初級クエスト、チュートリアル
さて翌日。ガンガンと痛みを訴える額を抑えつつ目を覚ました。
昨日の惨状を思い出し僅かにブルーになったりもしたが、とりあえず二日酔いをすっきりさせるために取るべき行動があった。
それすなわち朝風呂である。
部屋に備え付けられた浴室に入ると、円形の大きな桶のようなものが設置されていた。まだシャキッとしない頭でその周辺を探ってみると、どうやらスイッチのようなものがあるようだった。
どういう仕組みかわからないまま、とりあえずスイッチを押す。すると桶の中に貯められていた水が急激にコポコポと音を立てて熱を持ち始めたのである。
はー、いやいや一体どういう仕組みなのやら。少なくとも俺の知る限りこんな科学技術はない。ということはこの世界特有の力、魔法技術なのだろう。
よく見ると桶の周囲の枠組みには細かく細かくこの世界の文字による装飾が施されていたのだ。なるほどつまりこの水桶のような風呂すらもこの世界ではマジックアイテム、魔道具ということなのか。
しばらくすると適温となった桶の中のお湯。湯船の出来上がりである。
「ふえ~……」
情けない声を上げる。
思えばこの世界に来て初めての風呂である。昨日は酒と心労のせいでくたくたになり風呂どころではなく、部屋に戻った瞬間にぷつっと意識が切れてしまった。
そういえばシャルマは無事に帰還できただろうか。任せろとメイドのシノちゃんが言うものだから完全に後を頼んで部屋に帰って来てしまったが……まああれでも亜人の娘だ。普通のヒトよりかは幾分力もあるだろう。それにシャルマが酒で理性を失うのには慣れっこだったようだし、大方シノちゃんが最後はいつも面倒を見ているのだろう。
それよりシャルマが昨夜の乱痴気騒ぎをどこまで覚えているかの方が問題か……。
「まあ、またシラフの時に会ったら軽く話してみるか……」
それからしばらくのんびりした。
とはいえ本日の目的地である冒険者ギルドには早めに向かっておきたい。できれば今日の内に俺でも達成可能そうなクエストを受けて、まずはこの世界の冒険者家業に慣れなくてはいけないからだ。
「チヒロさん、昨夜は大変だったな」
と、階下に降りた俺を迎えたのは店主のダラス。
相も変わらず恰幅がいい。さてさてこの宿屋はどうやらこのダラスとメイドのシノちゃん、そしてキッチンシェフのイ族の三人で回しているのだろうか。だとすると結構なハードワークである。
ダラスには夕べも酔いつぶれたシャルマをその場に残して退散する時、同情するような目で見られたのである。
「あのシャルマ女史はいつもあんな感じなのか?」
「いやー……あそこまで出来上がっちまったのは久々に見たなあ」
受付の中で帳簿に何かを書き込んだりしながら会話する。こんな見た目の男ではあるが事務仕事までこなすのか。
「久々っていうと、シャルマはずっとここに?」
「ああ、もう半年くらいになるかね」
なるほど。そういえば結局シャルマが何者なのか、というような話は全くできなかったな。
冒険者でもあるとか言ってたが……。まああの騒ぎの中では落ち着いて世間話もできないというものだ。
「ひぃ~お仕事大変なのですっ」
と、大慌てで裏手の方から飛び込んできたのは可愛らしい看板娘のシノちゃんである。
両手には真っ白いシーツをごそっと抱えている。
「これシノ! お客様の前だぞ!」
「あわわ~!?」
そんなシノちゃんに対して店主ダラスの雷が落ちた。
ビックゥ、と震え上がったシノちゃんがまるで漫画か何かのようにその場で飛び上がり、両手に持っていたシーツの束を落としてしまう。そして自身が抱えていた白いシーツに埋もれるようにすっころんだ。
ドタン、と割と大きな音をさせながら倒れたために、衝撃で目を回しているようだ。今日も今日とて転んだ拍子に捲れたメイド服のスカートの奥には真っ白な光景が待っていた。
うーんどうやらシノちゃんは俺の異世界物語の中においてロリ枠のラッキースケベ担当であるらしい。
「はあ……申し訳ない、チヒロさん。どうにも落ち着きのないメイドでな」
「ウム、その方がいいんじゃないでしょうか」
「は、はあ……?」
近年まれに見る笑顔でそう答えると、ダラスは困惑したように返すのであった。
◇
さて、朝は寝過ごして朝食にありつけなかったので、昼飯も兼ねて露店を軽くぶらつく。香ばしい匂いに釣られてつい買ってしまったのは大ぶりの肉の塊を直火で炙った串。うん、うまい。それを腹に収めながら、ギルドへの道のりを歩く。
昨日一度通ったとはいえ、慣れない町の一人歩きはいい大人とはいえ迷子になる可能性がある。何せこの町は同じような造りの路地や建物が多いのだ。
元居た世界ではそれほど迷う心配も無かった。それは目印になるような大きな建物やチェーン店なんかが点在していたからだ。
一方この世界にはそんなものは無い。似たようなレンガ造りの建物が並び、誰もが知ってるコンビニなんてありゃしない。次のコンビニを右に、とかいうような前世では当たり前だった経路情報もこの世界では通用しないのだ。
「えーっと……っていうか昨日は気力感知の練習しながらだったからそもそも景色なんて見て歩いてないんだよな……」
前途多難、である。
想定よりもちょこっと遠回り……もとい、迂回をしてようやく辿り着いた冒険者ギルド。
さて、ようやく本格的に冒険者活動が始まるのである。
「確か受付で依頼を斡旋してもらうか、掲示板で良さそうなクエストがないか探すんだったな。さすがにあの化け物みたいな奴と戦うのはごめんだが……せいぜいスライム討伐くらいのチュートリアルクエストはないかね、っと」
