3・蛇の噛み跡
終点……ってことはここ、ヨーロッパか? あ、ヨーロッパっぽい。『よぉ、ろっぱ』って看板に書かれてる。──え、平仮名?
全く訳が分からない看板を過ぎて、駅の外へ出た。日差しが眩しくて、自然に眼を細める。
「もう直ぐか? チカ。あとどのくらいで着くんだろう。フランスには」
「そうだねぇ」
隣のチカに話しかけたが、さっきまで寝ていたからか瞼を擦ってた。大荷物を背負えるくらいには意識ハッキリしてんだろうけど。
「この隣がフランスだった気がするなぁ。さてと、電車でかなり休んだからもっと進んでみよっか。隣だと言ってもまだまだかかる訳だし」
「日本とは幅が違うもんなぁ。んじゃ、筋肉痛なんて無視して先に進むか!」
「うん! 筋肉痛辛くなったら言ってね、休憩するから」
「一時間程度なら大丈夫だと思う」
一時間かよダサいな俺。しかも俺は散歩してただけだろ。チカは働いてたんだぞ……情けない。
両手肩が塞がる程大量な荷物を所持しているためか、現地の方々がすれ違い様に凝視してくる。あまり注目は浴びたくないが、この荷物じゃ無理もないだろうな。『私達は旅人です』なんて書いた紙を背中に貼り付ける訳にもいかないし。
──突然だけどバター塗った食パンが食べたくなってきた。焼いてな。
「お兄ちゃん、そろそろ限界?」
駅から三十分程しか経たずに、チカは言った。俺は一時間って言った筈なんだけど。
「まだまだ大丈夫っぽい。まぁ当たり前か。荷物かなり多くても一時間くらいなら何とかいける。この調子なら更に歩けるかも」
「そ、そっか。キツくなったら無理しないでね」
「大丈夫大丈夫。めちゃめちゃ休憩とれたし全然余裕だって」
「ならいいんだけど」
かと言っても、この荷物の量は結構キツい。時々下ろして飲み物が飲みたいよ。──あれ? この国の通貨何?
大通りらしき道を通って、やっぱり日本とは違うんだなぁと感慨深くなる。何が違うって……ほら、アレだよアレ。違うじゃんほら、アレ。
ハト多いな。
「見ろチカ、ハトが群れてる。日本だとあまり見なくないか?」
「え……と、そうでもないよ? たまたま、お兄ちゃんが住んでた千寿ヶ峰では少ないのかも。ハトは何羽も集まってること多いと思うよ」
「へぇ、そりゃ知らなかった。豆撒いたら食べに来るくらいかと」
「あはは……まぁあながち間違ってはないかも。餌貰いに集まって来るハトもいるだろうからねぇ」
鳥って欲望に忠実だよな。なんて思ったが、人間が来たら飛んで逃げてくからそうでもないのかも。専門家に聞きたいね。カラスはそこそこ忠実だと思うけど。
カラスって怖いよな。自分が纏めたゴミを漁ってくんだもん。やめてほしいよ本当さ。
ハトの群れを目撃してから一時間程経った。そろそろ、足に限界が来てるなぁって、自分の情けなさに泣きそうになってたら、再びチカからの心配が来た。
「お兄ちゃん足大丈夫? そろそろさ、休憩した方がいいんじゃない?」
「まぁ結構歩いたしなぁ。そろそろ飲み物飲みたくなって来た。日本より暑い気がするんだけど」
「今日本の気温分からないでしょ。場所によって違うし。……じゃあ、筋肉痛も不安だし何処かで食べよっか」
「昼飯か? そうするか。──でもチカさ、俺よりチカの方が具合悪そうじゃないか? 汗凄いぞ」
「……どうだろ。ちょっと熱っぽいなぁとは、思ってたんだよね。あとで診てもらおうかな」
「そうしよう。じゃあ取り敢えずあのレストランで」
「うん」
二時間近く経った頃、俺とチカはレストランで食後の休憩をしていた。意外にも早く食べ終わって、だとしても直ぐに動く気にはならなくて。
そこまで、俺はずっとチカから眼を離さなかった。そのせいで飲み物零したけど。
眼を離さなかった理由は、明確なものだった。
「チカ、大丈夫か? ふらふらじゃん。やっぱり風邪でも引いたんじゃないのか?」
「いやぁ、それは無いと思うんだよね。風邪は引いたことないけど、体の中に熱が篭ってる感覚もないし、寒くも無いし。ただただ、息苦しいって言うか……」
「おい、マジで大丈夫か? ちょっと早めに病院行こう。今調べるから待っててな。この辺りで一番近い病院は……」
充電させてもらってから一時間も使っていないスマホを開いて地図を開いた。一つだけ、三十分足らずで着く場所があるな。
「チカ、この病院まで歩け──」
