。
「「うおぉぉぉおお!」」
店の中に響く男たちの歓声に私の心が震えた。ライブで良い曲を間近で聴いたときのような、そんな鳥肌が立った。これが大将の呼び掛けで士気が上がるという現象なのだろうか?
なぜだか、私までもとても心が高揚して、胸が踊った。
「ギル、私、ご飯作りますね?」
彼のもとに駆け寄って、私は自分からそう口にしていた。
——これは喜ばしいことだ。奮発! いや、私は別に奮発はしないのだけれど冷蔵庫が奮発しちゃうぞ!
私が材料を用意している間に、ギルは騎士たちに現状を話し、アルに自分が生きていることを知られないために団長をシルバとする、と決めた。そばに居たマーカスとイマリアは何のことを話しているのか分からず、目をパチパチとして固まっていたけれど、ギルは二人にもしっかりと話をしていた。
ギルには人を見る目があると思う。だから、彼が二人を信用するというならば、きっと何の問題も無いのだろう。
「よし……」
小さく呟いて、私は服の袖を豪快に捲り、気合いを入れた。
これから作るのはカツ丼だ。でも、普通のカツ丼ではない。本来豚を使うところを今回は冷蔵庫が奮発して、牛ヒレを使っていきたいと思う。
まず、牛ヒレステーキ肉に塩、胡椒で下味をつける。
それで、そのお肉に薄力粉をつけておくと衣がつきやすくなるし、揚げたときにお肉が小さくなりにくい、ってどこかの料理人がテレビで言っていた。
お肉にパン粉をつけるため、バッター液というものを作る。
作り方は簡単、薄力粉、溶いた卵、水を合わせるだけ。
バッター液が出来たら、お肉をこれにくぐらせてパン粉をつける。
パン粉が欲しいなと冷蔵庫の前で願ったら、乾燥パン粉ではなく、生パン粉が出てきたので、それを使う。カリッと上がるので、一度使ったら戻れなくなるかもしれない。
油で二分ほど揚げる。これから卵でとじるので、切って、少しくらい身が赤いほうが良い。
——はぁ……、身体に悪い〝良い香り〟がする。
さて、ここからだ。
丼タレを作るのだけれど、めんつゆを使うと味の失敗はない。でも、私は白だしを使う。
白だしに少しの醤油と砂糖、みりんを混ぜて、小さめの鍋にセットする。
そこにスライスした玉葱を入れて、ふつふつしたら牛ヒレカツを入れ、すぐに溶き卵を投入。三つ葉も投入。そして、フタをする。
卵がちょっとトロっとしてる状態で火を止める。
炊きたてのご飯に乗せたら、究極のふんわり卵の牛ヒレカツ丼が完成。お好みで七味唐辛子も忘れずに。
黒い底の深い器に入れたら、また高級感が出た。黒い器、万能。
「すみません、回してもらっても良いですか?」
カウンターに座っていた男性から、順番に周りにカツ丼を回してもらう。お店の中に心がほっこりする匂いが満ちていくのが分かった。
「熱いうちにどうぞ」
私はみんなにスプーンとフォークを配った。
「「いただきます!」」
元気な声があちこちで聞こえる。
自分から「作る」と意気込んだけれど、三十人近く居る騎士たちのお米を炊くのは大変だったし、カツを揚げるのも大変だった。卵でとじるのも大変だったし、器だって、黒いのが足りなくて、白い人だっている。
でも、それでも……
「美味ぇぇえええ!!」
「やばいって! こんな美味い飯食ったことねぇ!」
「なんだ、この優しい味! でもパンチがないわけじゃねぇ! この赤い粉が合う!」
「たまんねぇ! この卵! 肉もすげぇやわらけぇ!」
これだけで全部報われるのだ。ああ、作ってよかったな、って。
私はもっとそばで彼らの喜んでいる顔が見たくて、キッチンから出て、店の角に立った。
「急に大勢連れてきて、すまなかったな」
みんなが賑やかに食事をし、談笑している中、私の横にやってきて、ギルが言った。
「ほんとですよ。みんなで片付けしてるのに、急に二人消えちゃうし」
マーカスとイマリアにも同じように謝っていたみたいだけれど、私はそんな簡単には許しませんよ? と、口を尖らせてみる。でも、完全に許さないわけじゃない。
「——一もふで許します」
びっくりしたし、大変だったけれど、あくまでも自分からご飯を作ると言ったのだから、ここらへんで許してあげます。
「これで良いか?」
何とも思っていないような顔でギルは私に背を向けた。そこにはふわふわの獣の尻尾があって……。
——ふぁああ! 尻尾!
「良いんですか?」
私の瞳は今、実にキラキラと輝いているだろう。犬になったギルはなかなか尻尾を触らせてくれない。
「今は犬になる気はない」
「失礼します」
もう半ばギルの答えなんて聞いていなかった。私は雑念をすべて捨てて、ギルの尻尾を両手で包んで、胸に納めた、
——はぁああ……幸せ……。ふわふわ……。どの角度で触ってもふあふあ……。
「ずいぶん親しげですけど、団ちょ……副団長、どういったご関係で?」
声を掛けてきたのは、栗色の髪をした若い騎士の一人だった。ギルは今は団長ではなく、あまり表には出ない副団長になったから騎士たちもまだ慣れず、言い間違えたらしい。
「ただの協力者だ。婚約者のフリをしている」
ギルの言葉には感情が無いように感じられた。
「それもバラしちゃうんですか?」
私は無意識に近い感覚で尋ねていた。
——ただのって、言われたし、なんだかな……。別に良いけど……間違ってないし。
なぜか心がモヤモヤする。
「信頼出来る人間しかいないからな」
そう言うギルはなんだか得意げで、ちょっと複雑な気持ちになる。私は一体、何を考えているのだろう。二人だけの秘密が欲しかった、とでも?
「婚約者じゃなかったのか? でも、一緒の部屋に住んで——」
「す、住んでないです」
マーカスが会話に入ってきて、戸惑った赤い瞳で私とギルを交互に見みてきた。だから、私は必死に否定してしまった。
「本当に婚約してないんすかぁ?」
栗色の彼も少し冗談めいた口調で私と私が抱えているギルの尻尾を見て言う。
「そういう約束なんですっ」
パッと私はちょっと乱暴にギルの尻尾を離した。
「片付けがあるので、失礼します」
出来るだけいつも通りの雰囲気で私はカウンターの中に戻った、はず……。
——ああ、もうっ、情緒不安定じゃん、私……!
騎士にからかわれたのが嫌だったのか、それとも、ギルが私のことをただ利用してるみたいな言い方をしたのが気に食わなかったのか、なんで自分がムッとしているのか自分でもよく分からなかった。




