表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

20/25

君は光、僕は影

「明後日の婚約式なんだけど」


 呼び出しに応じて部屋に戻った私に、セシルは早速、要件を伝えてきた。


 私は上着を脱いで、テーブルの上に置いた。


 まだ夕方という時間だが、つい癖でブランデーの瓶に手が伸びそうになったのを、セシルに止められた。


「まだ、飲むには早いわ」

「すまない」


 クララが王宮を去った日から、どんなに体が疲れていても眠れず、アルコールの力に頼ってしまっていた。

 飲みすぎだと自覚はあるのに、自制ができないことを恥じていた。


「後で、魔法茶を運ばせるわ。すぐに眠れるから」

「そうだな。頼む」


 魔法茶には強い睡眠作用があるため、就寝中の防衛力が落ちる。

 それを危惧して使用していないが、さすがに少し強制的にでも、寝たほうがいいかもしれない。


「式では、クララの婚約発表もするわ」


 やはりそれか。そういう話だとは思っていた。


 セシルが僕の部屋で話すことは、たいていが最高機密だった。

 王宮内はどこで誰が聞いているか分からない。内通者の洗い出しも遅々として進まない中、クララに関しての話題には、細心の注意が払われていた。


 そうか、今夜、私に魔法茶が必要だと言ったのは、つまりそういうことなのか。


「わかった」


 私は眉間を指で押さえながら、ソファに腰を下ろした。頭がガンガンと痛む。

 これは実際の痛みなのか。それとも精神的なものなのか。


「他にも、婚約するカップルがいるのよ。それで、段取りなんだけど」

「ああ、いいよ。君に任せるから。よろしく頼む」


 私は適当に手を振って、その話題を終わらせようとした。だが、セシルはかまわず続けた。


「筆頭公爵家だから、ローランドから奏上してくることになると思うわ」

「わかったから。もうこの話はやめてくれ」


 セシルはふーっとため息をつき、ブレンデーの瓶を手にとって、グラスに注いた。

 そして、一つを私に手渡し、自分は一つを掲げた。


「愛しい婚約者のために。今日はこの一杯で終わりよ」


 私は適当に杯を掲げて、そしてぐっとブランデーを煽った。喉を通る強い刺激に、喉が詰まるような感じがした。


「クララは元気よ。ヘザーに様子を見てきてもらったの」


 どう答えていいか分からず、私は黙って暖炉の灯に反射して光るグラスを見つめていた。


「縁って不思議なものね。貴族は政略結婚が基本よ。だから、たとえ一方であっても、愛する人と婚約できるなら、それはとても幸せだわ」

「そうだな」


 一方であっても……か。そうかもしれない。

 

