先輩のワルツ [クララの視点]
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この【第二章】は下記の続きになります。
【第一章: 共通ルート】鈍感男爵令嬢と三人の運命の恋人たち ーー あなたの推しは誰ですか?
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まだお読みでない方は、ぜひ先にそちらを読んでください!
よろしくお願いいたします。
学園のパーティーは講堂で開催された。舞台では管弦楽団が音楽を演奏し、中央がダンス用のスペースになっている。
壁際に立食用ビュッフェが用意されているが、カフェが解放されているので、そこのテーブルで座って食べることもできる。
お酒は16歳から飲めるので、シャンパンやワインのトレイを持った給仕さんが、好みに合ったものを教えてくれた。
私とヘザーは会場の端に立ったまま、シャンパンをちびちびと舐めていた。
私のパートナーはローランドだけれど、どうやら急な用事が入ってしまったらしく、エスコートしての入場はできないと連絡が来た。少し遅れると。律儀だ。
今日はパートナー制ではないので、どこかで待ち合わせて一緒に入場する必要はないのに。
それでも、ローランドがパートナーなのには変わりない。だから、彼が来るまで私はダンスができない。
マナーとしてファースト・ダンスだけは、パートナーと踊らなくてはいけないことになっているのだ。残念。
私は壁の花になってみんなが踊る姿を眺めていた。
このパーティーは一般クラス向けで、特別クラスの参加は自由。ローランドが遅れるというからには、きっと殿下の側近としての仕事だろう。殿下が働いているのに、臣下がそうそうと現場を抜けるのは難しい。たぶん、そういう事情だ。
だから、殿下もきっと忙しい。
「かわいいペンダント!そんなの持ってたっけ?」
「うん。気に入ってるんだ」
今夜はアレク先輩が来てくれるかもしれない。
微かな希望が捨てきれなくて、私はついペンダントを握りしめていた。
ヘザーは今まで気づかなかったみたいだけど、本当はあれからはずっと制服のブラウスの下に身に着けていた。また会えるためのお守りみたいに。
でも、きっと、アレク先輩は来ない。
あの丘でダンスの約束はしたけれど、先輩には重要な仕事がたくさんあって、あんな小さな約束のためにわざわざ学園に戻ってくるはずはない。
だって、彼はアレク先輩ではなく王太子殿下なのだから。
そう思っていたので、ドアの前に立っていた衛兵が殿下の来訪を告げたときの気持ちは、どう表現すればいいか分からなかった。
心臓の鼓動が早くなって、胸がキュッと締め付けられる。やっぱり、眼鏡男子殿下、かっこいい……。
パーティー会場は一斉に静まり返り、殿下と特別クラスの生徒の入場はみなの視線を集めていた。
一般クラスの貴族の子息たちはそろって恐縮し、令嬢たちは感嘆をもらした。
「やあ、探したよ。どうしてこんなに端っこにいるの?こちらへおいで」
殿下は入り口からまっすぐと、私のところまで歩いてきて、そっと手を差し出した。
「約束どおり踊っていただけますか、クララ」
殿下は、アレク先輩は、約束を覚えてくれていた!私のこと、覚えていてくれた!ダンスを踊ってくれるんだ!
すごく嬉しいのに、なぜか泣きたい気持ちになった。混乱して返事もできずに口をパクパクさせていると、ヘザーがゴンっと肘で私をつついた。
あー、肘鉄だ。なるほど、こういう肘鉄は、いかにもこんな場面にふさわしい行動だ。ギャグか!
