王女の思惑
「一体どういうつもりなんだ!」
私はつい声を荒げてしまった。
深夜まで続いた夜会がやっと終わり、セシルは私と部屋に戻ってきていた。
謁見のすぐ後に、侍女長が目通りを願い出てきた。そして、私の嫌な予感が的中し、今回の謁見の真の目的が判明したのだ。
「侍女を選びたいって言ったでしょう?この先、長いんだから、私にもお友達は必要なのよ。みな、いい娘たちだわ」
「侍女じゃなく、愛妾候補だと報告を受けた。そんな話は聞いていない!」
王女は大きなため息をつくと、しょうがないわね……というように話し始めた。
「王妃の侍女がお手つきになるのなんて、昔からあることでしょう?あなたの子を産めば正式な側室にもなれる。将来は国母になる可能性もあるわ。次期王の外戚になれるのだから、実家にとっても光栄な話じゃない」
「君はそういうのをよしとする人間じゃないだろう。愛妾を持つことも、なることにも反対のはずだ」
私は感情を抑えて、できるだけ静かに言った。
セシルはこんなことを言う人間ではない、ましてや思いつくこともない。
なぜなら、彼女自身が側室腹で、地位に目がくらんで愛妾に上がった自分の母を、ずっと忌み嫌っていたから。
「私は子が産めないのよ。そう言われたわ。まあ、最初から産むつもりもなかったけれど。人質は私一人で十分だもの。でも、国のためにこの結婚は必要だし、貴方に後継者が必要でしょう」
「本気で言っているのか?私が、君と自分の子を、人質にすると?」
「貴方のことじゃないわ。北方よ。そして私の父」
隣国の歴代の王は皆が艶福家で、妃と何人もの側室に子を産ませている。
そして、王女たちを他国の王族や自国の有力貴族に嫁がせ、外戚としての力を奮っている。
「父王にとって、娘は駒よ。他国に嫁がせて、内政に干渉する。それがうまくいかない国は、切り捨てる。北方に嫁いだ姉と姪は見殺しよ」
王女の顔は深い悲しみに曇ってた。
何人もいる腹違いの姉妹の一人。私はその王女と面識はなかったが、敵対している北方へ、人質のように差し出されたと聞く。北方では、大国に押し付けられた妃として、冷遇されているらしい。
「辛い気持ちは分かるつもりだ。だが、この婚約が整えば北方への抑止になる。義姉上も助かるかもしれない」
王女はふっと鼻で笑った。そして、つかつかと近づいて来たかと思うと、私のシャツの襟を掴んで、グッと自分に引き寄せた。
「甘いわね。北方が歯向かったものを生かしておくわけないわ。知っているでしょう? 気休めはよして」
僕は襟をつかむ王女の手をそっと引き離し、そしてその手を握った。
「すまない。でも、まだ間に合うかもしれない。そのために、今、こうして私たちは急いでいるんだろう。とにかく、まずは北方だ。子供のことは、後々、考えればいい。実子がいなければ、王位継承権のある者を、養子に迎えればいいだけだ」
僕はつとめて優しく言った。
年頃の娘が子が産めないと言われて、それを気にしないわけがない。セシルはきっと傷ついている。
だから、こんな馬鹿なことを考えついたんだろう。
そう思っての提案だったが、セシルは首を横に振って、私の手を振り払った。
「アレク、あなたは優しすぎるのよ。あのクララって子を愛しているのでしょう?あの子を見る目が違ったし、彼女からは微かに貴方の魔力が漂っていた。彼女がほしいでしょう?」
私は答えに迷って、押し黙った。
セシルがクララの名を出したことにも驚いたが、ほしいかと問われて、心に迷いが生じたからだ。
彼女を欲するということは、私が自分に課してきた禁忌だった。
「……ほしいと思ったことはある。だが、それを望んだことはない」
王女は右手で右頬を押さえ、また深い溜息をついた。まるで息子に困らされる、母のような仕草だった。
「貴方が望まなくても、北方は望むわね。政敵の唯一の泣きどころよ。放っておくわけないでしょう」