 ローランドはクララを愛している。ずっと昔から。子供の頃から。


 お忍びで遊びに行った公爵家で、僕は初めてクララに会った。今から十年以上前だ。

 クララはまるで妖精のように可愛くて、僕は一目で恋に落ちた。こんな子を妃にできるなら、王太子になるのも悪くないと思うくらいに。


 そして、その頃はもう、ローランドはクララを愛していた。


 クララは、誰を愛しているのだろうか。


 あの夜、ソファーで抱きしめたクララは、たしかに私のものだった。そう思った。

 だが、彼女は最後まで、自分の気持ちを口には出さなかった。僕を好きだとは言わなかった。


 彼女が誰を愛しているのか、私は知らない。私が知っているのは、私が彼女を愛していることだけだ。


「話がそれだけなら、もう戻るが」


 私はグラスを置いて、ソファーから身を起こした。ブランデー一杯では、頭痛は消せなかった。

 これ以上、クララのことを思い出すのは辛い。できれば仕事に没頭したかった。


「いいわ。でも、ローランドも婚約するのだから、ちゃんと祝福してあげてね。じゃないと、ヘザーが心配するから」


 執務室にはローランドがいる。この話を聞いたあとで、黙っているわけにはいかないだろう。


 それに王女の秘書になったヘザーはクララの親友だ。私のローランドへの態度が、ヘザーからクララに伝わることもあるだろう。


 クララを不安にさせてはいけない。


「言われなくても、分かっているよ。心配しないでくれ。義務は果たす」


 私はそう言うと、逃げるように部屋を後にした。


 ドアを締める直前に、背後にセシルの重い溜息を聞いた気がした。


 運がいいのか、悪いのか。気分転換に出た回廊で、ローランドに遭遇してしまった。

 この男を避けたくて執務室に戻る前に寄り道したのだが、それが仇になった形だった。


 私を見たローランドは、すこしきまり悪そうな顔をして、そっと道を開けた。


 ローランドにとっても、私を避けたかったことだろう。

 主の想い人と結婚するというのは、ローランドのような忠誠心の篤い臣下にとっては、それほど気分がいいものでもないはずだ。


 だが、主従である前に、私たちは友人であり、ただの男だ。

 一人の女を争って、勝ち得たことに身分の上下は関係ない。潔く負けを認めるしかない。


「セシルから聞いた。正式に婚約するそうだな」


 ローランドは少しだけ戸惑ったように見えたが、すぐに黙って頭を下げた。


「ご報告が遅くなって申し訳ありません。急に決まったことだったので」


 クララのために、彼女の婚約を急がせたのは我々の事情だ。ローランドが恐縮する謂れなどない。

 それなのに、どこまでも謙虚な態度を取る友人に、私は敗北感でいっぱいになった。


 人としても、男としても、私はこの男には及ばない。


 そして、同時に目がくらむような嫉妬も覚えた。そのせいなのか、私の口調は挑むようにきつくなった。


「本当に彼女を幸せにできるのか」


 ローランドは私のほうを見て、ゆっくりと頷いた。その落ち着きが、揺るぎない自信を感じさせ、私はさらに焦燥感に駆られた。


「僕たちは幼馴染です。長いこと一緒にいて、気心も知れています。お互いによい伴侶になれるかと」

「そうだったな。とにかく、おめでとう。幸せになってくれ」

「ありがたきお言葉」


 ローランドは胸に手を当てて、私に臣下の礼を取った。私もそれに、鷹揚に頷いてみせた。


 茶番だとはわかっているが、とにかく、このまま、この猿芝居を終わらせなくてはいけない。

 それが私たちに、今、この場で科せられている課題だった。


 私たちが次の言葉に窮しているところで、思わぬ助け舟がでた。

 少し離れた場所に、ヘザーが控えていた。


 私が自分の存在に気がついたと知り、ヘザはカートの端をちょっとつまんで、淑女の礼を取った。私もそれに黙礼した。


「申し訳ありません。少し出てきていいでしょうか」


 ヘザーの姿を見て、ローランドがそう言った。


 ローランドはずっと、王宮に詰めている。クララの様子を、聞きたいのだろう。

 それを止める権利など、私にあるわけもない。


「ゆっくりしてこい。婚約者が気になるだろう」

「お心遣い感謝いたします」


 ローランドはそう言うと、ヘザーの元へと足早に去っていった。

 そう言えば、ローランドとヘザーも幼馴染だったと、そのときに気が付いた。


 あの二人の領地は隣同士だ。クララが公爵家へ入れば、それこそいつも、ヘザーがそばにいてくれるだろう。王女の秘書になったくらいだ。ヘザーも当分は他家へ嫁ぐ気はないはずだ。


 あの三人が一緒のところは、よく学園で見かけた。楽しそうにじゃれ合う姿が、あまりに自然で眩しかった。


 そして私はその中の一人に、クララに強く惹かれていった。

 彼女がいれば、自分も光の中で生きられるかもしれないと思った。


 冷たい大理石でできた回廊は、あの学園の緑とは程遠い。そして、この冷たい墓場が、私の生きていく場所だった。


 王宮に捕らわれたクララを、自由な光の中へ返せたことを、今は喜ばなければならない。

 そう思って、私は再び前へと歩き出した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