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帰省、リルの町

 それからの旅はそれほど厳しいものではなかった。

 前回この道をヒイロの馬車で通った時には、その工程のほとんどを俺は馬車の中で意識を失って過ごしていたわけだが、ハジャの森とリルの間には小さな村がいくつかあったのだ。

 さすがに全員が休めるほどの大規模な宿があるわけではないので、比較的安全な村の外れを明け渡してもらって、そこで野営を行う。

 そして無理を言って大量の食糧を買い占めて、再び徒歩での旅を再開する。

 そんなことを丸々三日繰り返した。

 歩けずにいたほどの病人たちは、どうやら満足な食事をとれずに衰弱していただけだったようで、食料を与えると徐々に快復していた。シャルマによる気力調整による安定化もその助けとなっていたのだろう。

 今となっては二百人のク族たちは、その殆どが健常となっていたのだ。

 まあ、二百人もの難民たちを飢えさせないほどの食糧を調達するのには多少骨が折れたが。豊富なお小遣いをもらっておいて助かった。


「お、また冒険者たちだねえ」


 当然その接近には何時間も前から気付いていただろうメウが馬車の上にあぐらを組んで座りながら声をあげた。

 馬車の中は今は大量の食糧で埋め尽くされていて、人の乗れるようなスペースなど無い。つまりこのメウは俺たち大集団の中で唯一自分の足で歩かずに楽をしているのだ。とはいえそれに文句はない。

 気力感知には集中力を割く。おまけに起きている時間の殆どで気力感知を働かせてくれているので、実は気力の消耗が一番激しいのもメウなのだ。


「それにしても、この数の冒険者はいったいどういうことなんでしょうか」


 大人数を見て驚愕の表情を浮かべる冒険者に何でもないように一礼してすれ違う。さてこの驚愕の表情をこの三日で何回見たことか。


「やけに多いよな?」


「これだけの冒険者がハジャの森に向かうなんて、今までにない事態ですよ。下手したらリルの冒険者の殆どとすれ違ったんじゃないでしょうか」


「……ちょっと聞いて来るか」


 そう言い残し、未だぞろぞろと後方に続くク族の集団の真横をすり抜けて、今しがたすれ違った冒険者ご一行に追いつく。

 初めて見る民族だな、ハジャの森のク族じゃないか、などという雑談に花を咲かせていた若いヒト族の男の肩を叩いた。


「ああ? あんた、さっきすれ違った先頭にいた男じゃないか」


「おう、済まないんだがちょっと聞きたくてな」


「いやいや聞きたいのはこっちだよ。なんだぁ? この亜人たちの集団は」


 いかにも筋骨隆々なライオンっぽい亜人――確か、レオ族だった気がする――と、ちょっと年の行ったヒトの女性がその男のわきに立つ。

 三人チーム。ウチと同じか。


「ちょっと事情があってな、こいつら全員の護衛をしてるんだ」


「……ふうん、あんたも冒険者だろ? そんなクエストあったかな」


「まあな。って、それは置いといて、お宅らもハジャの森に行くのか? ここ数日でめちゃくちゃたくさんの数の冒険者とすれ違ったんだが」


 男はチームメンバーのレオ族の男と、ヒト族の女と目を見合わせた。


「なんだ、知らないのか? 今、緊急のクエストがリルの領主から発令されてるんだ。どうにもここ最近の魔獣の異様な増加現象のせいで、近隣の村に見逃せない被害が出てるらしくてな。ハジャの森の魔獣達を殲滅する、ってんで、リルでたむろしてた冒険者は殆ど受注して森に向かってんだぜ」


「……緊急のクエスト、だと?」


 しかもリルの領主から、と来た。当然その領主とやらには心当たりがある。

 直接この目で見たことはないが、インディゴ王とシャーロットから聞かされていた、あのイファサや神成の使徒と繋がりがあるのではないかと疑われているネルソンという男のことだ。


「小物なら十体毎の討伐で500ジェム。おまけに大型の魔獣なら素材を持ち帰れば1000ジェムだ。魔獣の素材の買取だって数倍に値上がりしてる。とんでもねえだろ? あんたらもその亜人たちの護衛が終わったらもう一回来たらいいぜ、がっぽり稼ぎ時だ」


 男はニヤリと口元を曲げて不敵に笑った。

 領主からのクエストで、法外な報酬。その内容がハジャの森の魔獣の殲滅? 確かに森に魔獣が増えているというのは事実らしいが、かといって金をばらまくような真似をしてまで領主が強引に解決したいというのはどういうことなのか。

 いったい何が目的だ?


