6・ハイラート
──今日はとても大切な日だ。この世の、どの日よりももしかしたら特別な日となる筈。
だから絶対に寝坊は出来ない。寝過ごしたらそれこそ腹を切る覚悟だ。
……った。
「京、京早く! 急がなきゃメイクとか間に合わないって!」
「悪い! たく、あの目覚まし何で今日に限ってセットされてなかったんだ⁉︎」
「いや、セットされてたよ⁉︎ だけど京が寝惚けて消しちゃったんだよ! 多分! 私は部屋別だから定かではないんだけど! とにかく急いで!」
「うわうわ後どのくらいで始まる⁉︎ タクシーで酔うかな⁉︎ なぁ酔うかな⁉︎ 酔い止め要る⁉︎」
「不安なら持って来なよ! もう一時間ちょっとしかないんだってば!」
「ギリッギリじゃんか⁉︎」
フランスでの生活には慣れた。もう一年も過ごしているから、当然ではあるんだけど。
初めの頃は日本と時間が違くて生活に不慣れだったけど、取り敢えず夜になったら寝りゃいいんだと考えたら案外直ぐ慣れた。俺みたいな元ニートには簡単過ぎたな。
で、その時間にも慣れた筈の俺は、結局寝坊した。
「タクシーって止まってるのを使わせてもらうんだっけ。俺普段徒歩だから分かんないんだよな」
「いいから乗る! 出して下さいお願いします!」
「いや俺が乗ったの確認してからにして⁉︎」
実は寝坊の理由は目覚まし時計を寝惚けて止めたからじゃない。本当にただ時間通りに起きれなかっただけだ。因みにチカは夜遅くまでパソコンを弄ってたらしくて同じく寝坊。俺よりは早かったけど。
二人してこんな大事な日に寝坊とか、伝説語り継がれそうで怖いな。
「──ありがとうございます新沢さん!」
「新沢さん、何て言ってた?」
「寝坊したこととか説明しておいてくれるって。入ったら直ぐに支度出来る様に、要らない物とか外しておいてだって。あと寝癖とかす!」
「櫛持って来てないぞ⁉︎」
「私の使っていいからほら!」
押し付けられた櫛を使って髪を梳かしてる間、タクシーのドライバーが微妙に笑ってた。恥ずかしいなこの状況。
事情を話したら違反ギリギリの速度で飛ばしてくれたドライバーのお陰で、時間の二十分前には目的地に着いた。運賃倍に出したいくらいの感謝を言葉で伝えて、駆け足入場。
場内で直ぐに、新沢さんと遭遇した。……待ち構えてたらしい。
「たくっ、貴方はどれだけ人に迷惑をかけたら気が済むんですか。さっさと衣装着替えてさせてもらって来てください。チカさんはこちらへ。ドレスはかなり時間がかかるので迅速に!」
「ありがとう新沢さん!」
「悪い! 後でシフォンケーキ奢るから!」
「今の言葉、忘れないで下さいね!」
「忘れてたら教えて!」
男性用の更衣室らしき部屋で、何故かボディビルダー並みにマッチョなおっさん達に着せ替えさせられた。凄い手際よくて、一瞬何されたのか分からなかったくらいだ。
おお、ここに来てまだ五分も経ってないのに着替え終わってる。
タキシードに、着替え終わってる。
「意外に早かったなぁ、結婚式。チカ、まだ十七……って一応、結婚出来る歳だったっけな」
今日は待ちに待った、チカとの結婚式だ。今日まで必死に金貯めて、新沢さんに借金の返済待ってもらってまで貯めた甲斐があったってもんだ。その代わり更にこき使われたけど。……もしかして疲労が寝坊の原因?
「よぉ新郎キョウ。そろそろ式場に向かうぞ、ついて来い」(日本語字幕でお送り致します)
「ビリーさん、だっけな上司の。ありがとう、んじゃ行きますか!」(日本語字幕でお送り致します)
我ながら、ここまでよく頑張ったなぁとか自分変わったなぁとかはしょっちゅう考えてる。あまり自分で言うことではないんだろうけど、元ニートが旅に出て外国で仕事して結婚式挙げるなんて早々無いと思うし。
口調ばかり格好つけていたニート時代とは違って、今の俺は本当に輝いていると自覚している。それを言ったら、ビリーに冷めた目で見られたけど。
──いよいよ、チカとご対面だ。元から俺より輝いていた彼女は今日、どんな風を吹かせてくれるのか、少し興奮気味だった。
『新婦、入場』(日本語字幕でお送り致します)
そのアナウンスを待っていたかの様に(実際待ってたんだけど)、後方の大きな扉が開かれる。朝の陽射しが後光として差し込み、今日俺と結ばれる女性を照らす。
──チカは私服にベールをつけているだけだった。
「……チカさん?」
俺の声だけが沈黙の会場に流れた。誰も現状を把握出来ていない。言うなれば、恐ろしいものを見た様な顔をしてるだけ。
俺も同じだった。高かったウェディングドレスは何処へ? 靴は? ねぇ何処行ったの?
