表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

9/25

愛されたい [クララの視点]

 それは本当に突然のことだった。


 王女様の侍女に上がって十日目の夜、私はいつもより早い時間に王女様の部屋に呼ばれた。


 王宮勤めは、十日連続勤務で三日連続休暇という、シフト制が採用されている。

 明日から三日間は帰省することになるので、みな支度が忙しいのだろうか。

 王女様のお部屋には、他の侍女は誰もいなかった。


「クララ、明日の準備は終わったかしら」


 王女様は洗いざらしの髪にくつろいだ部屋着で、真っ赤なワインを飲んでいた。

 少し呂律があやしいところを見ると、随分と酔っているようだ。

 いつも殿下の部屋に行く前には、念入りな支度をされているのに、今夜はお化粧も落としたままだった。


「はい。それほど持って帰るものもありませんし」


 三日ほどの里帰りに、大きな準備は必要ない。私の場合は領地が遠いので、王都近郊のタウンハウスに帰るだけだ。ほとんど手ぶらでも問題なかった。


「よかったわ。じゃあ、今夜は私のために働いてくれる?」


 王女様はホッとした顔をして、嬉しそうに聞いてきた。


「はい。なんでもお申し付けください」


 夜は特に仕事もないし、王女様のお願いを断る理由はなかった。


「今夜、私のかわりにアレクのお世話をお願いしたいの」

「え?それは、あの、どういう…」


 私は耳を疑った。王女様のお世話ではなく、殿下の……?執務室の業務のことだろうか。

 政務については何の知識もないし、ましてや業務に携わった経験もない。どう考えても無理だろう。


「私、そういった経験がなくて、あの……、ちゃんとできるでしょうか」


 王女様は私の返答を聞いて、なぜか一瞬、とても驚いたような顔をされた。

 そして急に満面の笑みをうかべて、私のそばへ駆け寄ってきて、優しく私の髪をなでた。


「大丈夫。そんなに難しいことではないわ。すべてお任せすればいいのよ。引き受けてくれて嬉しいわ。アレクもとても喜ぶわ」


 そうだろうか。足手まといなだけでは?


 それでも、王女様のこの様子では、この後そう長く起きているのも、厳しそうだった。あきらかに飲みすぎだ。


「私でよければ、よろこんで」


 その返答を聞いて、王女様はとても満足されたようにソファーに腰掛けて、呼び鈴を鳴らした。


 それに応えて部屋に入ってきたのは、上司である侍女長様だった。


「支度は侍女長がするわ。大丈夫、この人はプロだから」

「え、あの、私、このままで大丈夫です」


 上司に支度をしてもらう部下がどこにいる?いくら王女様のお願いでも、そこは職業婦人として固辞しなくては!


 そんな私を、王女様はまじまじと見つめて、ため息をついた。


「そういうのが好み?たしかにガードが堅いほうが、男の征服欲をそそるかもしれないけど。でもその服はボタンが多すぎるわよ。脱がせにくいと思うわ」 

「何の話ですか?」

「いやだわ、クララ。今夜は私の代わりに夜伽にいくのよ」

「ええっ!」


 私は思わず大声で叫んでしまい、侍女長様から厳しい叱咤が飛んできた。


 それは無理!無理無理無理!ないないないない!それはない!


