先手必勝 [クララの視点]
さすがに王宮のビュッフェはすばらしく、コルセットがきつくてあまり食べられないのが残念だった。
それでも、なんとなくもっともっと甘いものが食べたい。今までに感じたことのないような、不思議な焦燥感。これはストレス? 要アルコール?
さすがに、2日連続でワインをガブ飲み……というのもアレだし、この後に夜会が控えていることを考えると、やはりスイーツで気を紛らすしかない。
小説『真実の愛』についてアレコレと話すヘザーに適当に相槌を打って、私はちまちまとスイーツを食べていた。
ローランドはいつものように、妙齢の令嬢やその父親に囲まれてモテまくっている。私に構うこともない。
それについては楽なので、いつも通り放っておいている。ただ、今日はやたらと目で「ばかなことするなよ」と合図してくる。
もう、本当にうるさい。
帰りたいなと思ったとき、突然、王女様の来室が伝えられた。
謁見が終わった王女様は、普通はそのまま私室で休憩されて、夜会用のドレスに着替えられるはずだった。
次に現れるのは夜会で、殿下のエスコートで入場されるのが、通常コースだ。
その王女様が、飛び入り参加風に「非公式」で、この控室に入ってきた。
従えているのは、他国の騎士のみ。殿下は側にいない。
王女様はとても軽やかな足取りで会場を歩き回り。慌てて頭をさげる令嬢たちに対し、次々とにこやかに話しかけていった。
「綺麗なアクセサリーね。どちらでお求めになったの?」
「みなさんはお友達のグループかしら?」
「この国の今年の流行は何ですの?」
とりとめのない質問に、令嬢たちは失礼のないように、優雅に返答していく。
さすが伯爵家以上の令嬢たち。こういうときのマナーは完璧だ。
王女様と個人的に親しくなれれば、実家や婚家が政局で有利な位置に立てることもでてくる。
みな必死になって歓心を買おうと頑張っているのだ。
王女様のお友達というか、お取り巻きになれれば、それなりにいいことはあると思う。
でも、私はどうもそういう駆け引きのようなことは苦手だ。ここは黙ってやりすごそう。
そう思ってヘザーの袖を引っ張ったとき、運悪く王女様の目に止まってしまった。
「こんばんは。なにを話してらっしゃったの?」
王女様は甘い香を漂わせて、とても気さくに話しかけてきた。
それに対して、ヘザーは物怖じをすることなく、優雅に、しかし「それは適切な話題?」と思うようなことを返答した。
「読書についてですの。王女様、私たち『真実の愛』という本が大好きで」
てっきり他国の文学など知らないと思っていたのに、王女様はがっつり喰い付いてきた。
いえ、そうじゃなくて、強い興味を示したというべきか。
「まあ!私もその本の大ファンなのよ。この国でも異世界恋愛ジャンルが流行っているのね!うれしいわ。私、どうしても待てなくって、ここへ来る馬車の中で新刊を読んできたの!おかげで長旅は全然苦じゃなかったわ!」
「え?王女様、馬車酔いは大丈夫だったのですか?」
王女様が「え?」という顔をしたので、私はちょっと後悔した。
全然関係ないことを言ってしまった。会話のマナー、ぶち壊しだ。さすが私。早速やってしまった。
それなのに、王女様はにっこり笑って、優しい声でこう言った。
「ありがとう。馬車には魔法がかけてあって、揺れないようになっていたの。じゃなきゃ、やっぱり本は読めないわね」
王女はふふふっと楽しそうに笑い、話を本のほうに戻した。
「私たちは魔法があって幸運ね。『真実の愛』の世界には魔法がないので、恋の逃避行の旅はとてもつらそうよ。時間もかかるし。疲れているのに森で野営なんてかわいそうだわ。でもそのおかげで、あの素敵な騎士の儀式ができたんだけどね!」
「私もそう思いますわ」
さすがのヘザーは、優雅に本の感想を述べた。王女様もよほどあの物語が好きなのか、とても熱心にこの先の予想などを立てている。
「あなたはどう思われる?二人は幸せになれるかしら?」
王女様は私にも意見を求めてきた。私は最新刊は読んでいない。それでも、あの小説に漂う切ない思いに、いつも胸が苦しくなる。
なぜか無意識に感想が口をついてしまった。
「悲しい話です。王族の彼は、国のために国を捨てなければならなかった。その覚悟を知って、彼女はともに逃げたんだと思います。自分を守らせることで、彼が生き抜くことを放棄しないように」
『真実の愛』は、立場ゆえに自由に生きられない王族が、国の運命にもてあそばれる悲しい物語だった。
私はなぜか胸に熱いものがこみ上げ、頬につーっと涙が走ったのを感じた。
王女様は驚いて私を抱きしめ「とても感受性が豊かなのね。王族のことをよく分かってくださるのね」と、背中をポンポンと叩いてくれた。
私は慌てて王女様から離れると、頭を下げて非礼をわびた。
「申し訳ありません。つい感情的になってしまって」
王女様はやさしくほほえんで、私の手を取って言った。
王女様の手はとてもあたたかく、姉がいたらこんな感じなのかな…と、不謹慎なことを私に思わせた。
「気にしないで。大好きな物語をいろいろな角度から語れるのは楽しいわ。それに、あなたの深い洞察力に感動したわ」
王女様はそう言うと、私のパートナー兼身元保証人となるべきローランドを振り返った。
遠くで令嬢に囲まれていたローランドは、いつの間にかそこに立っていた。
「クララとヘザーを私付きの侍女に召し上げるわ。よろしいでしょう?もっともっと二人とお話がしてみたいの。私の滞在期間中だけですから。帰ったらすぐ支度をして、明日にでも王宮へ出仕してちょうだい」
「心得ました」
ヘザーの兄、伯爵がそういうと、ローランドも一緒に頭をさげて、承諾の意を表した。
この状況では断ることは無理とはいえ、一応「お父上の男爵の許可を得られましたら」と助け舟は出してくれたけれど。
「嬉しいわ。他にも何人か私に仕えてほしい方々を選んだのよ。正式な発令は殿下の承認を得てからになりますの。お楽しみにね」
そう言い残して、王女様は来たときと同様に、周囲に笑顔と会釈を振りまきながら、春風のように去っていった。
私もヘザーも呆然としたまま、その場に立ち尽くしていた。
「お前、王女様に何を話したんだよ」
急にローランドに腕を捕まれ、私は「ひゃっ」っと声をあげた。伯爵も、その横で私たちを心配そうに見ていた。
「本の話だよね?」
私は間の抜けた声で返事をし、ヘザーのほうを見た。
「そうね。クララは『真実の愛』をすごく読み込んでいるみたいよ。それが王女様のお気に召したの。すごいわね」
自分も同じ立場なのに、ヘザーはものすごく他人事のようなコメントをした。
なんだか、狐につままれたような気分だった。
ローランドに強く掴まれた腕の痛みだけが、私にこれが現実だと語っていた。