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旅の終わり、王都へ

 さて、俺とメウが九死に一生を得たその後、端的に言うと馬車は手に入った。

 御者のおっさんが必死こいて交渉してくれたおかげである。どうも前日の事件が堪えたらしく、危険な旅を一刻も早く終わらせるために馬車が必須だと判断したようである。

 ボックスタイプではなく屋根もない、藁でも摘んで運ぶのか、といったような荷馬車用の荷台だった。人が乗って移動することを設計から想定されていないカントリーなタイプである。

 穴ぼこだらけでうっかり乗り込んだら床板を踏み抜いてしまうんじゃないかと不安になるほどだったが、シャルマが魔術で土をいじくって補強してくれた。粘土でもこねるように自在に土を塗り重ねていき、水分を抜いて硬化する。僅か数十分で頑強な荷台の出来上がりだ。

 しかし見れば見るほどみすぼらしい木造の軽トラ、って感じである。


『お姫様を荷物扱いするのは心苦しいが……』


『いいえ、馬車があるだけでもありがたく思います。まだまだヴェルリヤまでは距離がありますから』


 そんな殊勝なことを言われてしまっては、実は俺の方がこの乗り心地の悪そうな馬車に揺られるのが嫌だなぁなんて思っているとは口が裂けても言えなくなってしまった。

 そうして繋いでおいた馬たちに荷台を牽引させて、まだ朝早くに俺たちは出発したのである。


 さて唐突だが、馬車の速度というのは想像しているよりも案外遅い。多分自転車の方がよっぽど早い。下手したら小走りするくらいで追い抜けるのではなかろうか。四頭の馬で牽引するので馬力自体は十分だが、さすがに何時間も全力で引いてもらうのは無理がある。一日中ずっと引かせるわけにもいかないので、大体何時間かに少し休憩を挟む。そうなると結局あまり距離は稼げない。

 せいぜいが一日当たりの計算で50キロも進めればいい方ではないか。馬車に一日揺られてたった50キロである。時速50キロの自動車で走れば僅か一時間の距離だ。文明というのは偉大な発明をしたものなんだなあ。

 森林地帯を抜けたあたりできちんと整備された街道に出たので、多少は速度も上がり、揺れによるケツへのダメージも軽減された。

 だがしかしこの馬車揺れというのが案外軽く見れないもので、常に微振動を続ける席に一日中座らされるというのは、痛みはもちろん色々と他にも悪効果がある。

 その主なものを一つ挙げるとすると……車酔いである。


「れろれろれろ……」


 口の中から黄金色の輝きを地に吐き出しながら顔面を真っ青にしているメウの背中を撫でる。

 嘔吐中の女子の顔を見るのは大変なマナー違反なので、聞こえないふり見ないふり、である。だらんと力なく垂れ下がったしっぽが痛々しい。

 馬車はその間も街道を進む。動き続ける馬車の横っ腹から身を乗り出しての嘔吐。王都まで嘔吐。

 れろれろ、と街道に沿って黄金が吐き散らかされている。まるでさながらヘンゼルとグレーテルのヘンゼルがパンくずを落として道筋を残したように、メウの吐き出す黄金が馬車の通った道をキラキラと光り照らしているのだ。

 あー、もらいゲロしそう。


「おーよしよし。いっぱいゲーしろなー。大事な食糧なのに腹いっぱい食ってゲーしろなー」


「うう……うぷ……れろれろ……」


 馬車の揺れで気持ち悪くなるのは毎度のことでわかっているはずなのに、このバカ娘は食事の度に脊髄反射で腹いっぱい食うので結局毎度吐く。この光景はもう見慣れたものだった。

 シャルマとシャーロットはきちんとそれを理解していて、食事の量もちゃんと少なめにしている。シャルマはこういった悪環境な旅にも慣れているのかそれなりに涼しい顔。一方シャーロットは真っ白な顔をしてはいるものの、さすがにお姫様が人前で吐くわけにもいかないのか意志の力で我慢しているようだ。


「おや? お客さんたち、湖が見えて来たぜ」


 と、御者台から声がかかる。


「ラピス湖……ようやくですね」


 青白い顔のシャーロットがつぶやく。


「あの湖を越えればついに王都ヴェルリヤです」


 緩やかにカーブする街道を進むと、俺の目にも大きな湖が見えて来た。小高い山に片側を囲まれ、中央には小さな島がある。太陽の光をキラキラと反射させる水面は、風もなく静かに揺蕩っている。深い青、エメラルドグリーン、空を反射する水色と多種多様な色合いが湖を彩っている。かつて写真で見たカナダの湖を思い起こした。これはまたなんとも、大自然の宝庫と言えるだろう。

