侍女の務め [クララの視点]
王女様のお茶会は、あの後すぐにお開きになった。
私たちは「見ざる聞かざる言わざる」の境地で、誰もそのことについて、触れることはなかった。
もちろん、ヘザーの恋のことも。
王宮に上がった日の最後の仕事は、王女様の寝間の支度だった。
指定されたのはかなり遅めの時間だったけれど、さすがに公務に部屋着では赴けない。
私は軽くシャワーを浴びてから、支給されたばかりの侍女服を着た。
黒のタートルネックドレスで、銀のボタンが首からスカートの先まで並んでいる。袖は軽いパフスリーブになっていて、長袖の先にも銀のボタンが二つついていた。
生地はとても良いものが使われているけれども、デザインはシンプルというか地味。職業婦人だった家庭教師老嬢を思い出させた。
私の部屋の前には、すでにカイルが警護騎士として待機している。
侍女長から、王女様が選定した専属騎士が、私たちの警護すると聞いてはいた。
でも、それがカイルだったのは嬉しい驚きだった。
知り合いの少ない王宮で、少しでも知っている人が、身近にいてくれるのはありがたい。
ただ、急にカイルの態度が軟化したのには、ちょっと慣れなくて戸惑ったけど。
私に向かって敬語使うとか、絶対に変でしょ。
「何かあったら、僕を頼ってほしい」
私の専属の騎士になったと判明したとき、カイルはそう言ってくれた。私の肩に手をおいて、真剣な目で真っ直ぐ私の顔を覗き込みながら。
カイルは勘がいい。たぶん、隠しきれていない私の不安を感じ取ったんだと思う。
「僕は君の騎士だから」
カイルがそう言ってくれたので、私は少しだけ元気がでた。
この仕事が終われば、今日はもう休める。
今日は殿下には会わなかった。その事実に、なぜか少し寂しい気がした。
王女様の部屋の前まで来ると、カイルは私をその場に残して、廊下の少し下がったところに待機した。
声に出さずに「ありがとう」と伝えると、カイルは優しく笑ってくれた。カイルのそんな顔は珍しいので、なんだかちょっと照れくさかったけれど。
カイルは笑うと、とても素敵だ。いつも笑ってくれるといいのに。
「王女様。クララです」
ドアをノックしてそう伝えると、カトリーヌがドアを開けてくれた。
彼女もやはり侍女服を着ていて、私たちはお互いを見て、クスリと笑い合った。
すごく地味だ。鏡台の前ではルイーズが王女様のお化粧をしていた。
私たちはみな侍女服が似合う、色香がない地味ーズなのだ。
それに引き換え、王女様はまるで天使のようだった。
洗いたての銀髪は絹のように柔らかく、月の光のように輝いている。シルクのオフホワイトのナイトドレスを着た姿は、神殿に降り立った精霊のような神秘的な雰囲気を醸し出していた。
「クララ、来たのね!じゃあ、カトリーヌは下がっていいわ。お疲れ様」
王女様がそう言うと、カトリーヌはスカートの端をつまんで、軽く膝を曲げた。
「おやすみなさいませ」
カトリーヌが下がった後、ルイーズは最後に王女様に香水を一振りかけて、今日の仕事を終えた。そして同じように退室していった。
「寝間のお支度をさせていただいてよろしいですか」
私がそう言って寝室へ行こうとすると、王女様が私を引き止めて、こう言った。
「今夜もアレクの夜伽に呼ばれているの。そちらの支度をお願いするわ」
正直、私は動揺した。胸がドキドキして、同時に胃がキリキリと痛んだ。
殿下と王女様のためのベッドメイキングをする。それは侍女としては普通の仕事だ。
それなのに、そういう男女の営みについては全く経験がないせいだからなのか、なぜだか妙に胸が詰まった。
「……承知いたしました」
侍女としてのプロ意識を持つんだ!平常心!平常心!
