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太陽のバラの人

 セシルが私の部屋に来たときは、すでに深夜を回っていた。

 私はまだ眠らずに、暖炉の側のソファーで書類に目を通していた。


 ちょうどいいタイミングで、魔法茶を持ってきてくれたなと、そのときはそう思った。


 眠るのは悪くない。ときには、幸せな夢を見ることもできる。

 だが、夢が明るく鮮やかであればあるほど、目が覚めて現実に戻ると辛い。いっそ眠らなかったほうがよかったと思えるほどに、心に闇が蘇る。


 いつか、この闇が晴れて、現実に光を見出す日がくるのだろうか。


「レイから連絡があったの。ごめんなさい、知らせが遅れてしまって」


 暖炉の側に立つセシルを見上げると、泣きはらしたような目をしていた。


 私は、それには触れないようにした。


 苦しんでいるのは、私だけではない。そして、そのことに触れられたくないと思っているのも、やはり私だけではないのだ。


「レイは無事なのか?」


 セシルが黙っているので、私はソファーを立って、セシルの側へと移動した。

 そして、彼女の小さな肩に手を置いた。セシルが手が私の肩に置かれ、私たちはしばらく黙っていた。


 意を決したようにセシルが口を開くまで、部屋には薪が燃えるパチパチという音だけが聞こえていた。


「分からないの。使い魔ではなくて手紙が来たから。私宛じゃなかったので、届くまで時間がかかってしまって。でも、あれはレイだわ。私には分かる」


 私は黙って頷いた。セシルがレイの痕跡を見逃すはずはないと、長い付き合いの私には分かっていた。


「内容は普通の手紙だわ。でも、私しか分からないように、レイは危険を知らせてきたの。自分だって危ないのに。そんな方法でしか、連絡が取れない状況なのに」 


 セシルが涙声になったので、私はその震える肩を抱き寄せた。こうすれば、セシルは私に涙を見られずに済む。

 私は共に立つ戦友に敬意を表した。


 しばらくすると、セシルは落ち着きを取り戻したように、僕の胸をそっと押して、側から離れた。

 勇敢な私の婚約者は、今度は私のほうをまっすぐに見て、話を続けた。


「王宮には、すでに刺客が入り込んでる。暗殺計画があるって。婚約式に」


 そういう可能性は、あると思っていた。そのために警護を強化し、各方面に調査を走らせていた。

 だが、その情報は一切つかめなかった。


「婚約式まで時間がない。失敗すれば、辺境にいる父上たちが危ない。国境が崩れれば、北方は一気に王都に押し寄せるだろう。それを回避するために、なんとしても婚約を大々的に発表しなくては。迷う余地はないんだ」

「分かっているわ!でも、ターゲットは貴方よ。貴方に何かあったら……」

「それは君も同じだろう。君に何かあったら、レイに申し訳が立たない」


 僕はセシルの手を取った。ひんやりと冷たい手の感触が、愛しい人のそれを思い出させ、ほんの少しの間だけ、僕の心は安らかになった。


「大丈夫だ。僕たちはこんなところで挫けるために、今まで戦ってきたわけじゃない。だが、当日は私の側を離れないでほしい。レイの代わりに、君を守ってみせる。何が何でも生き抜くんだ。それがレイの望みだろう」


