1・道の途中です
後章、スタートです!
暁──まだ曇る空を見上げて、俺は上体を起こした。
隣に寝ていた筈のチカは見当たらない。というか俺の下はただの草土のみ。あと木の枝とか。
……あの、俺テントの中で寝てませんでしたっけ?
「おぉう、これはまた物凄い移動をしたな、俺」
振り返ると入り口が全開のテントが見える。俺はどうやら寝惚けてこんなとこまで出て来たらしい。──挙げ句の果てには寝た。
言わずもがな、背中や髪は汚れてる。何か虫を潰した様な染みがズボンについている。何か感情が薄れていく様な錯覚があった。
「きったねぇ。早く洗濯して風呂にでも入りたい。もう朝方だし……おい! チカ起きてくれ。そろそろ出発しないか?」
テントの中でまだ寝息を立てていたチカを揺らす。小さな吐息の後、チカは薄っすらと眼を開けた。
寝起きだからだろう、目元には一雫涙が溜まっている。
「おはよお兄ちゃん、どうしたの? まだ四時くらいでしょ? 流石に早過ぎると思うんだけど……」
眼を手の甲で擦るチカは、寝惚けながら俺の頭に視線を向けた。
チカは段々、眠気が覚めてきたのかしっかりと眼を開けて行く。それから首を傾げた。
「何でお兄ちゃん頭に落ち葉が乗ってるの? 全身砂とかついてるし、流石に外で寝た訳じゃないよね?」
「いや外で寝てたっぽい。マジで。起きたら空が視界に入ったし」
「嘘!? 何で!? 言い方的に自分ではないだろうし、もしかして……寝相?」
「寝相というよりは、多分寝惚けてたんだと思うぞ」
「でも何で外に……」
暑かったんじゃないか? と、チカの疑問には適当に答えておいた。──実はズボンのファスナーが下がっていたなんて言える訳がない。何をしてんだ俺は。
テントを片付けるチカはやたらと眠そうだった。そりゃそうなんだけどな。
朝は早過ぎたし、夜は遅くなかったにしろチカは俺と違って常に何かをやっていたからな。馬車を動かしたり、テント改造してたり、俺が分からない外国語を活用して現地の人と話してたり。
俺はそれを見てるだけだった。
「大丈夫か? チカ。ここから暫く歩くことになりそうだけど。……しかも、ちょっとばかり林の中を進むことになりそうだ」
道の前方百メートルほどのとこには、迂回する余裕なんて無いだろうと思えるくらい大きな林が見える。どっちかというと森か、あの木の量は。
だから次の町や国などまではまだまだ着かないと考えた方がいい。チカが倒れないか心配だけど、広い海を横断したチカだ。この程度なら何とかなるだろ。
「んじゃあ、行きますか。キツくなったら言えよ? 腰を下ろすことくらいはこんな獣道でも可能だから」
「お兄ちゃんこそ脚が痛くなったら言いなよ? 私と違ってスタミナ無いんだから」
「はは……そうだな」
二人で雑談を交わしつつ、森に向かって行った。
森の中を一言で例えると、森だ。当然な。特に際立つ物は無いし普通過ぎる森だ。
ただ、その普通の森が延々と続くのが分かっている俺としては、疲れる以外に何も無い。足場は悪いし。
チカも俺も既に話題が無い。話もなくて何百メートルあるのか分からない森を進むのは、精神的な疲労感がある。退屈過ぎて。
この無言ループから抜け出したいがために、余分に疲れることを知った上で首を各方位に向ける。話題になりそうなものなら何だっていいから見つかってくれ。
「……あっ、見ろチカ。狐だ狐。あ、違うアレ木だった」
「どうやったら間違えるの?」
「悪い。話題が欲し過ぎて幻覚を見た様だ」
「もう、危ないから気をつけてね?」
「うん」
……会話終了。何てことだ。三十秒も保たなかったぞこの会話。しかも幻覚見たし。どっちかと言われれば錯覚な気もするけど。
結局会話もロクに続かないか。それなら大人しく黙々と歩を進める方が得策だろう。無駄に酸素を減らさない方がいい。
再度無言ループに嵌った俺達二人は、ただ黙々と長い長い森を歩く。
横に倒れた木の幹を越え、襲いかかる虫を振り切り、草で足を引っ掛けて転んだ(俺だけ)などを繰り返す。しつけぇな虫。
これでは割と疲れるだけの旅になりそうだ。例えハッピーエンドだとしても、そこに辿り着くまではアンデットみたいになってそうだな。
