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死闘、明けて

 ハジャの森の最西端、木々の群生が終わる辺り。ここからは森というよりも林になり、ほんの少し歩くと草原となる。そんな変わり目の近くにたき火を焚いて休息する集団があった。

 近くで一番高い木の上に登って、周囲の気配を感知しているのはメウ。

 火の近くで怪我人の治療を行っているのはシャルマ。

 そして警戒のために等間隔に立って即席キャンプを警護するク族の男たち。

 悪夢のさなか目が覚めた、という風に蒼白な顔をする女たち。

 幸か不幸か、ドロノアという神成の使徒の一人によって起こされた惨劇は多数の命を奪ったものの、それでも生き延びた人数はそれなりに多かった。

 即席のキャンプ地には二百人ほどのク族が集まっていた。

 メウの高性能な気力感知と、シャルマによる適切な誘導で、逃げ延びた全てのク族と共にここまでやって来たのだ。


「あっ、チヒロだ! おーい!」


 木の上からメウに声をかけられる。

 怪我をしていた老人の治療をしていたシャルマも、その声に顔をあげた。


「無事で何よりです、チヒロさん」


 そして夜が明ける頃、薄っすらと黒から濃い青へと空の色が変わり始めた時には、俺は皆が待つ避難所まで追い付いたのだった。

 メウは軽やかに木の上から着地して、シャルマと共に駆け寄って来た。


「二人とも、心配かけたな。ク族のみんなを助け出してくれてありがとう。……悪い、カッコつけた癖に負けちまったよ」


「いえ、チヒロさんが生きて帰って来てくれて、本当に良かった……私、さすがにもうダメかと」


「……あーあ、シャルマ、なんか真面目なコト言っちゃって。せっかくチヒロをからかうチャンスだったのに」


 ぐりぐり、とメウの頭を乱暴に撫でてやる。

 やめろ~、と言いながらも、その顔は笑っていた。


「そちらの方が?」


 と、シャルマは俺が背負っていたエノを見た。


「ああ、俺がどうしても助けたいと思ってた女の子だ」


 以前彼女が着ていた気がする若草色の着物が近くに落ちていたので、多少土で汚れてはいたがさすがに裸のまま連れてくるわけにはいくまいと、それを着せていた。

 ちなみに裸の女性をこの目で見たのは生まれて初めての経験だったので、命が助かったと安堵してからは恥ずかしい気持ちでいっぱいだった。

 ……エノに服を着せる時にはシャルマとの通信用のカードは横に置いておいたくらいだ。


「あれ、この子……」


「ん、メウ、どうした」


「あたしがク族のみんなに危険を知らせに行ったとき、あたしの言葉を信じてくれた子だ」


 その言葉を聞いた何人かのク族たちが、疲れた体を起こしてざわざわと近付いてきた。

 若い女の子ならいいが、男や老人の頭に獣耳が生えているのは何ともシュールだ。


「巫女様……」


「おお、巫女様が!」


 と、口々にエノの姿を見て安堵するように言う。

 その騒ぎを聞きつけたのか、寝ていた者や怪我で動けない者達まで他の人に肩を借りながら集まって来た。


「……ク族のみんな、すまない。助けられたのは彼女だけだ。他のク族たちは……」


 辺りに重苦しい沈黙が流れた。

 彼らだってそれは理解していただろう。それでもきっと、取り残された者や、逃げる際にはぐれた仲間たちがやって来るのを心のどこかで期待していたのかもしれない。


「我々のために命を賭して残ってくださった巫女様が、帰って来られた。それだけでも十分幸運だったのだ」


 そんな沈黙を破ったのは、老齢の男だった。


「……あんたは?」


「わしはイナ。一応、ク族の中のまとめ役のようなものをしております」


「そうか……」


 イナと名乗ったク族の老人は、悲痛な表情を押し隠している。

