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閨房にて [クララの視点]

 ちょうど支度を終えたとき、部屋のドアがノックされた。侍女長様がドアを開けると、いつものようにカイルが控えていた。


「殿下のお部屋へ。人払いしていますから、誰に会うこともありません」


 侍女長様はカイルにそう告げると、私に真っ黒なベールを被せた。

 それはちょうど真っ白なナイトドレスをすべて覆い隠せるだけの大きさで、私をすっぽりと隠してくれた。


「これを被っておいきなさい。顔を隠していくのです」


 侍女長様は私を抱きしめて、まるで母親のようにやさしく髪をなでてくれた。

 その温かい胸に、私は涙が出そうになった。


「カイル、クララを頼みます。なにかあればお前が守るように」

「心得ております」


 カイルは侍女長様にそう告げると、後宮の少し先へと歩を進めた。


「いってまいります」


 私は侍女長様にそう告げると、カイルの後に続いた。


 カイルがこんな姿の私を見て、何をどう思ったかは分からない。それでも、彼はいつもと同じように、私を警護してくれた。


 長く真っ直ぐに続く通路は暗く、その先は深い闇に吸い込まれているようだった。カイルがいてくれなければ、怖くて一歩も進めなかったと思う。


 その先には殿下がいるのに。


 どのくらい歩いたのだろうか。行き止まりが来たところで、カイルは立ち止まった。そして、こちらを振り向かずにこう言った。


「この通路は、非常時の脱出用になっています。左に行けば王族の居住区へ、右へ行けば外へ出られます」


 ここが最後の別れ道だと、カイルは教えてくれたんだと思う。まだ人生を選択できると。


 でも、ここで逃げたところで、もう自分の心からは逃げられない。殿下に会って、自分の気持ちを確かめるしかない。後悔しないために。


「どちらを選んでも、何があっても、必ず守ります」


 カイルはそう言って、その場に跪いた。その肩が少し震えているような気がして、私はそっと自分の手を置いた。


 心配かけてごめんね。大丈夫。私は大丈夫だから。


「ありがとう」


 そう言うと、私はその場にカイルを残して、目指す方向へと歩きだした。


 少し先に行くと、ドアの隙間から明かりが見えた。私は大きく息を吸い込んで、そしてそのドアをノックした。


「誰だ?」

「クララです」


 私が名乗るか名乗らないかのうちに、ドアが乱暴に開かれた。


 ちょうど視線の先が、白いシャツをくつろげた殿下の胸元だったので、私は恥ずかしさのあまり倒れそうになってしまった。

 白い部屋着を来た殿下は、神話の世界の人のように美しかった。


「なぜここに?何をしてる?」


 私はただただ恥ずかしくて、そのまま何も言えずにベールに顔を隠して俯いた。


 私は何をしているんだろう。なんでここにいるんだろう。


 こんな素敵な人に、こんな姿を図々しくも晒して。愛してもらえるかもしれないなんて、そんな期待をして。


「王女様のご命令にて、クララ様をお連れいたしました」


 恥ずかしさと緊張で、ガタガタ震えている私のために、カイルが助け舟を出してくれた。


「馬鹿なことを!とにかく中に入りなさい。この通路は寒いだろう。こんなに震えて。セシルがひどいことをして、本当にすまなかった」


 殿下は冷えた私の両腕をさすって、そのまま温かい部屋の中へ導いてくれた。そしてカイルにも入室するように促した。


「ここで控えております。何かあればお呼びください」


 それは殿下に言った言葉だったのか、それとも私に言ったのだろうか。


 私はカイルの方を見ることもできなかった。もう何もかもが許容範囲を超えていた。


 殿下はそれを聞いて何も言わずにドアを閉めた。


 そして、私を温かい暖炉の近くのソファに座らせ、そこで温められていたスパイスの香りがする赤ワインをカップに注いでくれた。


「飲みなさい。とにかく体を暖めてくれ。話はその後だ」


 私はこくりと頷いて、ワインを口にした。


 それは甘くて温かくて、飲んでいるうちに私は少し落ち着いてきた。

 殿下が私を見つめているのは分かっていたけれど、目を合わすことはできなかった。


 殿下は部屋の反対側の窓際まで歩いていき、外を向いて言った。


「セシルが無理強いをしたようだね。本当にすまない」


 そこで私はやっと顔を上げることができた。


 ここは殿下の部屋のようだったけれど、いつも王女様をお通しする寝室ではない。殿下と王女様しか入れない、私室の奥にある部屋なんだろう。