 レイの望みを思い出したのか、セシルが僕の手をぎゅっと握り返してきた。


「ありがとう。そうね。やり遂げてみせるわ。何があっても」


 私は黙って頷いた。私たちにはもう選択肢はない。選んだ道を突き進むしかないのだ。

 その道でしか、罪なき民を犠牲にせずに済む方法はないのだから。


「とにかく、明日になったら信頼できるものだけには、このことを知らせたいの。式の警護は万全だと思うけど、計画があると分かれば、対策も取りやすくなるわ」

「そうだな。みなには申し訳ないが、十分に用心をしてもらわなければ」


 方針が決まって安心したのか、セシルが魔法茶を用意してくれた。眠れるとしたら今夜が最後だろう。


 魔法茶を飲む前に、セシルを部屋まで送ろうとすると、あっさりと断られた。


「今夜は私が、隣室に待機するわ。だから、少しは眠ってちょうだい。そんなフラフラでは、私を守れないわよ」


 悪戯っぽく言う彼女に、私は苦笑した。


 たしかにそうだ。今はできるだけ体力を温存すべきだ。余計なことを考えるときではない。


 ありがたく申し出を受けることにした。


 魔法茶はよく効いて、ベッドに入ると、私はすぐに微睡んだ。セシルが近くにいてくれることが、心強かった。


 式の前日は、抜けるような青空だった。冬の冷え込みはあるが、陽光を浴びると気持ちがいい。


 魔法茶とセシルのおかげか、久しぶりにぐっすり眠れたので、私はずいぶんと気分も上向きになった。


 朝早いうちに、執務室に側近たちを呼び寄せ、レイからの情報を伝えた。

 式までまだ一日ある。なんとか、この危機を乗り越えなくてはいけない。


「明日、会場で何かが起こる。暗殺者が潜入している可能性があるし、テロの危険性もないとは言い切れない。できるだけ警備を強化してほしい」


 私がそう言うと、側近たちの間に張り詰めた空気が走った。

 ある程度の予想はあったにしろ、確実な情報として伝えられたのだ。当然の反応だろう。


「招待客には女性もいます。今からでも、出席者を厳選し直すべきでは!」


 正当な意見だった。だが、私たちが急に予定を変更すれば、敵方にこちらの動きが知れる。それでは、この情報はなんの意味も持たなくなる。

 敵は計画を変更して、必ず別の機会を仕掛けてくる。そして、それはいつなのかどこなのか断定できない。


「こちらに情報が漏れていることが知れれば、敵は計画を変更してくる。そうなると、もう対策を取ることもできない。なんとか秘密裏に対処してほしい」


 側近たちは黙って聞いていた。さらに多くの民を巻き込まないためにも、この機会に徹底的に計画を潰さなくてはならないことは、彼らとて熟知している。


「標的は私だ。何があっても、私に狙いが定められるように誘導する。無関係なものたちは、敵の襲撃が私に向いている間に逃がしてほしい」


 私が囮になると宣言したことで、側近たちはなんとか納得してくれた。議論している時間があれば、行動に移すほうがいい。


 私の警護には円卓の騎士がつき、招待客の警備には近衛兵が入る。外部には何も知らせないままで、私たちは見えない敵と対峙することになった。


 それぞれの担当区域を決め、さりげなく巡回して、異常がないか確認する。そう決定すると、側近たちは、うまく行動を開始してくれた。

 執務室には事務担当が数名残っているので、私はセシルの様子を見に、彼女のサロンをたずねることにした。


 私が目覚めるとすぐに、セシルは自分の部屋へと下がっていった。あまりよく見たわけではないが、彼女がよく眠れなかったことは分かった。

 今日は休むべきだと思ったが、彼女はサロンで秘書たちと過ごしていた。

 こんなときに平静を装える女性は、たぶん彼女以外にはいない。


 私の姿を見ると、ヘザーがお辞儀をしてサロンを退出した。他の秘書をサロンに残したまま、私とセシルは隣室に移動した。


 ドアを閉めて二人きりになったところで、私は口を開いた。


「昨日の今日だ。大丈夫か?」


 セシルは気丈に微笑んだ。そうだった。これが彼女だ。私の前でも、弱音を吐いたりはしない。

 昨日は動揺していたが、彼女が本音を見せたのは、レイに関することだったからだ。


「ありがとう。私は大丈夫よ。ちょうどいいところに来てくれてよかったわ。ヘザーに、ローランドへの伝言を頼んだの。明日のことで」


 用件については言及していないが、これはクララのことだろう。僕は黙って聞いていた。


