7・旅に出よう!
暗がりではしゃぐのはあまりオススメ出来ない。それ以前に危険だからな。
俺達義兄妹は現在ホームレス状態な為、千寿ヶ峰市を少しだけ過ぎた橋の下で壁に寄りかかっていた。
これが冬だったら寒さに凍えてしまうが、今が春で助かった。暖かい風が吹いている。
俺が迂闊な行動を取らなければ、こんな目には遭ってなかったんだろうな。そう少し後悔した。
右で毛布をかけ瞳を閉じるチカの頭を優しく撫で、ぽつりと言葉を零した。
「ごめんな、チカ。責任取ってお願い聞いてやるからさ。金銭的な頼みは聞けないが」
一瞬、チカの睫毛が震えた気がしたんだが、見間違いだろうか?
俺もそろそろ眠たくなってきたな。警察とかに事情を訊かれるかも知れないが、今日はここで野宿としよう。
持参していた毛布は一つだけなので、俺は布団をかけずに就寝した。
春風が吹く中眠るのも悪くはないな。なんて。
「ん、起きろチカ。朝だぞ」
「んん……お兄ちゃん早いね」
いや、恐らく普段よりチカの睡眠時間が長かったのだろう。いつも六時前に起床していたチカだが今日は九時だ。
俺は普段通りの長時間睡眠なのだが、チカより早く起きれたのには驚きだ。絶対無理だと思ってたよ。
チカは尻の砂や草を払うと、溜め息を吐いた。
立ち上がり右腕を嗅ぐ。やはり臭いが気になってしまうのだろうか。
前日はホームレス&金の節約の為風呂に入っていない。探せばあるだろうが、この町の銭湯は知らないしな。
衛生的に不安になってきたな。家を失くして一体どうしろと言うんだ。
結局宿には辿り着けなかったから、一日だけでも泊めてくれるのか分からない。
寝起きで欠伸を隠すチカの手を握り、バッグやリュックを担いで行く。
何でもいいからまずは宿に向かってみよう。
「ダメ〜。昨日だけって約束だったからね、その代わり代金払ってくれれば止まらせたげる」
「いいです」
やはりか。だと思ったよ。
大抵の旅館や宿屋は事情があるからとただで泊まらせてはくれない。母さんが金を払っているのだとしても、騙し取って俺達は休ませないだろう。
そもそも、夜に家を出たのに隣町の宿屋など見つかる望みも薄い。この宿主は初めから分かっていたんだ。
俺達が疲れ果ててやって来たところ、金を払わせるつもりだ。
普通なら当たり前のことだが、口約束というのは余りにも残酷なものだな。
俺は頭を下げて宿の外に出た。
「チカ悪い。この宿屋の人は母さんからお金を払われていなかったらしい。でない限りぼったくりとも言えるからな」
チカは歩き疲れてはいない様で、楽しそうにケンケンパをしている。お前高校生だよな?
俺が話しかけた事で遊ぶのを止め、振り向いた。
「そっかぁ、だったらどこ行こうね? ここら辺旅館とかも無さそうだし、田舎っぽいからかホテルとかも見当たらないもんね」
「そうなんだよ。せめて今日は風呂に浸かりたい」
「私もぉ」
宿に泊まれないのはまあ仕方ない。諦めよう。
だがせめて風呂に入りたい。このまま歩き続けるとなると、夜でいいのだが。
ホテルホテルとぶつぶつ零し、周囲を見回す。やはり木や古びた家などだらけでホテルなどは無い様だ。
男の俺でも汚れるのは嫌だというのに、女の子であるチカは更に嫌だろうな。
キョロキョロしていたチカは途端に溜め息を吐き、腰に手を置いた。
「うぅん、せめてラブホテルでもあればなぁ」
「いや普通のホテルでいいだろ」
「だって中おしゃれだし」
「普通のホテルも充分……なぜそんなこと知ってんだ?」
「あ、いや何でもないよ〜。早く進もう! 別に泊まれる場所探さなきゃ!」
はぐらかされた。
あの反応、中を確認したことがあるということだろう。
つまりは入った? 入ったのか!? 一体どこの誰とだ!? 俺のことが好きなんじゃなかったのか!?
