パージと、アジュール
総合評価100pt達成いたしました!
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※総合評価100pt達成記念に本日は三話投稿します※
「おお、チヒロ殿、無事であるか!」
駆って来た馬から降りて、俺の姿を目にとめたアジュールが叫んだ。
その姿を見たメウが、うわ……と小さく呟いたのを俺は聞き逃さなかった。どうやらあの暑苦しさに辟易しているのは俺一人ではなかったようだ。
「アジュール、それに騎士団のみんなも、来てくれたのか」
「当然である。共に研鑽し合った仲ではないか! してチヒロ殿、神成の使徒の尻尾は掴めたか!?」
ぞろぞろと辺りに馬を停めて、百人あまりの王国騎士団が整列していく。騎士団全体の数からすれば百という数はそれほど多いわけではないが、騎士団長のアジュールを送り出してくれたということは国王の本気さが窺い知れる。
準備を整えて後発した騎士団だったが、やはり馬車とは違い一人一頭の馬を駆っているから行軍速度も速かったのだろう。思いの外お早い到着となったようだ。
さて、なんと言ったものか。さすがに俺も到着したその晩にカタが付くとは思っていなかった。
「えーっと、アジュール、長旅お疲れ様。実はそのことなんだが……」
「むむ! チヒロ殿、あそこに固まっているのはもしやク族では!?」
アジュールが目ざとくク族たちのキャンプに目を向けた。それを聞いて後方の騎士団たちからも、『おお……』、『初めて見たぞ』、『本当にハジャの森に住んでいたのか』、『あの桃色の髪の子、可愛いなあ』、などといったどよめきが次々と上がる。
「ク族の救出には成功したのだな! さすがはチヒロ殿、仕事が早い! よし、それでは後は神成の使徒を殲滅するだけである!」
「いや、だからアジュール、ちょっと待って」
それから士気高く今にも騎士団を連れて森の中に突入しようとしているアジュールを必死で止め、キャンプには全員が入れないので他の騎士団の連中には森の外で待機してもらい、現状の説明を行った。
当初は既に神成の使徒の危機がひとまず無くなったことに驚いていたアジュールだが、段々と冷静になって状況を把握してくれた。
「せっかく来てもらったのに悪いな」
「何を言うか! ク族の皆も無事、チヒロ殿たちも無事、そして神成の使徒を追い返したというのだから……これ以上にない大勝利ではないか!」
などと嬉しいことを言ってくれる。
本当はヒイロの介入による幸運で拾った勝利ではあったのだが、まあ敢えてそれを言う必要もあるまい。
「しかし、やはりそうか。神成の使徒を率いていたのはパージ様であったのだな……」
そして、昨晩の話をする中で避けて通れないのがパージの話だった。
その名を聞いたアジュールは、目を見開いたように衝撃を受けたようだったが、やがてアジュールらしくない真剣な面持ちとなった。
「パージは、やっぱ本当にラズリスの王子だったんだな」
「うむ、その通りだ。もう十年以上も前になるだろうか……本当にお優しく、臣下の者や騎士団、身分の低い出入りの者などにも気軽にお声をかけてくださる方だったのだが」
「……何かあったのか?」
俺の頭の中には、神の声とやらを聞いて狂った教義に突き動かされるあの男の姿しかない。確かに言葉の端々に理知的な思考が見え隠れしていたのは認める。だが、やはりあの男の正気を失ったようなギラついた瞳の輝きは……。思い返してみてもなぜ自分が生き残れたのかが不思議なほどだ。
「ある日を境にパージ様の様子がおかしくなり、段々と城の中の亜人に冷たく当たるようになった。あのお優しかったパージ様が、まさしく民族差別主義者のように変貌してしまったのだ。……そして時を同じくして、城内の亜人たちが姿を消す事件が相次いだ」
ヴェルリヤの城には確かに亜人の姿は少なくない。城内の清掃をする者や、厨房に立つ者、何より騎士団にだって亜人は数多い。
俺は一つの予感を持ちながら、ごくりと喉を鳴らした。