「……何も、言わないで」
チカが泣きべそをかいて呟いた後、俺の背中を誰かが小突いた。新沢さんが青ざめた表情で眼だけを逸らしてる。
「すみません、瀬賀さんの着替えがあまりにも早過ぎて時間が早まってしまい、ウェディングドレスを着る時間がありませんでした。チカさんがアレでいいと仰るので、その……」
「あー、なるへそなるへそ。ねぇそれって、来賓の方々や招待客とか多少待たせてでも着替えられなかったのか?」
「貴方はメイクにどれだけの時間がかかると思ってるんですか。……よく見たらメイクしてないし」
「忘れてた。ビリーに呼ばれるがままここまで来ちゃって」
「あのおっさんしばいてやりましょうか。とにかく、申し訳ありません。式は、このまま続行という形になります」
「はは、まぁ、ですよね。あーあ、チカのウェディングドレス姿見たかった。仕方ないけど」
前代未聞、新婦が半分私服状態での結婚式は幕を開けた。人生に一度の大イベントがまさかこんなだなんて……こりゃまた新たな伝説が生まれそうだ。もう要らないよ。
──思えば俺達って伝説ばかり作り上げてる気がするよな。
例えば、ホラー映画のお化けが出て来るシーンくらいに急な出会いを経験し、弁当届けに学校乗り込んだだけで町から追放され、海初挑戦の癖してたった二人で漁船で異国へ旅に出て、蛇に噛まれたことにも気づかない義妹のためにニートがフランスで必死に働いて……最終的にはグダグダ結婚式。本当笑えない。
何でだろうな、もっと普通に人生を楽しむ予定だったんだけど、何処で狂ったんだろうな。
「新郎、貴方は病める時も嘆く時も辛い時も悲しい時も死にたくなる様な出来事があっても腹を下した時も、誰よりも新婦を愛せると誓いますか?」(日本語字幕でお送り致します)
「何でネガティヴなことしか言わないの?」
「チカウカッテキイテンダヨ」
「はい、誓います」
日本語でしかも溜め息まで吐かれるとかなり腹立つな。ツッコまれたくないならもっと真面目に頼む。
「新婦、貴女は楽しい時も嬉しい時も健やかなる時も絶好調な時もパーティ気分でも興奮している時でも、新郎を支えてあげると誓いますか?」(日本語字幕でお送り致します)
「誓います」
「だから何なんだよその訊き方」
神父役なだけのホームレスのおじさんは、深く息を吸ってから指輪を投げつけて来た。甘く見るな、キャッチしたわ。
指輪をそれぞれはめた俺達は、小声で『高かったなぁ』呟いた。多分誰にも聞かれてはないけど、口の動きと表情で新沢さんは分かったらしい。溜め息を零してた。
「誓いのキスって、したい?」
「誰かこの神父替えてくれ」
「京、キスしよ」
「この流れで⁉︎ 凄い気になっちゃって……っ」
「誓いのキス無しとか、ヤダから」
チカに抱き寄せられ、誓いのキスは完了した。神父が舌打ちしてる。
だらだらと思い浮かびもしていなかったスピーチも終え、ケーキ入刀とか全部終えて何故か皆でワイワイ騒ぐことになった。
「社長⁉︎ いや、元社長何故こんなとこに⁉︎」
「京、この人知り合い?」
「ああ、俺が情けなくも直ぐに辞めた会社の社長だよ。お久しぶりです、本当に」
「かはは、久し振りだな。まさかフランスに飛んで可愛い奥さんとラブラブ生活送ってるたぁ思わなかった」
「はは……。で、どうしてここに? 招待状は送ってない筈……」
「お前も新沢も元々部下だ。新沢からの連絡受けて、お前が勤務していた頃の仲間達集めて祝いに来てやったって訳よ。まぁ幸せにやんな」
「本当だ皆いる。ありがとうございます、社長」
チカと二人で場内を歩き回り、これまでお世話になった方々に感謝の気持ちを伝えていた。そこに、今最も感謝を伝えたい人達の姿があった。
「母さん、父さん何でいんの? 俺ら、二人に招待状贈った覚えないんだけど……つぅかよくフランス来れたな」
「お母さん、ロッキー!」
「ロッキーって呼んでんの⁉︎」
知らなかった。父さんをロッキーって呼ぶ危篤な人間は母さんただ一人かと。呼び名の由来は、『録郎』かららしい。
