12・苦悩
午前五時二十分。何の音も聞こえないし、トイレの為に起きた訳でもない。
それでも、普段じゃ絶対に目を覚まさない早朝に起きてしまった。
「あー、暇だ……」
いつもなら午前八時くらいにチカが起こしてくれていたけど、今日は違う。俺と同じホテルには、チカは泊まっていないから。
何処で寝たりしてんのかな? どうやって暮らしているのかな。何も分からないけど、毎朝部屋の前に置かれている三つの弁当が無事なのを物語っている。
──毎日。つまり今は、チカと喧嘩して三日程経ってしまっているんだ。
洗濯も掃除も全くしていないが、何か気にかけてくれているフロントの女性が色々手助けしてくれるから大丈夫。
今日はちょっと用事があるらしく、本当に独りきりになった。凄く暇だぞ、ゲームも一人でやる用のは持って来てないからな。
本当に国なんて出なければよかった。早く家に戻りたいよ。
「ヤバいな、マジで暇だ。凄い暇だ。今なら壁に刻まれた無数の線を数え切れそうなくらい暇だ」
大した量だけど、これだけ暇なら余裕だろ。一、二、三、四、五……ダメだやめておこう。寝ちゃいそうだ。
誰でもいいからこの際。誰か何かして遊ばないか? 暇過ぎて退屈過ぎて本当に寝そうだ。
……あ、そう言えばチカが言ってた様な気がすることがある。『朝起きて太陽の光を浴びれば、健康にいいし目が冴える』と。
ちょっとベランダ出てみるか。このホテルには狭いけど有るからな。
「うわっ、太陽眩しいな。こんなんで本当に目冴えるのか? つか、暖かくてむしろ寝そう。入ろ入ろ」
日光浴もダメとなると、次はどうしよう。洗濯でもしてみるか。
そう言えばチカが言ってた様な気がすることがある。『洗濯は種類によって分けてするといい』って。
種類ってあれか? 服とかパンツとかそんな感じか? 分ける必要とかあるのかよ。分かんねぇ。
しかも何回もに分けるくらいなら、一回で終わらせたいしなぁ。いいや、詰め込むか。
えーと、洗剤入れてスタートでも押せばいいのか? 違う、何か他にあった気が……。分かんねぇ。
それにしても、凹むなぁ。
「チカ居ないと俺、こんなにもダメダメなのか。洗濯も出来ないし、変な時間に起きるし、何も思いつかないし。ゲーム持って来たけど、二人用だし」
暇潰しに散歩とか選択肢もあるけど、面倒だしな。
あー、マジで自分で自分が嫌になる。また、ダメ人間生活が始まってしまいそうで怖い。
自分で突き放しておいて何だけど、チカに帰って来て欲しいな。
気がついたら玄関に立っていて、頭より身体が先に動いたんだなと納得。このままチカの元へ向かえばいい。
だけど残念ながら、そのチカが何処に居るのか見当もつかない。初めて来た町だし、つく筈がない。
周辺に住む人間達には話しかけたくもないし、チカの居場所をどうやって掴むか、だな。
何はともあれ、行動しなきゃ進まない。ひとまず外に出てみよう。
商店街にはあまり近づかず、ホテル左前方に聳える林に入って行く。海からは結構離れた筈なのに、地味な冷気で震えが止まらない。
肌寒いと言えばいいのかな、この場合。いや肌は寒いけど、肌寒いってレベルじゃないよ。凍えてるよ。
「チカが向かいそうなのって何処だよ。大体、家に帰って来ると俺の世話ばかりしてたからなぁ。情けないな本当に」
独り言で自分の情けなさを再確認したまま、林の奥へ進んで行く。もう既に五分は歩いたのにまだ先が見えないな……待て、これ帰り道大丈夫だよな? 記憶してられるよな?
不安ばかり、なのは今に始まったことじゃないが、一人なのはかなり心細いんだな。
かれこれ十六分歩いた程度で林を抜けたけど、一旦ベンチが置かれた休憩所らしき地点にやって来てまたすぐ林。今回は林と言うには木が多いかもな。じゃあ森で。
──今、何時だろうか。ホテルを出発した時間すら覚えてないけど、多分昼だよな。腹減ったから。
林と森のエンドレスで疲れただけかも知れないけども。
それにしても、何時間かけてここまで来たんだよ。何時間かけてここから帰るんだよ。そもそも何でこんな森ばかり抜けてんだろ、この先に何か有るのかよ?
