町の外、約15キロ
リルの町の北側には物々しい鎧を着込んだ兵隊らしき人たちが人の行き来を監視していた。
ちょっとした外壁に囲まれていて、北門と呼ばれる門を抜けなければ平原には出れない仕組みになっているらしい。
先日リルに来た時は町の東側からだった。混沌の森林から馬車で入って来た時はそこまで厳重な守りはなかったのだが、どうやらこの北門は別の都市から人が流入する出入口になっているらしく、その守りもそれなりだった。
その光景に若干委縮した俺だったが、門番の兵士に身分証を要求され、冒険者ライセンスを見せた。すると存外呆気なく町の外に出る許可をもらえたのであった。
北門を行き来するのは冒険者だけではなく、大きな馬車に乗った商人や軽装の旅人らしき者もいた。やはりそんなに危険はないようである。
なんとなく流れで冒険者資格を取得したが、身分証になるとは便利なものだ。早めに手に入れておいてよかった。
北から町を出てしばらく歩く。平原とは言うが、どうやらその土地のほとんどは穀倉地帯であるようだ。一面に広がるのは麦畑。そこで農業に従事する人々の姿がちらほらと見えた。のどかな光景である。
ちょっとしたピクニック気分でしばらく歩く。
「うーんいい天気」
ぐいっと背伸びをする。町を出て一時間ほど経っただろうか、未だ穀倉地帯を抜けることはない。
しかし長年のインドア生活が影響するかとも思ったが、驚くくらいに疲れはない。背中に背負ったキャンプセットと腰に差した長剣がそこそこの重量のはずなのだが、ペースを落とすことなく歩き続けてもそれほど苦になることもないのだ。
身体能力を向上して転移したおかげか、それとも気力が増えているおかげか……。まだまだ身体は大丈夫そうである。
「こんにちわ」
「ああ、どうも。こんにちは」
すれ違う馬車に乗った人たちに挨拶する。北側にはリルとはまた違う町があるのだろう。
いずれ違う町に行ってみるのもいいかもしれないな。今や俺は根無し草の冒険者、気の向くままに放浪の旅をするというのもロマンがあっていいものだ。
カツカツ、と音を鳴らしながら街道を歩く。そこまできちんと整備された道ではないが、馬車が通るには問題はなさそうだ。
俺はバックパックの中に突っ込んでいたパンの塊を取り出して口に運ぶ。おやつ代わりに露店で買っておいたのだ。多少冷えてしまったが口に入れるとほのかな甘さとバターの香りが素晴らしい。それほど上等なものではないはずだが、こうやってピクニック気分と共に食べるというのもいいものだ。
「お、これは……」
それからまたしばらく歩くとざーっという水音が聞こえてきた。ようやく穀倉地帯を抜けたかという辺りであった。音のする方に歩みを進めると、街道を横切るように大きな河が流れていたのだ。
水の流れは結構早い。透き通っていて、中を覗くと魚が数尾泳いでいるのが見えた。
手つかずの自然というのは日本に住んでいたころはなかなか触れる機会のないものであった。こういった原風景は心を湧き立てる何かがある。いつか余裕ができたら釣りをしに来るのもいいかもしれないな。
さて、河の流れがあるということは河上には目的地があるということ。すなわち滝である。俺はその河に沿って移動を再開した。
「うおお……こりゃすげーな!」
更にいくらかの時間が経つ。河沿いに進むと段々と景色が変わってきた。平原からわずかに地形が隆起するようになり、いつの間にか緑も増えてくる。ハジャの森ほどではないがちょっとした森林の中に河はつながっていたのだ。
そうして足場が悪くなる大自然の中を歩くと、河上に行けば行くほど川幅は広がり、人の立ち入るような風景ではなくなっていく。段々と聞こえる大きな水音に心躍らせながらその源に辿り着いた。
お昼をとっくに過ぎる頃、念願の大きな滝を目にして俺は思わず興奮の声を上げた。
「こりゃ予想以上の秘境だな……」
河上は小さな湖になっていた。湖底に沈む鉱物のせいか、透き通る水はエメラルドグリーンの光を反射している。その空間は神聖な雰囲気に包まれていた。
そしてその湖に力強く降り注ぐ滝。近くまで来るとその水音でうるさいくらいだ。
見上げると頭上高くから滝が流れ落ちている。高さは……見上げると僅かに首が痛むくらいで、七、八階建ての建物くらいはあるだろうか。
大自然の光景にしばし言葉を失ったが、太陽が僅かに傾き始めているのに気づいて意識を取り戻す。あまりのんびりしていたら真っ暗闇の中を帰る羽目になる。
「さて、お目当ての品は……っと」
キョロキョロと周囲を見渡してみる。小さな湖の外周を散策してみる。すると案外あっさりと桃色の花をつける植物を見つけた。
一輪、二輪。根元から優しく摘んで、潰れないように用意しておいた布にくるんでバックパックにしまう。
更なる収穫を求めてぐるりと湖の周りを探してみた。苔むした岩場と大木で辺りは緑のワントーンだったので、桃色の花は良く目立った。それほど苦も無く十五分ほどで十輪の花が見つかったのである。
