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かみのちから、みちのちから

 頬に何かが擦るような感覚で、意識を取り戻した。

 ゆっくりと目を開ける。そこは暗闇だった。

 頬に当たる何かは、パラパラと頭上から零れ落ちてくる砂や小石だった。


「う、うう……?」


 身じろぎをする。体に痛み。

 なんだ、と思って様子を見ると、どうやら全身を打ち付けたか何かで傷だらけだ。

 そこで意識を失う前の記憶がよみがえった。

 そうだ、確か俺は地割れに巻き込まれて……。

 幸いにも骨が折れたりはしてないらしい。ジンジンとした痛みはあるが、動けないほどではない。

 上体を起こす。

 ……その瞬間に今の今まで俺の頭があった場所に頭上から大きな石が落下し、ドゴンという音を立てた。


「うっ、ぬおお!?」


 その衝撃で飛び起きる。

 あ、あぶ、危なかった……。ほんの一秒でも目を覚ますのが遅ければ死んでいた……。

 頭上を見ると俺が落ちてきた大きな穴がポッカリと空いていた。地上は高い。空には月が輝き、いつの間にか夜になっていたようだ。

 足元は月明かりでわずかに見える程度。すぐ隣には……息絶えた魔獣の亡骸。どうやら一緒に落っこちて来たらしい。

 そういえばこの魔獣、世界観的に考えたらギルドで討伐報酬がもらえるかもしれない。せっかくなので素材を剥いでいくとしよう。

 あらかじめ小物雑貨屋で買っておいた食器一式に入っていたナイフで、毛皮とたてがみをサクサク剥いていく。昔見た狩猟のドキュメンタリー動画のおかげか、はじめての作業だったが意外と見様見真似で何とかなるものだ。