俺がチカに地図を見せた瞬間、店内は騒ついた。
チカが崩れる様にテーブルに倒れたからだ。ドリンクは零れ、メニューやグラスが床に落ちた。店内、眼に見える全ての人間はチカをじっと不安気に見つめている。俺もだ。
「チカ……? 大丈夫かよ? 待て待て、ここまだ病院じゃないって。俺じゃ看板とか読めないんだって!」
かなり焦った。ていうか絶賛焦ってる最中です。──あ、この絶賛は別に絶賛されてるって意味でなくて……
「いやんなこと考えてる暇ないって! 急にどうしたんだよ本当に! えと、誰か分からない⁉︎」
ここでどの言語を使えばいいのかなんて分からない。その上、分かったとしても喋れない。だからひたすら叫んでみたら、一人の男性が駆け寄って来てくれた。
英語かな? 英語じゃないっぽいな。とにかく何かを教えてくれてるんだけど分かんなくて首を傾げた。呆れた様子の男性は、チカの手首を指差した。
「……何これ? ワッツ? ホワッツ? ナニコレ」
英語すらまともに話せないので、適当にジェスチャーで理解不能を伝えた。更に呆れた様子な男性。本当申し訳ない。
何ですか? この噛み跡みたいなの。
男性が喋った言葉を適当に検索して、一つずつ明確にしていって、ようやく理解した。
「……蛇に噛まれてる?」
恐らく、男性はそう言ってる。ちょっとだけ混乱して、直ぐに冷静に考えた。
男性が言ってることが本当なら、いつ噛まれたんだろう。何でチカは噛まれたことに気づかなかったんだろう。──簡単な答えだ。
「そうか、チカが気づけずにいた理由と、これまで平気だった理由……もしかしたらだけど、完璧に改造人間になったからか……⁉︎」
脳や筋肉などは常人と別物。だとすると、体内の構造も普通と違うかも知れない。どんな種類の蛇に噛まれたのかも不明だけど、毒にすら暫く耐えられる身体になってたんじゃないか?
噛まれた痛みすら感じなかったのは、日々の疲れかまたは頑丈さ故か。チカは疲労感や痛覚が乏しい点が度々見られるし。
これらが正解なら、こうなってしまった理由もはっきりする。
「不幸中の幸いって訳か。常人ならここまで歩けない。恐らくテントを張っていた辺りじゃないか? 流石に無いか? 二週間近く前だし。だとしたらいつだよ……」
分かんないことを考えても仕方が無い。男性の好意に甘えて、車で大きな病院まで直行した。その間何か色々訊かれたっぽいけど、何も分からず答えようが無かった。
俺が一人になると、こんなもんさ。チカ一人救えないくらいに情けない。
「コレハ、ハブニ噛マレタモノダト思ワレマス。種類シラナイケド」
「知らないんかい。大丈夫なんですか? マジで大丈夫なんですか⁉︎」
「落ち着けや。何故カ、コノ女ノ子耐性強イ。化物カト思ウクライ。ダカラ投薬シテ寝せてりゃ大丈夫っしょ」
「最初と最後すげぇ普通に日本語だったな」
とにかく、死なないなら安心出来る。でも安静にしてなきゃいけない上に俺一人じゃ外国で生き抜けない。医師が言うには、毒が回ってからかなり時間が経ってるため、最低でも一週間は入院しなきゃいけないらしい。
医師の一人がカタコトで教えてくれたけど、入院費は頑張って稼がなきゃならない。どうしたら、いいんでしょうか。
それと今更だけど、この病院はギリギリフランスだったらしい。
「貴方のことを聞いたので、お伺い致しました。少しお話しさせていただいてもよろしいでしょうか」
「え、あんた誰? 別にいいけど……」
「私はフランスで翻訳をしている者です。新沢と申します。それではこちらへ」
「あ、はい」
新沢さんに誘われてチカの眠る病室を出た。病院の中庭らしきとこでベンチに座り、話を聞く。誰が俺のことを伝えたんだろう。
疑問と警戒が解かれることは無かったけど、そんな俺を完全に無視して新沢さんは話し始めた。
「貴方は現在、義理の妹である苗字不詳……いえ、苗字の無いチカさんを入院させていますよね」
「え、チカのこと知ってるんですか? 苗字が無いこととか」
「色々調べさせていただきました。必要なので。それより、質問に答えて下さい」
「……はい。さっきの病室で寝てたのが、蛇に噛まれたらしい義妹のチカです。それがどうかしたんですか?」
「呑気なものですね、よく聞いて下さい」
新沢さんは開いていたパソコンを俺に手渡して来た。この病院についてが記されてる。治療費……百万? マジで?