「ああー……もしかしてあんたらも似たようなクエストだったか。確かに森に俺たち冒険者が大勢入って暴れまくったら、そこに住んでるク族たちはたまったもんじゃないしな。そいつらを連れ出して避難するクエストだったってわけだ」


「……あ、ああ、まあそんなところだ」


 実際はそんなことは全くないのだが、とりあえずここは話を合わせておく。

 話は終わったと思ったのか、その三人チームの冒険者たちは、すれ違うク族達を珍しそうに好奇の目で見ながら去って行った。

 その背中を目で追う。

 ぼーっと立ち尽くす俺にちょっかいをかけてくるク族の子供たちを仕返しにこちょこちょしてやりながら、俺は何やら変な胸騒ぎを覚えていた。


   ◇


 そしてその日の夕方、ついにリルの町が見えて来た。

 この世界に来たばかりに渡った因縁深い石橋を越え、都合二度目の景色になる。


「じゃあおっさん、よろしく頼む。金は弾むからな」


「おうとも。しかしこんなに長い付き合いになるとは思ってなかったぜ、ガハハ」


 御者のおっさんとは町の入り口で別れた。シャーロットから借りている馬車と馬はおっさんに預け、御者仲間に掛け合って二百人が移動できる分の馬車を用意してもらう手はずになっている。

 早ければ明日、それがダメでも明後日には出発できるだろう。

 ク族のみんなは殆どが生まれて初めて自分たち以外の民族が多く住む場所を目にしているのだろう。驚きで目を丸くしていた。

 確かにあんな森の奥地に隠れ住んでいたのだから、レンガ造りの建物一つとってもカルチャーショックなのかもしれない。

 ここ数日ですっかり仲良くなった……というか一方的に懐かれた子犬のように元気な子供たちも、すげーすげーと大声をあげて喜んでいるようだ。

 ヒト族を嫌って臆病だったのはむしろ年寄り世代の方で、若い世代であるほどそれほど抵抗なく新しい生活を受け入れられるかもしれないな。


「さて、こんだけの大人数が泊まれる宿はあるだろうかね」


 こちらは俺たちチームを含めると全部で二百十四名。それほど大きな町ではないリルでは、さすがにこの人数が一所に泊まるのは無理かもしれない。観光地の大型ホテルとかがあればまた違うんだろうけども。

 とはいえいつまでも東門付近で謎の集団を引き連れてたむろしているわけにもいかない。門番に文句を言われる前に目的地を定めたいのだが。


「冒険者ギルドが出資している大型の宿泊施設なら、もしかしたら全員入ることが出来るかもしれませんね。特に今は冒険者も少ないようですし」


 俺の呟きにシャルマが答える。

 確かにリルにはいつものような活気が無くなっていた。大通りを歩く人の波は相変わらずなのだが、そこには冒険者たち特有の騒がしさというか、がさつさのようなものはない。

 あくまでリルに最初から定住している住人たちが殆どのようだ。

 と、そんなことを考えているとイナさんが近付いてきた。


「チヒロ様、我々は今やチヒロ様の恩情によって守られている身。宿などという贅沢はとても言いませんとも」


「……うーん、そう言われてもな。森にずっと住んでたあんたらは実感がわかないかもしれないが、屋根のないところで野宿をするってのはあんまり褒められたことじゃない。特にこういったきちんとした生活環境の整っている場所ではな。いきなり現れたよくわからない集団が町の外れでキャンプして野営するのを見逃してくれるほど、憲兵さんも甘くないと思うぞ」


