今、昔
それからしばらく馬車に揺られている間も、ヒイロはこの世界に関することを色々と教えてくれた。
この世界はリタルス、という名前で呼ばれているということ。これは国なんかの名前ではなく、皆にとって共通の、世界、というものを指す言葉らしい。元の世界でいう所の地球みたいなものだろうと解釈した。
リタルスには数多くの国があること。それはヒトが支配するものから、亜人と呼ばれるヒト以外の民族が平和に統治するもの、マ族と呼ばれる非常に攻撃的で危険な民族の住処となっているもの、などなど。
今でこそヒト族がリタルスの覇権を握るようになったが、かつては数多くの民族同士が争いを繰り返していたこと。
旧時代と呼ばれる千五百年も前に、カナルと呼ばれる最古のヒトの王が生まれ、その絶大な力によって率いられたヒト族が他民族を次々に支配下に置いていったということ。争いが終わることはなかったが、そのパワーバランスがだんだんとヒトに傾いてきた、ということ。
「それからしばらくして……混沌の時代と呼ばれる最悪の時代が訪れるんだ」
「最悪の時代?」
「うん、カナル十七世は強大な力を持ったヒト族を率いて、それまで支配下に置いていた他の民族の粛清を始めたんだ。敵対していた民族だけでなく、支配下に置いていた従順な民族も含めて全てね。民族浄化、と呼ばれてる。ヒト族こそが神に選ばれた民族であり、それ以外の民族はこの世界に存在することすら許さない、っていう過激な考え方だね」
「……ひどい話だ」
そう言いながら、俺はエノのことを思い出していた。ずっと昔、ク族とヒトとの共生は突然の終焉を迎えた。人里を追われてハジャの森の奥地へと隠れ潜み生き永らえたというク族の話。きっと彼女の話はこの時代のことを指していたんだろうと理解した。
愛すべき亜人獣人に敵意を向けるなど、決して許されるようなことではないというのに。
「民族浄化はその後、発端となったカナル十七世が没した後も続いた。文献によるとそれは二百年も続いたとされているよ。その、ヒト族による他民族迫害の二百年間を、混沌の時代と呼んでいるんだ」
「なるほどな……それでその、混沌の時代とやらはどうやって終わったんだ?」
「うん、それこそがこの話の一番重要な所だ。残虐な行いが繰り返し行われて、滅亡した民族も少なくない。そんな悲劇の中で一人の人間が立ち上がるんだ」
自然とヒイロの声色も高くなり、話しながら興奮していくのがわかった。
「正式な名前は残されていない。ただ漠然と"救世主"、と言われるヒト族の若者でね。その救世主は世界中に散らばった亜人たちをまとめ上げて、各地で起こっている浄化運動を次々と止めて見せたんだ。きっと彼は各地で起こる悲劇と惨劇をどうにかして食い止めたいと願う美しい心の持ち主だったんだろうね」
僕はそんな正義の味方になりたいんだよ、とヒイロは付け加えた。
つまりは、迫害される民族を解放しようとした革命軍のリーダー、ということなんだろう。この世界に詳しくない俺からしても、そのカナル王とやらの暴挙は許せるものではないし、このヒイロがヒト族であることからもわかるのは、今のヒト族からしてみても、その歴史は反省すべき暗い過去、ということなんだろう。
「救世主はいよいよカナル王の住まう王宮に突入し、迫りくる兵士たちをその身一つで打ち倒し、いよいよカナル二十三世の元へと迫った。そうして数多の悪党を打ち滅ぼしてきた聖剣を王へと向けてこう言い放ったんだ。『暴虐非道を繰り返す悪しき王の血を、数多の悲しみを背負ったこの剣がここで途絶えさせるだろう』……ってね! いやぁ、かっこいいよね!」
まるで自分で見てきたことかのようにはしゃぐ。お気に入りのヒーロー番組について語る少年のようである。
「そうして救世主は数百年続いたカナル王の時代を終わらせた。けれどカナル王を倒した後に、救世主はその姿を消してしまうんだ」
「姿を消した、って?」
「これは文献によって色々な見方がされていて、結局救世主は新たな王になったという説もあれば、なんと王を倒したその場で忽然と姿が消えてしまったというようなとんでもない説もある。僕の考えでは、亜人たちへの迫害を食い止めたその後、自身がヒト族であることを許せなくなった救世主はそのまま亜人たちと共にヒト族の住まう土地を離れてひっそりと余生を過ごしたんじゃないかと思ってる」
「……まあ、物語としてはめでたしめでたし、ってところだな」
「長命な民族であればその頃のことを知っているかもしれないんだけど、そういう民族に限ってヒト族との交流を避ける傾向にあるんだ。まぁ、迫害の時代を実体験として経験している以上仕方のないことだと諦めるしかないんだけどね」
「長命な種族って……え、それって今からどれくらい昔の話なんだ?」
「そうだな……混沌の時代が終わった"亜人革命"が起こったのが、今から約七百年前のことかな」
「七百年!? そんな時代から生き続けている奴らがいるってのか!?」
「特に長命と言われているエルフ族なんかは、千年生きると言われてるね」
何気ない調子で言う。
おい、おいおい……エルフだって……?
