現役作曲家が小説作者の皆様へ送るエール ~心を燃やして~
皆さま、明けましておめでとうございます。
コロナショックで揺れた2020年、その年末に何か新しいことを始めてみようと思い、読み専だった「小説家になろう」にエッセイを投稿してみた。
するとまさにビギナーズラック、想像以上に沢山の方が読んでくださった。
心より、御礼申し上げます。
さて、自分が投稿した「エッセイカテゴリー」の小説をいくつか拝見していたら、こちらのエッセイにちょっとした衝撃を受けた。
「感想コメントは寝かそう ① ~筆折りコメンタラーの恐怖~」
https://ncode.syosetu.com/n9290gr/
この作者様はなんと、「あなたは小説家になれない」という感想をぶつけられたそうだ。
ひどい話だ、その感想は「小説家になろう」というこのサイトの意義すら否定している。
他にも「評価ポイントやランキング」など、「他者からの評価」への苦悩や疑問のようなエッセイが多いように思えた。
ちなみに自分の本職は、某レコード会社の制作事務所所属の作曲家で、主戦場は男女有名アイドルグループ。
毎回「楽曲コンペ」に数百曲集まる中から採用を勝ち取る戦いをしている。
採用されリリースされても売り上げの数字やオリコンの順位、リスナーやファンの評判などが必ず付いて回る。
作品づくりを続ける大変さや、他者の評価などとは切っても切れぬ縁だ。
だからこそ共感できる部分も多く、今回は皆様のエッセイを拝見して感じたことを書いてみようと思う。
「作曲と小説は関係ない!」と言われそうだが、大目に見てほしい。
まずは少しだけ、自分の話をさせていただきたい。
手前味噌だが、学生時代に作曲を始めてすぐから「なんでそんな良いメロ作れるんだ」「お前は音楽でやっていける」などと周囲に言われていたので、クオリティはさておき、無駄に自信だけはあったと思う。
実際、自分の作るメロディはずっと大好きだし、昔は機材もパソコンもボロかったが、作品を作ることが楽しくてそんなことも気にならなかった。
つまり、曲作りが好きでたまらないのだ。
思い返せばバンド活動をしていた下積み時代、「路上ライブでの通りすがりの客」から「自称音楽プロデューサー」など、様々な人が「アドバイス」をくれたが、誰の言うことも聞くことなく、自分の思うがままに曲を作ってきた。
そして、それは正しかったと確信している。
なぜなら誰かの「オリジナリティー」とは、その人自身でしか生み出せないと思うからだ。
創作者が今まで触れてきた作品たちや歩んできた人生の道のり、それらが曲や小説などの創作物に凝縮され、そこにその人だけの面白さが生まれる。
他人の意見ばかり聞いていたらオリジナリティーが希薄化して、つまらないものになってしまうのではないか?
Apple創業者の故スティーブ・ジョブズの語録にもこうある。
「他者の意見に耳を傾け過ぎて、自分の心の声がかき消されてはいけない。最も大事なのは、自分の心と直観に従う勇気を持つことだ。あなたは、すでにどうなりたいかを直感的に知っているのだから。それ以外の全ては重要ではない」
と。
この言葉は創作における重要な本質を説いていると思う。
なろうにおいても感想欄で、「もっとこうした方がいい」みたいな意見もあると思うが、作者はそれに惑わされすぎず、思うままに書いたら良いのではないだろうか?