無いんなら疲れただけだな。何か有ってくれ。
脚が重く感じて「そろそろ限界だな、ハッ」なんて苦笑したら、木と木の狭い間から光が差し込んでる様に見えた。そう見えただけだ、まだ昼だし。
その内左側の木に寄りかかり、その光の先を覗いて一気に力が抜けた。
「やっと、抜けたっぽい。別の町に来た……休もう」
あまりにも活気の無い町だけど、ベンチや街灯などの手入れはしてあるみたいだ。あまり汚れてもヒビ割れてもいない。
さて、荷物も何も無いでここまで来てどうするというのだろうか。俺は何も考えずに進んでただけだからなぁ。うーん。
ここにチカが隠れてるってんなら話は別だ。捜して、見つけて帰ろう。そうしよう。
だけど、この町にはチカどころか人が見当たらない。何をすることも出来ない状態だ。
ベンチに体重をかけて寄りかかり、まだ眩しい太陽を見上げた。
今の心は屍も同然。今直ぐベッドで横になりたいくらい疲れてるよ。
「何でこんなに、連れ戻したいんだ? チカのこと。そもそもチカはいつの間にかうちに居ただけだろ? それを、何となく住ませてるだけだろ? ……家事とかは任せてるけど」
何に問いかけてる訳でもなく、ただただ空に向かって独り言を続けてる。端から見たら変人だろうな。
そんなことさえ虚無の彼方へ蹴飛ばし、じんじんと痛む額に掌を置いた。
確かに俺は何も出来ない役立たずな上ダメ人間だよ。チカが居なければ何にも出来ない。
本当に心の底から情けないと思う。
だがそもそも、チカが言い出さなきゃこんなとこにいない。旅なんかしてないし疲れ果ててもない。
そもそもチカが弁当を忘れなんかしなければこんなことにはなってないだろ。
……そもそも、チカが居なければこんなことにはならなかったんだよ。
ああ、面倒臭い。本当に面倒臭い。何でこんな面倒な事になってんだよ。何で俺は疲れてんだよ。
今まで通り家でダラダラ妹育成ゲームしてたい。ゲーム仲間とバカみたいにチャットしてたい。元の生活に戻りたい。
いつからか、チカの心配でも連れ戻すという気持ちですらなくなった俺は、暫くその場で放心状態になってた。
一応腕時計はあるから見てみたけど、今午後二時だと。……待て? 何で腕時計に気づかなかったんだ森での俺。忘れてんなよ。
ここまで、ホテルからかかったのは六時間と少し。の筈。
だとしたらここから戻るとすると、夜になるな。夜の森は危険な気がするし、宿でも探すか? 金ないけど。
「うわっ、この町店とか無いのか? 家とかしか見当たらない。仕方ないな、泊めてもらうしかないか」
宿らしき建物は見当たらないので、一番近くにある赤い屋根の家を訪ねてみることにした。泊めてもらえるだろうか。
「はい」
「あ、すみません。こんな真昼間に言うのも何なんですが、宿が無さそうなので泊めてもらえないでしょうか」
「……何でこんなとこに?」
「実は、捜し人をしてて……」
「さようなら」
「ええ!?」
勢いよく閉められた扉をガン見して硬直。
まさか今のタイミングで断られるなんて予期してなかったぞ。てか、まだ途中だったのに閉めたよな。
何でだろ、とかはいいかもう別に。今の人が冷たい人間だったのかも知れないし。
気を取り直して隣の家。
「すみません」
「はい、どうしました? というか、どちら様?」
「別の町から歩いて来たんですけど、人捜しの途中……」
「へぇ、じゃ」
「閉めんのかい!」
何だ何だ? この町の人達は人に事情を訊いておいて聞かずに無視するのか。タチ悪いなおい。
にしても、この調子じゃ他の家も断られそうだしな。まさかの野宿、か。
──一応全部の家試してみたが、案の定断られた。というよりは、無視された。腹立つな。
しかも大体『捜し人』の直後にドア閉められるんだよなぁ。禁句とか言わないよな?