ようやく収まってきた痛みがぶり返すことすら気にもせず、ガバっと身体を起こしてヒイロに向き直る。
「エルフが……いるのか?」
「ああ、うん、凄く珍しい民族だから僕も会ったことはないけどね。それこそ混沌の森林の奥にあるクジャの森の更に奥深く、そこに小さな集落があるのと、ここから西に行ったローラフという国に本拠地があるかな。原則中立でヒト族の立ち入りは許されてないけど」
なんということだ。ここにきて、ザ・王道ファンタジー展開じゃないか。
エルフ、エルフと言えば確かに長命で有名だ。もちろん俺が知るエルフはフィクションで想像上の生き物でしかない。俺の想像している通りの種族であるという保証はないが、それでもなお、エルフという言葉が俺の心のど真ん中に突き刺さったのは疑いようのない事実である。
耳が長く魅惑的な大人のお姉さま。ミステリアスな雰囲気の正統派エルフや、活発で蠱惑的なダークエルフ。どちらでもバッチコイ!
「……さて、そろそろリルに着くよ。体の調子は大丈夫かい?」
「あ、ああ……」
「小さいけれど診療所があるんだ、そこまで運ぶよ。なに、きちんとした治療を受ければ数日で動けるようになるだろうさ」
俺としてはもう少しエルフのことを聞きたかったのだが、どうやら馬車が進む道も気づけばいつの間にかある程度舗装されたものになっていた。遠くを見ると確かに向こう側に、レンガ造りの建物が密集する町らしきものが見えた。ヒイロの言う通り小さな町のようだったが、それでも俺は初めて見る異国の……いや、異世界の町並みというものに心奪われつつあった。
やはりいわゆる中世ヨーロッパ的な街並みなのだろうか。ちなみに中世というのは割と想像しているよりも文明レベルは低い。王道ファンタジーの世界観にマッチしているのはどっちかというと近世ヨーロッパだ。
馬車はゆったりとした速度でリルという町までの道を進む。途中、小さい川にかけられた石造りの簡素な橋を渡る。
その石橋の向こう側から、物々しい甲冑に身を包んだ軍隊のような集団がやってきた。ヒイロ以外では初めて見るこの世界の住人達である。
甲冑は鉄にしては妙に青みを帯びているようにも思える。特別な金属なのかもしれない。特徴的で一番目を引くこととしては、その兜の頂点には鮮血を思わせる紅い羽根が飾られていたことだろうか。
「……」
ヒイロは何を言うでもなく黙っている。
俺はその集団の先頭を歩く、ひときわ精悍な顔つきをした男を見るともなく見ていた。甲冑からわずかに覗かせる表情は険しく、危険な香りを感じさせる。切れ長の瞳は鋭い眼光で、戦士というよりはまるで獲物を狙う狩人に近い。
その瞳が、交差する。ゾクリとした。ひやっとした感覚が背筋を走る。
……威圧、されたのか。
ヒイロの御する馬車がその集団とすれ違う。相も変わらずヒイロは我関せずと無言を貫いている。……無言? これまでずっと口を開いて色々と話し続けていたヒイロが、不自然にも押し黙っている。
規律よく隊列を組んで歩くその甲冑の集団は一言も発することなく石橋を渡り切って、今まさに俺たちが来た道を歩いて行った。
「……ヒイロ?」
「彼らはね、神成の使徒と自称する集団だ」
その声色は低く冷たかった。
「何者……なんだ?」
「……」
「ヒイロ?」
ふう、とヒイロは息をついた。
そして今まで通りの明るく爽やかな笑顔を"繕って"俺に向かって言った。
「悪者だよ」
そのヒイロの代わりぶりにまた、俺は背筋をゾクリとさせられた。
馬車はリルの町に入ったところだった。
つーわけで今回は世界観説明回だったな。
異世界って一言で言ってもさ、それぞれにいろんな国の成り立ちがあるんだよな。
結構たくさんの異世界モノに触れて来たけどさ、正直序盤に色々言われてもあんまり頭に入って来ないんだよなー。
『とりあえず聞き流してしまうのもいいでしょう』
え、いいのかな。これからこの異世界で色々冒険したり出会いがあったりロマンスがあったりするんだろ?
俺さ、割と世界設定とか重視するタイプだから、めんどくさくても時間かけて読んじゃうんだよね。
『序盤に怒涛の如く出てくる世界説明は基本的に垂れ流されるだけの情報です。実際に生活する中で少しずつ覚える方が効率がいいでしょう』
そういうこと言っちゃっていいの?
身も蓋もなくない?
『事実を伝えたまでです』
んー、まあでもさ、難しい話は後で考えればいいとしても、エルフはいいよな、エルフは。
エルフのお姉さまに憧れちゃうのはもう全世界共通の男子の性だよな。
『私には男性の趣味嗜好は理解の範疇ではありません』
え、内なる声さんって俺の中の声でしょ? 声自体は女っぽいけど、中身は俺なんでしょ?
『……今の発言は撤回致します。わかります。エルフの溢れ出る母性や美しさは男性にとって憧憬の対象となりうるでしょう』
あれ、ごめん、もしかしてなんかネタバレに抵触しそうなこと聞いちゃったかな……。
内なる声さん? あれ、どっか行っちゃったかな……。