私は気を奮い起こし、王女様のお出ましのためにドアを開けた。
そこにはカイルと王女様専属の隣国の騎士が、レイ様と言っただろうか、その二人が控えていた。
「アレクの部屋へ行くわ」
王女様がそう言うと、レイ様が王女様の先導をし、カイルが最後尾を警備して、私たちは殿下の部屋に向かった。
誰も口を開くものはいなかった。
「王女様をお連れいたしました」
私は小声でそう言い、殿下の部屋のドアをノックした。
ドアが静かに開かれ、殿下が王女様を出迎えた。殿下がそっと手を差し出すと、王女様はその手に自分の手を置いた。
「ご苦労だった」
殿下は私のほうは見ずに、そのまま王女様と部屋の中へ消えようとした。それを王女様が遮った。
「クララ、寝室の用意をしてちょうだい」
「セシル!」
それを聞いて、殿下は少し憤ったような声を出した。
私に、王女様と使う寝室を見せるのが恥ずかしいのかもしれない。私だって、本当は見たくない。
そこで行われる行為がどんなものなのか、一応の知識だけはある。だから、そんな想像をしたくなかった。
「アレク、クララは仕事で来てくれているのよ。邪魔しないでちょうだい」
王女様は「さ、こっちよ」と慣れた様子で、さっさと奥の寝室へと歩いていってしまった。
私は軽く膝を折って挨拶し、殿下を避けるように王女様の後に続いた。
殿下は何も言わなかった。
主寝室は青と白を基調とした、どちらかというと殺風景な印象だった。寝具はすべてきちんと取り替えてあり、何をどうすればいいのか、私は迷ってしまった。
「アレクはね、私がいくらお願いしても、寝室の模様替えをしてくれないのよ。そこのキャビネットに私が好きな寝具が入っているから、交換してくれる?」
「分かりました」
私がそう言うと、王女は安心したように頷いて、殿下のいる部屋のほうへと戻っていった。
キャビネットには、たしかに柔らかな生地の、温かい色の寝具が入っていた。
侍女としての経験がない私たちのために、お茶会の後は夕食まで、侍女長様が新人指導に当たってくれた。
寝間の支度をすることになってしまった私は、十回くらいベッドメイキングを練習しただろうか。さすがにもう要領は得ていた。
白一色のシーツをはずし、王女様のお好みの薄いピンクのシーツをベッドにかける。
今夜はここで、殿下が王女様と休むと思うと、やはり泣きたいような気持ちになった。
優しくて穏やかな殿下も、普通の男性だ。王女様の前では、違う顔も見せるんだろう。
ここで行われる行為そのものよりも、私が知らない先輩を、殿下を知っている王女様が妬ましかった。
王女様は殿下を愛していないと言った。身も心もすでに別の男性に捧げていると。
それなのに、こうやって毎晩、夜を共にしなくてはならない。それはきっとつらいことだと思う。
殿下はそれを知っていて、それでもこうして情を交わしているのだろうか。
もしも、誰かが側室に上がれば、王女様はつらいお勤めから開放されるかもしれない?
でも、殿下の気持ちはどうだろう。愛する王女様が夜伽を辞退されたら、殿下はどれほど傷つくだろう。
それに側室になった方も、殿下に愛されないまま、夜を共に過ごすことになる。それはやはり、とても辛いことだろう。
もしも、その人が本当に殿下を愛しているなら、体だけの繋がりは余計に寂しい。
王族というのは、とてもつらい立場だ。国が優先され、個人は消される。王女様も殿下も、それを当然に受け入れている。
私は泣かないように気を張って、なんとか仕事を終えた。
寝室から出ると、そこには殿下の姿はなく、王女様だけがソファーでくつろいでいた。
「殿下はシャワーを使っているわ。挨拶はいいから、もう下がってね。遅くまでありがとう」
王女はいつものように優しくふんわりと笑った。
「おやすみなさいませ」
私は王女様に挨拶をして、そのまま退出した。
ドアの外にはレイ様が控え、カイルは私が戻るのを待っていてくれた。
カイルは私のほうをちょっと見たけれど、そのまま黙って歩きだした。私は俯いたまま、カイルの後をついていった。
急にひどい疲労感が訪れて、私は自分が極度に緊張していたのを知った。
そして、カイルの歩幅についていけなくなり、少し歩く速度を落としてもらえるよう、騎士服の裾を引いた。
振り返ったカイルは、なぜか私の頭に手をポンポンと落として、こう言った。
「よく頑張ったな。君は立派な侍女だ」
その優しい言葉を聞いたとたん、私の視界がぼやけた。涙が次から次へと溢れてきて、止めることができなかった。
緊張の糸が切れてしまった私は、その場にへたり込んで、動けなくなった。
それでもカイルは、私が泣き止むまでなにも言わずに、黙ってそばにいてくれた。
カイルがいてくれたことで、私はなんとか落ち着くことができた。差し出してくれたその手を取ると、立ち上ることもできた。
そして、カイルはそのまま私の手を引いて、部屋まで連れ帰ってくれたのだった。
カイルの温かい手のぬくもりが、私のぐちゃぐちゃだった気持ちを癒やしてくれた。
カイルの手はいつも温かい。学園にいたときと変わらない温かさだ。
カイルの優しさのおかげで、私は少しだけ慰められた。
そして、その晩はなんとか眠ることができたのだった。




