オーク、またはイ族
さて、その後近くにあった防具屋で適当な装備を見繕った。
業物を格安で譲ってもらったとはいえ、100ジェムという金額は今の俺からすると決して安くはない。
その後の買い出しはなるべくケチりたかった。とはいえ命を預ける防具である。それなりの強度は必要となる。フルプレートの鎧にも惹かれたが、どうにも俺がそれを着込んで満足に動ける姿が想像できない。どう考えても重すぎだろう。
もうちょっと動きやすい防具を、と考えた。訪れた店の中で一番軽装なのは革鎧である。いわゆるレザーアーマーというやつだ。こちらも品質と値段はピンキリであった。
しかしあの時のビックリモンスターに易々と切り裂かれた時のことを思い出し、こんな装備で大丈夫か? という疑問が脳裏から離れなかった。
結局最終的には、革を煮込んで強度を増したハードレザーを主体に、急所部分に金属のリングを重ねて補強した革鎧を選んだ。金属製のプレートアーマーとまではいかないが、それなりに頑丈な鎧である。着込んでみると意外と軽く、多少動き回る分には殆ど影響はない。まあこの鎧でもあの獣の牙を受けれるかと聞かれたら、はなはだ疑問なのではあるが。
その後、別の店でいくらかの携行食を買い込んでバックパックに突っ込んだ。まだクエストを受領したわけではないが、どこまで遠出をするのかわからない。せっかくキャンプセットを買ったのだしちょっと遠出して野営するくらいの心積もりはしておいて損はないだろう。
結局この買い物で支払ったのは全部で120ジェム。その前に購入した冒険者セットとお試しの薬品、剣の代金と合わせて275ジェム。所持金は199ジェムとなった。
最低限の冒険の準備は整ったとみていいだろう。少々使い過ぎたかも、と思ったが、支度金が500ジェムだったので逆に考えれば半分弱を残すことができたわけだ。それに冒険者家業が軌道に乗るまでのしばらくは収入が見込めるかどうかも怪しいのである。宿屋に宿泊する分のいくらかを残せたと思えば御の字である。
俺は買い出しに満足し、日が暮れる中、宿屋に戻って来たのであった。
それから部屋に荷物と武具を置き、再びベッドにダイブして十五分ほど甘い残り香をはすはすして、すっかり暗くなった窓の外を確認した後に宿の食堂へと降りて行った。
「おお、こりゃまた賑やかだな」
食堂は思ったよりも広かった。三十近い部屋の宿泊客が食事をとれるスペースなのだから、そこそこ広いのは当たり前だった。
ランプで照らされた食堂には、六人ほど座れそうな大きなテーブルが十はあった。一画にはバースペース的なものもあり、そこで静かに一人で食事をとる者もいる。
俺が食堂に入った頃には既に半分以上のテーブルが使用されており、威勢のいい声や笑い声が辺りを支配している。
宿屋というからにはその利用者はやはり冒険者が多いのだろうか? みなお酒が入っているようで、筋肉たちがガハガハと大声をあげて宴会騒ぎをしている。
こりゃあ、宿屋の食堂というより酒場のノリだな、と思った。きっとその役割も兼ねているのだろう。
「おや、あんたはえーっと……チヒロさん、だったかね」
声に振り替えると受付をしてくれた店主のダラスだった。どうやらバースペースに入りマスターをしているらしい。
「随分賑やかなんだな」
「ま、冒険者の宿だからな。毎晩こんな感じだ」
透明なガラスのコップをきゅっきゅと拭きながら、ダラスは言う。
「食事はあっちの配膳所に行って受け取っとくれ。好きなところで食っていいからな。それから酒は別料金だ。つまみもな」
ダラスはその配膳所らしき場所を教えてくれる。厨房の中が見えて、中にいるのは亜人のシェフであることがわかった。
この人数の食事を一人で作っているのだから手際がいいのだろう。腹も減ってきたことだし早速俺も飯にありつくとしよう。
大学の食堂のように自分で配膳所まで行って料理を受け取るようである。
近付く俺に気が付いた亜人の男、大柄で恰幅が良く、肌は茶色。というか体毛でふっさふさである。
コック帽らしきものを頭にかぶるその男……顔を見ると、まん丸の険しい顔つきに突き出した鼻。その先端は潰れている。大きな口の左右には立派な牙が二本生えていた。
っていうか……頭部は完全に豚である。
「……オーク!?」
「ああん?」
オークのシェフは怪訝そうな顔つきで、慣れた手つきで俺のトレイにポンポンポンと次々に料理の乗ったプレートを乗せてくれる。
「俺らのことをオークと呼ぶ奴は久しぶりだな。あんちゃんどこの出身だい」
「お、俺は……えーっと、遠くの方から……」
通常、オークというのは魔物の代表格である。俺の知る限り強靭な肉体を持つものの知能はそれほど高くなく、群れを作って女をさらうことで有名だ。姫騎士さらって苗床にするのは大概このオークのはず。