「な、なんですと……!」


 イナさんは衝撃に打たれたように硬直してしまった。森と共に生きて来た彼らにいきなり文明レベルを三つくらい飛び越させるのはさすがに酷だったか。とはいえこれからはこの国で一番栄えてるヴェルリヤに移り住んでもらうのだ。少しずつでも慣れて行ってもらわなくては。


「そのギルドの宿泊施設とやらはどれくらいの宿レベルなんだ? あんまりにも貧相過ぎると俺の良心が痛むんだけどさ」


「うーんそうですね、荒くれた冒険者がとりあえず寝れればいい、という程度なので、あまり期待はできませんね。食事は出るでしょうが、大部屋ですし寛げないかもしれません」


 野宿よりはよほどマシでしょうけど、とシャルマ。

 ク族の彼らを守ってやるとは言ったが、さすがにこれだけの大人数を高級宿に連れて行くわけにもいかない。それにいくつかの宿に分散されるよりは、一つの宿に集中してもらった方が何かと都合もいい。

 仕方がない。あんまりいい環境ではなさそうだが、野宿よりマシなら今夜一晩はそこで我慢してもらおう。


「はーい皆さん傾注! これからみんなを今日寝る場所に案内する。どうやら飯も出るようだし、とりあえず心配はないと思う。ただし大部屋らしいのでプライバシーは無いかもしれん。女性の皆さんはお隣の狼に注意するように」


 俺が小粋なジョークのつもりで言うと、微かに笑い声。ややウケ。どうやらク族には下ネタはウケが悪いっぽい。

 ……と思ったら若い男女が何組か隣合っていて、なんだかお互いを意識しているご様子。うーん、冗談のつもりだったのだが本当にケダモノになるようならそれはそれで問題かしら。

 とはいえ、それぞれの表情は数日前に比べると断然に明るい。みんな少しずつでもあの悪夢の夜を乗り越え始めているようだ。それ自体は前向きに捉えよう。


「それでは出発しまーす」


 シャルマに案内を頼んで、その宿泊施設とやらに向かう。

 人ごみの中をク族を連れて歩くとこれまでに無いほどの多くの目が集まる。大人数だからというより、やはりク族だから、ということが原因のようだ。殆ど目にしない民族だから注目を引くのも仕方ない。

 見慣れた噴水広場を通り、露店に吸い込まれていくメウの首根っこを掴んで引っ張り戻し、ギルドにほど近い大型の木造の建物に到着した。東門から南区域までなので結構な距離だった。

 ヴェルリヤへ旅立って以降しばらくぶりのリルだったが、冒険者の姿が見えないだけで特にこれと言って変わったことはないようだ。まあ、ほんの数週間の小旅行だったしな。

 冒険者ギルドが手を入れているという宿泊施設は、外観こそそこそこまともだが、外からだと窓が一つしかないので中の様子はあまりわからない。その窓も薄汚れてヒビが入っていたりするので、正直パッと見て入りたいと思わせるような様相ではない。とはいえまぁ今日はここしか選択肢がなさそうなので仕方がないか。

