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新兵、ふたり

「まだだ! もう一歩踏み込め!」


 明けて翌日。俺は稽古をつけてくれるというアジュールの待つ、騎士修練場を訪れていた。

 昨晩の王との約束でもあるし、俺自身が力を得るために望んだからだ。


「そうだ! ……ああっ、どうしてそこで剣が出ないんだ! 攻めねば負けるぞ!」


 修練場は上層地区にあった。騎士というものが基本的には貴族たちからなる集団であることから、それは当然だと言える。

 殆どが住居で占められる上層地区は不必要な人の行き交いも少なく、また大きな敷地を必要とする修練場を構えるのに適していたのだろう。


「相手の剣に意識しすぎるな! 蹴りが来るぞ!」


 修練場には数百の騎士たちがいた。全てが修練のために訪れているわけではないだろうが、それでも揃いの甲冑に身を包んだ強面の男たちが数を揃えているとうすら寒いものがあった。

 俺のファンタジー知識では、騎士というのは戦のない時代には与えられた領地を管轄するのが仕事だと思っていたが、どうやらこの国においては修練こそが仕事らしい。

 それもそうだ。国王は各地における不穏な気配を感じ取って開戦の兆しを見ている。今修練せずいつするのか、という話である。


「ただ剣を振ればいいわけではない! 常に敵の隙を伺うのだ! 無駄な振りは自身の隙に繋がるぞ!」


 そして俺は簡易な練習用の鎖帷子に身を包み、その修練場の中で剣を振るっていた。

 手には愛用の長剣。そして眼前にいる騎士も鋭い光を放つ幅広の剣を振るっている。

 練習とはいえ真剣での勝負。


「臆するな! 殺さねば殺されるという気持ちを常に持て!」


 後方からのアジュールの声。相手の頭上からの大ぶりな振りを剣の腹で受け止め、力任せに振り払い、ギョっと驚愕の表情を見せた相手への追撃を踏みとどまった俺への叱咤だった。


「そんなこと言っても真剣だぞコレ……」


「チヒロ殿、医術の扱える魔術師もおります。遠慮は無用でありますぞ」


 俺に剣を弾かれてたたらを踏んでいた練習相手の若者が言う。

 彼は騎士団に入ったばかりの、田舎貴族の末っ子という男だった。名をヴェローナという。

 俺の感覚ではまだ高校生にも上がりたて、といった頃合いの年齢で、そばかすだらけの幼い顔つきの中に騎士である自身の責務を既に理解しているような険しさがある。


「もう一度、参ります」


「おう!」


 互いに距離を取り、剣を構える。相変わらず素人臭さの抜けない構えだが、この世界に来たばかりの頃に比べるとだいぶマシになっていると信じたい。


「はっ!!」


 相手が動き出すのをきっかけに、まずは剣同士を合わせて様子をうかがう。

 セオリーのない俺には、先手を取って相手の上を行くという選択肢はなかなか取りづらい。ならば基本は待ちの姿勢だ。下手に小手先の攻撃を仕掛けて躱されればそれはそのまま隙を作ることになる。相手の攻撃を見切った上で的確に弾く。カウンターが今の俺にできる最大限の戦法だった。


「せいっ!」


 一度身を引いてからの両手持ちによる突き。鎖帷子のおかげで致命傷にはならないが、下手をすると衝撃で息が詰まり体勢を崩される。俺の細身の長剣にはできない芸当であり、騎士団の正式装備である幅広のバスタードソードならばその威力は段違いだ。

