誘い
口からもれた言葉は、否、その実言葉にすらならない息のもれる音に過ぎなかった。
親父が死んでからもう何十年と領地を持つ地主として、貴族としてやってきた俺には、こうして何かにより思考停止すると言うことがなかった。
あってはならなかったのである。
教師のように宣教者のように、
教える相手に此方の不安や戸惑いを見せてはならない。
それが父親から始めに習ったことだった。
常に余裕綽々とあれ。
さすれば自然と人がよってくる。
それは当たっていた。
しかし、可能かどうかは、俺の才覚次第だった。
たった今、人よりはその才があると自負していた自分は、たった一人の少女にその自信を打ち砕かれることになる。
「ですから、殺したいのでしょ?南の領主。貴方の弟を。」
「………は………いや…」
「隠し立ては結構です。無駄話は紅茶が冷めるもの。」
彼女は、両手で持ったカップをゆっくり回すと、ふと息を吐いた。
「よくあるはなしです。特に貴方の弟君はその才に際立つものがありますもの。」
「は……はあ。」
父親から領主と貴族の権を引き継いだのは俺で、二つ年の違う弟は他の土地の貴族の娘の元へと婿にやった。
ぱっとしない奴だが、母親ににて見目はなかなか良いから、嫁のもらい手には困らなかった。
出来るだけ利用しやすいところに送り込んだつもりだ。
「立派なものです。元々土地は肥沃でしたが、それと同じくらい感染病、伝染病、風土病が多く、人口は少なかった。貴方の弟君はそれらの病を抑え込んでいますもの。」
いまおもえばわざとだったのかもしれない。
病にかかって死んでくれないか……と思いがあったことは。
「そんなに、気に入りませんの?」
「………はて、何のことでしょう。」
「弟君のことです。」
彼女はローテーブルに紅茶のカップを置き、此方を見すえてきました。
オレンジ色の光に照らされて睫毛の影が黒く怪しい。
胸元には白く輝く花が一輪……
「Lily、ですか?」
「……そこに目が行くとは。でしたら、ご母堂様にもおっしゃれば良かったのです。会いに来てくれと、自分のために。」
「……言えるわけ……。私は、長男です。それに、母は父に似た私のことを嫌っていらっしゃった。」
「思い違い……とは言い切れません。」
「いえ、今更いいのです。誰になんと言われようと、私はやはり弟が憎い。どうしょうもなく。」
自嘲気味に笑う彼に、ロエルは仕方ないのでは?と笑って見せます。
「能ある兄弟を持つことほど、苦痛なことはないでしょう。いつでも並べられ、比べられる。」
「兄姉なら許せるが、年下ともなると。父親から受け継いだ無駄に高いプライドが邪魔をします。」
「でしょうね。分かります。」
私もそうです。とロエルは静かに言いました。
しかし、それ以上なにも言葉を繋ぎません。
しばらくの間、そこに静かな空気が横たわります。
誰も話さない。
しかし、決して冷たいわけではなく、どこが同情と、向かう先のない怒りが支配する空間。
鈍感な者が入ったら、そこはまさしく無味無臭の空気感でしょう。
「一つ……取引をしませんか?貴方の弟君を陥れる。」
「なにを?」
「憎いでしょう。でも弟だものね、憎もうにも憎めない。なら、誰に憎しみを向ければ良いのか……教えてあげましょうか?」
「………。」
あらあら。
天使の助言とでも言いましょうか。
自分に都合の良すぎる言葉は、誰からのものでも信じ込んでしまうものです。
それがより真実味を帯びていれば。尚のこと。
「貴方は国王を恨みなさい。」
「お、王を……しかし、なぜ?」
「貴方の大切な人を奪ったのはあいつです。あの老いぼれは貴方の愛する人を唆し貴方を不幸にしました。」
分かりますか?と、ロエルが静かに問いかけます。
彼は何も言いませんでした。言えませんでした。
彼女が何についてそう言っているのか、下手したら彼女はすべて知っているのではないかという恐ろしい思いが、脳裏に走ります。
苦々しげな表情を浮かべなかった分、彼は優秀でしょう。
「貴方を愛してはくれなかった母親は、国王といい仲だったのですよ。その間に生まれたのが貴方の弟です。ええ、できが違って当たり前です。国王の血ですもの。」
「………。」
「誰が責任を取るとか、そういう問題じゃぁないでしょう。悪いのは愛です。愛が憎しみを生み出した、それが結論です。」
「愛することは、悪いことか?」
「いいえ、素晴らしいことでしょう。」
ロエルは指を一つ立てると、ふと微笑みます。
「大丈夫、私は次女ロエルですよ。姉には知識、兄には適応で適いませんが、コツコツ計画立ててやることにおいて、私の隣に立つものはありません。私ならこの国の人々は勿論、兄や姉すら欺ける。」
「………ふぅ……まるで、悪魔の囁きだ。」
「悪魔ですもの、約束は守りますわ。とにかく、作戦を……貴方が弟の元にいる小娘。彼女を使いましょう。彼女なら言うことを聞くでしょう。」
「し、しかし。」
「彼女は操るには能力不足ですが、力が無い分、上手く操れば良い動きをします。大丈夫、信じてみませんか?」
「…………、分かった。やろう。」
「…では、」
ロエルは白い紙を懐から持ち出します。
それにインクで事細かにストーリーを書き上げていきます。ストーリーというのは些か可笑しな話ですが、それは、作戦と言うにはあまりにも自然な、優秀な、まるで物語の脚本のように綴られていきます。
その全てに辻褄が合っており、此方に影響が万が一にも出ないようになっていたのは、彼女が知りもしないはずの裏の情報表の情報の全てが混ざり合って存在していたからです。
「覚悟を、お決めになって。」
「……私は、領主だ。自分のすることくらいには覚悟も持とう。」
「重畳。」
ロエルの服の下に隠し持った本が少しページを震わせた。




