殿下の真実 [クララの視点]
気がついたときは、ベッドの上だった。手足の傷はなく、きちんと夜着に着替えていた。
あたりを見回すと、ベッドサイドの椅子に座ったまま、目を閉じている王女様が目に入った。
「王女様?」
私の声を聞いて、王女様はゆっくりと目を開いた。そして、ベッドの上で半身を起こしている私を見て、椅子から跳ね起きた。王女様はそのまま、私をぎゅっと抱きしめてくれた。
「クララ!よかった!気がついたのね。ごめんなさい、私のせいで怖い目に合わせてしまって!」
涙声で謝罪を繰り返す王女様の背中を、とんとんとさすりながら、私は北方の襲撃を思い出していた。
そうだった。北方の軍人は、私を誘拐しようとしたんだ。
「ローランドは無事ですか?」
「もちろん、無事よ!無傷だったわよ!クララが気を失ったのと同時に、一緒にここへ転移魔法で避難してきたわ」
「転移魔法?それは、あの、旅の方の魔法ですか?」
私は黒マントの旅の魔道士様を思い出した。あの人が助けてくれたんだ!
「ええ、そうよ。気付かなかった?あれはレイよ。北方を追ってたの」
王女様は優しく微笑まれたけれど、その瞳が少し陰った。まさかレイ様は怪我を?
「知りませんでした。レイ様を巻き込んでしまって、申し訳ありません」
「いいえ。今回の襲撃の責任は、私にあるの。レイは主の失敗をフォローしただけ。それにたぶん、領内に北方の軍師が入った気配を感じて、探索に出ていたのよ。だから、あそこにいたのも偶然じゃないの。クララが気にすることはないわ」
「あの、レイ様は今どちらに?助けていただいたお礼を言いたいのですが」
「レイは旅に出たの。とうぶん帰らないけれど、その気持ちは伝えておくわ」
王女様は、少し目を伏せて、そう答えた。
直接お礼を言えないのは申し訳ないけれど、王女様が伝えてくださるのなら。レイ様が旅から戻られたら、改めてお礼をしよう。
「そうですか。じゃあ、あの、ローランドは?」
「ローランドには、政務に戻ってもらっているの。今はちょっと忙しくて、会えないと思うわ。今回のことで婚約同盟の披露を、早めることにしたのよ。それにクララは、少し休養してからのほうがいいわ!お腹すいたでしょう?なにか食べましょう!」
王女様がそう言うと同時に、私のお腹もぐうっと鳴った。は、恥ずかしい…。
私はすこぶる元気なのに、王女様はベッドで食事を摂るよう、きつく言った。
すでに外は暗くて、夕食の時間はとっくに過ぎていたので、軽い夜食が運ばれてきた。
なぜか王女様の給仕ではなく、侍女長様が持って来てくれたのだけれど。
彼女の顔を見ると、私はすこしホッとした。もし母が生きていたら、こんな感じだったのかなと思う。
夜食を食べて、食後の紅茶を飲み終えたとき、王女様が言いにくそうに、話を切り出した。
「私のせいでこんな目に合ったのに、こんなことは言いたくないんだけど」
私は目を瞬いた。王女様のせい?ああ、そうか。それはあの側室うんぬんという。
「そんな、王女様のせいなんかじゃ……。私、殿下とは何も」
「分かっているわ。アレクから聞いたから」
胸がズキンと痛んだ。そうか、そうだよね。殿下は王女様に報告したんだ。
侍女を閨に送り込んでも無駄だと。殿下が操を立てているのは、王女様だけなのだから。
あの夜のことは、殿下にとっては、事故のようなものなんだ。
「申し訳ありません」
「あれは、私が浅はかだったの。どこからどう情報が漏洩したのかは、調査中よ。でも事の真偽はどうあれ、あなたがここにいると、困ったことになるの」
「それは、王女様の書簡のことですか?」
「聞いていたの?」
「はい、実家で。休暇後に王宮に戻った侍女は、殿下の後宮に入ると」
王女様は眉間を指で押さえて、ふうっとため息をついた。
