16・やっぱ大好き
チカと俺の本当の意思をはっきりと伝えたら、丹谷さんは案外普通に頷いてくれた。
「……分かりました。いいでしょう。私が貴方がたの人生を縛る訳にもいかないので、今まで通りで構いません」
「うん、当然ね!」
腰に両手を当てて、勝ち誇った様に頷くチカ。それに対して丹谷さんは苦笑し、「ただ」と繋げた。
「本当にそれでいいんですか?」
「は?」
正直、丹谷さんの疑問がよく分からなかった。不安というか、とても心配した様な表情だ。
それでいいのかって、何日も二人だけで生活してきたんだから、むしろいいだろ? 何がダメなんだ。
「体裁……というんですかね」
ソファーに腰掛けた丹谷さんは、俺達にも座る様掌で促す。勿論、好意として受け取って座った。
何が嫌なのか、チカは結構激しくソファーを払っている。
テーブルにカップを二つ用意しコーヒーを注ぐ丹谷さんに、俺は少し不思議な気分だった。
『体裁』って何のことだ?
その疑問の答えは、かなり早く告げられることとなった。
「貴方がた早くこれまで、『義兄妹』として暮らしてきた筈です。だからもし『恋人』となるのであれば、それは世間からしたら、兄弟での恋愛という訳です」
あ、そっか。って思い切り口が開いた。確かによく考えなくてもそういう状況になるのが分かり切ってるな。
つまりアレか。耐えられるのかってことか。
例えば『あいつシスコンだったんだな』とか『妹に欲情してんのか』みたいな感じに陰で噂されてたり、蔑まれたとしても気にしないでいられるのかってことか。
無理だ。俺のメンタルはお豆腐なんてもんじゃない。最早水分レベルだからな。
少し失敗して怒鳴られたからって仕事辞める様なヘタレだからな。
世間からそんな眼で見られたくない。
「そんなの余裕だよ。私達は本当の家族ではないし、事実、私がつきまとってただけだし!」
チカが立ち上がりながら反論を答える。確かに本当の家族ではないが、問題はそこじゃなくてね? 義妹だとしても好きになっちゃってるよってとこだよ。
多分チカはあまり陰で悪口を言われる様な眼にはあわないけど、俺は間違いなく言われる。大人で男だし。
ついさっきまであった自信というか決心は発泡スチロールを叩き割った様に崩れ去り、粉々から更に微塵に化した。
その俺を見てか、丹谷さんは呆れ溜め息を零した。
「チカの言うことは、本来世では役に立ちません。それにこのくらいの予想を聞いて迷ってしまう様では、チカを幸せに出来るのか疑問ですね」
「……何か嫌味入ってません?」
「さぁ、入ってるのではないでしょうか」
「入ってるんかい」
丹谷さん、自分の元にチカが帰って来ないって事実に腹が立ってるらしいな。だけどチカ自身が決めたことだから。
それにチカの言う通り、いちいちお水メンタルではこれから生きてはいけない。
どんな場所に行っても、関係さえ知られてしまえば同じ噂が渦巻く。立ち篭る。
「半端な覚悟しか持っていないのであれば、今直ぐ道を変えた方が身のためかと」
「……だよね」
本当に自信無くしてきた。このままチカと恋人になって、結婚までしたとしたら一生後ろ指がつきまとう予感がする。それは嫌だ。
だけど、一度義兄妹になった関係は後まで残る。
例え自分が「精一杯チカを幸せにする」と唱えたとこで、『あいつはシスコン』『ダメ人間の癖に何言ってんだ』と批判は消えない。
俺がチカを幸せにすることなんて出来やしないのかも知れない。
丹谷さんが勝ちを確信した様な面持ちでコーヒーを口に運ぶと、少しの間黙っていたチカが大きく息を吐いた。
俺も丹谷さんも、チカに注目せざるを得ない。
「あのね、何を勘違いしてるの。私の言葉聞いてた?」
「何……?」
不機嫌そうなチカに、丹谷さんと俺は首を傾げた。何か間違ったことでも言ったのかな。
間違い探しを脳内で始めたら、右腕にチカがぎゅっと抱きついてきた。何何何何?
