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強くなれ [クララの視点]

 殿下に拒絶された夜、私は自分の愚かさに涙が出た。情けなくて、恥ずかしくて。


 私が殿下にしてあげられることなんて、何もないんだということ。それを嫌というほど思い知った。


 カイルは泣いている私を抱きしめて、まるで泣き虫の子供をあやすように、こう言ってくれた。


「大丈夫。大丈夫だ。君は間違っていない」


 カイルはいつも、とても優しくしてくれる。私の専属騎士になってからも、いつも私の味方だと言ってくれる。学園にいたときと変わらずに。

 その存在がとても心強くて、彼といるといつも安心できた。


 王女様を、殿下の閨へお送りする役目をこなせたのも、カイルが側で支えてくれたからだった。

 カイルが私を助けてくれたように、私もカイルのために何かしたい。


 でもやっぱり、私には何もできることがない。カイルにも、何もしてあげられない。


 ローランドにしてもそうだった。彼にも私ができることはない。


 このちょっと素直じゃない幼馴染は、なぜかいつも、私が一番落ち込んでいるときを狙ったかのように、気分転換へ連れ出してくれる。

 休暇で実家に戻った私を、ローランドは公爵家の果樹園へと誘ってくれた。


「お前、顔テラテラしてっぞ?化粧、濃い」

「りんごより顔赤いけど、なんか下心あんの?」


 当地へ向かう馬車の中でも、ローランドは私をこんな風に私を茶化していた。


 だけど、これは彼一流の慰め方。私が落ち込んでいると、ローランドはいつもこういう軽口や意地悪を言って、私を怒らせようとする。

 そして、怒っているうちに、私は本当に辛いことや悲しいことを忘れてしまうのだ。


 子供の頃は、いつも二人で泥だらけになって、子犬みたいにじゃれ合っていた。

 姉弟みたいな関係は、年齢が進むにつれて、互いを異性と認識することで、少しずつ変化していったように思う。


 もしも、私が王宮に上がらなかったら。もしもアレク先輩と出会わなかったら。

 私はたぶん、一番近い存在の異性として、ローランドに好意を寄せていったと思う。


 私は今、果樹園のブランケットの上で、ローランドに組み敷かれている。


 ローランドの顔は逆光になっていて見えない。それでも、私の女性としての本能が告げている。ローランドは私を求めている。

 彼の瞳にはたぶん、殿下が昨夜、一瞬だけ灯してくれたような欲望が宿っている。ローランドの発する熱が、それを伝えてくれている。


 昨夜と同じ。この先には、私の知らない男性が、そして私の知らない女性がいる。そして、それを知ってしまったら、もう元の関係には戻れない。


 それでも、昨夜と違うのは、私に彼の熱が移らないこと。私がローランドに、熱いときめきを感じることができないということ。


 私の頬や瞼、額や顎におとされるローランドの唇は柔らかく、吐息は熱い。香水なのか、とてもいい匂いがする。

 嫌じゃない。怖くもない。ただ、私の心が燃えないだけ。逆に冷えていってしまうだけ。


 温室効果の術式で、果樹園は初夏のような爽やかな気候だった。

 ローランドの肩越しに見える枝にはりんごがたわわに実り、体を横たえる地面は刈り取られた芝生の感触が柔らかい。


 このままローランドのものになれば、何もかも忘れて幸せになれるかもしれない。

 今なら分かる。学園でカイルが言ったのは、このことだったんだ。苦しまずに幸せになる。幸せになれる。


 今、ここで、私がローランドを受け入れれば。


 私は目を閉じて力を抜いた。この腕をローランドの首に回せば、たぶんそれで何もかもが変わる。

 もう無力で役立たずな自分を、嘆くようなこともない。毎夜、殿下と王女の逢瀬に、胸を締め付けられることもない。


 そしていつの日か、私はローランドを愛している自分に気がつくはずだ。


「今日は泊まっていくよな?」


 こんなことを聞かれたことは、今までに一度もない。ローランドは本気なんだ。本気で私を求めてくれている。


 子供の頃から、ローランドの屋敷には何度も泊まった。夜通し語り合うこともあったし、そのまま疲れて一緒にベッドで眠ってしまったこともあった。

 でも、互いに性差を意識しだした頃から、そういうことはなくなり、私たちはいつも適度な距離を取っていた。


 私は返事をしようとした。ここで頷けば、すべてが終わって、そして始まる。その決断を迫られた私の体は、緊張でこわばった。


 私をこのまま、ローランドのものに。


 そう思った瞬間、ローランドは急に身を引いた。そして、私も我に返って上半身を起こした。

 ローランドは片膝を立てて座ったまま、その膝に自分の額をつけて俯いていた。


「ローランド?どうかしたの?」


 ローランドはこちらを見ると、私の髪に手を伸ばした。そして、その髪を耳にかけた。その瞳は苦しそうに揺れていた。


「お前、こんな目立つところにキスマークなんて付けてんじゃねえよ。萎えた」


 私は自分の首筋を触った。これは、カイルが使った魔法の跡だった。


 部屋へと戻る暗い通路で、きっと私があまりにも動揺していたせいだろう。カイルは私の首筋に軽いキスを落として、魔力を注入してくれた。

 それは、学園の丘で最後にアレク先輩がしてくれたような、心を慰めるためのキス。

 私を泣き止ませるためだけの。愛情じゃなく友情からの。心を落ち着けるためだけの。


「殿下は君を心から愛している。苦しまなくていい」


  泣いている私に、カイルはそう言った。


 じゃあ、私は?私は誰を愛しているんだろう。ローランドを愛している?