それを聞いて、私は思わずセシルの肩をつかんだ。そして、信じられない気持ちで、信じたくない気持ちで、それでも声に出して聞いた。
「まさか、クララが狙われるとでも?」
「本当に甘いのね。本気で愛する者を守りたいなら、もっと行動に気をつけることね。私があれほど熱愛を演じたのに、貴方は彼女一筋。見るものが見れば分かるわ。気がついてないのは、そうね、貴方と、初心な彼女自身くらいかしら」
セシルは「皮肉ね」と肩をすぼめた。私は全身から血の気が引いたようだった。
私のせいでクララが危険に巻き込まれる。それだけは絶対に避けたいことだった。
「侍女として王宮に入れば、彼女を守りやすくなるわ。男爵家に置いておくよりは、ずっと警備が堅固だし、私たちの目も届く」
「私の考えが及ばなかったようだ。尻拭いをさせてしまって、申し訳ないと思っている。だが、彼女を側室にする気はないし、それを望んでもいない」
私はきっぱりと言った。クララのためにも、そんなことはしたくなかった。
王太子である私が望んでしまえば、本人の意思に関わりなく、クララは召し出され、愛妾にされてしまう。それだけは回避しなくてはいけない。
王族という立場を利用して、人の人生を縛ることは罪だ。そんなことをすれば、一番辛い罰が下る。
クララに嫌われて軽蔑される、何よりも耐え難い罰が。
「それなら、いますぐローランド……だったかしら、 宰相の子息。彼とクララを結婚させなさい。彼の子を孕めば、もうあの子の心配はいらないわ。安全なところへ逃がせる。それができるの?」
僕は頭を殴られたように、目の前が真っ暗になった。
クララがローランドと結婚する。それはこの先の当然の流れとして、どこかで遭遇することになるだろう。
だが、今すぐに……というのは、全くの想定外だった。ローランドの子を抱くクララを想像するだけで、心臓が焼かれるようだった。
「無理でしょう。だから、この話はもうおしまい。クララは側室候補として、私の侍女に上げる。貴方には、もう、それしか彼女を守る方法はないわ」
彼女は手をひらひらと振って、隣にある寝室へと向かった。
セシルは私の寝室をつかい、私は隣室の予備ベッドで休む。それが私たちの臣下すらも欺く所業だった。
セシルは寝室のドアノブに手をかけたまま、こちらを振り返らずにこういった。
「それに、あの娘は王族の務めを理解しているわ。私たちの苦しみも悲しさも。貴方を理解して支えられる器がある。あまり見くびらないほうがいいわよ」
その声には、先程の議論とは違った、不思議な温かさがあった。
これは確かに私の知っているセシルの言葉だった。
「セシル。君だって叶わぬ恋をしているだろう」
ドアノブを回そうとしたセシルの手が止まり、彼女はこちらをゆっくりと振り向いた。
「ええ。しているわ」
「本当にこれでいいのか?王女なら他にも……」
隣国には、他にも王女がいる。セシルが国の犠牲になる必要はない。
「本当にお人好しね。貴方と結婚しなくても、父は私をどこかに嫁がせるわ。一つの駒としてね。そして、そうなったら、私はただ慰み者になって、死ぬだけよ」
セシルはそう言って微笑んだ。悲しい笑顔だった。
子が産めない妃は、いずれ淘汰される。彼女はそう言っているのだ。
だが、その身分も美貌も才覚も、多くの男たちが競って手に入れたがる類のものだ。セシルを邪魔者にして、手にかける男がいるとは思えない。
それでも、セシルはとても静かに、はっきりと言葉を続けた。
「相手が貴方でなかったら、私はもうとっくに死んでいたわ。他の男に触れられるくらいなら、死んだほうがいい。子供が産めない体でよかったわ。あなたが私を抱かない理由ができたもの。あなたは後継者を得るための義務でしか女を抱かない。あの子以外はね」
彼女の言葉に、私は黙るしかなかった。
彼女の見解は正しい。そのことを指摘されて初めて、私はクララへの、自分の執着の深さを理解したのだった。