「みなに逃げ道を作ったつもりだったのよ。なのに、貴方だけ逆に追い込まれてしまった。私が愚かだったせいで。本当にごめんなさい」
頭を下げる王女様に、私は急いで言った。
「そんな!謝ったりしないでください。あれは事実無根なのだし」
その言葉を聞いて、王女様は顔を上げ、私をじっと見つめた。そして、思い切ったようにこう言った。
「事実無根ではないわ」
「は?それはどういう」
立ち上がった王女様は、暖炉の上に置いてあった書類の束を取った。そして、ペラペラと紙をめくって、あの軍服の男が言った言葉を読み上げた。
『我が代表が所望するのは、お飾りの正妃ではなく、王太子ご寵愛の令嬢だ。閨に呼ばれたのは、そこにいる男爵令嬢のみ。王太子のただ一人の愛妾だ』
あのときは、考える余裕なんてなかったけれど、改めて聞くとすごく恥ずかしいことを言われていた。
私は頬がカーっと熱くなるのを感じた。
「残念だけど、この言葉の中で間違っているのは、一つしかないの。『愛妾だ』のところだけよ。そうでしょう?」
どういう意味だろう。王女様は何を言っているの?この言葉は間違いだらけですよね。
「アレクは貴方を愛している。彼が愛しているのは、貴方だけよ」
私は驚いて王女様を見上げた。すると王女様はベッドのそばに跪いて、私の手を握った。
「気がついていたでしょう?愛しているからこそ、アレクはあなたを危険に晒したくなくて、だから閨を拒んだのよ。こういうことが起こるって、分かっていたから」
「そんなこと。王女様はなにか勘違いを」
王女様は首を振った、そして握った手に力を込めた。
「アレクはあなたを、側室になんてできないわ。北方のことがなければ、正妃にしたかったはずだもの。本当に愛する女性に、妾としての日陰の人生を望んだりしない。それがあの人でしょう?」
殿下が。殿下が私を……。
そうかもしれない。殿下は私を傷つけたくないと言った。それは、私を大切に思っているから。
だから、突き放してくれた。
最後に見た、殿下の切なそうな顔を思い出すと、私の目に、みるみる涙が溢れてきた。
ずっと殿下が、アレク先輩が好きだった。殿下も同じ気持ちだったのかもしれない。私のことを……。
泣きじゃくる私を、王女は抱きしめてくれた。私が泣き止むまでずっと。
王女様からは、殿下がときどき漂わせていた、やさしい香水の匂いがした。
目を閉じると、学園の丘の日だまりで、優しく微笑むアレク先輩の姿が浮かんだ。大好きだった笑顔だ。
「すぐに王宮を出ます」
しばらくして涙が落ち着くと、私はそう言った。ここにいられるわけがない。
「クララ」
「分かっています。私がここにいたら、いけないんです」
その言葉を聞いた王女様は、私を抱きしめていた腕を解いた。そして、その綺麗な瞳から、大粒の涙を流した。
「ごめんなさい。でも、どうしても婚姻同盟は必要なの。たくさんの命がかかっているのよ。もし失敗したら、アレクの治世どころか、国の存亡にも関わってくるの」
「はい」
王女様は、何度も何度も、ごめんなさいと繰り返していた。
自分だって、この同盟のために愛を諦めたと言っていた。それなのに、私のために泣いてくれる。とてもとても優しい人。
この人なら、きっと殿下のよい妃になるだろう。心配することなど、何もない。
ひとしきり泣いたあと、王女は涙を拭いてこう言った。
「今からアレクがここに来るわ。最後にきちんと別れてほしいの」
私は黙って頷いた。
もう最後にしよう。きちんと気持ちを伝えて別れることが、私の誠意だと思う。そして、もう二度と殿下の前には現れない。
男爵家の領地へ引き籠ろう。そこで修道院に入って、誰の邪魔にもならず、ひっそりと生きていこう。
それが誰にとっても、一番いいことだと思う。
部屋から出ていく王女様を見送りながら、私はその後ろ姿に頭を下げた。