 うん、まぁちょっと毛皮に穴は開いてしまったが上出来だ。これくらいはできないと冒険者とは言えないしな。

 剥いだ毛皮をくるくると巻物状にして、バックパックの中には入り切らなかったので無理やり括り付けた。


「……さて、この穴は登れそうにないな」


 いかに跳躍力が強化されたとはいえ、はるか遠くに見える大穴は飛び出すにはちょっとばかし遠い。

 それではどこかほかに登れそうな場所は……と周囲を見渡すと、そこは広い空間のようだった。

 地割れが起きて落ちたと思ったが、どうやら落下した先は空洞になっていたらしい。


「別の抜け道があるのを期待するしかないか……?」


 この場にいても脱出する方法はない。だとすればこの地下空洞を進んでどこか別の出口を探すしかないだろう。

 地上に流れる河が上流から分岐したものなのか、どうやらこの地下空洞にも水音が響いてきているのがこの場にいても分かる。

 明かりがない暗闇でうかつに動くのは危ないが……。

 と、そう考えてランプを所持していることを思い出した。


「おー……落下の衝撃で壊れなかったのは奇跡だな」


 バックパックに括られていたオイルランプを取り外す。着火道具で火をつけると、ランプにぼおっと小さな光が灯った。

 頼りない明りではあるが、暗い地下空洞を進むには事足りる。


「よし、それじゃスーパーリアル脱出ゲームの始まりだな」


 仲間の一人もいないのに独り言を呟いて、俺はその場を移動することにした。


   ◇


 それから数時間、俺は暗闇の中をさまよった。

 地下空洞は天然の迷路となっており、水音に導かれるまま進むと壁にぶち当たり、迂回しようとすると劣悪な足場に足を取られて坂を滑り落ちる。

 そんなことを何度か繰り返していた。

 日帰り仕事だと思っていたので持ち込んだ食料は僅か。それにもついさっき手を出してしまった。唯一の救いは疲れ知らずのこの身体か。

 先ほどの死線で偶発的に獲得した能力。気力感知を応用して自身の気力を把握し、コントロール下に置く。便宜上気力操作とでも呼んでおくか。

 気力操作のおかげで今では自身の気力量も手に取るように把握できるようになっている。そしてその流れを操作して瞬間的に身体能力を向上させる術も。

 強敵を倒したおかげで吸収できた魔獣の気力は既に体に馴染んでいる。増強された活力がそれを裏付けていた。


「しっかし、ヒイロにもらった気力といい、怪しい獣から吸い取った気力といい、俺の気力はどんどん異質になって行くなあ……」


 感知で自分の気力を視ると、毒々しい紫色のようである。普通の町の人たちは綺麗な緑色だったのだが……。

 と、水音を探りながら歩いているとランプの光に照らされて眼前に岩壁が表れる。


「……また行き止まり、か」


 これで何度目だろうか。似たような通路と似たような空間の連続で現在地の把握は困難極まる。

 しかしどうにも不思議な空洞である。水の流れさえ見つけることができれば脱出できるはずなのだが、その水音を追うと必ず行き止まりにぶつかるのである。

 カラン。

 どうしたものかと思案すると、足先が何かをかすめたようである。


「……は?」


 足元をライトで照らす。

 そこには携行食糧の缶詰の空き缶が転がっていた。


「これ、って……」


 見覚えのあるラベルである。

 塩漬けされた肉の缶詰で、食感もパサパサとしたもので、強めの塩気のみの味付けのために美味しくない。

 なぜ俺がそんなことを知っているのかというと、つい先ほど食べたからだ。

 ……転がっているのは、俺がさっき中身を空にしたゴミだ。


「……戻ってきたのか?」


 水音を頼りに、できる限り迷わないように壁に沿いながら歩いてきたはずだ。

 だのにも関わらず、同じ位置に戻ってきてしまう。

 もしかしてこの空洞には最初から出口など無く、大きく迂回しながら一周してしまったとでも言うのか。

 ではこの水音はいったいどこから聞こえてきているのか。


「あれ、この壁……?」


 ランプをやや高く掲げる。水音が聞こえているのは壁の向こう側からである。

 だがしかしこの空間には水が流れている場所はなかった。ということは、である。

 岩壁に触れてみる。

 すると、砂糖菓子のようにポロポロと壁の表面が削れ落ちた。

 あまりにも脆い。指先を鉤爪状にして力を入れて引っ掻いてみる。すると見る見るうちに削れていく。


「……なんだこれ、ここだけ妙に柔らかい。もしかして壁に偽装してるのか?」


 続けていくと、壁はどんどんと薄くなる。それはさながら砂山を掘るようである。

 見た目だけは頑強な岩壁なのだが……。

 15センチほども掘り進めると、不意にすっぽりと腕が向こう側に通り抜けた。


「水の音が……川が流れているのか」


 腕の太さの分だけ開いた穴から向こう側を覗いてみる。

 似たような空洞が向こう側にもあるようだが、どうやらどこからか光が漏れこんでいるらしい。淡く青く照らされているのでランプがなくとも問題なさそうである。

 向こう側に通り抜けられるとわかったので、その壁を蹴り崩した。大した力も入れていないのに、壁は冗談のように粉砕されて大きな穴が開いた。


「川と……泉か」


 そこにあったのはきらきらと幻想的な光を放つ小さな泉だった。ぐるっと外周を回っても数十秒もかからない小さな泉だ。

 月の光が漏れ入ってきているわけではない。どんな魔法か知らないが、どうやら、泉自体が発光しているようである。

 その泉から漏れ出た水流が小さな川となり、洞窟の奥の方に続いているようだ。もしかするとこの川を辿って行けば脱出できるかもしれない。


「……うん?」


 辺りを見回してみると、泉の中央には岩があった。

 青く光る泉のど真ん中に堂々と立っている様は幻想的で、まるで何かの祭壇のようにも見えた。

 というか、それは、祭壇であった。

 岩はただの岩ではなく、彫刻を施されていた石碑だったのだ。

 加工された平面には曲線と模様による細工が施され、それはさながらアール・ヌーヴォーを思わせる。その細工に四方を囲まれる形で中央には象形文字のようなものが彫られている。断定はできないが恐らく何度か見たことのあるこの世界の言語だろう。