「私は、『お兄ちゃんと幸せになる』って言ったの! これは決定事項なんだよ! 誰にも邪魔される訳にはいかないの」
そう言ったチカの表情は頼もしいくらい凛々しかった。
でも、後ろ指を指されて生きていくとなると、幸せは厳しい気もする。
「私達は、『支え合って生きてく』。辛いことがあったら私が慰めるし、お兄ちゃんだってきっと優しくしてくれる。そんなの幸せじゃん。周りのことなんて気にする必要も無いでしょ?」
「チカ、それでも……」
「周りのことなんて関係ある訳ない。私はお兄ちゃんにとって最強の妹なんだよ。私が何があってもお兄ちゃんを幸せにしてみせるんだから!」
「チカ……」
迷いなきチカの意思に、心を動かされた気持ちだった。
自分より四つ程歳下の女の子が耐えられると言うのに、自分は無理だと諦めるのか。怖いから人一人幸せにすることを辞めるのか。それは間違ってるだろ。
俺はチカを幸せにする。例え役には立たなくても、俺はチカにとって最高の兄であることが重要なんだ。
それが今度は恋人にクラスチェンジするだけ。
恋人の役目は一つ。相手を絶対に幸せにすることだけだ。何が難しい? データ収集の方が辛いよ。
「そうだ、な。チカ」
微笑して、顔を上げた。
面倒くさそうな顰めっ面の丹谷さんに向かい、気合いを込めた笑みを浮かべる。
「今更後ろ指がどうした。そもそも俺は高校卒業してから後ろ指しか指されてないよ」
「それ悲しくない!?」
「だからどうだっていい。俺にはチカがいるからな。どんなことも、きっと大丈夫だ」
チカにとっては、俺が一緒に居れば大丈夫。それなら、俺はチカが居てくれれば大丈夫だ。
信じていれば、きっと、きっと待ってるのは幸福な時間だ。
「いつか羨ましがられる程幸せになろう、チカ」
隣で真っ赤になったチカは、小さく素早く頷いた。
「はい、お兄ちゃん」
心が満たされる程の、満面の笑み。元気よくの笑顔ではなく、まるで感動しているかの様な美しい微笑みだった。
それに心を射抜かれ、一瞬思考が停止してしまう。
「お兄ちゃんっ」
「んぉ、何だ? チカって腕にくっつくの好きだよな」
「お兄ちゃんに抱きついてたいからね! ……ありがとう、お兄ちゃん。やっぱ大好き!」
「俺もだよチカ」
俺達が見つめ合う中、丹谷さんは笑いながら溜め息を零した。もしかしたら、もう認めてくれてるのかも知れない。
てかいい加減取り戻すの諦めてくれてもよくないっすかね。チカも俺も頑張って生きていくって。そんな弱くないよチカは。
俺は弱いけど。
「分かりました。これから、元の町……確か、千寿ヶ峰ですね。そこに戻るんですか?」
今回はあっさりしていて、丹谷さんは不思議そうに首を傾げた。
まぁ確かに「うん、そうです」なんて言えないんだよなぁ。千寿ヶ峰からは追い出されてるし、来て早々帰るってちょっとな。
だからここは、今後の予定でも教えるか。──待って予定忘れた。
「私達はあと三日ここで過ごすよ。それから、船はここに預けとくね」
俺が悩んでると、代わりにチカが答えてくれた。
三日でって辺り、俺と考えは似てるらしいな。何となく嬉しい気分になる。
てか船預けちゃうの? 何故? どうやって千寿ヶ峰に戻るんだよ?
地味に取り乱していると、チカは微笑して「覚えてないの?」と問いかけてきた。はい、何も覚えてないです。
ゆっくり深く頷いてみると、チカはアハハと笑ってある一点をビシッと指差した。そこには、一枚の額縁が飾ってある。
「私達は、西洋に向かう!」
「あ、確かに言ってたな」
「でしょ? そこでさ、お兄ちゃんと結婚式挙げるの! 丹谷さんも来る?」
うん、勝手だね。嫌じゃないんだけど、凄く自分一人で話を進めているよこのコ。
それに、丹谷さんと一緒は気まずいだろ。
もしついて来るなんて言ったら嫌だ……なんて不安だったけど、丹谷さんは首を振った。
「生憎だけど仕事が忙しくてね。やめておくよ」
「そっか、分かったー」
雑だなチカ。絶対連れてくつもりなかったろ。
「それに、娘の花嫁姿なんて私は見たくないのでね」
「絶対そっちが本音だろあんた」
どんだけチカ好きなんだよ。あれか? 『娘は誰にもやらん!』って感じの父親かこの人。
俺だったらむしろ、娘の花嫁衣装は絶対に抑えておきたい。一生に一度の、一大イベントだしな。
親なら、例え仮親でも娘の幸せを願う方がいいと思うんですよ。娘が大事ならなおさら。ね?
