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お嬢様のお気に召すまま

零れ落ちたような戸惑いの声を消すように、ロエルはカップとソーサーの音を鳴らしました。

すっかり泥を落とした服は、もとの上質なものに戻っており、目の前に座る男の纏うものと遜色ない。それどころか、些か豪華なようにも思えます。


「言ったとおりです。シルベール家の者です。泊めてください。」

「は?否、どういうことですか?」

「シルベール家をご存じない?」

「いいえ、滅相もございません。」

あからさまに顔色を悪くした男をロエルは冷たい視線で見つめています。きついまなざしが突き刺さり、身動きどころか呼吸も苦しい。

睫毛の一本細胞の一つすら苦しいと悲鳴を上げそうな雰囲気に、そっと部屋を覗き込んでいた不躾な奥方様も奥歯を鳴らしていました。


「……、そう緊張なさらないでください。頼んでいるのは此方ですので。」

ふんわりと微笑んだロエルに家主の男がふっと息を吐きました。

若い知的な印象を持つ彼は、その息で柔らかくなった喉をどうにかならし言葉を出そうとします。

声が震えないようにと気丈に振る舞っているのがよく分かった。

「いえ……えっと、お泊まりになる宿をお探しとか。」

「ええ。」

「我が家で良ければ、是非とも。」

「ありがとうございます。いいお返事がいただけて嬉しいです。」

そう頭を下げたロエルに家主は慌てたように声をかけました。

「いえいえ!顔をお上げください。」

「一晩、お世話になります。」

そっとよってきた熟練らしい執事にこっそり耳打ちしますと、柔らかい動作で頷いた執事は、ロエルに声をかけ、早速部屋へ案内するよう取り計らいます。

案内がなされることを聞き入れ、ロエルも頷くと、すっと立ち上がります。

紅茶のカップはもう空でした。

多くの荷物もないので、椅子を立ちゆっくりと礼をすると大人しく執事に導かれるまま部屋を出て行いきした。



「あ、あなた。その、彼女は…」

「なんだ、いたのか。」

「ええ。急な来客と聞きましたので。」

ロエルが出ていったのを確認した奥方様は椅子の上で茫洋とする家主に声をかけました。

その声にピクリと反応した家主は頭を抱えるように深いため息をつきました。

「シルバール……嫌なやつに目をつけられたかも知れないな。」

「そんなに…どのような方達なのですか?」

「あれは……番犬だよ。王族の。」

「番犬……ですか?」

「ああ、いつ何時も王族を他の家から守り、そして王家に噛み付くことの出来る唯一の番犬だ。」

わんちゃんです。

なるほど、この国では彼等はそのように思われているようですね。

奥方様もどこか知るところがあったのでしょう、喉の奥でヒッと悲鳴を上げると、黙りこみました。

「し、しかし……あの家の家主には子供が二人しか居なかったかと……」

「噂はあったんだ、三人目がいると。家業のためだけに生きる裏の三人目がいると。」

もし彼女がそうなら、ウチはもう終わりかも知れない。と、家主は呟きました。

奥方様はどうすることも出来ず、ただ隣の旦那様の肩をそっと撫でました。


「バレているはずがありません。裏の裏をかいて実行はまだしていない。捨て駒の娘も今は上手くやっているではないですか。」

「……そうだが。」

「心配ありません。大体あんな小娘が一晩でどこまで出来ることやら。」

だから落ち着いてください、と奥方様は言いました。

それでも、彼の顔色が良くなることは終始なかったのです。



「失礼ながら、この度は、どのような御用向きで?」

「……観光……と、まあ、息抜きに。」

屋敷内の廊下を歩きながらロエルは執事と会話をしていました。

寡黙で、仕事だけやっていそうなおじいさん執事は、その実とても温和で話しやすい紳士でした。

特別人付き合いの苦手な彼女でも付き合いやすそうです。

「ここら辺はいいですね。都市では味わえないものばかり。若々しい緑も、新鮮な悪意も。」

「……新鮮な悪意、ですか?」

「ええ。」

コツコツという靴の音に紛れて、ロエルも執事も言葉を切りました。

話さなくても、なにとなく互いが何を思っているか分かるような気がしました。幼い少女も老いた執事も、互いに腹の中を探り合い、少しずつ問い掛けを考えます。

含みを持たせてはかせるように。

次の一言で相手を圧倒する。

そんなふうにも思えます。

「……つきました。」

「ここですか?良い部屋ですね。」

執事が鍵を開けて中を覗き込むと、ロエルは気に入ったように顔を綻ばせます。

一晩の宿とは言え、上質なところに泊まりたいモノです。天使も人も。

イザベラ・バードには頭が下がりますね。

「ご主人の趣味かしら?とても素敵な調度品ばかり。」

「それは、奥様が選んだものです。」

「へえ、奥様にはまだ会ってない出すわ。ぜひ、一度会いたいです。」

「夕食時にどうぞ。」 

「そうするわ。」

ドレッサーの前の椅子を引っ張り出して腰掛けると、執事に向き直る。

さて、と言った風に息を吐いた。

「あなたは、長らくここに使えているの?」

「はい。旦那様がまだ幼い頃から。」

「では、古株ね。なら、ご存じない?彼等が何をしているのか。」

執事の眉がピクリと動きます。訝しげに動いたのか、図星で動揺したのかは分かりません。流石は長年仕事をしているものと言えましょう。その所作の一つ一つに感情や個性はまったく見当たりません。

「さて、何のことやら。」

「誤魔化さないでください。そして、助言を差し上げましょう。」

ロエルはゆっくり微笑みました。まるでその姉のように。

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