「これは一応私が調べたものです。今の貴方はお金が殆ど無いという状況ですよね? これでは、働かざるを得ません。……ですが貴方にそんな能は無い」
「凄い失礼だけど、間違いは無いっすね……」
つーか、百万? 別のとこに書いてあるけど、下手したら三百万とかかかるもんもあるの? 嘘だろおい。
新沢さん、何で俺に能が無いこととか金が無いこと、知ってるんだろう? そんな俺の疑問を理解したらしい新沢さんは、自分の名刺を取り出した。
「私は、貴方のことを知っています。元々、同じ会社の社員でしたので」
「……へ? は、あ、本当だ。俺が働いてた会社の名前まで書いてある……」
「貴方は数ヶ月で辞めるという、チキン野郎でしたのでハッキリと覚えてます。まさか、義妹なんか作って頼りっぱなしで旅行をしてるとは予想外でしたが」
「国から追い出されたんだ、仕方ないでしょ」
「貴方の方が先輩ではあるので、タメ口で構いませんよ」
「分かったけど、先輩って分かってる相手に失礼過ぎない?」
「貴方にそんな価値は有りません」
凄い胸に刺さる言葉だな。鋭利過ぎるけど。じゃあ何で先輩だとか言うんだよ、更に悲しいわ。
……知ったから訪ねたって、もしかして同僚だったからか? 出世したのか知らんけど、立派っすね。俺新沢さん知らないけど。
「で、俺はどう働きゃいいんだ? 日本語以外出来ないんだけど」
「普通、外国語が少しも話せないのに旅行なんてしませんからね。英語くらい、平均レベルには出来ないと厳しいでしょう。貴方は普通に働くことはまず不可能ですね」
「んじゃあどうすんの……」
色々トゲトゲし過ぎてないっすかね、新沢さん。俺をいじめたいだけとか言わないよな。
落ち込んでたら、溜め息を吐かれた。まぁ元同僚で先輩がこんなだったらそうなるのも頷けるけど。
「私は、貴方を助けようと思っています。お金、貸してあげましょうか?」
新沢さんの口からは、俺が知る言葉の中でもトップクラスに恐ろしいものだった。
「う、嘘だ。金を実際に貸したからって、『倍に返さなきゃ許さねぇからな?』とか言ってくるんだろ! 俺は知ってる! そういう奴を!」
「……そんなこと言いません。何年かかっても構わないので、確実に返していただければそれで。あと、そんな人いたんですか」
「本当か⁉︎ 信じられない! 信じるか! ……因みに課長だった渡辺さんなんだけど」
「あー、あの人ですか。あの人首になりましたね、私が色々チクったので。……それと、信じないのでしたらもう良いです。この国で追われて無様に投獄されて下さい」
「何てこと言うの⁉︎」
課長、一切会わなくなったと思ったら辞めさせられてたのか。……ってそうじゃない。新沢さんは嘘をつくタイプには思えない。捕まりたくも無いし、信じてみるしかないか。
立ち上がった新沢さんの手首を掴んで、自分も立ち上がった。
「お願いします! チカを助けるため、金を貸して下さい! いつ働けるのかも分からないけど、お願いします!」
「……本当に返してくれるのか限りなく不安ですね。いいでしょう、百万、お貸しします。病院の方へ振り込んでおくので」
「振り込みなのか、知らなかった」
「それと、働くアテも無さそうですしそうですね……」
新沢さんは眉を曲げた。確かに、俺の言語力や能力を考えてみると、フランスで仕事なんて出来たもんじゃないんだよなぁ。本当変えせるのか不安。
今の内に色々試してみるかとか考えてたら、ポンと肩を叩かれた。ニヤリと、新沢さんが笑む。何か怖い。
「瀬賀さん、私の下で働きませんか? 百万円分働いてくれれば、返金は必要有りません。その分お給料は出ませんが」
「え……」
どっちにしろ逃げ場は無い。後輩の下で働くことになろうと、チカを救わなきゃならないし。
俺が静かに頷いた時に、新沢さんの眼が光った様に見えた。




