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束の間の平穏、そして

「それにしても、本当に静かですねえ」


「ん、そうだな。他の冒険者たちがいないと火が消えたようだな」


 ク族たちを宿に連れて行ってつばめ亭に戻ってくるまでの道のりも、やはりどことなく静かだった。


「さっきギルドに寄って来たじゃないですか。もう見たことないくらい空っぽでしたよ」


「ああ、メウと一緒に行ってた時か」


「……なんか、いやーな感じがしませんか?」


 ようやく次の一杯を持って来たシノちゃんにお礼を言いながら、シャルマはそれに口を付けた。

 しかしどうやら真面目モードに入っているらしく、二口だけ飲んでジョッキを口から離す。


「リルの領主の緊急クエストのことだろ」


「そもそもですよ、私たちって国王様から領主のことを調べるように言われてたじゃないですか」


「何か裏があるって?」


 俺もシャルマから受け取っていたジョッキを口に運び、爽やかで冷たいエールの喉ごしを味わった。


「考えてみたんですけど、もしも私たちがハジャの森に行かなかったら、今頃ク族はみんな……」


 と、ピクリとエノが耳を動かしたので、それに気づいたシャルマは咳払いした。


「ええと、大変なことになっていたわけじゃないですか」


「そうだな。それに神成の使徒だって壊滅してないことになる」


「そんな状態のハジャの森に、さーこれはおいしい餌ですよ、って言って法外な報酬をチラつかせて冒険者を送り込んでいるわけですよ」


 確かにそういう見方もできる。時期的に見ても、神成の使徒がハジャの森でク族を滅ぼす予定だった日の、翌日には冒険者たちの第一陣が到着していたわけだから。

 いつの間にやらエノはむしゃむしゃと食べていた食事を終え、お上品に口元を拭いて俺とシャルマの会話に聞き入っているようだった。


「リルの領主と神成の使徒が繋がってる、という前提で考えてみると、確かにタイミングには作為的なものを感じるな」


「ちょっと考え方を変えてみますよ。亜人殲滅を目論んでいる神成の使徒の立場になってみると、ハジャの森に冒険者を誘き寄せるのには何の意味がありますか? 私たちが介入しなければ、数十もの神成の使徒が森で待ち構えていることになります」


 はて。普通に考えると、冒険者を何らかの罠に陥れようということなのだろうか。しかし神成の使徒と冒険者は対立しているわけではない。神成の使徒たちに対する討伐のクエストもあるわけではないし、奴らも冒険者と事を構える必要性がない。

 あえて挙げるとすると冒険者の中にもたくさんいる亜人を狙っている可能性だが、そもそも戦う力を持っている亜人なのだから各個撃破が望ましい。一所に集めてまとめて倒す、というのは相手が反撃してくるほどの力がないから取れる手段なわけだ。

 ちょうどク族たちがそうであったように。


「あの……」


 と、おずおずと声を上げたのはエノだ。


「お聞きしたいのですが、この町のりょうしゅ、というのは、つまりは偉いお方という意味ですか?」


「まあ、そうだな、この町……というか、この辺り一帯を仕切ってる奴だ」


「その方が、もしかするとあの神成の使徒、という亜人を憎む者達と繋がっているかもしれないのですか?」


「可能性は高いな」


 むむむ、と両手を合わせて口元に当てる。

 エノは俺たち冒険者ではなく、神成の使徒から狙われる亜人側の目線を持っている。もしかすると何か気付いたことがあるのだろうか。


「その、もしも、の話なのですが」


「うん、言ってくれ」


「……もしも、今この里に神成の使徒が現れ、ここに住む亜人たちを狙ったとしたら、どうなるのでしょう」


 エノの言葉の意味が一瞬わからなかった。

 今ここに神成の使徒が? そうは言っても、連中はあらかたヒイロが始末すると言っていたし、俺らも少なくないダメージを与えた。再起を図るにしてもそんなにすぐには……。

 いや、そうでもないのかもしれない。そもそも神成の使徒の規模など俺にわかるものでもない。ひょっとすると想像している以上に巨大な組織で、森にいた奴らなどは氷山の一角なのかもしれない。

 それにパージが言ってた言葉がよみがえる。カインツは本部からの別の命令で動いていた……と。つまりあの森にいたのはあくまでパージの手の者であって、その本部と呼ばれるもっと巨大な組織の親玉がいるのだとしたら。


「……でも、人の目の届かない森で騒ぎを起こすならまだしも、こんな町中で堂々と仕掛けてくるようなことはしないだろ」


「なぜですか? わたしたちク族にとっての里は包囲されてしまいました。この里が違うとは言い切れないのではないでしょうか」


「エノさん、そうは言ってもリルにだって憲兵隊という治安維持集団がいるんですよ」


「そのけんぺいたいは、りょうしゅという方の指示に従うのではないのですか?」


 シャルマと目を見合わせた。

 嫌な汗が流れてくる。シャルマも酔いなど覚めてしまったようで、エノの言葉に目を見開いていた。


「憲兵隊が裏切ったらどうなる?」


「……普通に考えれば、冒険者が立ち上がるでしょうね。愛着のある町での、そんな馬鹿げた反乱を許す者は少ないでしょう」


「今は、ほとんど留守にしてるが……?」


 つまり、冒険者たちをハジャの森に集結させたのは、冒険者をどうにかするためではなく、町にいてもらっては邪魔になるから追い払った……と、いうことか?


