発掘をする者たちへ
僕の自己紹介はこの末尾にあるので省きます。
小説と読んでもいいのか危うい、深夜の思考です。
5月22日土曜日、深夜2時。
遠くからは蛙の群の鳴き声が聴こえる。
雨音はついさっき聴こえなくなったところだ。
我が町は最近、例年よりも早めの梅雨入りを果たした。
おかげでこの1週間は雨雨雨。
家の近くを通る川は、黒味を帯びた赤黄色に変色し、眠る大漢のように、地に響く、ゴオという鼾を発しながら、僕の安らかな睡眠を妨げる。
そして、この大漢の喧騒に負けじと、蛙共は喧しく合奏して骨を折る。
僕はベッドに横になり思考を馳せる、蛙の合奏の会場は、おそらく鼾をする大男の側か、その向かいに敷き詰められた田圃の辺りだろうと思った。
刹那、大漢の側ではないような気がした。先の大雨で、本来は小柄である筈の漢川は、大漢と呼ばれるような太い濁流に豹変し、近づくものを全て呑み込んでしまう恐ろしい者になった。
雨中に行方不明になる老人は大抵の場合、この漢の豹変ぶりを見学に来たところを、うっかり足を滑らせて、漢に呑み込まれ、亡くなっていると聞く。
ああ、全く嫌なことだと溜息をひとつ吐く。合奏は休憩時間になり、濁流の音だけが耳に入っていった。
それにしても梅雨とはなんと不思議な季節かと思う。
激動の卯月はあっという間に過ぎ、一息つけるゴールデンウィークは死に、そうしてやってくる梅雨という季節は、不思議と思考を馳せてみたりしたくなるものなのだ。
これは恐らく、卯月やゴールデンウィークに比べると心身共に新たな環境に慣れ、余裕ができるからこそ思考がまとまり、言葉にしたり、音に表したり、キャンパスに描いたりできるようになるのだと思う。
実際こうして僕は、川の濁流だの、蛙の合奏だのについて執筆をしている訳だし、確かに余裕ができる季節なのだろう。
しかしだ、このサイトで小説を読んでいる諸君ときたらどうだろう。激動の卯月だの、いずれ死に絶える貴重なゴールデンウィークだの、蛙共の合奏が開かれる深夜だのと関係なく小説を読み漁る。余裕がありすぎではないか。
これは好きな作家の投稿に付いていこうと、読み漁るそれとは別の話だ。これについては僕も分からんでもない。余裕がない時でも、つい読みたくなるものだ。
また、『人気』と呼ばれる、整って、おもしろい小説を読むことで、我々は激動の卯月や、今にも死にそうなゴールデンウィークから離脱し、華々しい異世界やれ、恋焦がれる学園の世界へ顔を出す事ができる。現実逃避をできるのだ。
問題はそれとは別の、諸君だ。諸君は今一体何をしているか。拙い文章で、おもしろくない、『不人気』と呼ばれる、知らない作家の作品ばかりを読み漁り、一体何をしているか。
よくよく思案してほしい。これには何のメリットがあるか。
こうは言っているが、何を目的に読み漁っているかは検討がついている。恐らくアレだろう、次に『来る』作家をいち早く見つけるための発掘であろう。
実は僕もこれと同じような事をした事がある。僕の場合は音楽を聴く事が趣味なので、YouTubeという動画サイトやSoundCloudという音声シェアサービスで、次に『来る』アーティストを漁り、発掘した。
世間に認めらず『不人気』ながらも努力を続ける、彼ら彼女らの努力を本当に尊敬している。
しかしだ、辛辣ではあるが大半の曲は拙いし、おもしろくなかった。
しかし、そんな中で光り輝くアーティストの発掘に成功した。秋山黄色と、マカロニえんぴつだ。
そして間もなく、彼らはテレビ番組にも出演するような『来た』アーティストとなった。
しかしだ、彼ら以外にもたくさん発掘したはずの『来る』アーティストは、まだ『来ていない』アーティストのままだ。
この事から言えるのは、本来は『来ない』という事である。そういう場合が殆どなのである。
この事は同じ発掘者である僕も諸君も十分に理解している筈だ。僕はこの後すぐに発掘をするのをやめにしたが、諸君はこれを継続し、ここまで辿り着いてる訳だ。
僕と諸君の差は何なのか。これは言うまでもなく、期待をしているかどうかである。諸君はいずれ『来る』はずだと、翹首しているのである。
逆の立場から物を言おう。期待されているという状況は、人を最高に強くすると感じる。期待に応えようと、自らを成長させたり、より学んだりすることができるからである。
天童と呼ばれる子供が落ちぶれていくのは、期待が風化した時であり、それまでは天童のまま、学びの天道を征くだろう。
流石に天童とは呼ばれなくても、ここまで読まれる程には諸君の期待を受けた僕は、それに最大の力を以て応えなくてはならいと思う。
この、小説と言うにはあまりに陳腐な話は、僕の自己紹介でもして、期待が最大まで高まるであろうところで締め括るとしよう。
名前は霧下悠という。
血液型はAB型で、音楽を聴くのが趣味だ。
小説の執筆をこのサイトで行なっている。
それと並行して、たまに音楽も作っている身だ。
基本は毎日忙しいので、執筆や制作は今日のような深夜に行なっている。
あとは、何を紹介すればいいだろうか。
こういうのは浮かばなくなった時点で辞めるべきだろう
か。
多少思案し、締めの言葉を述べることにした。
ここまで読んでくれた諸君に最大の感謝を。ご精読ありがとう。
心の中どこかで憶えていてくれると嬉しいな。
それでは、今夜はこの辺で。
時刻は早朝4時。
空は少しだけ明るくなり、蛙共の合奏は終わり、鳥共の合奏が始まったところだ。
大漢は相変わらず、大きな鼾をしていた。
最後までご精読ありがとうございました。
期待してくださる方に応えれるよう精進いたします。
さて、次からはしっかりと物語を書こうと思います。
少し連載します。いつになるのか分かりませんが、お楽しみに。