「いえ、あの、そうじゃないんです。王女様は今夜は来られないので、私が代わりに殿下をお守りしようと」


 殿下は「はっ」と短く息をつき、こちらを向き直った。


 その姿があまりにも美しくて、私の心臓は跳ね上がった。同時に自分の貧相な姿がいたたまれなくなった。


「それが無理強いだろう!自分の身代わりに侍女を寄越すなんて、何を考えているんだ!権力をつかった暴挙だ!」


 殿下はひどく立腹していて、頬が怒りで赤く染まっているようだった。


 私はあわてて言った。このままでは王女様の立場が悪くなってしまう。


「いえ、違います!そうじゃなくて、私が望んで来たんです。殿下がお疲れだと聞いて、お慰めできればと」


 私はしどろもどろになりながら、そう答えた。


 嘘じゃない。王女様はさりげなく他の選択肢も用意してくださってた。幾重にも。

 それを選ばずに、真っ直ぐここに来たのは私の意思だ。


「君は、自分の言っていることが分かっているのか?こんな時間に男の部屋に来て!何をされても、文句は言えないんだぞ!」


 分かっている。それを承知で、それを望んで、私はここに来た。

 もしかしたら、殿下と一緒にいられる未来があるかもしれないと期待して。


「申し訳ありません。私では役不足と分かっています。でも、何か私にできることはありませんか」

「そういうことじゃないんだよ!君の身が危険だろう?とにかく、温まったらすぐに帰すから!」


 殿下はイライラと前髪をかきあげて、窓のあたりを言ったり来たりしていた。

 その表情はとても悲しそうで、ひどく疲れて見えた。私は苦しくなって思わずこう口にしていた。


「あの、私ではダメでしょうか。殿下のお疲れを、癒やすことはできませんか」


 殿下はふいに立ち止まり、私のほうをじっと見つめた。私は今度は目を逸らさずに、殿下を見つめ返した。


「私に、君を抱けと言うのか?」 

「そういう意味では…」

「じゃあ、どういう意味だと言うんだ!君は私に、体を差し出すつもりだろう!」


 体だけじゃない。私は、私のすべてを、殿下に捧げたかった。


 王女様が愛する人にしたように。心にも体にも、殿下のものだという消えない印を、深く刻み込んでほしかった。

 この先ずっと、殿下の側にいられるように。何があっても、離れなくてすむように。

 決して解けない鎖で、殿下に私を縛り付けてほしかった。

 もう、どこにも戻れないように。誰の目にも、殿下のものだと、明らかになるように。

 殿下の色で、私をめちゃめちゃに塗りつぶしてほしかった。


 もし、私がいらないなら、殿下の口からそれを聞きたい。


 その事実は、決して溶けない氷の刃となって、私の心を貫くだろう。

 それでも、その傷口の痛みが、そこから流れる血が、殿下への愛の証だと感じられるなら、このまま傷付かないように自分をごまかし続けるより、ずっといい。


 私は、殿下が、アレク先輩が、ほしかった。


「もしそれを望んでくださるなら」


 ものすごく恥ずかしかった。今、自分が何を言っているか、何をしているかも、もうよく分からない。


 私は殿下を誘惑している。抱いてほしいと、懇願しているんだ。恥も外聞も捨てて。

 それでも、私は引かない。絶対に引きたくない。これが最後のチャンスかもしれないから。

 これを逃したら、もう二度と交わらない運命かもしれないから。


 そのとき、体がふわっと宙に浮いた。


 殿下があまり素早く動いたので、私は一瞬、何が起こったのは分からなかった。


 私は殿下に抱き上げられて、そのたくましい腕の中にいた。被っていた黒いベールが床におち、私は純白のナイトドレス姿になった。


 そして、私がそっと降ろされたのは、みたことのない天蓋つきのベッドだった。殿下が王女様と使っているものとは違う、少し小さいサイズの。


 殿下は私に覆いかぶさるようにして、優しく私のおでこの前髪をはらった。

 こんなことの経験がない私でも分かる。殿下の瞳は欲情の炎を宿して、熱く煌めいていた。


 殿下も私を求めてくれている。私を抱きたいを思ってくれているんだ。


「本気で言っているのか」

「はい」

「私に抱かれたいと」

「はい」


 殿下は私の顎に指を添えて、その美しい顔を近づけた。私はそれに応えて、殿下の首に腕を回し、そのたくましい体を強く抱き寄せた。


 殿下のキスは、きっと甘い赤ワインの味がする。自分と殿下の体に灯った熱を感じながら、そのとき私はそんなことを考えていた。


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