そんなヘザーの不自然な行動のせいで、私は急に頭の中が冷えた。そして、殿下の後ろに控えているローランドに気がついたのだった。
そうか、ヘザーはこのことを教えてくれたんだ。
今日のパートナーはローランドだ。殿下であっても、他の男性と最初に踊るのはよくない。ここは断わるしかないだろう。
それに、いきなり殿下と踊るなんて、周囲も驚くと思う。アレク先輩とは友達だったけど、殿下と私には接点なんてなかったのだから。
それなのに、私の気持ちを見透かしたのか、殿下はあっさりとローランドに許可を求めた。
「いいよね、ローランド。今日はパートナーの権利を譲ってくれ」
「……承知しました」
ローランドはさっと頭をさげた。臣下の礼を取って少し後ろに引く。
許可を出したくせに、なんだかローランドの耳が怒っているように見えた。幼馴染なんだから、そのくらいはわかる。
きっと、こんなところで殿下と踊ってしまって、あとで色々と言われることを心配してくれてるんだ。
社交界の噂ほど厄介なものはない。悪意があれば尚更だった。
「ほら、大丈夫だよ。さあ、踊ろう」
ローランドの懸念は分かるし、私は殿下の手を取るべきじゃない。丁重にお断りするほうがいい。
それなのに、私は伸ばされた殿下の手にそっと自分の手を差し出してしまった。
先輩と踊れる!二人で踊れるんだ!
ごめん。今だけ。今だけだから。もう一度だけ。これをアレク先輩との最後の思い出にするから。
後のことは心配しないでいいよ。大丈夫。大丈夫。なんとかなるから。なんとかするから。だから、お願い!
私は心の中で、心配してくれるローランドとヘザーに言い訳をした。
現実のことじゃないみたいに足がふわふわして、私はちょっとバランスを崩した。そんな私を殿下の腕が支えてくれたとき、会場中から令嬢の悲鳴が聞こえた。
「そのペンダント、してくれてるんだね。嬉しいな」
「アレク先輩に会えるかもしれないと思って」
「そうか。じゃあ、僕もこうしよう」
殿下は眼鏡を取って胸のポケットに入れた。髪の毛が金髪から薄茶に変わる。
私の目の前にいるのは殿下じゃない。アレク先輩だ。
「先輩、ダメです。それじゃ先輩の姿がみんなに」
「いいんだ、もう素顔を隠す必要はないから」
アレク先輩はそう言って笑ったけれど、なんだかすごく悲しそうだった。どうしたんだろう。何かあったんだろうか。
私たちがホール中央に進み出たタイミングで、ワルツの前奏が始まった。緊張でさーっと血の気が引いていく。
どうしよう。ステップが頭から飛んでる。足を踏んでしまうかもしれない。先輩に恥をかかせてしまう!
私が固くなっているのに気がついたのか、アレク先輩はまるで魅了魔法みたいな笑顔を見せた。
悪魔ですら魅入りそうな美貌に、なんだかクラクラしてしまった。イケメンは罪だ。
「大丈夫。力を抜いて。僕に体を預ければいい」
私は深呼吸をして、先輩に体を委ねた。そうすると、ステップを考える必要もないほど、驚くほど軽やかに踊れる。これは先輩の魔法なのだろうか。
「上手だね。ダンスは好きなの?」
「はい。ダンスは好きです。でも上手じゃないんです。アレク先輩のリードがいいんだと」
本当にそうだと思う。パートナー次第でダンスは変わる。
アレク先輩は私の言葉を聞いてにこっと笑うと、少しステップのスピードを上げた。
私を少し持ち上げて優雅にターンをする。その光景に会場中からため息がもれた。
「僕はダンスはあまり好きじゃないんだ。でも君と踊るのは楽しいね」
アレク先輩はいつもとても優しい。でも、こんなのはダメだ。つい、身の程知らずな勘違いをしてしまう。
先輩の気持ちを誤解したくなってしまう。
「君はローランドをどう思う」
「え?」
私は思わず聞き返した。なぜ今、ローランドのことを聞くんだろう。私とローランドのことは、先輩もよく知っているはずなのに。