 ラズリスは農業で成り立つ小国だと聞いていたが、時代が時代ならこの湖だけでも観光資源になるだろうな。

 この辺りは緑も多く空気が澄んでいて気持ちがいい。……ツンとする胃液の臭いが無ければより良かった。


「ふー……長く厳しい旅だったな」


「ふふ、わたくしもこのような旅は新鮮でした。ラズリスの各地を回ってきましたけれど、こんなに旅の途中で笑ったのは初めてです」


 そういって小さく笑うシャーロット。

 村を出てからのこの三日間、特にこれといった事件らしい事件も無かった。途中の野営中に猪に襲われたのだが、誰よりも即座に反応したメウの機敏な対応で何の苦もなく撃退した、くらいだろうか。その日の晩御飯は豪勢な猪の丸焼きだった。むしろまた出てきてほしいな、くらいは思った。

 そしてその短い旅ではあったが、俺たちは他愛もなく笑うことが多かった。メウがバカをして、俺が咎めて、シャルマが諫めて、シャーロットはけたけたとお姫様らしからぬ笑い声をあげた。もしかするとそれはあの恐ろしかった出来事を忘れようと皆が意識して行っていたことかもしれない。けれどそれはいつしか本当の団結となっていたのだ。

 旅は絆を深める、というのは本当なのだな、と俺は涼しい風を顔に浴びながら思ったのだ。

 そしてその旅ももうすぐ終わるのだ。


「この湖では大きな魚が釣れるんですよ。わたくしも幼いころはお父様……王に連れられて、お兄様と一緒に度々釣りを習いました」


「ほう、なかなかアウトドア気質な王様だな」


「最初はピチピチと跳ねる魚が怖くて泣き叫んだりもしていましたけれど」


 この旅の間で何度も見た少女のように素直なシャーロットの笑顔。

 最初、シャーロットに初めて会ったばかりの頃は険しい表情ばかりでおっかない女だな、と思っていた。

 けれどそれが重たいものを背負った、国の大事を救うために深い決意を秘めたものであると知って納得した。自身の危険を承知で、それでも自分自身が立ち上がって動かなければ気が済まない清い正義の心の持ち主だったのだ。

 しかしその毅然とした態度が無理をして作っているものあることも知った。彼女は身近な者の死で心を痛めてすぐに涙を流す、特別でも何でもないただの少女だったのだ。

 そしてこの旅の中で、年頃相応のあどけない笑顔を見せてくれるようになった。俺たちの何でもないやり取りが、緊張した糸のように張り詰めた彼女の心を僅かにでも解きほぐせたのであれば、それは噛み締めるに値する幸福だった。


「うっぷ……お魚、食べたい……」


 そんな俺の素敵な回想をぶち壊すのはいつだってこの猫娘だ。


「お前はさあ、胃の中空っぽにするまで吐いておいてよくそういう発想に行き着くよな」


「全部出たらお腹空いた」


 水筒で口の中をゆすいで、馬車の外にぺっと吐き出す。不器用に口の周りを水でびちゃびちゃにしていたので、適当な布で口をぐいぐいと拭いてやった。

 いやいやをするメウの頭を片手でがっしりと掴んで、むいい、と音を漏らすお口を拭き拭き。


「城に着いたら、皆さんには豪勢なお食事をご馳走いたします。ほんのお礼の気持ちですが……」


「やった、ごちそう! お姫さまっていい人だなー」


 と、今泣いた烏がなんとやら。とかくこいつは飯さえ奢ってくれるならそいつは例外なく善人判定なのか。変なおっさんにおやつもらってホイホイ着いていかないようにきちんと教育してやらなきゃなるまい……。

 などとそんな他愛もないことを話していると、いつの間にやら湖もぐるりと半周するところだった。

 湖と緑に挟まれた街道。のどかな風景。そしてそれを越えると山間を切り拓いて大きな道が広がっている。

 これまでの舗装された程度の街道とは大きく異なり、きちんとした石畳が敷かれた近代的な様相である。カポカポと馬が石を踏む音が心地いい。


「チヒロさん、見えてきましたよ。あれが……」


 と、シャルマが前方を指さす。

 小高い山々に周囲を囲まれて、そのちょうど麓にあたる中心部。そこに明らかに自然とは異なる人工的な建造物があった。

 遠目には高く設置された外壁。山々から繋がるように半円型だ。そしてその中心部に巨大で頑強な門が置かれている。門の奥には広大に広がる発展した街。更に街の奥、山を切り崩して王都よりも高い場所に建てられた豪奢で立派な城があった。


「ラズリス国の王都、ヴェルリヤです」


 開かれた一方の道、つまり今俺たちが進んでいる石畳から繋がる巨大な門だけがヴェルリヤに入るための唯一の道だ。それ以外の三方は外壁と山に囲まれてまるで天然の要塞のような造りである。

 はー、と音のない嘆息が出た。リルも小さい小さいと言われている割にはなかなか興味深く見どころの多い町だったが、これだけ巨大な街を見てしまうとリルがちっぽけだと感じてしまうのも仕方がない。