「丹谷さん、貴方は私の本当の父親じゃない。……でもね、私にとっては、二人目のお父さんって、ちゃんと感謝してるから。忘れないでね」
チカが真剣な顔で、これまた優しい眼でそう伝えると、丹谷さんの表情は綻んだ。まぁ、嬉しいよねそりゃ。
「ありがとうチカ。やっと、やっと今日、君の名前を知ることが出来た。君の口からね」
「ふふん、まぁ元々お世話にならずに出て行くつもりだったし。そもそも名前無かったし」
「まぁ、そうなんだけどね」
二人が微笑ましく会話を続ける中、俺はまるで存在し得ない物の様にすっと玄関に向かっていた。
多分、角度的にこっち向いてる丹谷さんは気づいてる。それでも呼び止めないのは、俺の気遣いを理解しているからだろう。
俺は、もしかしたら暫く会うことが叶わないかも知れない親子に、水入らずで楽しんで欲しかった。
丹谷さんの家を出ると、何故か隣のお宅に連れ込まれた。何されるのか不安で不安で震えたけど、携帯電話の充電をさせてくれただけだった。
「いいんですか? 本当、電気代とか……」
払えないんだけど、と言いかけた。でも途中でおじいさんが人差し指を振ったので止めた。
「いいんだ。これから暫く旅に出るんだろ? あんた達のことは聞こえてた。少しくらい、応援させてくれよ」
「ありがとう、ございます」
凄いいい人だった。一応この辺全員に話しかけたことはあるけど、心変わりしてくれたみたいだ。
明るく笑うおじいさんの首元にも、他の人達みたいに番号が刻まれてる。この人も名前、無いのかな……。
てかチカの番号は何処にあるんだ? 見たことないぞ。
「おっと、そろそろお迎えが来たみたいだな」
おじいさんが玄関を注視しながら呟く。
よく分かんなくて俺も耳を澄ませてみると、若そうな女の子の声が聞こえて来た。多分、「お兄ちゃんどこ?」って言ってる。
俺を探してるなら、チカだな。座布団の皺をなるべくとかし、おじいさんに頭を下げた。
「ありがとうございました。これから、チカと二人で頑張って行きます」
おじいさんの笑顔は一瞬、泣き顔の様になって直ぐ微笑みに変わった。それから鼻を指で擦る。
「おう、頑張りな。ところであのコの名前は、『チカ』ってんだな……」
「はい。誰がつけたのか、それとも自分でつけたのか分からないんですけど、初めて会った日にしっかりと教えてくれました」
「そうか。なぁ、あんた」
「はい?」
少し照れ臭そうに頭を掻くおじいさんは、一回抜け毛を心配した後、自分を指差した。
本当マジで全く分からなかったから、首を傾げてアピール。おじいさんは「だよな」って笑った。
「俺にも名前、くれねぇか? あのコが羨ましくてよ。嫌だったらいいんだが……」
「名前ですか。お礼として……まぁ気に入ってもらえるかは分からないんですけど。それでも良ければ」
「勿論だ」
多分、倍以上歳上のおじいさんに名前つけるなんて変な気分だな。そもそも誰かに名前をつけたことがないから、難しい。
こういう場合、印象とかで決めるのもいいかも知れない。
このおじいさんは実は親切だった。そこから、『心』ととる。それから、おじいさんの番号は六百七。……ダメだこれじゃ思いつかない。
もう、本当に名前つけるセンス無いのかな俺。
あ、このおじいさん凄い明るい人だな──。
「『明心』さん……とか、どうですか?」
「……明心か。そうだな、ありがたいよ。ありがとうな。無茶振りすまんかった」
「いえいえこちらこそ充電ありがとうございました」
「いつか、また会ったらよろしくな。今度は味噌汁作ってやるよ」
「ははっ、ありがとうございます。では、そろそろ俺行きますね」
「気をつけろよ」
「はい」
おじいさんにまたしっかり頭を下げ、玄関の扉を開けた。直ぐ側に丹谷さんが立っていて、俺に気づくと直ぐにチカを呼んでくれた。
「丹谷さん、結構話せました?」
「ふっ、どうでしょうね」
丹谷さんは相変わらず冷静に笑う。何で分かんねーんだよってツッコミはやめた方がいいかな。
でもさでもさ、表情明るくなってるんだよ。多分、楽しい時間を過ごせたんだろうな。
今更だけど足ガクガクいってる俺。
「お兄ちゃん! 早くホテル戻るよ!」
チカが大きく手を振り、もう一方の手で林を指差す。マジで? と聞き返しそうになったけど、ここで頼り無さを発揮しては丹谷さんの信頼に関わる。
だから、なるべく強がりさえも見せないくらい自然に微笑んだ。
「おう! 今行く!」