もしかして、部下の査定のための聞き込み?それなら、本当のことを言わなきゃいけないな。
「ローランドは意地悪だけど優しくて、馬鹿だけど切れ者です」
先輩はくすっと笑った。
なにかおかしなことを言ったかな?いつも思っていることを口に出しただけなんだけど。あ、仕事の評価には参考にならないか。
「そうじゃなくて、許婚として。いずれは婚約して結婚するつもり?」
「ええ?そんな話は聞いてないです。ローランドは私のことを令嬢避けの護符みたいに思っているだけだと」
「本当に?君は彼を愛していないの?」
「ローランドはいい友達です」
私たちは友達。好きか嫌いかと聞かれれば、もちろん好きだと思う。でも、男女の愛というものではない。
すくなくとも、私はそう思っていないし、ローランドだってそうだと思う。
だって、ローランドと踊っても、たぶんこんなにドキドキしない。
先輩は私の答えをきいて、静かに微笑んだだけだった。その表情からは感情は読めない。
先輩は何が聞きたくて、私のどんな答えを期待していたんだろう。私がもしローランドを好きだと言ったら、どういう反応をしたんだろう。
こんな風に、先輩の気持ちを知りたいと思うのは、なぜだろう。
先輩にとって、私はかわいい後輩の一人。それ以上でもそれ以下でもない。
いずれ高貴な方を妃に迎えられれば、私のことなんて忘れてしまう。先輩はその方のために、閨教育にも熱心だったんだから。
それでも、今だけは私のアレク先輩だった。
夢のような時間はあっと言う間に過ぎ、ワルツの演奏が終わった。踊っていたものたちは互いに礼を取ってから場を下がった。
殿下が一般クラスの私と踊ったことで、次の曲を踊ってほしいとたくさんの令嬢たちが殿下の動向を見守っている。
私は膝を折ってダンスのお礼の挨拶をし、一歩下がろうとした。
これでアレク先輩とのダンスは終わりだった。もうアレク先輩と……殿下と話すこともないだろう。
そう思いながら後ずさったところで、先輩にぎゅっと腕を掴まれた。
「もう一曲どうだろうか」
「でも…」
会場中の令嬢たちの羨望と嫉妬にさらされて、さすがの私もいたたまれなくなった。それに、先輩と一曲でもダンスが踊れただけで、私にはもう十分だった。
むしろ、これ以上はダメだと思う。今ならまだ大丈夫。まだちゃんと引き返せる。
楽団が演奏を止めたので、会場はザワザワとし始めた。私が殿下のそばから引かないせいだと、誰かが文句を言っているのが聞こえた。
そのとき、ふいに目の前に人影が現れ、先輩の腕が離れた。
「殿下。いい加減にしてください」
ローランドだった。私を自分の後ろに回すと、先輩と私との間にはいるような体勢を取った。
見ているものは、ローランドが私をかばっていると思ったかもしれない。
「ローランド、誰に向かって言っている?」
ローランドの背中越しに見たアレク先輩の目は、いつもとはまるで別人のように冷たくキラリと光っていた。
私は驚いて、思わずローランドの袖を掴んだ。
「……冗談だよ。少し羽目を外しすぎたようだね」
私の怯えに気づいたのか、先輩はいつもの優しい笑顔になり、片手をさっと上げて楽団に音楽の合図を出した。
音楽が始まる一瞬前に、先輩はローランドをさっと横にどかせて、私の前にひざまずいた。
そしてそっと私の手をとり、その甲にキスをした。会場からどよめきと悲鳴が上がった。
「楽しい夜を」
何が起こったのかもよく分からなかった私は、手を前に伸ばしたまま固まってしまっていた。
みんなの前で、先輩が私に跪いて手の甲にキスを……。
ふわふわと雲を踏むような心地がして、夢と現実の区別がつかない。これは本当のことなんだろうか。
そんな夢見心地の私を正気に戻したのは、誰でもないローランドだった。
気がついたときには、ローランドが私の手首を掴んでいた。
そして、アレク先輩が出ていった出口とは反対方向のテラスへと、ぐんぐん私を引っ張っていったのだった。