 門に近づくと、どうやら入出を厳重に管理しているようである。街の中へと続く道はちょうど外壁の辺りで遮られている。

 門自体は常時解放されているようだが、行き来を監視する衛兵と、何やらカッチリした揃いの衣装を着込んだ入国審査官らしき人たちが素通りはさせてくれそうにない。きちんとユニフォームで揃えている人を見るのはこの世界では初めてだ。

 さて、身分証などは冒険者ライセンスしか持っていないが大丈夫か。ことメウに関しては何一つ身元を証明できない元浮浪児だが。


「そこで止まれ。……随分と大所帯だが、行商にしては積み荷もないようだな。何用だ?」


 そして案の定門の手前で衛兵に止められる。まぁ見るからに怪しい一団だしな、旅人で押しとおるのは厳しいだろうか。槍を手にした衛兵は訝しがるような目つきで御者のおっさん、そして積み荷に乗る俺、シャルマ、シャーロット、メウと順番に見て行った。


「えーっと、シャーロット、どうする?」


 こんな時の責任者頼みだ。

 俺が小声でシャーロットに問うと、彼女は馬車の荷台から降りて衛兵の正面に立った。凛とした立ち姿である。


「守衛任務ご苦労様でございます。わたくしはシャーロット・ラズヴェルリヤ、この国の第二王女です」


「なに……?」


 衛兵は僅かに警戒度合いを高める。

 はて、この国では末端の兵士までお姫様の顔は知られていないのだろうか。俺としてはシャーロットが名乗った瞬間辺りの兵士たちがあわてふためいて平伏するのを想像していたりしたのだが。

 どうしたものかと考えていると、あれよあれよと衛兵たちが五名ほど集まってきてしまった。騒ぎに注目するやじ馬も出てくる始末だ。


「……しばしここでお待ちいただきたい」


 そういって衛兵たちに馬車を見張らせて、最初の槍を持った衛兵はどこぞへと消えてしまった。


「なあ、こういうのってなんか面倒な事が起きそうな予感がしないか?」


「どうでしょうか。さすがにいきなり荒事になるとは思えませんが……シャーロット様もいることですし」


「ねえ、ごちそうまだ?」


 囲んでいる衛兵たちはひそひそと会話をしている。恐らく姫を自称するシャーロットにどうするべきか相談しているのだろう。まぁいきなりボロい馬車の荷台に乗っけられて入国しようとした挙句、私は姫です、なんて言おうものなら俺が彼らの立場なら絶対に止める。

 しばらく緊張状態が続いたが、先ほど離れていった最初の衛兵が数名の人間を連れて戻って来た。連れられてきたのは衛兵たちとはまた違った上等な装備を身にまとった男たちである。パッと見た印象ではこの国の騎士たちであろうか。騎士というシステムがこの世界にあるのかは知らないが。

 そしてその中の男の一人が物々しい態度で俺たちに向かって言った。


「……申し訳ないが、得体の知れぬ者たちを自由にさせるわけには行かぬ。我々にご同行願おうか」


 有無を言わせぬ言い様である。その右手は帯刀している剣の柄に伸びていたりする。……勘弁してくれ。

 やっぱりなんか面倒なことになりそうだな、と思ってシャルマを見ると、彼女も苦笑いをしていた。


「どうするんだ、シャーロット?」


「残念ながらわたくしは殆ど城から出たことがありませんでしたので、顔はそれほど知られていないのです。城の者を呼んでもらえれば立場を証明してもらえるとは思うのですが……」


 そう言った話をしていると、段々と騎士らしき奴らの雰囲気が悪化してきた。

 あまり焦らして逆撫でするのは得策とは思えない。俺たちはただの姫様の護衛なのである。まさかこの国の騎士に喧嘩を売って敵対するなどまかり間違ってもあってはならないのだ。


「ここは一旦素直に従った方がいいかもしれないな」


 シャーロットにとっては悔しい話だろうが。


「皆さん申し訳ありません。わたくしがもう少し普段から臣下の者たちと交流していればよかったのですが……」


「おい! 何をしている。早く馬車から降りてついて来るのだ。……もたもたしているようなら問答無用で牢に放り込むぞ!」


 激昂する騎士サマ。何とも言えない状況である。仕方なしにぞろぞろと荷馬車から降りる。


「馬車は一旦こちらで預かる。御者の男、お前もだ。ついて来い」


 ひい、という情けない声を上げる御者のおっさん。俺らもそうだがこのおっさんも大概不幸である。

 騎士サマたちに囲まれる形で門の中に入り、そのまま連れられて行く。視界に入る街並みはリルとは全く違う様相で、色々と見て回りたい気になる場所がたくさんあった。姫の護送任務とはいえ、正直ちょっとした観光気分もあったのだが、この状況のせいで素直に喜べなかった。


「ごちそう……」


 果たしてこの状況を分かっているのかいないのか。俺がいつもと同じ冷静な思考を保てるのはこの万年腹ペコ少女が通常運行なおかげなのかもしれない。

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