「…………い、いやいやいや、さすがに、そんなことをしたら住人たちが黙っていないでしょう。遠からずヴェルリヤにその報せは行くでしょうし、ヴェルリヤの騎士団がリルまで出張ってきたら、さすがにそんな小規模な反乱なんてすぐに収まるでしょう。下手をしたらすぐさま戦争になりますよ!」


 俺は、国王の言葉を思い出していた。


『それほどの猶予はないはずだ。存在の秘匿に躍起になっている連中が、なりふり構わずシャーロットを襲ったのだ。何かしら差し迫った理由があったとしか思えぬ』


 差し迫った理由。強引にもシャーロットの口を封じようと暗殺しようとした理由。

 シャーロットはなぜ狙われたんだった?

 リルの領主が神成の使徒と繋がっているという情報を確かめるため、リルに向かう途中で、シャーロットは襲われた。そして辛くも逃げ延びたシャーロットは、確信をもってその情報を国に持ち帰る間に再び命を狙われた。

 なぜだ。

 そこまで強引な手を使わなくとも、誤魔化すことはできたのではないか。多少疑われるとしても、それでも王女を殺すほどのリスクを負ってまで……。

 いや、多少でも疑われるわけにはいかなかった? リルにヴェルリヤの目を向けさせるわけにはいかなかった?

 もう、動き出すまで秒読み段階だったから……?


「……戦争を、する気なんじゃないか?」


「え、ええっ!?」


「イファサって国は元からラズリスの領地を狙ってるんだろ? けど真っ向から戦争を仕掛ける体力がない。そういう話だったよな?」


 それは以前シャーロットから聞かされた話だ。そもそもイファサはこれまでに何度もラズリスと大小の争いをしている。今は協定が結ばれているだけで、そもそも国家間の関係としては最悪なのだ。

 つまり、戦うだけの力があればいつだって攻めてくる可能性がある……。


「今回のことでわかったけど、神成の使徒はあまりにも容易くラズリスに入り込んできている。あの森の連中が本隊だと考えるのはそもそもおかしい。……エノには悪いけど、たかだか森に隠れてる民族一つを滅ぼすためだけに、戦争を仕掛けようと暗躍しているような組織の本隊が派遣されるわけがないよな」


「……つまり、もっともっとたくさんの神成の使徒がラズリスには入り込んでいて、既にイファサと共に戦争を仕掛ける準備は整っていると、そういうことですか?」


 いつでも、仕掛けられる。想定よりも敵の行動は早かったのか。

 ……最も確実に戦争に勝利する方法はなんだ? 例えば将棋の盤の上の戦いで、歩同士の小競り合いや、桂馬や飛車角を使った攻防で互いに消耗するよりも、最も簡単な勝利方法は。

 既に相手の敵陣には姿を消した駒たちが多数潜んでいる。だとすれば、まるで小競り合いを起こしているように見せかけ、静かに近付いて盤面の裏側から玉を討ち取る。

 ならば、リルで起こるかもしれない騒乱すら、囮……?


「リルが敵国の手に落ちたと知ったらどうなる。国境沿いの肝要な町だ。すぐに取り戻さなけりゃガンガン敵の兵隊さんがやって来る……と、誰もが考える。シャルマの言う通り、すぐにヴェルリヤの騎士団が出てくるよな。そうなりゃヴェルリヤの防備が手薄になる」


「でも、既にラズリス国内には敵の間者が数多く潜伏している。守りの薄くなった王都に裏をかいて攻め込まれたら……」


 ゲームオーバーだ。

 たら、と冷えたジョッキの表面から水滴が零れ落ちた。


「……な、なーんちゃって」


「あ、あは……あはは、そ、そうですよね、あーびっくりしちゃいました」


 乾いた笑いを互いに発する。

 冗談だと思いたい。自分の考えがあまりにも荒唐無稽で、自分でおかしくなる。

 そもそも戦争のせの字も知らない地球育ちのこの俺が、フィクションなんかで鍛えたとはいえ、本物の戦争の、しかも国家規模の陰謀なんかを言い当てられるわけが――


 ドオン、と近くで何かが爆発する音が聞こえた。


「「ッ!!」」


 ガタッ、とシャルマと二人立ち上がる。

 ドン、ドン、ドオン、断続的に爆発音が鳴っている。窓ガラスから外を見ると、町の至る所から煙が上がっていた。


「……嘘だろ」


「チヒロさん! ……どうしますか」


 真剣な目でシャルマに見つめられた。

 どうしますか、だと。

 シャルマはこの劇的な状況の変化に際し、不思議なほどに冷静だった。俺が未だに回らぬ頭でいるのに対し、シャルマはリーダーの俺に指示を仰いでいる。

 つまり、戦うのか、逃げるのか。リルを守るのか、見捨てるのか。

 今までの仮説がもしも現実となっていた場合、俺たち三人でどうにかできる規模ではないかもしれない。町を見捨てて逃げるのであれば俺たちは助かるかもしれない。そもそもこの国の兵士でも何でもない俺たちには命を賭して戦うだけの理由がない。

 そこまで、考えて訊ねている。リーダーである俺の指示に従うために……。

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