「九、十、か……確か一輪で1ジェムだから、こんだけ遠出して10ジェムか……宿代払ったら完全に赤字だな」
気楽な遠足気分で出てきて、今から帰ると一日も終わるころだろう。丸一日使って赤字になるとは、意外と冒険者家業も楽ではないらしい。
とはいえもう辺りにはコロネ草は生えていないようだし……。
「……ん?」
と、コロネ草を探して辺りを散策していると、桃色の花がちらっと眼に入った。
それは滝上に続く断崖にちらほらと咲いていた。
「おいおい……さすがにあんなとこには行けないぞ」
思わず諦めの言葉を吐くが、よく見てみると、滝の上……流れ落ちる水源の辺りに、とんでもない数のコロネ草が群生していた。
その数は十や二十で効くものではない。……一攫千金、そんな言葉がチラついた。
崖の岩肌に生えているのはさすがに無理にしても、迂回して崖の上側まで回ることができれば比較的安全なのではないだろうか。
善は急げと勇み立つ。ザッザッと苔を踏みしめ、どうにか滝の上に上る道がないかと散策した。さすがに大した装備もないのに断崖ロッククライミングは不可能なのである。するとどうだろう、密集して群生した蔦を引き剥がしてみると、その先には崖上へと続く小道のようなものが見つかったのだ。確かに急斜面ではあるのだが、都合よく人一人登ることが可能そうである。
目先の報酬に欲で目がくらんだ俺は迷うことなく岩壁に手をかけ、ひょいひょいと崖を登って行った。
「おっ、意外と、楽だな……」
やはり強化された身体能力のおかげか、多少の勾配は苦にもならない。
ほんの十分も山登り気分で滝の上まで迂回していくと、ようやく登りきることができた。
「うおおお……大漁じゃねえか!」
そこにあったのは一面に咲き乱れるコロネ草。緑深い森林に群生する桃色の花たちは世界から取り残されたようにこの場には似つかわしくなかった。
崖の上はより一層森が深くなり、より濃い自然の香りが鼻を尽き抜ける。地理的には全く違う場所であるはずだが、どことなくあのハジャの森の雰囲気と似ていた。
河下にあった樹木とはまた別の種類の木なのかもしれない。まるで岩のようにごつごつとした肌を持つ巨木が河を囲うように密集していた。
さてさて、俺は手当たり次第にコロネ草を摘んでいく。十輪一束を適当な雑草の葉で結んで、次々にそれをバックパックの中に押し込んでいった。20、30、40、50、60と次々にしまい込んでいく。
目に入る範囲のコロネ草をあらかた摘み終わった頃には、バックパックはパンパンになっていた。
まだここに群生しているコロネ草は半分も摘み終わっていない。こりゃまた来る必要があるか、と思ってそろそろ帰ろうかと思ったその瞬間、
「……っ!」
気味の悪い感覚が背中に走った。
これは、緊張だろうか。しかしなぜ?
自身の体に何かが起きたのか、一度頭をクリアにして考えてみる。
そして同時に周囲の様子を探ってみた。気力感知である。
「……これ、は」
自分の感知のギリギリ外れ辺りに、何かの気配がある。
最初は気のせいかと思った。まだ完全にコントロールすることのできる能力ではない。気のせいということもあるだろう。
だがしかし先日の命の危機に瀕したときのことを思い出した。こういった人の手があまり入っていない森が決して安全ではないことを俺はもう知っているのだ。
その気力に気づけたおかげか、それの僅かな身じろぎを感じることができた。
やはり気のせいではない。何者かがいるのだ。
……しかし、その気配の色味はこれまで感じてきたものとはまたどこか異なっていた。
町にいる人たちはヒトであろうと亜人であろうと、例外なくみな緑色の雰囲気をまとっていた。唯一の例外といえばドス黒い気力を持っていたヒイロのみだ。
だがしかし今俺の感知の中にいる何者かは……例えるならば青色に近い気配を持っているのだ。
余談ではあるが、この色というのは決して実際視覚として色が見えているわけではない。シャルマが匂いで気配を察知するのと似たように、俺はきっと色分けして感覚を察知する能力なのだと思う。
「って、そんな悠長に構えてる場合じゃないな……」
俺は万が一に備えて腰にあった長剣を抜く。金属の擦れる音が鳴り響いた。
それが森の奥にも響いたのか、音に反応した青い気配がグンとスピードを上げてこちらに向かってくる。速い。人の走る速さではない。
ここまで来て俺は気付いた。その気配を形作る気力、その姿が四足を取っていたことに。
……つまりは、獣である。
あ、と思った瞬間にはぐんぐん距離を近づけてくる気配はもはや目前まで迫っていた。
「うぉぉおッ!!」
反応は一瞬だった。茂みの中から飛び出した灰色の塊に対し、やみくもに長剣を振り回した。
運が良かったのか、長剣の切っ先が飛び出してきた獣の牙と思わしき部分にガチリとあたり、それを嫌がった獣が勢いを殺して距離を取る。
「お、狼か……!?」