 打点を見切り、半歩下がる。それだけで突きの射程からは逃れられる。微かに帷子にチッと剣先がかする。

 そのタイミングを逃さぬようにヴェローナの握る剣の根元の辺りを打ち据えた。


「くっ!?」


 手の痺れに眉をしかめるヴェローナ。ガードが空いたところに半身をひねって入り込み、そのままの勢いで足を振り上げ、相手の上方の死角から蹴り倒した。

 見事な回し蹴りだ。


「ぐわあっ!! ……っ!?」


 そのまま崩れ落ちたヴェローナの腹を踏みつけ、その首筋に長剣の切っ先を突き付けた。


「こ、降参であります」


 剣を取り落とし、両手を挙げた。

 これで五勝二敗。先に五本取るまで終わらないという話だったので、俺の勝利だ。

 先に二本連続で取られた時は、やはり本物の騎士相手に気力無しで挑むのは無謀だと思えた。しかし段々と目が慣れてくると相手の振るう剣の間合いがわかるようになったのだ。

 それからは五本連続で俺が取った。無理に攻めずに反撃に専念したのも功を奏した。こちらから振ればやはり腕の差が露呈するのだ。


「やあやあ、チヒロ殿、思っていたよりもずっとやるではないか!」


 と、駆け寄って来たアジュールが言う。

 アジュールが善意から俺を鍛えたいと言ってくれたのは嘘ではなく、俺がここに来てからずっと付きっ切りで見てくれている。


「どうだヴェローナ、チヒロ殿は?」


「はっ。何といいますか、構えや佇まいは確かに素人のそれで、いかにも斬ってくれと言わんばかりの隙だらけなのでありますが……ここだ、と思った所に斬り付けても必ず防がれ、反撃を食らいます」


「ふむ、私も同意見だな!」


「それ、褒められてんのかわかんねえな」


 ハッハッハ、と高笑い。もう見慣れた。


「褒めているとも。ヴェローナは騎士団で一番若いとはいえ、それでも栄光あるラズリス国の王国騎士団の一員だ。それを剣を握ったばかりの者が倒すなど、なかなかあることではないさ! なあにヴェローナ、気にすることはない。お前にだってまだまだ強くなるチャンスはあるさ」


「はい、僕も更に精進します。チヒロ殿にいつまでも負けているわけにはいられませんので!」


 アジュールがこの場にいるだけで、どうにも熱血スポ根部活モノみたいな雰囲気になるのだけは勘弁願いたい。わざわざ時間を割いて鍛えてくれるのはありがたいのだけれども。

 ヴェローナは俺とアジュールに頭を下げて、医療術の使える控えの騎士の元へと去って行った。先ほどの攻防で多少のケガを負ったのだろう。


「チヒロ殿はどうだ。ヴェローナはあれでかなり賢い。教本のような戦い方をするだろう」


「確かに。構えは綺麗だし無駄も少ないし、こっちから斬り付けようとしてもどこを狙っていいのかさっぱりだ」


「ハッハッハ、まあ、チヒロ殿はまだ鍛え始めたばかり。ヴェローナにはああ言ったが、どう考えても伸びしろがあるのはチヒロ殿の方であろう。いやしかし恐ろしい、このほんの練習試合数本の間に見る見るうちに動きが良くなっているのだ。自分で気づいていたか?」


 そう言われて、確かに段々とヴェローナの振る剣の軌道や間合いが想定できるようになっていたことに気付いた。


「私が思うに、チヒロ殿の最も強みである武器は……目、であるな」


「目?」


「そう。相手の挙動を一切見逃さず、その動きから危機を察知して、最も勝率の高い反撃の位置を見極める。その反応速度と目の良さだけは既に達人級と言えるだろう」


 そう言われて、そんなことを言われたのは生まれて初めてだと思った。そもそも学生の頃の球技大会だって散々な結果で学友たちからからかわれたことだって……。

 ふと思い出す。そういえば、この世界に転移する際に新しく作ってもらったこの身体。キャラメイクをする時に若返らせたのと一緒に、確か反射神経とか視力を良くするように頼んだ覚えがある。

 ……なるほどそれか。

 カインツのような化け物クラスの攻撃を紙一重で受け続けられたのはそういった恩恵があったからなのだ。


「とはいえ、今のチヒロ殿に圧倒的に足りないのは攻めの手だな。それはいかに素の性能が素晴らしくとも得られるものではない」


「そりゃ、今まさに実感してるよ」


「よし、午後は私が相手をしよう。敢えて隙を作って見せるので、そこを躊躇なく攻める訓練だ!」


 暑苦しいアジュールに肩を抱かれながら、少し早い昼休憩となった。


   ◇


 殆どが貴族の出の騎士団とはいえ、日頃から贅沢の限りを尽くしているわけではない。それに騎士ともなると厳しい環境の中での行軍などもあるだろう。彼らはそれぞれ簡素な肉の塊やパンなどを弁当として持ち込んで思い思いにランチタイムを取っていた。

