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茶番劇 [クララの視点]

 ヘザーが帰途へついたのは、あのキスのすぐ後だった。


 驚きの展開に、ヘザーの猫かぶりも限界だったらしい。ボロが出ないうちに去るのは懸命だけれど、そのせいで予想外の展開を、弁解する余裕もなかった。


「じゃあ、もう行くわ。ローランドのことは、私に任せて」


 ウキウキするヘザーの様子には、非常に危険な匂いがする。それでも喜ぶヘザーを見ていると、やっぱり何も言えなかった。


 私とカインのことは、ヘザーを安心させたんだとは思う。ヘザーとローランドはこれで勝手にうまくいくだろう。


 私たちは、互いにぎゅっと抱き合い、別れを惜しんだ。


「王女様と殿下にも、きちんと伝えておくから。驚くと思うけど」


 殿下にも……。訂正するなら今しかない。でも、私の婚約は王女様のご命令だ。

 それなら殿下にとっても、これは都合がいいことなのかもしれない。


「うん」


 私はただ頷くしかできなかった。自分がどうすればいいのか、もう全く分からない。とりあえず、この場はカイルに合わせるしかない。


「カイル様、クララをよろしくお願いします」

「こちらこそ。これからもクララと仲良くしていただければ、僕も嬉しいです」


 紳士らしく頭を下げるカイルに、ヘザーも美しい所作で淑女の礼を取った。王女様の侍女として、品のよい高位の令嬢そのものだ。

 それなのに、この二人が完璧過ぎることが、逆にこれが茶番であると、証明しているかのようだった。


 私は隣に立つカイルを盗み見た。いつもと変わらないように見える。

 それでも、彼の左手は優しく私の肩を抱いているので、いつもと同じなんかじゃない。


 何かがおかしい。私の知らないところで、全てが勝手に動いていくような気がする。

 私だけが夢の中に取り残されていて、現実についていけていない。


「大丈夫?」


 ふらふらと足元がおぼつかない私の腕を、カイルが掴んだ。

 ぼんやりとカイルを見つめていると、突然カイルが私の額に手を当てた。

 驚いて息を飲むと、その手は私の頬に回されて、カイルの顔が近づいてきた。


「やっぱり熱がある。顔が赤い」


 カイルは額で私の熱を測り、そのまま私を抱き上げた。いきなりお姫様抱っこをされたので、私はその腕から逃れようともがいた。

 カイルは騎士だ。私の力ごときでは、びくともしない。


「危ないから暴れないで」

「あの、だ、大丈夫だから。お、重いし、は、恥ずかしいので……」


 私がしどろもどろに言うと、カイルがほんの少しだけ微笑んだような気がした。


「僕は君の婚約者なのだから、こういうことは別に恥ずかしくはない」


 これは本当に現実なのだろうか。私の緊張も、ついに限界を超えた。

 もう何も考えられなくなったので、おとなしくカイルの腕の中で目を閉じた。


「お嬢様!クララ様!起きてください!」


 ああ、マリエルの声だ。私、家に帰ってきたんだ。なんだか色んな人の夢を見た。

 殿下が、王女様が、ヘザーが、ローランドが、そしてカイルが……。


 私は、正気に戻って飛び起きた。そんな私を、呆れ顔で見つめるのは、たしかに私専用メイドのマリエルだ。

 周囲を見回してみたが、ここはやはり実家じゃない。


「マリエル?なんでここに?」


 マリエルは窓を開けて、空気を入れ換えた。


 窓はすぐに閉められけれど、凍てつく冷気は私の目を覚ますには十分だった。


「もうっ!お昼寝には遅いし、就寝には早すぎます!そういう自堕落な生活をしていると、婚約者様にも愛想尽かされますよっ!結婚前なんだから、少しは猫かぶっていただかないと!」

「なんか、状況よく分かんない。あれ?なんで寝間着なの?ドレスどうしたっけ?」


 私、どうしたんだった? ヘザーとお茶をして、その後に熱が出て。


 マリエルが「やれやれ」と大きなため息をついた。ようやく私の最初の質問に答えてくれた。


「ヘザー様が王女様のお使いとして男爵家へいらしたんですよ。旦那様にお樹様のことを報告されて。それで、慣れたメイドがいないと心細いだろうからって、私をこちらへ派遣してくださいましたの」


 あの後、ヘザーは男爵家のタウンハウスに行ってくれたんだ。お父様には王宮から連絡が行っていたはずだけど、私の様子を知らせてくれてよかった。きっと心配していたはずだもの。


「で、こちらに到着したら、執事様にお熱を出したことを聞いて。心配した来てみたら、当人はグースカ寝ていて!もうっ!カイル様がお気の毒でしたわ。私が来るまで、ずっと側についていらしたんですよ!」