「こんな誰も入ってきそうにないところに、どうしてこんなものが……」


 近付いてよく見てみる。石碑の下部は苔むしており、人の手が入った痕跡もない。もうだいぶ長い間手つかずの状態であったように思える。

 薄ぼんやりとした青い光に照らされる石碑はまさしくファンタジー。厳かな雰囲気をまとっている。

 その神聖さに惹かれるように、そっと近づいてみる。

 するとどうだ、石碑に刻まれた文面が……ぽうっと発光したように見えた。


「まさか、これもマジックアイテムの一種か?」


 ということはこの青い光を放つ泉すらも何らかの魔力的なものをまとっているのかもしれない。

 俺は謎の誘因力に導かれるままブーツを脱ぎ、意を決して泉の中に入ってみた。

 地下水故に冷たいかと思われたが、その泉の水は思いのほか暖かかった。地熱で温まるような地域ではないはず。やはり何らかの不思議水なのかもしれない。

 そのまま膝を濡らして石碑の元までたどり着く。

 石碑に掘られた文字列は俺が近づくにつれて光を増していくようだ。不思議と危険な気はしない。ただただ聖なる雰囲気を感じるのみである。

 この暗く静かな場所で、どれだけ長い間人の到来を待っていたのだろう。


「……」


 少しだけ躊躇して、だがしかし好奇心に負けてその石碑に触れてみた。

 触れた部分が熱を持つ。ギルドでライセンスをもらう際に触った石版に近いものを感じる。どうやらマジックアイテムで間違いない。

 しかし触れただけでは何かが起こる気配はない。このマジックアイテムを起動させるための何かがあるのだろうか。


「……もしかして」


 それは直観であった。だがしかし特にこれといった根拠なく、それが間違いないように思える。

 この場所に訪れ、泉の中に入り石碑に触れたことも、考えてみれば必要のない行動だ。今、俺は何か強大な力に導かれてこの場にいるのではないか。

 ではその形而上の何かに導かれるがまま思い付いたことが、正解なのではないか。

 俺は自身の気力操作を行って……その石碑に自分の持つ気力を流し込んでみた。


「なっ……なんだ!?」


 その途端、石碑がこれまでにないほど光り輝いた。

 彫られた文字が燃えるように赤く……いや、それは実際に燃焼している。じゅっ、という肉の焦げる音。石碑に触れた俺の右手の指先が焼けたのだ。

 慌てて手を放すが石碑の文字は高熱で溶け出すように赤黒く変色している。しゅうう、と煙まで出す始末だ。

 しばしその光景にどうすればいいのかと躊躇していると、ほどなくその煙は収まっていく。

 赤黒く発熱していた石碑は……その燃焼を終えた。発光もいつの間にか収まっている。


「どういうことなんだこれ……」


 石碑の表面に彫り込まれた文面は綺麗さっぱり消え去っていた。残ったのは周囲を囲む装飾の彫刻のみ。

 あくまで冷静に分析するならば、この石碑にあった何らかの魔法効果は……消えたとみるべきである。

 いや、問題なのは俺がこの石碑に気力を通したことで、何かしらの効果を発動させたことである。その結果マジックパワーが消失したというのならば、それはもしかすると俺に何かの作用を加えている可能性もある。

 あいにくと自身で知覚できる変化はない。気力感知を行っても自分に流れる気力に変化があるようには見えない。

 であれば、また別の可能性として考えられるのは……例えばこの石碑が何かのスイッチのような役割を果たしていた場合か。例えば何かを封印していた石碑を、俺が無効化させてしまったとか……。


「ヒイロに言えば何かわかるだろうか……」


 とりあえず今起こったことが何だったのか、そもそもこの石碑が何だったのかはここで考えていても答えの出ないことである。

 とにかくこの洞窟から生還しなければならないことに変わりはない。

 俺はそそくさと泉から上がり、泉から漏れ出る川に沿って歩きはじめるのであった。

『外部から内なる世界への強制的な介入がありました』


『残留思念として残されていた狩谷千尋の別個体が消滅しました』


『解析不能です』


『かい……かいせき……』


『外部からの強制的な介入により内なる世界に残留していた余剰の自我が別の存在へと変質しました』


『この存在は神の力と呼ばれるものです』


『それに伴い、観劇用に用意されていた内なる世界は消滅します』


『消滅準備を開始します。……消滅準備が完了しました』


『これよりこの世界は消滅します』

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