やっぱ一度町に戻って空港に向かって、そこから飛行機でフランス向かった方が絶対よかったって。自力でなんて無茶だったんだよ。
一時間経たずで、俺達は森から抜け出せた。横一方通行の道路に出る。
道路を横断して、柵に手を乗せたチカは何処か一点を見つめてる。
「お兄ちゃん、あそこに着けば多分電車乗れるよ。そこから空港がある筈だから、飛行機にだって乗れる!」
「えっと、次の国が見えたってことか? だとしたら、真っ先に飛行機に乗りたいけど……パスポートあるのか?」
「無いね! だから結局電車かな」
「そ、そうっすか」
もうふらふらだよ、なんてのは黙っておこう。兄としてこれ以上醜態を晒してなるものか。
たださ、こんなにも旅がキツいことになるとは思いもしてなかったわ。パッと出て行ってサッと戻って来てまた普通に暮らすものかと。違うんだね。
再び歩き出した俺達は、目的地の町までの道を見失わない様に度々その方向に眼を向ける。……チカ、あの町に空港があるとかよく分かるな。俺には何も見えないけど。ビルとかしか。
でもビルがあるなら都会っぽいな。ホテルとかで、暫く休むって考えを出してみた。
「そうだね、ちょっとお金に問題はあるかも知れないけど、試してみよっか。ダメだったら即刻出発ね」
チカは無邪気に微笑む。森の中では元気無かった癖に、町が見えた途端に元気になりおって。
それにどんだけバイタリティあるんだよ。少しくらい休もうよ。
滑走路みたいな道路の端を歩いて、蜂に遭遇した。勿論ダッシュで逃げたけど、そう言えば荷物の量が異常だった。スタミナがごっそり削られた状態で、まだ歩く。
天竺とか関係無いけど、キン斗雲貸してくれ。ひとっ飛びで行きたい。
「────」
「────」
ホテルでチカとフロントのおじさんが会話中。俺は所詮何も分からないので、椅子で待機。
おじさんに頭を下げたチカは、テテテと小走りで帰って来る。
「どうだった?」
俺が訊ねると、チカは一旦無言になって直ぐに微笑んだ。多分脳内で俺でも分かる様に整理してたんだろう。
「一日だけでもよければ泊まらせてくれるみたい。お金は半額でもいいって。優しい人でよかったね」
「へぇ、それってフロントの人が判断していいことなのかな……」
まぁ、ここはお言葉に甘えておこう。無駄なこと口走って「じゃあダメ。帰れ」なんて言われたら元も子もないからな。
疲れ切った身体でまた長時間歩くのはキツい。──でも、まだまだ午前なんだよなぁ。早過ぎたか。
フロントの親切なおじさんに頭を下げて、鍵を借りた三〇五号室に向かう。部屋に入ったとこで、チカは俺の肩を叩いてきた。
「ちょっと町で色々見て来るね。お兄ちゃんは疲れただろうから、ここで待っててよ」
「いやそれならチカだって疲れてるだろ。俺も行くよ、何でもかんでもチカに頼り切りなのは納得行かないんだ」
「でもそれじゃ休憩の意味無いよ。お兄ちゃんは丸一日寝込んでた方が回復するでしょ? 私は五時間くらい寝れれば回復するから大丈夫」
「俺はニートか。いやニートだけど。丸一日寝込んでるって、中々見ないよそんな人」
「いいから! ここで待っててよ!」
「……はい」
あまり待てを続けられると心折れるんだよなぁ。暇なんだよ、分かるか? かなり暇なんだよ待つの。
チカがデパートらしき建物に向かうのを部屋の窓から見送って、その場に腰掛けた。当然、暇過ぎて。
何かやること、無いかな。本当ゲーム機持ってこればよかったな。多分バッテリー保たないが。
「仕方ない、少しばかり恥ずかしいけど時間を潰すには現状、これしかないし」
俺はリュックからトレーディングカードゲームを取り出した。適当に持って来たから二人分ある訳じゃないが、これを半分くらいで分けて……。よし出来た。こっちが俺一。んでこっちが俺ニ。
「はい、俺のターン。タンコブの痛み発動。はい頭痛ー。次俺のターン。よっしゃ魔法来たぁ。攻撃力四千アップー」
……虚しい。詰まらない。このカードゲーム、小学生以来だからあまり覚えてないし。
何より一人でやるのはうるさいだけの芸人よりも詰まらない。
結局カードゲームは元に戻して、再び不動状態。