「……とある朝、パージ様のお姿が見えないのでお付きの騎士が城内中を探して回った。パージ様がふらっと姿を見せなくするのは時折あることだったが、亜人たちの行方不明事件も多かったのでな。嫌な予感がしたのだ。そして城の中でも今は使われずに物置になっている部屋の中で、パージ様は見つかった。……それまで急に姿を消したと思われていた亜人達。その死体が山のように積み上げられている横で、パージ様は血塗れになって不気味に笑っていたのだ」
「…………っ」
その光景は、ありありと想像できた。
あの男ならやりかねない、と。
「……実はその当時、パージ様のお付きだったのはこの私でな」
「えっ……?」
「私は混乱したよ。誰にでもお優しかったパージ様が、なぜこんな馬鹿げたことを、と。縋りついて問い詰める私に向かって、パージ様はこう仰ったのだ――」
『お前には神の声が聞こえないのか?』
背筋に悪寒が走った。
「パージ様は止める私を斬り付け、そのまま城から……いや、ヴェルリヤから姿を消した。それから数年の時が経ってからのことだ。あの謎の多い神成の使徒と名乗る集団の中に、濃い青の髪と金色の瞳を持つ幹部がいるという情報が密偵より届けられたのは」
「……国の王子が危険な組織の幹部になってるだなんて、相当な混乱を引き起こしたんじゃ?」
「いや、このことを知っているのは私と、国王、そして城の中でもバルナス様などの上層部にいる臣下五名ほどだ。パージ様は未だに行方不明になった、という話で通されている。まさか国の王子が亜人殲滅の秘密組織にいるなどと知られるわけにもいかぬのでな」
つまり、パージが神成の使徒となった話は元より、城内で亜人たちを殺したということも伏せられている、ということだろう。
……それもそうだ。亜人たちへの自由を謳うラズリスという国の王子が、城の中で亜人たちを殺戮した上に、反亜人組織の幹部になっているなどと言えるわけがない。
「……それじゃ、もしかして、シャーロットも知らないのか」
「うむ。パージ様が姿を消した時、シャーロット様はまだ五歳だった。敢えてお尋ねするような真似はせぬが、何も覚えていないかもしれぬ。もしかするとパージ様のお顔さえも……」
狂ってしまったはずのパージは、今でもまだ妹であるシャーロットのことを気にかけていたように思う。
現にヒイロの介入でうやむやになったが、シャーロットを救った俺に免じてあの場は引き下がる、とまで口にしたのだ。あれほどの狂人が、である。
もしかしてパージの中には、まだ理性が残されているのではないか。
……いや、これはあまりにも甘過ぎる考え方だ。今度あの化け物に相対したとき、殺されずに済む確証などどこにもないのだ。
「妹君である第一王女マリアンヌ様と第二王女シャーロット様、そのお二人をパージ様は溺愛していらっしゃったのだがな……なんとも心苦しいものである」
「……あんたが気に病む話じゃないさ」
俺はこの言葉が気やすめだと十分理解した上で、その言葉をかけた。パージのお付きの騎士であったアジュールは……その決定的な事件の瞬間に居合わせたのだ。いったいどれほどの心労があったかなどと俺にはその片鱗を想像することすら難しい。
「さてチヒロ殿、血生臭い昔話はこれくらいにしようではないか。それでこのク族たちのことだが、ヴェルリヤに迎え入れて欲しいと?」
「あ、ああ、そうなんだ。もう森は安全な場所じゃない。またいつ神成の使徒が襲って来るかわかったもんじゃないし、匿ってくれる場所が必要だ。何とか頼めないか」
パージの話に得体の知れない気持ち悪さを感じていたが、議題がク族たちの話になって俺は気を取り直した。今一番大事なのは俺の知らない過去の話ではなくこれからの話だ。俺には、俺を信じて頼ってくれるたくさんの者達がいるのだから。
「国王様であればきっと受け入れてくださるだろう。とはいえこの人数をいきなり、というのは難しいかもしれんな。……よし、なれば我らは転進していち早くヴェルリヤに戻ろう。私は国王様に事の顛末を報告し、ク族の受け入れの準備を進めておく。チヒロ殿の任務が無事完了したことも伝えておくので安心するがいい!」