 俺は宿の外に皆を待たせて中に入った。木造の扉がキィと音を立てて開く。中は明かりも少ない。いかにも安宿でございます、といった雰囲気だ。


「らっしゃい」


「ども」


 愛想もなく、床を拭いて掃除していた初老の男が入店に気付いて近付いてきた。


「人数は?」


 あらゆる接客マニュアルをすっ飛ばし、用件だけを尋ねてくる。乱暴な者も多い冒険者を毎日相手にしてるとこうなってしまうのか。


「二百ちょっとなんだけど」


「……え? なんだって、もう一回言ってくれ」


「二百人以上いるんだけど、部屋はあるか?」


 小指で耳をほじってもう一度聞いてくる店主に、俺は肩をすくめながら答えた。

 店主は汚れた上にところどころヒビの入ったガラス窓の向こうにいる大所帯を目にとめ、ギョっとした。


「あれ全部か?」


「そう、とりあえず一泊。もしかしたら二泊かもしんないけど」


 腕を組んでうんうん唸る店主。


「大部屋でいいなら、押し込めば入るかも知んねえけどな。ちょいと窮屈だぜ」


「それってどれくらい?」


「……普通なら二十人入る部屋が十部屋空いてる。藁布団なら予備があるから、地べたに寝かせるってこたねえけどな」


 なるほど、それなら大丈夫そうだ。数は多いとはいえこちらには子供も多い。それほど窮屈にはならないだろう。

 二十人部屋に二十一人入って、二百十人。一番余裕のある部屋にもう一人なんとか入ってもらって、それで二百十一人のク族全員だ。何とかなるだろう。彼らには窮屈を強いるようで悪いが、まあ一晩くらいなら我慢してもらえるだろう。

 万が一の危険がないか近くで待機しておきたい気持ちもあるが、さすがにその手狭な部屋に更に俺たちが入るような隙間もないだろう。申し訳ないが俺たちチームの三人は別の宿を使わせてもらうことにしよう。……つばめ亭のシノちゃんにもぜひ会っておきたいし。


「それにしても……見たことねえ亜人だな」


「ああ、ク族だよ」


「ク族!? あの、ハジャの森から何百年も出てきてねえっていう、あの?」


「ちょっと事情があってな。ご存知の通り人里に慣れてないから、迷惑かけたらすまん。大抵のことなら弁償するから」


 人の宿で何する気だよ、とぶつくさ言いながら店主は店の奥へと消えていく。やがて両手でたくさんの鍵をジャラジャラと鳴らしながら持って帰って来た。

 つばめ亭と同じくシンプルな形状の鉄製の鍵だ。取っ手部分に輪が開いて、そこから紐でつながっている木版にそれぞれの部屋の名前が書いてある。俺には読めないが。


「金はあるんだろうな、この人数だと安宿っつってもそれなりにするぜ」


「いくらだ?」


「朝晩のメシ付きで一部屋50ジェム。十部屋だから500ジェムだ。ああいや、少しオーバーしてるならメシ代は余分にもらう。510ジェムだ」


「はいよ」


 財布の中から赤紙幣五枚と青紙幣一枚を取り出す。

 思えばこの世界に来た時にはこの500ジェム片手に最初の冒険の準備を始めたものだ。国王たちの善意によるものとはいえ、大金持ちになった今ではこれくらいの出費はたいして痛くない。

 とはいえ財布の中にはもう細かいお金しか残っていない。この数日の旅の間に各村々で買い占めた食料も莫大な量だったので、それなりの出費だったのだ。

 残されているのは気軽に使えないような10万ジェムの金貨。さて、どこかでこれを使い勝手のいいサイズに両替しないとマズいんだよな……。さすがにそこらのお食事処とか雑貨屋なんかで、家一軒建つほどの金貨で支払ってお釣りが帰って来るとも思えないし。

 それにしてもこの宿は想定していたよりも安い。つばめ亭が一泊20ジェムだったことを考えると、一人頭で考えると軽く十分の一だ。本当に寝れればいい程度の設備しかないと考えた方がいいな……。


「じゃ、ちょっくら呼んでくるわ」


 そう言って木製の扉から出て、ざわざわと雑談に花を咲かせていたク族たちの元へと戻る。

 ここまで町の中を歩いてきて、見たこともないような珍しいものもたくさんあったのか、にわかに興奮したような様子だ。

 うんうん、わかるぞ、俺もこの町に来たばかりの頃はそうだった。


「部屋を借りて来た。二十人部屋が十あるらしいんだが、なんとかキュっと詰めて入ってくれるか?」


「ええ、ええ、もちろんでございますとも。我々のためにありがとうございます」


 イナさんは感激したように俺の手を取って来て言った。

 元よりイナさんは森を出るという意見の持ち主だった。意を決して森から出て、ヒトの町を見たことでことさら感動があるのかもしれない。

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