 とはいえそれなりの身分の者は一度自身の屋敷に戻って食事をとる者もいる。まだ訓練を続ける者たちを残し、修練場からはぱらぱらと半数ほどの姿が無くなった。


「チヒロ殿は、入団する予定はないのでありますか?」


 と、木陰で昼食を取っていた俺の横に甲冑を脱いだ若い男、ヴェローナがやって来て言った。

 まだ若いのだとわかってはいたが、幼さを隠す甲冑を外すと本当にただの少年である。


「貴族の位がなくとも、武闘大会でそれなりの結果を残せば騎士団には入団できるのでありますよ!」


「あーいや……俺はちょっとそう言うのは、身の丈に合ってないっていうかなんというか」


 昨晩国王を前に真っ向からお誘いを蹴ったのである。さすがにその話が末端の騎士まで伝わっているとは思わないが……。

 彼らからすれば王国騎士団員というのは憧れの職業なのだろう。その話がばれると彼らの心証が悪くなるかもしれない。


「ふーむ。冒険者には冒険者の楽しさもあるということでありますな。僕の兄も実は冒険者をしているのであります。時折家に帰って来ては楽しそうに冒険の話を聞かせてくれました。まだ僕が子供の頃の話ではありますが」


「そうなのか。優しいお兄さんだな」


「はい」


 言いながら、俺は自分の兄のことを思い返していた。

 息の詰まるような家庭の中で、俺が常に背中を追いかけ続けた立派な兄。特別優しさを見せることはなかったが、それでもあの家の中で唯一俺のことを気にかけてくれていた存在だ。