それは灰色の体毛に覆われた狼のような獣であった。
先日の謎のキメラのようなとんでもない体躯ではない。全身はせいぜい大型犬くらいで、見た目も殆ど犬に近い。だがその口先は突き出しており、獲物に食らいついたら骨まで食らいつくさんとする鈍い光の牙がのぞく。
「ガルルルル……」
低いうなり声をあげる。
くそ、ロルドめ……危険のない仕事だとか言ってなかったか。
とはいえ、前回死にかけたときに比べると条件は悪くない。まず相手の獣が常識の範囲内に収まる寸法であること。凶暴そうだとは言え一体しかいないこと。そして俺には武器と防具があること。
だがこれらの条件がそろってなお、俺は僅かに震える手足に気付いた。当然である。こちとら平和な日本で育った今どきの青年である。危険な野良犬すら生活の中にはいなかったのである。
冒険者として多少の危険は負うかもしれないと覚悟はしていたつもりだったが、さすがにこうして再び敵意に満ちた獣を眼前にすると……怖いのである。
そもそも未だにチート能力の獲得イベントが発生していないのだ。これは進行上の不具合じゃないのか。
「つっても、今日はヒイロがいるわけじゃないし……自力で何とかしないと」
威嚇し続ける狼。ジリジリと間合いを図るようにこちらの出方を伺っている。
悔しいのは、こいつにとって俺は獲物でしかないということだ。
先ほど獣の勢いをはじいた右手がジンジンと痺れている。なんと貧弱なことか。こんなことで本当にこいつを相手に出来るのか……? しかし負ければこいつの餌となる。覚悟を決めなければならないようだ。
「ガルルル……ガウッ!」
膠着に痺れを切らした狼が、前足のバネを使って飛び掛かって来る。今度は少し冷静な思考のおかげで、どう動くべきかが判断できた。
飛び掛かり牙を覗かせる狼に対し、左腕を守る革鎧で受け止める。
「ふっ!」
重量のある衝撃に僅かに体制が崩されるが、ぐっとその場に踏みとどまる。ズズ……と後ろ脚が地を滑る。
……さすがに安物とはいえ冒険者用に設えられた防具である。大きな狼の牙を食らってなお、受け止めた左腕は無傷であった。
「んどりゃあああ!!」
そしてそのまま、力に任せて噛みついたままの狼を地に叩きつけた。
キャイン、という鳴き声と共に巨体に鈍い衝撃。
よし、手応えありだ!
「どうだっ!?」
しかしダメージ自体はそれほどでもなかったのか、すぐさま体勢を立て直す。
怯むことなく再度飛び掛かり、鎧に守られることのない首筋に向かって鋭い爪を伸ばしてくる。
「うっ、くうっ、あぶ、あぶねえっ!」
その爪が首筋の肉に食い込むという一歩手前で慌てて状態を反った。空を切る爪。ほんの一瞬対応が遅れたら危なかった。
「おらあっ!」
爪での攻撃を空かして無防備になった狼に、長剣を横薙ぎに振るう。
さくっという軽い感覚を右手に感じる。腹を見せていたところに剣先が掠めたのである。
「はぁっ、少しは応えたか、犬畜生!」
辺りに血が飛び散った。致命傷とまではいかなくとも、完全に急所への一撃である。軽くはない傷を負ったはずだ。
「グルル……グルルル……」
しかし依然として狼の瞳から殺意の炎が消えることはない。逆に敵意が強くなったようにも思える。
なんでもない獲物だと思ったが思わぬ反撃を食らって怒りに火が付いたのだろうか。
「……?」
……ゴオッ、と、瞬間、狼の持つ気迫のようなものが増したように感じた。
気圧されるように、足元から力が抜ける感覚。
「!?」
咄嗟に気力感知をしたのは本能だったのかもしれない。得体のしれぬ不気味な感覚に勝手に反応するように、ほぼ無意識に狼の気力を探っていたのだ。
「なんだ、これ……」
という訳でチュートリアルクエストかと思って油断してたら襲われた。
「本来だったら北の平原には危険な獣は少ないはずなんだけどね。どうやらどこからか迷った狼が入り込んだみたいだ」
お、おう、ヒイロさんじゃないか。……今日は過激なネタバレは勘弁してくれよな。
「どうもその辺のさじ加減が僕には難しいんだよね。という訳であまり本編に関係なさそうな話でもしようかな」
よし、不安が残るが話してみてくれ。
「リルの北部であるこの辺りは、この国でも特に重要な農業の要の地域でね。基本的には麦を育ててて、この国の人たちの口に入るパンは大体ここから生産されるんだ」
へえ。確かに広いとは思ったけど、さすがに国民全体の食糧を賄うには足りないんじゃないか?
「その辺りは魔術的な力が使われていてね。土というか肥料に使われているのが、あの魔術大国であるローラフから最近になってモディアンドの商業自由連合に流入した……」
はいはいはーい! 聞いたことのない言葉がたくさん出て来たので終了ー!
それは本編で今度聞きまーす!
「ううん、これもダメか。やっぱり良し悪しのラインがわかりづらいなあ」
逆になんでわかんないんだよ……。
はい、ということで今日もお疲れさまでした。お帰りください。