「王女様、それは無理です!そんなことできません!」


 私がそう言うと、王女様はソファーからスラリと立ち上がって、私のほうをじっと見つめた。

 その顔は真剣で、思いつめたような気迫があった。


「アレクはとてもお疲れなの。癒やしてさしあげる人が必要だわ。でも私は今日はお相手できない。クララ、あなた、相手がアレクでは不満なの?」

「王女様、そんな意味ではなくて!いくらなんでも無理です。殿下だって嫌がられます!」 

「そんなこと。試してもいないのに、分からないでしょう?」


 王女様が笑いながらそう言うと、それを引き受けて侍女長様が静かに言った。


「殿下には、王女様の代わりに侍女がくること、すでにお伝えしています」


 その言葉には、なんの感情も入っていないように聞こえた。


「いえいえいえいえ!無理です。そんなの無理です!」


 私が泣きそうになって言うと、王女様はため息をついて、ゆっくりと目を伏せた。


「そうなの。どうしてもダメなのね。そうよね、あなたにはローランドがいるものね」


 ローランドは別に関係ない。


 でも、理由はなんであれ、王女様はどうやら諦めてくださったようだ。私はほっと胸をなでおろした。


 それなのに、その後の言葉を聞いて、私はさらに追い詰められることになってしまった。


「今夜はヘザーにお願いしましょう。クララがローランドのために断ったと聞けば、ヘザーは引き受けてくれると思うわ。婚約者もいないし、兄上殿もお咎めにはならないでしょう」

「ちょ、ちょっと待ってください!ヘザーには好きな人がいるんです!」

「そんなこと言ってなかったわよ?」

「ヘザーがかわいそうです!いきなりそんなことになるなんて!」

「彼女だって、いつかは政略結婚をしなくてはいけないのよ。親友の幸せのためだと知れば、きっと聞き分けてくれるわ。それに殿下は情が深い方よ。ヘザーを優しくかわいがってくださるわ」

「そんな」


 私は王女様の言葉に真っ青になった。


 ヘザーは、ヘザーなら、どうするだろう。ちゃんと断われるだろうか。殿下のお相手をするのは嫌だと言えるよね……。


 ううん、ダメ。王女様は本気だ。私かヘザーのどちらかを、必ず行かせることになる。

 私が断れば、ヘザーが行くことになる。ヘザーは私とローランドのためなら、絶対に引き受けてしまう。


 じゃあ、殿下はどうするだろう。ちゃんとヘザーの伽を断ってくれるだろうか。

 大丈夫、殿下は断ってくれる。きっと大丈夫。だって、殿下は王女様を。


「私には他に愛する人がいるの。身も心もその方に捧げているわ」


 私は王女様の言葉を思い出した。


 殿下は王女様に愛されてはいない。優しい殿下がそれを知っていたら、どれだけ苦しいだろう。

 得られない王女様の心の代わりに、別の誰かを欲っしても不思議じゃない。


 殿下はそれを望んでも許される身分だ。


 その相手がヘザーであっても、誰であっても。そして、その人が、やがて殿下の子を産む。


 そんなのは嫌だ。王女様以外の人が、殿下に愛されるなんて嫌だ。


「さ、クララはもう戻っていいわ。ヘザーを呼びましょう」 


 王女様の声に、私の決意は固まった。


 ヘザーを巻き込んではダメだ。ここで止めないと、取り返しがつかないことになる。親友を人身御供にはできない。


 ……違う、そうじゃない。これは、人助けなんかじゃない。私の本当の気持ちは、そうじゃないんだ。本当の理由は、私にだって分かってる。


 ヘザーが殿下に愛される。そんなことを考えるだけで胸が苦しい。この気持ちは、ヘザーのためなんて、そんなきれいごとじゃない。


「私が行きます」


 気がついたときには、もうそう言ってしまった後だった。


 王女様は嬉しそうに頷くと「ありがとう」と言って、寝室のほうへ退出してしまった。


「クララ様、こちらの奥のドアから、後宮に入ります。お支度はそちらでいたしますので、ついてきてください」


 侍女長様はことの成り行き判断し、部下である私を様付けで呼んだ。殿下の側室候補として。


 もう後戻りはできない。私は覚悟を決めた。


 後宮と呼ばれる場所は、かつて王族の愛妾が囲われていたところだと聞く。

 私はそこで全身を磨きあげられ、真っ白な夜着を着せられた。


 鏡の中の私は、まるでウェディングドレスを来た花嫁のように、頬が上気して見えた。


 体だけでもいい。一瞬だけでもいい。殿下に、アレク先輩に、愛されたい。


 もう自分の気持ちをごまかせない。私はすでに引き返せないくらい、殿下を愛してしまっていた。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