 大学進学と共に家を出て、それからほとんど会うこともなかった。あの世界における唯一の心残りは兄に何一つ別れを告げられなかったことだろうか――


「……ッ!?」


 突如、胸の奥に強い痛みを感じた。


「チヒロ殿? どうされました?」


「い、いや、なんでもない……」


 ズキズキ、と強烈な痛みだ。視界がぼやけて焦点が定まらない。

 まるで自分の内側から何者かに食い散らかされているような、そんな錯覚を起こす。

 ピキ、ピキ、と音を立てるように胸の奥に響く音が、確かにこの耳に聞こえる。

 なんだ、なんだこれは。

 まさかこの仮初の肉体の限界が来たのか。やはり特殊な、不安定な体だったということなのか……。


「チヒロっ」


 と、手を胸に当ててその痛みに必死に抗っていると、不意に背後から声がかかった。


「うわっ、みゃ、ミャウ族……? 気付けなかった……」


 気力を消していたのだろう、突如現れたメウにヴェローナが驚いている。


「チヒロどうしたの? 具合悪い?」


 俺の前に回り込んで、心配するように俺の顔を覗き込んでくる。

 まずい。頭は悪いが勘の良いメウに不調を悟られるわけには……。

 と、柔らかくて小さなメウの手が額に当てられる。急激に熱を持ったように暴れていた身体の芯が、そのひんやりとした手に熱を奪われていく。

 いや、比喩なのではなく、確かにメウに手を当てられて……俺の爆発しそうだった心臓の鼓動は鎮まって行く。

 はあ、はあ、と荒い息を吐く。気付けば既に痛みは消え去っている。

 今、いったい何が……。


「……め、メウ、今何か、したか」


「え? なんにもしてないけど」


 キョトンとした表情のメウ。その顔に嘘はない。

 だとすれば今のは何だったのか。まるで兄のことを思い出して元の世界を懐かしく思った瞬間に……。

 ズキリ。

 と、また胸の奥が小さく痛んだ。


「わあっ、なになに、チヒロ?」


 咄嗟にメウの手を握った。

 ほんのり照れたように狼狽するメウだったが、すまないがそれどころではない。

 今この手を握っていないと、またあの苦痛が全身を襲うという確信があった。


『あなたが死んでも死にきれないほど強く願い望んだ意志こそがあなたの魂を保存するための核となっています』


 その言葉を思い出していた。

 あの時、この世界に来る前に、俺の内なる声と交わしたあの会話。

 内なる声は言っていた。俺が異世界に行きたいと強く望んだ心こそが、既に死んでいるはずの俺の魂を保存するための核になっていると。

 ではつまり、逆を返すと、その強い望みが薄れたら。元の世界に帰りたい、などと僅かでもその強い願いが濁るようなことがあれば……。

 俺はこの世界での死を、二度目の死を迎えるのではないか。


「チヒロ、すごい汗……そんなに特訓が大変だったの?」


「……あ、ああ、このヴェローナが随分しごいてくれたからな」


 強く握りしめていたメウの手を離し、おどけた調子で言う。

 大丈夫だろうか。ちゃんと俺はおどけていられているだろうか。


「んなっ!? 酷いであります! 僕のことをしごき倒したのはチヒロ殿の方でありますよ!」


「チヒロは口では強がってるけどホントはすごく打たれ弱いから、あんまりいじめないでね」


 シャルマとシャーロットのおかげか、ここしばらくで大分他人との触れ合いに慣れたメウが生意気なことを言う。

 俺は"いつものように"メウの頬をきゅっとつまんでやった。そのいつも通りの行動が動揺を悟らせない方法であると十分理解して。


「悪いなヴェローナ、こいつは俺の飼い猫のメウだ。口は悪いし態度も悪い、行儀も悪くて全然懐かない奴だがあんまり嫌わないでやってくれ」


「むかっ!」


 ガブリ、と頬をつねっていた指を噛まれた。獣の特徴的な八重歯が僅かに食い込む。

 いでぇ、と大声を上げる俺と大騒ぎするメウを、どうしたものかとヴェローナは苦笑しながら見ていた。


「……んで、いったいどうした?」


「あ、忘れてた。これ、シャルマから預かって来たの」


 そう言ってメウが取り出したのは、昨日も見たタイプの鉄のカードだ。表面にはこの世界の文字が書かれている。


「おお、もしかして新作か」


 昨日シャルマから預かっていたマジックアイテムのカードは"重力操作"と"疲労軽減"が付与されていた。それは今も肌身離さず所持しており、今日の訓練においても十分活躍してくれていた。


「えーっとねえ、確か"衝撃緩和"と"痛覚緩和"だったかな」


「衝撃に痛覚、ねえ……」


 なるほど、シャルマなりに今日からの訓練が肉体への負担が大きいだろうと予測していたわけだ。打たれ強くなって頑張ってね、というシャルマからの激励のメッセージということだな。


「そ、それはいったいなんでありますか? 何やらとても難しい術式を施された魔道具に見えるのでありますが……」


「ああ、これか。これは俺の仲間の魔術師が作ったカードで、持ってるだけで身体の強化が可能になる魔法のカードだ」


「なんですと!? そのような便利な魔道具、聞いたこともありませんぞ! それが本当ならいったいどれほどの価値になるか……」


 驚愕の表情のヴェローナ君。

 なんと、そんなに凄いものだったのか、これは。

 シャルマが何でもないように作っていたから、てっきりこの程度のマジックアイテムは割とありふれたものだと思っていたのだが……いや、そういえばシャルマは王国の研究所で研究員をしていたほどのエリートだった。最先端を行く魔術の粋を集めた超高性能品だったのか。


「チヒロ殿のチームは凄い方が多いのですな……完全に気力を消せる斥候殿もおるようですし」


 ヴェローナがメウの方を見る。

 ……なるほど、そういう考え方はしてなかったが、確かに俊敏で小柄な上に気配を完全に消せるメウは斥候として最適かもしれない。とはいえチームの勝機を左右する斥候という立場をこの年中腹ペコ天然少女に任せるのは一抹の不安もあるが。


「それじゃあたしも特訓の続きがあるから帰るね」


「おう、サンキュ……って、特訓?」


「うん! シャルマが気力の使い方を教えてくれてるの。今だってずっと気力を消し続ける練習してるんだ」


 ヒミツの特訓なんだから、と、嬉しそうに言う。どうやら昨日の、気力操作についてレクチャーするというシャルマの約束は果たされているようだ。

 もっとも、そもそも気力感知すらできない今の俺からすれば、メウの気力が消えているかどうかはわからないのだが。

 それでも、俺は騎士連中と実戦訓練、元から才能があったメウはその能力の制御、そしてシャルマは戦力増強のために新たなマジックアイテムを創り出してくれている。

 一歩ずつではあるが、俺たちはそれぞれ今できることをやるしかないのだ。

 そう遠くないうちに、強大な敵との戦いが迫っているのかもしれないのだから。

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