──あり得ない程気色の悪い嫉妬を自覚し、俺は項垂れた。俺は義妹に欲情したい訳ではない。
このご時世、ネット上にゴロゴロと出て来るだろう。それを見ただけに違いない。そうと思いたい。
チカが誰かとラブホにイチャイチャラブラブしながら泊まったというのなら、俺は今すぐ消え去りたい。何故か。
あてもない筈なのに迷い無く進んで行くチカの後に続く。俺が歳下の気分だな。こういうの普通歳上がリードするもんだろ。
それより、歩きっぱなしで疲れてきた。ニートにこの運動量は大変だ。
健康な人間は全然苦労しないんだろうけど。
「チカ、お前これどこに向かってるんだ? そっちの道はほら、看板に書いてある。別の町に行っちゃうぞ」
昨日まで住んでいたのが千寿ヶ峰。今居るここはその隣の町源曽川。この先は看板を確認すると「念胴木町」らしい。
聞いたことはあるが、有名なものも目立つものも何一つ無い。海が近くにある訳でもないし、大きな山があったりでもない。
そんなとこに、ズカズカと脚を踏み込んでチカは進んで行く。
恐れも無いその顔に惹かれつつも、俺は歩行速度を普段の倍近くにした。
それでも追いつけないチカさんマジ半端ねぇ。
「あてなんか無いよ。でも、私とお兄ちゃんならどこにだって行けるし、どんな困難も乗り越えられるもん!」
「そ、そうか……」
チカは出来ても俺は無理な気がする。
ニートになってた兄妹ものゲーマーの俺が何か役に立つとは思えない。何せ、一人で多大な仕事をこなしてしまう義妹がいるのだから。
いつまでも隠し通しているつもりらしいが、流石にそろそろ察してるからな。つぅか分かってる。
息切れもしていないし、脚を止めようともしていない。チカのスタミナ、バイタリティは無尽蔵な様だ。
対する俺はもう息切れがして、早足でチカを追うからか脛辺りが激痛だ。休憩したい。
でも、チカが行くってんなら、俺も行くしかないだろうな。
田舎に有りがちな滑らかに上がって行く大きな坂に遭遇した。左右が木々で覆われ、森らしき場所へ続いている様だ。
坂の奥には森林が威圧感を思わせ、佇んでいる。
不気味なのと、虫に刺されたくないのがあって進みたくなかったが、チカが迷わず入って行くのでついて行った。
「しーんとしてるね。森の中って、音でも遮断されるのかな」
「いや、それはないな。森の中は森の中で何かと騒がしいものだろ。なのにこんな静まり返ってるとは」
「だよねぇ〜」
不思議な空間に首を曲げていると、チカが含む様に口の端を上げた。
「何か、危険な場所だったりして……」
やや楽しそうなチカとは別に、俺は背筋に凍てつく様な寒気が走った。
危険な場所って、何だ?
落とし穴だらけとかか? 獣の縄張りだとかか? それともその、幽霊とかの類が棲むとか……?
どれだとしても、危険度が高いだろう。チカでも耐えられないかも知れない。
そんな危険に晒したくはない。
木が一本倒れているのを跨ぎながら、傍に落ちていた直径五センチメートル程の太さをもつ木の枝を拾った。
ずっしりとした重さがあり、強度も高そうだ。
もし獣が襲いかかって来たとしても、対抗出来る可能性も出て来た。
そう分かったとしても、早く抜けたい。俺弱そうだし。
「お兄ちゃん何やってるの?」
「獣対抗の武装だ」
「木の棒で? あと多分、そんな凶暴な動物はいないと思うよこの森。普通に進もう?」
「そ、そうか」
そんな凶暴な動物がいない、か。よく考えたら獣臭があまりしないな。
虫は多くいる様だが、動物は少ないのかも知れない。ひとまず安心だ。
それにしても長い森だな。外側から見たときは大して大きく見えなかったんだが、いざ入ると長い。
かれこれ十分程度は歩いたと思われるが、出口どころか光すら入って来ない。これ、日が暮れたら堪ったもんじゃないぞ。
夜になると不安を煽る場所として、まず海。そして街灯の無い道。三つは森林が挙げられるだろう。
街灯の無い道は単に俺が怖いだけだが。
森や海には邪悪な何かが潜むと言われているのを聞いたことがある。恐らく、霊や妖怪の類で、「悪」のもののことだろう。
森に出るとしたら何だ? 森でまず霊に遭遇してしまったら逃げ切れるのだろうか。
いや、絶対に不可能だろう。
普通の霊ならこちらが驚いたり、憑かれたりして恐ろしいだろうが、悪霊なら命を狙うかも知れない。
その霊が不幸な死を遂げた人間のものだとしたら、全く同じやり方にしてくるかも……。
自分でも震えているのに気がついていなかったが、右腕をチカが強く掴んできた。
かなり強い力でなのは、俺から恐怖を取り除く為だろうか。まさか力加減を間違えたとかではないだろう。
「大丈夫だよお兄ちゃん! 何が来ても、何があってもお兄ちゃんのこと絶対に守るから! だから落ち着いて? まだまだ日も暮れないから」
本気な瞳と恐怖心を吹き飛ばす天使の微笑みに、俺は二度頷いた。
……てか、俺情けなさ過ぎるだろ。何だよ、妹に守ってもらうって。
普通こういう不安に満ちた二人ぽっちのときは兄が妹を守るだろうが。何だよ、俺はマジで何なんだよ。
妹にこんなことで心配されて、元気付けられて、悲しくないのかよ。俺は兄だろ?