 まとめ役、と言うからにはきっと村長のような役目を持った者なんだろう。大勢の仲間を失った悲しみに暮れている生き残った者たちのためにも、強くあろうとしているようだ。

 俺はこれからのク族のために伝えなければいけないことがあった。一晩、エノを背負って森を歩きながら考えていたことだ。きっとそれを伝えるのなら彼が適任だろう。


「イナさん。ちょっと話がしたい。いいか?」


 こくり、とイナさんが頷く。


「シャルマ、エノを頼む。一命はとりとめたと思うが、出血が激しかったせいで顔が真っ白だ。見ててやってくれ」


「わかりました」


 背負っていたエノをシャルマに任せ、俺はキャンプの外れまでイナさんを連れ出した。

 ここでいいか、と立ち止まると、イナさんの方から話しかけてきた。


「チヒロ様、と仰いましたか。……この度は、なんと御礼を申し上げていいものか」


「いや、礼を言われるようなことはしてないさ。結局、俺の力が足りずに多くの犠牲を出してしまったんだからな……」


「それでも、今この場にいるク族の民たちは、チヒロ様に感謝しておりますとも」


 そう言われると、何とも言えない気持ちだ。

 結局救えなかった多くの命があることに違いはない。


「……ク族は、これからどうするつもりだ?」


「まだ、傷も癒えてはおりません。体の傷も、心の傷も。ですが、いずれまた安全な場所に身を隠して……」


「イナさん、ク族がヒトを避けて森に隠れ住んでいる民族というのは理解している。けれど今回のことでわかっただろ? あいつらはまた襲って来るかもしれない。本当に安全な場所は、もう森じゃないんだ」


 これはずっと考えていたことだ。亜人を嫌い、滅ぼそうとする奴らがいる限り、逃げの一手は悪手でしかない。対話が可能ならそれも手だろうが、あいつらは利益や真っ当な理由で動いているわけではない。狂った教義に突き動かされる狂信者たちなのだ。知性はあっても理性はない。

 ならばどうするか。

 立ち向かうしかない。戦う力が無いのなら、戦える者に頼ればいい。


「……つまり、ヒトの里に降りろ、ということですかな」


「それしかないと思う」


「…………」


 そう簡単にいく問題ではないかもしれない。

 そもそも一度ヒトに裏切られて逃げ延びて来た民族だ。数百年も前の出来事とはいえ、その禍根はまだ残っているのだろう。しかしそれでも、彼らを守るためには森という要塞はもはや安全ではない。


「……わし個人としては、それもやむなしと考えます。実は以前より魔獣が増えて安全ではなくなった森にいつまでも住み続けるのは無理があるのではないか、と考えていたのです。だが、実のところ今回のことでヒトに対する復讐心を持った若い者も少なくはない」


「それ、は……」


「わかっております。我らを襲ったのは神成の使徒という、彼のカナル王を崇拝する集団だと。ですが、それを理解することと、皆の心の傷はまた別物なのです」


 彼らを守るためには、森にこもられては難しい。

 俺が常に森にい続けるのも不可能だし、いつまた奴らが襲って来るかはわからない。それに今回はヒイロに助けられたが、もしまたあのパージと戦うことになったとしたら……俺一人の力ではどうしようもないかもしれない。


「俺としては、みんなでヴェルリヤの国王に庇護を求めるのが一番いい手だと思う」


 インディゴ王はク族のことも国民だと言ってくれていた。彼らさえ求めれば、あの話のわかる国王なら受け入れてくれるはずだという確信があったのだ。


「ヴェルリヤ……申し訳ありません、我らは数百年の間森に潜み住んでいた民族。外の世界には疎いのです」


「ああ……ヴェルリヤってのは、ここから馬車で五日くらいのところにある、この国で一番大きな都市だ。亜人にもヒトと同じように生活の自由を許してるし、なんなら王国の騎士団にだって亜人はいる」