「ローランドはバラ園にいるわ。悪いんだけど、あなたからも、話をしておいてくれるかしら」

「ああ。色々と気を揉ませてすまない」


 セシルは何も言わずに、私の腕をとんとんと叩いて、そのままサロンから退出するように促された。


 私はその足で、バラ園へと向かった。正面入口ではなく、地下通路を使って。


 バラ園は温室の中にある。この温室は王宮の権威を示すために作られたもので、クリスタル・パレスと呼ばれている。


 その中心にあるバラ園は、1年中薔薇が咲き乱れ、よい香りが充満している。

 色とりどりの薔薇はどれも最高の技師に手入れされ、甲乙がつけがたい美しさを放っていた。


 私は開きかけた純白の薔薇の蕾に目を奪われた。その清らかで可憐な姿に、雪の日に見たクララの姿が重なった。


 ローランドとヘザーがバラ園に来たのは、そのほんのすぐ後だった。


 ローランドは、私がいることを知らなかったのだろうか。私を見ると、驚いてヘザーのほうを見た。

 だが、ヘザーのほうは、セシルから聞かされていたようだ。スカートをちょっとつまんで礼をとると、そのまま出口のほうへ引き返していった。


「ローランド。薔薇を見立ててくれないか」


 私はバラ園の少し奥まったほうへと、ローランドを導いた。黙ってついてくるローランドは、何かを悟ったようだった。


「お前なら、自分の婚約者に、どの薔薇を贈る?彼女に似合う薔薇を、教えてくれないか」


 ローランドは、花弁がクリーム色から尖端のオレンジへとグラデーションしている、香りのいい薔薇を選んだ。

 ローランドにとってクララとは、今日の太陽のような存在なのだ。それは妻となり母となる女性に、よく似合う色だった。


 私は持っていた鋏で、その薔薇を一本刈り、棘を取ってから、ローランドに差し出した。


「これは、私からの婚約祝いだ。もらってほしい」

「ありがとうございます」


 ローランドが薔薇を取ろうと伸ばした腕を、私はがグッと掴んで引き寄せた。ローランドは、一瞬怯んだように見えた。


「殿下?どうされましたか」

「どうしても、今、言っておきたいことがある。クララのことだ」

「その件でしたら……」

「すまないが、黙って聞いてくれないか」


 今しか、言うチャンスはない。牽制するように、ローランドの腕を掴む手に力を込めた。

 私の切実な願いを感じ取ったのか、ローランドは黙って頷いた。


「シャザードが言うように、確かにクララは私の寝所に来たことはある。だが、それは間違いで起こってしまったことで、私とクララの間には、何もない。クララの名誉のために、それだけは信じてほしい。彼女は潔白だ」


 ローランドは、最初は確かに誤解していた。もうクララからも聞いたと思うが、私からもきちんと伝えておきたかった。

 クララの未来に影がさすようなことは、すべて排除したい。それしか、私にできることはない。


「私は彼女を愛している。それも本当だ」


 ローランドは黙って頷いた。


 今更だとは思うが、言葉に出したことはなかった。だが、私の気持ちが本物だと分かれば、私が嘘をつく必要がないことも分かる。

 だから、どうしても今、言っておかなくてはならなかった。


「私は、自由に動ける立場ではない。明日はお前が、クララを守ってほしい。お前にしか頼めない。頼む」


 私は頭を下げた。クララが無事ならば、それ以外のことはどうでもいい。

 私は囮として動けない。また、クララを守れる立場でもない。


「承知いたしました。私の命に代えましても、必ず彼女を、お守りいたします」

「ありがとう。どうかクララを頼む」


 私が頼むまでもなく、ローランドは身を呈してクララを守るだろう。

 あの果樹園のときと同じように。


 それでも、どうしても私からも頼みたかった。同じ女性を愛した者として、命を賭して守りたいという気持ちは、私も同じだったから。


 これは、ただの自己満足だ。だが、私もクララのために、何かをしたかった。


「婚約おめでとう。君たちの幸せを祈る」


 私はそう言ってから、バラ園から立ち去った。


 それは、本心からの言葉だった。もしクララを守ってもらえるなら、彼女を幸せにしてくれるなら、それは私でなくともいい。


 私は本気でそう思っていた。

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