ピンクの薔薇
「これはどういうことなんだ?説明してくれないか」
私はセシルを自分の部屋に呼び出して、そう問いただしていた。
朝食の席で、侍従長が今日の予定を告げ、なにげなくパーティーの式次第に目を通した。
そこで、全く知らなかった情報に気が付き、すぐに事情を聞くためにセシルを呼び出した。
「クララのこと?正式に婚約を発表させると言ったじゃない」
「それは聞いた。だが、なぜカイルなんだ。相手はローランドじゃないのか?」
セシルは不思議そうな顔をして、僕が差し出す式次第を手に取った。
そこにはローランドを筆頭として、八組のカップルの婚約報告が記載されている。
ローランドの婚約者は、クララではなくヘザーだった。
「元侍女たちで婚約者がいなかったものは、専属騎士と婚約させたのよ。最初からそのつもりで、人選をしてたの。家柄も容姿も釣り合ってるでしょう。専属騎士をしている間に情も生まれているし、アレクと彼女たちに何もなかったことも知ってる。ほら、四組は元侍女でしょう? ヘザーもその予定だったんだけど、先にローランドと正式婚約したから」
「ローランドの許婚は、クララだろう?なぜ急に、ヘザーと婚約するんだ」
「知らないわ。本人たちの希望なんだもの。貴方に遠慮したんじゃない?」
セシルはいつもバッサリと切り捨てる。
そんなことは言われなくても分かっている。ローランドは頑なだった。クララが私にふさわしいと譲らなかった。
だから、クララが婚約すると聞いたときには、ある意味でホッとした。
私が彼らの障害にならずに済んだことで、少しだけクララの幸せに貢献できたと思っていた。
「ローランドは、いつヘザーと?」
「襲撃の翌日だったかしら?貴方もローランドとの婚約はだめだと言ったし、ちょうどいいタイミングだったわ」
私は確かに、それはダメだと言った。つまらない妬心だったとは思う。
だが、それはローランドと婚約させるなという意味ではなかった。
「私のせいか。私がクララから、ローランドを取り上げたのか?」
私はソファーに座り込み、思わず頭を抱えた。クララの気持ちを思うと、いたたまれなかった。
私の思慕せいで、ローランドとの仲が壊れた。そして、王女の命でカイルと婚約しなくてはならなくなった。
クララにとってな、どれほど理不尽だったか。私が横恋慕しなければ、なんの障害もなくローランド結ばれていたのに。
「ローランドがヘザーを選んだのよ。あの二人なら幸せになれるわ。クララも、幼馴染二人の婚約を喜んでるはずよ」
僕の肩に手を置いて、セシルが優しく言った。だが、どうしても解せなかった。
「クララは優しい女性だ。友人の幸福を願わないはずはない。だが、本人の気持ちはどうなんだ」
「クララの気持ちは、貴方が一番よく知っているんじゃないの?それに、命令じゃなければ、クララは誰とも結婚しなかったと思うわ」
「……どういうことだ?」
「一体、何を言ってるの?クララは、相思相愛の相手と、無理矢理引き裂かれたのよ?貴方を愛しながら、他の男のものになるなんて、クララにできっこないでしょう?」
「クララが私を……」
クララは、私を愛しているというのか?
彼女から愛を伝えられたことは一度もない。私の一方的な愛の告白を、クララは黙って聞いてくれた。
私の気持ちを拒絶するには、彼女は優しすぎた。それだけだったはずだ。
「もういいじゃない。どうにもならないことは、どうにもならないわ。少なくとも、ヘザーはローランドを愛しているし、カイルは間違いなくクララを愛している。政略結婚が当たり前の貴族社会で、一方だけからでも愛があるなら、その結婚は幸運よ」
「カイルがクララを……」
「ええ。たぶんずっと前から。ローランドに遠慮していたようだし、彼は貴方の腹心の部下だものね。ずいぶんと恋心を拗らせてはいたようだけど、思いがけない幸運だと受けとってくれているはずよ。クララも全く知らない男と婚約するよりは、親しくしていたカイルで安心したと思うわ。彼ならクララが心を開くまで、無体な真似はしないでしょうしね」
そうだ。カイルはずっとクララを見ていた。学園にいるときも、騎士となってからも、影に日向にクララを守ってきた。
それは確かに、愛情だったのかもしれない。ただ、冷静な彼の態度や口調が、それを見えにくくしていただけだ。
「そうか。事情は分かった。取り乱してすまなかった」
僕がそう言うと、セシルは黙って頷いた。
「カイルにはもちろん、クララを守るように頼んであるわ。ローランドにも気を配ってもらえるよう、ヘザーから伝えてある。大丈夫。今夜はきっとうまくいくわ」
「そうだな。ありがとう」
セシルの言う通りだった。とにかく今夜が勝負だ。これが失敗すれば、クララを含めた国民全員の命さえ危うくなる。
それを回避するために、セシルは最大限に有効な算段を取り付けている。
クララの婚約の件もその一部だ。任せていて間違いはない。
私のこの動揺は、公人としてではなく、個人の感情だ。捨てなくてはならないものだ。
セシルが退出した後、私はすぐに執務室に向かった。
ローランドはいつも屋敷に帰宅する直前まで執務室にいる。もしかしたら、まだいるかもしれない。
今更とは思うが、もう一度ローランドの気持ちを聞いておきたい。
本当にヘザーと婚約していいのか。クララはそれに納得しているのか。それで幸せになれるのか。
「ローランドを見なかったか」
執務室に残っていた部下は、突然現れた私を見て少し驚いたようだった。
「ついさっき、帰宅しました。今残っているのは、もう警備担当のものだけです」
「そうか。何か言ってなかったか」
「特には。ああ、そう言えば、カイルの謹慎が解けたかを気にしていたようです」
「カイルの」
「はい。直情型のローランドじゃなく、冷静沈着なカイルが一方的に手を出したということだったし。何か気になることが、あったんじゃないでしょうか」
「あれは、いつだったか」
「確かローランドは休暇明けでしたね」
たぶん、カイルはあのとき、すでにローランドの婚約を知っていたんだろう。だからあんな真似を。あれはクララのためだったのか。
あの夜、私はクララを手放し、カイルに託した。無事にローランドの元へ戻っていけるように。だが、その翌日には、ローランドはクララから完全に身を引いた。
私たちはクララを守りたいと言いながら、実質的には、彼女をただ無責任に放り出しただけだ。
カイルは、ローランドだけではなく、本当は私も殴りたかったはずだ。
私は執務室を出て、そのままバラ園へと向かった。もう一度、あの白い薔薇を見たかった。
あれはあの夜のクララだ。清らかな純白の乙女。そして、今もそれは変わらないだろう。
私は記憶を頼りにあの白い薔薇を探した。だが、なぜか見つけることはできなかった。
理由は分からない。誰かが手折ってしまったのか、僕の見間違いだったのか。
失ったものは取り戻すことはできない。それでも、まだ失っていないものもある。
この国の平和な未来は、まだ失われてはいない。そして、それだけが私がクララに贈れるものだ。
私はピンクの薔薇の蕾を一輪だけ切った。どんな色であっても薔薇は美しい。だが、土壌が荒れて水が不足すれば、すべての薔薇が枯れる。
「今夜が勝負だ。なんとかしてみせる」
私は知らないうちに、そうひとりごちていた。
次は【第二章】最終話です! ここまで読んでくださって、本当にありがとうございました。
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