「はぁ、マジでやることない。やることない時ほど詰まらないものはない。やっぱ強引にでもついて行けばよかったなぁ──って、今頃気がついたけど脚虫に刺されまくってんな。蚊でもいたか」
脚に幾つも出来た膨らみを撫でて、痒くても掻かない様我慢した。超痒いけど。
やっぱ森の中で刺されたんだろうなぁ。……ただ、ズボンは長いから上から刺されたことになると思うが。その場合虫凄ぇ。
チカは刺されてないのか? 俺と違って短いズボン穿いてた筈だけど。
──ハッと眼を開ける。気がついたら熟睡してたみたいだ。床で。まぁ暇だったらこうなるよな。
嘆息したら視界が掌に遮られた。
「ただいまっ。お兄ちゃんやっぱ疲れてるんじゃん、寝てたし」
買い物から帰って来てたチカだ。チカは手をひらひらと振ると、買い物袋の中身を漁り始めた。
……あ、今一瞬アレが見えた。出逢ったばかりの頃にも幾つか持ってたアレ。どんだけ買うんだよ。
「はいっ! やっぱ大したお金は無くてさ、あまりお金かからないのにしちゃった」
「ピザじゃんか。ピザは結構高いと思うんだけど」
「お店の人が半額にしてくれたから、そんな高くないよ?」
「お前は、どんな交渉術を使えばそんなことが可能なんだ? 半額にしてくれって頼む訳じゃないんだろ?」
「うん、何か普通に半額にしてもらえるの」
「凄ぇなおい」
この町は今日半額デーなのか? 全ての店がそうなら売れ行きは良さそうだけど売れなければ赤字じゃん。大丈夫かよ。
それとも、チカが特別なのだろうか。後で試してみようかな。
チカが千切ってくれたピザを受け取り、もっさもっさ食べる。因みに照り焼きだ。ヨーロッパとかなら何かもっと違うものかと思ってたわ。
「お肉食べたら力つくでしょ!」
「まぁ腹には充分溜まるからいいんだが、それよりこれからフランスで暫く過ごすくらいの金は残ってんのか? 結構使ったけど」
「まぁ……何とかなるよね」
「無いんかい」
フランスで、バイトとか出来るんかな。俺フランス語分からないから何も出来ないな。これは大変そうだ。
主にチカが。
「さーて食べたし! お兄ちゃんどうしよっか! 何する?」
ピザを二人で当分して食べ終え、俺達に『暇』という時間が襲いかかって来る。またこの嫌な時間だ。
それより、チカがやけにベッドを凝視してるんだが。何か汚れがあるとかじゃなきゃいいけど。……多分無いと思うけどな。
「本当にな、どうしよう。カードゲームはもういいや」
「一人でやってたの?」
「退屈凌ぎにな。だけど全然ダメだった。寧ろ退屈になった」
心の中は窮屈になった。
「そっかぁ。でも私もやり方分からないからなぁ。どうしようかなぁ。ベッドは綺麗なんだけどなぁ〜」
チカはチラチラ俺とベッドを交互に見る。だから、そりゃベッドは綺麗なままでしょうよ。まだ使ってないし。何がそんなに気になるんだ?
……あ! そう言えば俺は真っ先にやりたいことがあったんだった。
「チカ!」
「は、はい!」
思い出して早速始めたくて勢いよく立ち上がると、チカが正座で飛び跳ねる。何か顔も赤いけど、ビックリしただけだろ」
「お、お兄ちゃんどうしたの?」
「風呂入る」
「……えっ、あ、二人で?」
「いや、な訳無いだろ」
「……はーい」
返事をしたチカは無表情で風呂場に向かって行った。何か不機嫌オーラ丸出しで怖いんだけど。何がどうしてああなった?
風呂場からチカの大きな溜め息が聞こえてきた。そんなに嫌なこと言っちゃったか? うわ全然分からない。
帰って来たチカとの空気が死んでいる為、さっさと風呂が湧いてほしい。そして癒されたいとか、現実逃避しそうになった──。
「フランスでも一応携帯って使えるのかな」
ベッドで就寝する直前、俺はふとそんなことを口にした。隣で横になるチカは難しそうな顔をして、首を振る。
「分からないなぁ。私電波とかって何にでも使えるのか分からないし。一応電波さえちゃんとしてたら使えるんじゃないかな」
「そうか、ならいつでも連絡取れるな。よかった」
「うん。でも私は基本お兄ちゃんから離れるつもりないよ?」
「分かってるって。念の為だ、念の為」
不安そうなチカの頬を撫でて、部屋の電気を消した。