そう独り言ちて、キョロキョロとギルドの中を伺う。
昨日の今日で急に人が減ったりはしないか。相変わらず広間でざわつく冒険者の集団の中をすり抜けながら、俺はとりあえず右手側にある三面の掲示板の方にと向かってみた。
「……ううん、そういやすっかり頭から抜け落ちてたな」
木の枠に巨大なコルクボードを張り付けたような掲示板は、色々な依頼書で溢れていた。
ものによっては手描きの絵なんかが載っていて、視覚的にわかりやすい。
……しかし、いかに絵があって視覚的にわかりやすくとも、俺には書いてある字が読めない。
「まいった」
不思議パワーによって言語の壁は取り払われてコミュニケーションは可能だが、相も変わらず象形文字を崩したようなこの世界の文字は解読不可能なのであった。
さてさてどうするか、と考えていた時、すっと隣から掲示板に新たな依頼書が張り付けられるところだった。
「ん?」
「おや」
その伸ばされた腕、を辿って行くとそこには見覚えのある顔があった。
「チヒロ君じゃないか。体が治ったら早速クエストかね、冒険者は大変だの」
「ああ、ロルド先生、こんなところで奇遇だな」
それはここ数日世話になっていた診療所の医師、ロルドだった。
昨日新たな宿を決めて買い物を終えた後、完治したので退院する旨を伝えて別れたばかりであった。
「病み上がりなのだから、あまり危険な仕事は……ああ、そうだ、よかったらわしの仕事を受けるかね?」
そういって掲示板に張り付けようとした依頼書を見せてくる。さらさらっとこの世界の文字で概要らしきものが書かれていて、隅の方にはまるで写真のように精巧に描かれた花の絵。
すっと長く伸びた茎の先に桃色の小さな花を無数に咲かせている。
「これは?」
「コロネ草だよ。医者以外には馴染がないかもしれんがねえ、殺菌効果が高くて治療には不可欠なんだ。それだのに人の手での栽培にはまだ成功しておらんでの……」
言われて再び絵を見る。ううむ、花には特に興味のない俺ではあるが、確かに見たことのない植物である。
「そろそろ保存していたコロネ草が尽きそうでの。本来であれば遠くの町からの行商が運んできてくれるんだが、どうも最近供給量が少なくなってな。綺麗な水場の近くに自生しとるので、ここらだと……北の平原を越えた滝の付近に僅かにあるくらいなんだが、どうだ、取って来てくれるかね」
ふむ。薬草の採取クエストということだ。
序盤のチュートリアルとしてはなかなか王道と言えるだろう。
……よし。
「良いでしょう、この俺が採って来て見せよう」
胸を叩いて任せろ、というジェスチャー。
「そりゃ助かる。北の平原には大した危険もないだろう。今から向かえば夜には帰ってこられる距離だ。今度は大ケガ負って運び込まれんようにのう?」
そういって小気味良く笑う。うーん、ロルド氏、なんか変なフラグ立てないで欲しいんだがな。
とりあえず依頼書を受け取ると、ロルド先生は帰って行った。俺もそのまま受注カウンターに依頼書を持ち込んで、昨日とはまた違うお姉さんにクエストの受注をお願いした。
その際注意事項として言われたのは以下の二つ。
『報酬はあらかじめ依頼人から支払われた金額から二割を引いて支払われます』
これはギルドという組織体系上まあ仕方ないかと思われた。いくら国家間運営の大組織だとはいえ、本来の業務とは異なる個々人と冒険者間の仕事の受注・斡旋を行っているのだ。無償という訳にはいくまい。いくらかのピンハネはあってしかるべきだろう。
『上限を超えて納品された場合、ギルドによって想定報酬額の半額で買取を行います』
これはつまり依頼人であるロルド先生が『コロネ草が百個欲しい』と言っているのに、俺がついうっかり百五十個持ち帰って納品した場合、その上限を超えた五十個はロルド先生ではなくギルドが買い取り、金額も半額になるということだ。
これはいいシステムだなと思った。依頼人に必要以上の金額を支払わせることもなく、冒険者の労働も無駄にはならず、ギルドも通常より安く素材を入手できる。誰も損をしない仕組みだ。
さてさて、というわけで俺は正式に冒険者として初クエストオファー状態となったのである。
目指すは北の平原、狙いはコロネ草である。
冒険者としてようやく一歩目だな。チュートリアルってやつだ。
「と言っても、ガイドみたいなのは出ないんすね」
この世界はただの異世界だしな、ゲームチックな要素はないっぽいぞ。
「ステータスみたいなのが出てくる異世界モノもあるじゃないスか」
チッチッ、小野君。それは違う。
それはゲーム世界がモチーフになっている世界であって、ハイファンタジーな異世界とはまるで異なるのだよ。
「一緒じゃないすか。魔物がいて、魔法があって、勇者がいるんでしょ?」
わかってないねえ、これだからニワカオタクは困るよねえ。
オタクが一番嫌う者を知ってるかい? リア充? 違う違う、適当に仕入れた知識で間違ったことをベラベラ喋るニワカの自称オタクだよ、小野君。
「なんか今日の狩谷さんはイラっとしますね」
フッ、俺に異世界論を吹っ掛けるなら、少なくとも異世界モノのアニメをニ十本見てから出直しな。
「…………」
……あれ、小野君?
おーい。まだ帰れって言ってないよ?
「…………」
小野君? どうしちゃったの?
あれ、もしかしてホントに帰っちゃった?
お、怒っちゃったかなー? ……ちっ。