「カイルが?側に……」


 ああ、そうか。ヘザーが帰った後、私は熱があるって、カイルがそう言ってたっけ。


 そう思ったとき、私はカイルのキスを思い出して、頬にカーっと血が上るのを感じた。


「お嬢様、やっぱりお熱ってそれだったんですね。それ、はっきり言って、知恵熱です!お子ちゃまお嬢様には刺激が強すぎたのかと」

「え?ちょっ。どういうこと?マリエル、何か知ってるの?」


 想定内ではあったけれど、マリエルはヘザーからアレコレ聞いているようだ。ものすごく得意げに、鼻息荒く語ってくれた。


「は?何言ってんですか?婚約者の寝室に寝てるし、客人の前でもキスしちゃうほどラブラブだって聞けば、そりゃ、なんかもう知ってるというかバレバレというか?初心なお嬢様にはちょっと展開が早すぎて、そりゃあ熱も出ますわよ」


 それを聞いて、私は気が抜けた。さすがマリエル。予想以上の盛り上がりぶりに、熱どころかなんだか頭痛もしてきた。


 それでも、私とカイルが相思相愛だと思わせることは、確かにヘザーの誤解を解くのに有益だったようだ。

 マリエルは妄想の世界で一人で盛り上がり、すでにあちらの世界に行ってしまったので、もう何を言っても無駄だった。


 今も、カイルが当面必要だからと買ってくれた服を褒めちぎっている。ドレスから普段着まで一通り講評してから、マリエルはシンプルな紫のビロードのマーメイドドレスを選んだ。


「今夜はこれにしましょう。カイル様が、お嬢様の具合が良くなったなら、一緒に晩餐をって」


 マリエルは、ヘザーの話をすっかり信じているようだった。カイルが私の婚約者だと思っている。

 カイルのためにも、ここはきちんと訂正しておくべきだった。


「マリエル、あのね。えーと、婚約っていうのは、たぶん私に恥をかかせないようにっていう配慮であってね。あと、なんかヘザーが色々と誤解していたから、それに助け舟を……」


 カイルは私の嘘に乗ってくれただけ。ヘザーを安心させるためとはいえ、咄嗟にカイルが好きだと言ってしまった。

 もちろん、それは嘘ではない。カイルのことは好きだと思う。でも、それは男女の愛というのじゃない。


 私たちが知り合ったのは学園だったけど、カイルには、ずっと前から知っているような、不思議な心地よさがある。

 言ってみれば、ローランドがやんちゃな弟で、カイルは物静かな兄という感じだろうか。


 兄弟……。私はずっと、自分は殿下にとって、妹みたいなものだと言い聞かせてきた。優しい先輩とそのお気に入りの後輩。それは、家族愛みたいなもの。

 もし殿下を好きになってしまったら、ただ辛いだけだから。そうやってずっと自分をごまかしてきた。

 そして、どんなに優しく甘やかされても、それを愛だとは思わないようにしていた。

 気づくのが怖かった。知ってしまったら、失うのが怖くなってしまうから。


 黙り込んだ私を見て、マリエルはふーっと息を吐いた。


 いけない。マリエルに気付かれてしまう。殿下のことを考えてはダメだ。

 私のこの気持ちは、誰にも知られちゃいけないんだから。


「ヘザー様の婚約のことは知ってますわ。あのローランド様が?と驚きましたけど。でも、それより萌えたのは、それを知ったカイル様がローランド様を殴ったってことですわ」


 予想に反して、マリエルは全く違う方向に考えを巡らせていた。

 私はほっとすると同時に、違和感を覚えた。


「え?カイルがなんで、ローランドを?」

「ローランド様は許婚だったクララ様から、あっさりヘザー様に鞍替えなさったんですよ!カイル様としたら、そりゃ、お嬢様に対する誠意がないって怒るでしょうよ。ローランド様がいると思ったからこそ、カイル様は恋心を忍んでこられたんだろうし」


 恋心って、一体どうして、そんな話になっているのだろう。


 カイルには好きな人がいる。前にそう聞いている。すごく好きだけど、片思いだって。

 あれは、学園のパーティーだったと思う。殿下とのダンスの後に、カイルはテラスまで私とローランドの様子を見に来てくれた。

 そのときに、カイルは自分の好きな人のことを、こう言っていたんだ。


『僕はあいつが好きなんだ。あいつがあいつであれば、どんなタイプでも気にしない』


 あのカイルがそんな風に言った人に、もし私との婚約なんて話が届いてしまったら。私の存在が、今度はカイルの恋の邪魔になってしまう。


 これ以上、カイルに迷惑をかけるなんて、とんでもないことだ。今までだって、専属騎士として散々迷惑をかけ通しだったんだから。


 マリエルは私のドレスの着付けをしながら、まだブリブリと鈍感だなんだと文句を言っている。

 見損なわないでもらいたい。私だってちゃんと色々と考えている。


 カイルに会ったら、こんな茶番に巻き込んでしまったことを謝ろう。

 そして、すぐに王女様に婚約のことは間違いだと連絡してもらおう。


 私はもう誰の迷惑にもなりたくない。一人でひっそり生きていくんだ。

 そろそろ本気で、修道院に入ることを考えなくてはいけない時期が来たのかもしれない。


 そう思いながらなにげなく鏡を見ると、見たことのないような大人の女性が立っていた。

 カイルの側にいると、私がまるで私じゃないように見える。誰か別の女性のような。


 私はしばらく、鏡に映る自分ではない誰かの姿を見つめていた


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