自分は今の事務所に入ってから、担当者にアドバイス(という名のダメ出し)をもらいつつプレゼン曲を作成しているが、それは担当者の圧倒的な経験と知識量を認めているからだ。
なんだかんだで、大手レーベルで仕事している人は次元が違うと常々思う。
それでも、やはりネガティブな意見が心に残るのは事実だ。
「なろう」は感想を閉じることもできるし、消すこともできる。
それでも、脳裏に刻まれたショックはなかなか癒えないだろう。
先の「あなたは小説家になれない」とか、意図的に作者にダメージを与えようとするのもどうかと思う。
自分だって下積み時代、「コード進行が変だ」「メロがパクリだ」「あっちのバンドの方が人気がある」などなど、それなりにあれこれと言われた。
意図的に意地悪なことを言われたことも当然あった。
自分の場合、そんな心のモヤモヤを吹き飛ばしてくれたのはやはり、「曲づくり」なのだ。
良いサビが一つできればもうそれで上機嫌、モヤモヤなどどこへやら。
今ではむしろ、「嫌な体験も含めて、感情が揺れ動いてる時は良い曲ができる」とすら思っている。
事務所の担当者に散々ダメ出しを食っても、「だったらもっと良い曲作ってやる!」と、負けず嫌い根性でここまでやってきた。
つまり、ネガティブな意見を克服するには、
「作品づくりへの情熱を、批判に勝るくらい高めてしまえばいい」
とも思うのだ。
作者の情熱が炎だとすると、ネガティブな意見はそれに水をかけるようなものだとする。
炎が強大であれば水ごときでは消せやしないのだ。
煉獄さんじゃないが、「心を燃やせ」ということだ。
実際、天才たちと楽曲コンペでずっと戦い続ける自分からすると、「のだめカンタービレ」の千秋真一じゃないが、「オレ様の音楽を聞け!」くらいじゃないとやっていけない。
と、今でこそこんなこと言う自分も、駆け出しの頃にプライベートも音楽も何も上手くいかず、生きる希望さえ失っていた時があった。
その時、弱り切ったその心を強引に引き上げてくれた人がいた。
落ち込んだ時、優しく慰めてもらうのも良いと思うが、力強く生きる人物の姿を見ることで、自分も強く変わっていけたと思う。
そんなことを思い出した。
それに、「もっとこうした方がいい」と言ってくる人だって、「作品に夢中になってるからこそ」言ってくれている場合もあるのではないだろうか?
そういう人がポイントを入れてくれているなら、「この人は自分の作品にハマってくれてるんだな」と勝手に喜ぶくらいでいいのかもしれない。
自分もバンド活動時代、熱心なファンの人がああしろこうしろと色々言ってきたがその反面、チラシを配ってくれたり周囲に勧めてくれたりと、沢山支援をしてくれた。
とても感謝している。
なろうの良いところは、誰でも無料で参加できることだと思う。
いくらでもアイデアを試せるし、料金もかからない。
以前、鳥山明先生の初代担当編集者である鳥嶋和彦氏のインタビューを読んだのだが、鳥嶋氏曰く、ヒットを生み出すコツは「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」だと仰っていた。
鳥山明先生が最初のヒット作である「Dr.スランプ」も、果てなき大量の「ボツ」の末に生まれたそうだ。
あの鳥山明先生でさえそうだったのかと思うと、自分はとても勇気付けられた。
政治家の選挙活動においても「100人声をかけて1人投票してくれるかどうか」と聞いたこともあるし、やることすべてが成功する人なんていやしないのだ。
そもそも、価値観は人の数だけある。
自分が「最高」だと思っても、他者にとってはそうではないことなんて当たり前だ。
だったら、相手の心に伝わる「最高」が見つかるまで、撃ち続ければいい。
なろうにおいて「読まれるための工夫」「ポイントをもらうための工夫」みたいなものは、他に沢山書かれているようなのでそちらをご参考いただきたい。
自分もコンペを勝ち抜くため、数えだしたらキリがないほど大量の工夫をしている。
それでも、どんなに工夫してみても、作品をいくつ投稿してみても、何も状況が変わらなかったとしたら次第に心の炎は弱まり、やがて絶望してしまうかもしれない。
筆を折るのも、ひとつの選択なのかもしれない。
しかし、あえて自分は言いたい。
絶望に追い込まれた時こそが、「本当のスタートライン」だと。
そして、僅かな希望を胸にまた立ち上がり、新たな一歩を踏み出す。
その繰り返しで「オリジナリティー」は強く、磨かれてゆく。
そんな風に自分はやってきた。
心を燃やして。
さて、作曲家という畑違いが長々と、偉そうに語ってしまった。
不愉快に思われたら申し訳ない。
最後に、もう一つスティーブ・ジョブズの語録を紹介して、このエッセイを終わりたい。
「前進し続けられたのは、自分がやることを愛していたからだ」
……そう、自分も愛しているのだ、曲を作ることを。
そして、小説を書くことを愛するなろう作家の皆様が、これからも多くの作品を生み出されることを心から願っている。
……あ、こんなことを書いていたら自分も、「あなたはスティーブ・ジョブズになれない」とか言われるのだろうか?
大丈夫、なれるわけないし、なろうとも思わない。
いや、もしかしたら「スティーブ・ジョブズになろう」というサイトがどこかにあるかもしれない。
……なかった。