 違う。ローランドを本当に愛しているのはヘザーだ。それなのに、私はローランドの気持ちを、自分の都合で利用しようとしている。殿下を忘れるための、消しゴムとして。


 私は卑怯者だ汚くてずるい人間だ。私はローランドを愛していないのに、愛しているフリをしようとした。ローランドを騙そうとした!


 そんな私の気持ちを察したのか、ローランドは私の手首を乱暴につかむと、自分のほうに強く引き寄せた。

 そして、ドレスの襟元を引きちぎり、私の首筋を強く吸った。


 とっさのことに私は驚いて小さな声をあげ、そしてなんとか体を離そうともがいた。それでも、ローランドの力は強く、びくともしなかった。


 ローランドは怒っているんじゃない。苦しんでいるんだ。


 どんなに体の距離が近くても、心の距離まで縮めることはできない。それは、側にいればいるほど、痛切に感じる。


 ローランドは知っている。私が彼を愛していないことを。


 だから、これは罰だ。優しい人たちの、カイルの、ローランドの、ヘザーの、そして殿下への自分の思いを踏みにじろうとしたことへの。


 私は抵抗することをやめ、そのまま黙って力を抜いた。


 ローランドの好きにしてくれればいい。私は何をされても文句は言えないような、最低な人間なのだから。


「誰につけられたか知らないが、それを見たらそいつも驚くだろうな。他の男に上書きされた女なんて、もういらないんじゃねえ?」


 ごめん。こんなこと言わせてごめん。知ってるから。ローランドが言っているんじゃないって。私が言わせているんだって。


「なんで」


 なんでこんなことになったの?私はどうすればよかったんだろう。

 なぜローランドを傷つけたりできたんだろう。彼は大切な友達なのに。ずっとずっと大切にしてきたのに。


 強い絶望と挫折で泣いている私に、ローランドは自分の上着を着せて、抱き起こしてくれた。

 こんなときですら、この人は優しい。苦しくなるくらいに。


 そう思ったとき、ローランドの鋭い声が放たれた。


「誰の手のものだ!名を名乗れ!」


 ローランドの声に走る殺気に、私は自分たちが危険に晒されていることを知ったのだった。


 走れ、走れ、走れ。走って走って、ローランドを助けるんだ!


 私は必死でブラックベリーの茂みの中を駆け抜けた。細かい棘が手足をひっかき、素足に石が食い込むのも気にせず、私は全速力で茂みを抜けた。


「助けて!死んじゃう!殺される!」


 私の叫び声を聞いて、旅の魔道士様がローランドがいる方に走っていった。

 私は急いでその後を追ったけれど、素足ではすぐに追いつくことはできなかった。


 あのとき、私たちは北方の兵士らに囲まれた。


 私が見たのは二人。軍服の男とその兵士。でもたぶん、他にも何人か隠れていたと思う。彼らの狙いは私だった。


「欲しいものがあるならくれてやる!俺の命でもだ!だが、女には手を出すな」


 ローランドは私をかばってそう言った。自分が犠牲になって、私を逃がそうと。

 それなのに、軍服の男はこう言ったのだ。


「我が代表が所望するのは、お飾りの正妃ではなく、王太子ご寵愛の令嬢だ。閨に呼ばれたのは、そこにいる男爵令嬢のみ。王太子のただ一人の愛妾だ」


 私は殿下の愛妾じゃない。でも、もしかしたら、少しは愛されてはいたのかもしれない。

 あの夜、私を追い返した殿下は苦しそうだった。たぶん殿下は、こういう事態を避けようとした。だから私を遠ざけた。

 なのに、結局はこんなことになってしまった。


 じゃあ、私はどうすればいいだろう。今度こそ間違ってはダメだ。私にしかできないことをしなくちゃいけない。

 殿下のために、ローランドのために、カイルのために。


 そう思うと、私は緊張で自然と体が震えた。 


「クララ、抜け道を覚えているだろう。合図をしたら全力で走れ。ここは僕が引き止める」


 ローランドは自分を盾にして、捨て身で私を逃がそうとした。

 でも、私はもう逃げたくない。取るに足りない人間の私でも、何かできることがあると思う。そう思いたい。


「だめよ。私が奴らと行くわ。ローランドは王宮に知らせを。北方が領内に」


 それでも、ローランドは承知しなかった。


「頼む。僕のために、いや、国のために走ってくれ」


 そして、兵士が切りかかってきた瞬間に、私を抜け道のほうへ突き飛ばした。


「走れ!」


 だから私は走った。ローランドのために。国のために。

 ここで彼を死なせてはいけない。戦えないなら、助けを呼ぶしかない。誰か!誰か!どうか私に力を貸して!


 そうして、街道に出たところで、旅の魔道士様に助けを求めたのだった。


 なんとか果樹園に戻ると、旅の魔道士様と血まみれのローランドが軍服の男と対峙していた。


 私を見つけたローランドがこちらに走り寄ってくる。ローランドの無事を確認すると、私は急に足に力が入らなくなった。


 ローランドにだきかかえられたとき、私は安心して目を閉じた。


 逃げるのではなく、自分の意思で戦いたい。守られるのではなく、守りたい。与えられるのではなく、与えたい。愛されるのではなく、愛したい。


 殿下のために、愛してくれる人たちのために、強くなりたい。私はそう思っていた。


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