『捜し人』が禁句って何だよ。あったら凄えよ。
……ありそうだけど。ここなら。
野宿の為に寝れそうな場所を一時間かけてまで探したが、特にいい場所が見当たらず項垂れていた。このままじゃ日が暮れる。
つぅかその前にめちゃめちゃ疲れた。今にもぶっ倒れそうだよ。
運動不足なのにここまでよく頑張ったもんだよ、俺。
「仕方ない。上着でも下に敷いて寝るか。道路だけどここ」
疲れ溜まり過ぎて形振り構ってられない。だからもうそのまま寝た。
「こんなとこで寝ていて寒くないのかい? 今は夏に近いが、夜に外で寝るのはよろしくない」
「……あんた誰だよ」
疲労の為か、とてもぐっすり寝ていたが、低くよく透き通った声に起こされてしまった。
声の主は青年の様な顔立ちをした男性で、恐らく年齢は俺よりも上だろう。地味に皺がある。
怪訝な気持ちを隠さない表情で訊くと、男性は一旦脚を退いてお辞儀をした。
「これは失礼。あまりにも可哀想な貴方を目撃し、礼儀も忘れていた。私は丹谷啓介という科学者です。ここでは寒いでしょう、うちに来ませんか?」
「まぁ、泊まらせてくれるんなら有り難いよ。お言葉に甘えてもいい……ですか?」
「もちろん」
優し過ぎる笑顔に警戒しっ放しだったが、他のより一回り大きな丹谷さんの家に招かれ、即寝た。
何やら話したそうな態度を終始とっていた丹谷さんのことも分かってたけど、眠かったからまた明日で。
いやぁ、ふかふかの毛布何日振りだろうか。
「丹谷さん、あんた金持ちか何か? 何か広い家だけど。それより、俺のことは聞かなくていいんですか?」
「いいえ、単に先祖が大きな家を造っただけです」
丹谷さんはクスッと微笑んで朝食の食パンを齧った。俺も食べよう。折角貰ったんだし。
一口を食べ終えた丹谷さんは一度ホットミルクを飲み、「それと」と続けた。
「貴方は瀬賀 京さんでしょう? 実は、ちょっとばかり会社で一緒になったことがありまして。かなり優秀だと聞いて覚えてました」
「え、じゃあ丹谷さんも元は千寿ヶ峰に?」
「いいえ、ただの遠征ですよ。ですが偶然とは凄いものです。貴方とは是非話しておきたいと思っていたので」
「あ、そうなんですか?」
「はい。まぁ、今は朝食を済ませましょう。話はその後で」
「はい」
中々掴めない人だなぁとは思ったよ。正直何の話をしておきたいのかも予想出来ないし。
会社を辞めた理由とか訊かれたら嫌だなぁ。厳しい環境が嫌でニートに転職したんだなんて答えたくもない。
こういう出来た様な人間は、そういう人間を蔑むものだ。大抵そんなのばっか。俺の偏見だが。
不信感は抱いたままだけど、食器洗いをする丹谷さんを見ていて改めてチカの有り難みを知った。俺だったら幾つ皿を割っただろう、と。
洗い物を終えた丹谷さんは二つ対に置かれたソファーの一つに腰掛ける。因みに俺はもう一つのソファーに座っていた。
暫くして丹谷さんが口を開いた。
「実は私の祖父は、この国で人体実験を行っていた人間の一人なんです。それも、最高責任者」
「えっ、あの、何か、改造みたいな?」
「ええ」
丹谷さんは深く頷いた。
嘘だろ、と自分の耳を疑いかけたが、続きを聞くためにしっかりと丹谷さんを見据えた。
丹谷さんの祖父が、チカ達を改造した犯人……という訳なんだな。だとしたら、あまりいい気持ちにはなれない。
丹谷さんが言っておきたかったのはこのことなんだろう。謝りたいのか? だとしたら何故俺に?
俺とチカが知り合いだとは思わないだろ。
だがそんな疑問は直ぐに解決してしまった。丹谷さんの、衝撃の告白で。
「私はある一人の少女を追っていました。全ての実験に耐え、適応し、超人と成ってしまった少女を」
「え、それって、まさか……」
「今はチカと名乗っているそうですね。彼女は、私の娘です」
口が開かなかった。普通だったら開いた口が閉まらないんだろうけど、俺は違った。逆だった。
まさかここで、偶然チカの親に出逢ってしまうとは。しかも相手は俺を知ってたとは。超驚いた。
「あ、娘の様なものです。彼女……チカには親がいないらしいので。細かく言うと不明なだけですが」
「あ、仮親みたいな?」
「ええ。それで現在、チカは貴方と行動を共にしていると知り、貴方達の事情も知り、ここに戻って来たんです」
「そう、なんですか」
ヤバいぞ、何かマズい気がするぞ。ここで「俺とチカは喧嘩中」なんて言ったらヤバい気がするぞ。
親が娘を心配しない筈がない。殺されるんじゃ……。流石にないわな。
丹谷さんは一枚の写真を取り出すと、俺に見せて来た。別に丹谷さんもチカも写っていない家だけの写真だった。
こんなもの見せられてもね? 何をうったえてるのか分からないから。
「私はチカを連れ戻すつもりです」
「……え?」
俺の心臓が大爆発を起こしそうな程跳ねた。