二人もやはり新沢さんからの招待状を受け取って来たらしい。
「いやぁチカちゃん美人になってねぇ、母さん感動しちまうわぁ」
「凄ぇ老いた感じするな母さん」
「京も、ようやく大人って雰囲気が出て来たんじゃないかな。僕も嬉しいよ」
「父さんや、出て来たってことは俺まだ大人っぽくないのか? これでも成長した気がするんだが」
「「遅いよ成長」」
「ハモんな!」
久し振りに二人と会話して、二人と笑い合った。三人家族の中にチカが含まれたのが、何か嬉しかった。
ふと母さんが周囲を見回して、微笑んだ。
「チカちゃんのお父さんらしい人、今日、来てるわよ。招待状は貰ってないからって、場内には入って来なかったんだけど」
「えっ、私のお父さん? あの人は病んでるから来ない筈だけど……もしかして!」
「チカ、行こう。きっとあの人だ。母さん、その人今何処に居るか分かるか⁉︎」
「外の、テラス辺りに居ると思うよ〜ん」
「行ってらっしゃい、二人共。転ばないようにね」
「おう、行って来る。……今日は、ありがとう」
照れ臭いけどハッキリと伝えて、テラスに向かった。何でこんなとこに有るんだか知らないけど、俺達が捜していた人はそこに居た。
結婚式に合うような正装がかなり似合う。優しい風に髪をほんの少しだけ靡かせた彼は、俺達に背を向けたまま話しかけて来た。
「おめでとう、二人共。正直、こんなにも早く祝う日が来るなんて予期していなかった。この国での生活は成功はしたみたいだね」
「ありがとうございます、丹谷さん。まさか来てくれるなんて」
「娘の記念日に、父親が足を運ばない訳がないでしょう」
「私と京の結婚、嫌そうにしてたくせに」
「はは、それは今でも嫌だね」
「……さいですか」
丹谷さんは席に座って、俺達のことを誘ったから同じテーブルを囲んで腰掛けた。丹谷さんとはたった一年しか別れていないのに、何故か物凄く懐かしく感じる。
チカの本当の父親と名乗ってもいいと思うんだよな、この人。俺にとっても何となく父親って感じがする。
「そうだ、瀬賀さんはこの国で翻訳の仕事をしていらっしゃる様ですね。どうですか? 順調ですか?」
「そうですね、初めはミスばかりでもう見捨てられるんじゃないかとか焦ってたんですけど、上司が想像以上に心の温かい人でして、ずっと続けたいくらいですね」
「それはよかった。また直ぐに投げ出そうなんて言ったら、チカを連れて帰ろうとも思いましたからね」
「私は連れて行かれないもーん」
「ははは……」
嫁の父親って、何でこうも威圧的なんだろうな。娘が大好きで、心配で心配で仕方がないってのは分かるんだけど、幸せを願って口出ししないってのがいいんじゃないのか?
それでもチカの顔を見れば一目瞭然だ。口ではしつこいだの面倒だの言いつつ、娘は嬉しいんだろうな。心配されて。
「瀬賀さん、少し、お話出来ませんか? チカさん、旦那様お借りしてもよろしいでしょうか」
「新沢さん、どうぞ〜。今は自由時間だし」
「瀬賀さん、彼女は?」
「ああ、さっき話に出た上司です。元々働いていた会社では後輩だったんですけどね」
「ふっ、笑える話ですね」
「笑わないで下さい」
「瀬賀さん、早く」
「はいはい、ちょっと待てっての」
新沢さんに連れられてテラスの横道を抜けて行く。タキシード汚したらまずくないか?
水が澄んだ小さな池の前で立ち止まった新沢さんは、腕組みをして目尻に涙の雫を浮かべた。何で、泣いてる?
「どうした? 何か悲しいことでもあったのかよ?」
「いいえ、嬉しいんです。喜んでいるんですよ、私は。貴方とチカさんが結ばれたことが何よりも」
「そ、そっか。ありがとう。まさかこんなとこまで連れて来て言われるとは思わなかったけど」
「仕方ないじゃないですか……だって」
新沢さんはボロボロと涙を流して、それを両手で覆った。
「他人の結婚で嬉し泣きとか、何か、恥ずかしいから……」
「……ありがとう」
号泣してしまった新沢さんに、俺はただただ心からの感謝を伝えた。