 俺は訓練中に何度も俺を苦しめたゲッコ族の男のことを思い出したりしていた。


「確か、ハジャの森に魔獣が溢れてるせいで、ク族は食糧難なんだったよな。ヴェルリヤには飯もたくさんあるし、仕事さえちゃんとできれば住む場所だって用意してくれるはずさ」


「それはなんとも、魅力的な話に聞こえますが……。いやしかし、なぜチヒロ様がク族の内情をご存じなので?」


 イナさんは驚愕したように俺を見つめて来た。


「実は前にもこのハジャの森でエノに会ったことがあってな。その時にエノから聞いたんだ」


「以前、巫女様にお会いしていた……? ま、まさかチヒロ様はその際に、巫女様をお守りするために魔獣から身を挺して庇われたというヒト族のお方では……!?」


「あー、まあ、そんなこともあったな」


 あの時のことは正直あまり思い出したくない。

 エノとの一番最初の出会いで、誰かを守らなくては、という強い思いを抱かせてくれた思い出ではあるが、それに付きまとうのは圧倒的に無力だったころの俺の姿だ。


「生きておられたとは……巫女様はその後、あなた様のことをずっと気にしておられました。自分を助けるために犠牲になった勇敢なヒト族の男性がいた、と口にしていたのです」


「そうだったのか……」


「……実を言うと、その頃から森を出ようという意見は上がっていたのです。巫女様が言うように、この時代においては亜人は必ずしも迫害される存在ではない。それこそチヒロ様のように、身を挺してまでも守ろうとしてくれるような優しいヒト族もきっとたくさんいるのだと」


 その話は、嬉しいものだった。あの時の自分の考え無しの行動が、数百年の鎖国を続けて来たク族たちの心を変えるきっかけの一つになったのだとしたら。


「特に巫女様は、実際にあなた様に救われたという思いもあったのでしょう。それまでは森から出ることは危険だという穏健派の代表だったのですが、チヒロ様のことがあってからは外に出てみるべきだとお考えを改められて」


「……けれど、今回のことがあって、やはり外は危険だ、ヒトは許せない、という考えが主流になっちまったか」


「そ、そこまでとは言いませんが……」


 イナさんは困ったように眉を寄せた。

 そこまでとは言わないが、少なくともそれに近い感情はある、ということか。


「そういやその、巫女様、ってのはなんなんだ?」


「巫女は……つまるところはク族の神の声を聞くことのできる者です。我々ク族を導く存在なのです。ク族がこの世界に生れ落ちて以降、常にク族の中には巫女がおりました。巫女の娘がまた新たな巫女になり、不慮の事故で巫女が死んでしまえば、また別のク族の娘が巫女として選ばれるのです」


 イナさんは至って真面目な顔でそう言った。

 神の声、と聞いて一瞬パージの顔が浮かんだが、それとこれとはまるで違う話だろう。

 いわゆる民族特有の、風土に基づいた話であるに違いない。


「つまり、巫女って言うのはク族にとって特別な意味を持つ存在ってことだな?」


「まさしく。巫女の言葉は神の言葉、と信じられているくらいですから。……チヒロ様、もしや」


 俺の中に、ある考えが浮かんだ。


「……エノさえ説得できれば、多少強引でもみんなを安全な街まで連れて行くことが出来る」


「……まあ、その、その通りではありますな。特に今は巫女様がその身を犠牲にして我らを逃がしてくださったことで、負い目を感じている者も多いことでしょう」


 ヒト族が引き起こした惨劇だ。ヒトの俺がヒトの良さを語ったところで効果は薄い。下手をすれば今度は俺が怪しまれ、恨まれる可能性すらある。

 そもそもク族は長年逃げ隠れて来た、臆病な性質の民族だ。革新的な意見は取り入れられづらいだろう。

 だがしかし、その中心にいるエノが、森を出ようと言ったならば。


「エノが目を覚ますのを待つしかないな……」

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