兄なら兄らしく、格好良く妹を危険から守れよ。これじゃあ手を繋いで横一列にも並べやしないぞ。
右側のチカに見られないように、ぎゅっと拳を締めた。震えを止める為だ。
……この程度で止まるものではないが。
「チカ!」
恐怖と緊張のあまりか、思わず声が裏返ってしまった。感情のコントロールは難しいな。
自分で自分が恥ずかしく、黙りこくった俺を見てチカは首を傾げた。
「うん? 何? お兄ちゃん」
「あ、ああ。チカが危険な目に遭いそうだったら、俺が助けてやるからな。分かったか?」
「うんわかった!」
お花満開の笑みを浮かべたチカに俺は微笑み
、気合を入れるよう「よし!」と叫んで両頬を叩いた。実は怖さを紛らわせているだけだ。
チカもクスクスと笑い、俺の右腕に抱きついてきた。
小さな身体とそこそこ大きくさ肉体の一部を腕に感じ、更に奥へ奥へと進んで行った。
森に入ってからおよそ一時間半といったところで漸く抜け出せた。俺はもうヘトヘトだ。
チカは相変わらずピンピンしている。
森を抜けた先は、人の居ない漁港の様だ。
──何故人が居ないかって? それは周囲を確認すれば一目瞭然だ。
船はあるが、手入れすらされていない苔まみれ。建物もヒビ割れ、人の気配はしない。それに海は汚染されている。
一体何故どのくらい放置されているのかは知らないが、ここは捨てられた漁港という訳だろう。多分。
「誰も居ないな、チカ。ちょっと、俺奥の方も見てみるよ」
「うん。私船見てるねー」
俺は魚市場の跡らしき建物に向かい、チカは苔の少ない船に近づいて行った。
何か面白いか? それ。
結局、全てを隅々まで見て回り、時間もかけたが誰とも出逢わなかった。骨折り損という訳か。
一方、俺と離れて漁船を観察していたらしいチカは、何やら怪しげな笑みを浮かべている。
何か見つけたのだろうか。
それより、ここに漁船は全部で四つあるのだが、どれも流されていないのが驚きだ。雨風などでロープもダメになる筈なんだが、切れたりもしていない。
船体は苔こそ生えてはいるものの、大きな傷などは見当たらない。頑丈、なのだろうか。
「お兄ちゃん、私この船見て思いついちゃった」
「ん? 思いついたって、何をだ? 漁でもするのか? 流石にそれは……」
「違うよっ!」
チカは跳ぶように立ち上がると、太陽を背にして優しい風に髪を靡かせた。
曇りを感じさせない綺麗な瞳は、光をうっすらと受け、煌めく。
凛々しくも見えるその姿に、目を奪われた。
「旅に出よう、お兄ちゃん」
──全くもって予想だにしていなかった誘いが突如、チカの口から飛び出した。
旅に出よう、とは一体どういうことなのだろうか。
暫く衝撃を受け黙っていたが、それでは伝わらないと踏んで声に出した。
「旅に出るって、どんなだ?」
チカは俺が興味をもったことが嬉しかったのか、にんまりと口角を上げた。
だが、俺は疑問に思っただけなんだよな……。
人差し指を空に向け、チカは語る様に説明していく。
「この漁船、多分まだ全然動くと思うんだ。だから、あてのない旅を続けるの! 近くまでなんかじゃなくて、遠い国でも、世界の彼方まででも! どう!? 楽しそうでしょ?」
「あ、ああまあな。だが、飯とかはどうするんだ? 流石にそこはキツいと思うぞ。一番近い国でも、丸一日はかかる」
「キッチンが使えるみたいだから、私が食べられる魚取れれば作るよ!」
「そ、そうか……」
「うんっ!」
いつの間に確認したんだお前は。凄いな。
食べられる魚とか、漁のやり方とか分かるのか? だとしたら本当に完璧だな。最強過ぎるだろ。
親の顔が見てみたいよ本当にさ。
どうしてこんな天才捨てたんですか。
俺が黙りこくっていると、準備をするからと放置された家まで連れて行かれた。
釣竿がセットされていなかったらしく、勝手に侵入&拝借。そして網は切れていない物をありったけ掻き集めてきた。
これまた驚くことに殆どチカ一人が。
今日は飯を食べ、荷物を船に詰め込み直ぐに睡眠をとった。理由は朝早くに出航する為らしい。
素人二人だけの不安な旅が、幕を開けた。
「行くよお兄ちゃん!」
「ああ」
日が昇り始めたばかりで船を動かすチカ。どこでその技術身につけたよ。
俺は眩しい太陽を見つめ、清々しい気持ちで船の甲板に堂々と立った。
何故、こうなった────。
やっと旅に出たけど、強引な感じが否めない……。