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求める声、差し伸べる手

「あ、チヒロ! なに女の子に抱き着いてんの!」


 と、能天気な声が頭上から。

 子供たちとの鬼ごっこに明け暮れていたメウは、追われる側となったことで木の上に逃げていたのだ。何と卑怯な奴。

 バサバサっと数本の枝を巻き込みながら着地してくる。


「見てわかんない? 俺が抱き着かれてんの。モテるから」


「意味わかんない。バカなの?」


 メウのほっぺたを反射的につねりあげたくなったが、泣きじゃくるエノに抱き着かれて身動きが取れないので願いはかなわなかった。


「その子、エノ……だっけ、起きたんだ」


「ああ、一時はどうなるかと思ったが何とかな」


 てとてと、と近付いて、俺に抱き着くエノの顔を覗き込む。


「おいやめろ、落ち着くまでちょっかい出すんじゃない」


「そんなことしないし」


 メウとしてはエノと面識もあったようだし、彼女なりに心配しているのだろう。

 じーっとエノの横顔を見つめている。

 あ、そういえばク族とミャウ族ってどうなんだ。犬と猫は仲が悪いとよく言うが、もしかしてこいつらも相性が悪かったりするんだろうか。


「えい」


 と言って、メウはエノのほっぺたをぎゅっと突っついた。


「きゃうっ」


 それにエノは驚いたようで、掴んでいた俺の服を離した。あーあ、せっかくの女の子の感触が無くなっちゃったよ。


「ちょっかい出すな、つったろ」


「いやなんか、無意識で」


「え、え? あれっ?」


 メウは後でダブルほっぺ五秒の刑に処す。それはそれとて、感情が爆発して泣くばかりだったエノは、突然の刺激に両目をパチパチとさせて辺りを確認していた。

 今まで抱き着いていた俺と目が合う。

 ぼっ、という音が聞こえるかと思うほどに、急激に彼女の頬が真っ赤になった。


「こ、これは、どういうことです!?」


「あ、ああ、エノさん落ち着いてください!」


 急激に現実感が襲ってきたのだろう、両手を頭に当てて困惑の極みという様相のエノを落ち着かせるように、シャルマがその肩に手を当てた。


「ひゃっ、あ、て、天使様……」


「い、いえ、私は天使ではなくシャルマです」


「しゃ、シャルマ……様? あの、こ、ここは天国では……」


「エノ」


 安心させるように彼女の手を取った。俺に呼ばれて手を取られたことにびくっと肩を震わせて、こちらを向く。

 かーっと、また更に赤面した。今まで子供のように胸の中で泣いていたことが余程恥ずかしいのか。


「もう一回聞くが、俺がわかるな?」


「は、はい、チヒロ様……」


「エノ、お前は死んでない。ここはハジャの森の外れだ」


 ぎゅっと手を握りしめる。これが夢でもなく、そしてここが天国でもない、ということが伝わるように。

 そしておずおずと周りの景色を確かめるように、ぐるりとその場を見回した。

 心配そうにエノを見ていた他のク族たちは、エノに見られるとすっと目線を逸らしてしまった。

 まだ、先は長そうだ。


「あっ、あなたは……確か」


「うん、メウだよ。さっきはあたしの話を信じてくれてありがとうね」


 面識があるメウと目が合うと、事態がようやく飲み込めてきたようで、エノは落ち着き始めた。

 そしてそれは残酷なことに、昨晩の出来事が夢でも何でもないということを自覚させることになる。


「あ、ああ……わたし、あの……ぁ、ぁああ」


 突然ぶるりと全身を震わせたと思うと、今度はまた違う意味で取り乱し始める。

 ……自分に起こった辛い出来事を思い出してしまったのだろう。


「エノ、落ち着いて。俺の目をしっかり見て」


「ち、チヒロ様……」


 少し強めに手を握る。もしかしたらちょっと痛かったかもしれない。

 けれど自意識を手放しそうになっている彼女には少しくらいの刺激は必要だ。


「もう大丈夫だ。お前たちを苦しめる奴らはもういない」


「ああ、ああ……チヒロ様」


 そう言うと、止まったと思った涙がまたぽろりと零れた。


「……夢では」


「うん?」


「夢では、無かったのですね……」


 夢だと思いたかっただろう。

 あれだけの辛い思いをしたのだ。一生消えないほどの心の傷を負ったのだ。夢ならどれだけよかったか。

 俺はエノの言葉をそういう意味だと思った。どんな言葉なら彼女の痛みを癒せるだろう。そう考えた。けれどそんな言葉は見つからない。

 しかしエノの言葉の意味は違っていた。


「助けて、助けて、と心の中で強く思っていました。わたしはただの臆病な小娘で、何に抗う力もなくて。助けてほしい。あの時のように助けてほしい。そんな都合の良いことを考えていました。薄れゆく意識の中、ああ、このままわたしは死ぬのだろうと思って……目を瞑りました」


「…………」


「けれど、あの時、わたしを呼ぶ声がして……なんと都合のいい夢かと。わたしが見捨ててしまったあなた様が、助けに来てくださっただなんて……」


 あの時の、憔悴しきったエノと目が合った時のことだろう。あの時の俺は無力感に打ちのめされていた。けれどエノの胸中はそうではなかったのか。


「救われた、思いでした。臆病なわたしが、皆を守るためにありったけの勇気を振り絞って……。あなた様の、ようになりたくて……。そしてそれは間違ってなかったのだと、あなた様に言われた気がしたのです。……許された気がしたのです」


 メウもシャルマも、黙りこくってエノの言葉を聞いている。

 二人ともあの悲惨なエノの姿は眼にしていないが、きっと何が起こったのかは理解できている。


「チヒロ様、あなた様はわたしを助けに来てくださった。本当に嬉しかった。あれが夢ではなくて、本当に良かった……」


 そう言って、エノは涙をこぼしながら笑った。

 初めて見るエノの笑顔だった。それはまるであどけない少女のようだった。

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