と、俺が懸念していたことを次々とクリアしてくれるアジュール。暑苦しさだけが欠点だが、アジュールはやはり情に厚いし面倒見もいい。彼に任せておけば安心だろう。
どうやら俺と王国騎士団との交渉が円満に進んだことをク族のみんなも聞きつけていたらしい、後ろで何やらがやがやと騒がしくなっている。
昨日の今日でやはり緊張と不安で張り詰めていたのだろう。ようやくそれが解されていくような気配だった。
「チヒロ殿たちは……そうだな、ここからなら一度リルに寄った方がいいだろうな。この人数でヴェルリヤまでの街道を進むのは大変だ。馬車を借りた方がいだろう」
「あー……確かに。まとまった食料も必要だろうしな」
高級な四頭引きの馬車で目一杯飛ばして五日の日程だったのだ。遠回りになったとしても、食料を用意して馬車で移動しなければ途中でバテてしまうだろう。怪我を治療したばかりの者や、長引く飢饉のせいで地の体力が落ちている者も大勢いるのだ。
「では、ヴェルリヤで再び会おう、チヒロ殿!」
そう言ってアジュールは騎士団を率いて帰って行った。
わざわざ数日掛けて行軍してきてくれたみんなには、ありがたい気持ちと申し訳なさで頭も上がらない。またヴェルリヤに戻った時にはきちんと礼を言おう。
ク族たちに関してはアジュールに任せておけば安心だろう。あいつはあれで騎士団長なのだ。
「チヒロ、なんかまた別の集団が近付いてきてるみたい」
と、騎士団を見送っているとメウが報告にやって来た。
「この方角は……リルからかも。五人くらい。多分馬車で移動してる」
「リルから?」
メウの索敵が正常に機能しているのなら、その気力をかなり離れた位置から把握することが出来る。
しかし五人規模とは……神成の使徒とはまた違うのだろうか。他に心当たりはない。
「もしかして、冒険者じゃないでしょうか?」
「あ、そうか……リルから来てるってことはそういうこともあるのか」
シャルマの言葉は腑に落ちた。辺境の地であるリルが賑わっているのは、ハジャの森とそれを越えたクジャの森の調査のために集まった冒険者たちによるところが多い。
それに五人規模となると、冒険者のチーム単位としては平均的なものだ。
仮に敵意を持った集団だとしても、その数ならば俺たち三人で何とかなるだろう。
「一応メウは警戒を続けててくれ。俺たちはこれからク族のみんなを連れて一度リルに帰還する。そこで準備を整えてからヴェルリヤに出発だ」
「おっけー」
「わかりました」
メウとシャルマは移動の準備を始めた。
俺は少し離れたところで俺の様子を窺っていたエノとイナさんの元に行く。
「ク族のみんなは大丈夫そうか」
「ええ、チヒロ様。巫女様の決定に従うつもりでございますとも。……とはいえ森から出たことがない者が大半、世間しらずな者ばかりなのでご迷惑をおかけしてしまうかもしれませんが」
「まあ、それは追々だな。俺だって似たようなもんだ」
自嘲するように軽く笑うが、イナさんには俺の言葉の意味は分からないだろう。
「大きな危険はないと思うが、もしまたあいつらが現れても危なくないように、なるべく固まって動く。怪我人や病人はあんたたちで面倒見れるか?」
「お任せくだされ。そこまでご面倒をおかけするわけにもいきませんので」
イナさんは胸を叩いてそう言った。
「エノも動けるか? 体はつらくないか?」
「ご心配なさらないでください、チヒロ様。このエノはあなたがついて来い、と一言申されれば、どこまででもお供致します」
「お、そ、そうか」
そういう重たい意味で言ったわけではないのだが。
そうしてほんの十数分をかけて準備を整えた俺たちは、途中の岩陰で休息を取っていた御者を呼んで、リルへの移動を開始した。
さすがに体力の少ない病人や子供たちなんかは馬車の中で休ませる。決して短くはない道のりだ。休みを挟んで歩いても三日はかかるだろう。
ちなみに数時間後にすれ違った集団は、シャルマの言う通りに冒険者のチームだった。数百人の数で民族大移動をする俺たちに面食らったようだが、特にこれと言った大事にはならなかった。