とはいえ異世界モノによっては魔物ではなく獣人として描かれる作品も少なくない。モノによっては知性を有して人間の味方をすることもある。
この世界のオークは人間の味方の方のオークなのか……。
「オークってのは俺らの民族の古い呼び方だ。今はイ族って言うんだぜ。いったいどんな田舎の出身なんだか」
訝しがりながらも、最後のプレート……大きな一枚肉をこんがり焼いた皿を載せてくれる。
「ほらよ、冷めないうちに喰えよな」
そう言いながらオーク……ではなく、イ族のシェフは厨房の奥に引っ込んで、大きな鉄の鍋を振り始めた。
とても器用そうには見えない巨体で容易く鍋を振っている。一見すると豚の蹄のような両手なのだが……。何とも不思議なものを見た気持ちになった。
空いている席を探す間にも、続々と宿泊客が集まってくる。
どうやら一種のコミュニティができているようで、賑やかに入ってきた集団が、先に宴会を始めていた別の集団に交じって更に大きな集団になっていたりする。冒険者同士色々なつながりがあるんだな。
そういえば昼間にギルドに行った時も思ったが、この世界の冒険者たちは結構気さくで仲がいい。組んでいるチームがあるのだろうが、それ以外のメンバーとも気兼ねなしに交流を持っているのだ。
実のところ俺はこの三十年近く、友達と呼べる友達もおらず、孤独に過ごしてきたぼっちである。酒の力を借りたコミュニケーションも苦手だし、見知らぬ奴と気さくに話して意気投合、というのもかなりハードルが高い。
せっかくの二度目の人生なのだから思い切って異世界デビューしてみたい気持ちも無いわけではないが、まぁ、焦ることはないだろう……。
「よし、何はともあれ腹ごしらえだ」
ようやく空いている席を見つけて座る。食事の時間だ。
イ族のシェフが用意した晩飯は、それはそれはうまそうであった。
メインは俺の顔ほどの大きさのあるステーキである。香辛料が効いているのか、食欲を煽る香りが鼻腔をくすぐる。
サイドにあるのはグラタンに似た料理だろうか。小さな鉄鍋に野菜と芋をとろっとしたソースで絡めて、直火で焼いたのか表面は茶色く焦げてサクサクだ。
別のプレートには野菜料理。俺の知るものと同じかどうかは不明だが、茹でた発色の良い野菜と豆に薄緑色のソースが掛けられている。
最後にスープ。具材は入っていないようだが、スープ自体にとろみがついている。というよりはこちらも野菜主体か。ドロッとしているのは恐らく煮込んで原形のなくなった野菜なのだろう。オレンジ色が美しい。
そして脇にはマッシュした芋。どうも芋と野菜の比率が高い。正直肉にはライスが欲しかったのだが、今の所この世界で米を食わせる店には出会っていない。西洋ファンタジー世界にありがちで、もしかすると米は無いのかもしれないな……。
とはいえ目の前の豪華な食事の数々はぐるるる、と腹を鳴らすには十分すぎた。いただきます、と両手を合わせて晩飯にありつく。
「……うまい!」
飽食の時代とされた現代日本に生まれ育ち、そこそこ舌の肥えた俺ではあるが、この世界の食事はうまかった。
昼間に食べたサンドイッチもうまかったが、やはりこうして熱々の食事を頂けるというのは幸せの一言に尽きる。ここ数日は入院生活のせいで栄養素だけは豊富な冷えた食事だったからな……。
メインの肉は僅かに臭みがあったが、香辛料がその臭みを消して、より食欲を促す香りに昇華している。むしろこの臭みが癖になる。例えるならばマトン肉のようだろうか。牛や豚の肉質で無いのだけは確かである。
俺はしばらく異世界メシに舌鼓を打つのであった。
いやあ、オークですよ、オーク。
やっぱりわかりやすいファンタジー要素があると滾るよなあ。
「いやー、オークが人類の味方の方の異世界スかあ。残念でしたね、狩谷さん」
いや別に、全然残念じゃないけど、どういうことだよ小野君。
「そりゃねえ、オークにさらわれて〇〇で目が〇〇みたいなのって、やっぱ定番でしょ。そういうシーンがないってことじゃないスか」
いやそもそもこの物語そんなエゲつないの出て来ないでしょ! そういう感じじゃないでしょ!
「でも狩谷さんだって姫騎士うんぬんって言ってたじゃないすか。ちょっと期待してたんでしょ?」
ちょっとだよ! ホントにちょっとだけ!
「とか言ってまあ、実は人の中に紛れ込んで実は夜な夜な悪さしてるんでしょうねえ、オークだから」
やめたげてよ! シェフの風評被害だよ! めちゃくちゃ真面目に仕事してるいいオークじゃん!
「そしてその裏の顔は……」
やめなさい! そして今日のところはお引き取りください!




