11・正体
人体実験って、何をしたんだ。元々はってことは、今は普通の人間じゃないのか? それにチカは完成体って……。
頭を突き刺す衝撃を堪え、年配の女性に視線を戻した。一番色々知ってそうだからこの人に聞いてみよう。
「人体実験って、何をしたんですか? それにチカが唯一の完成体って、どういうことなんですか……?」
かなり勇気が必要だったが、チカのことを知る為にはそんなもの捨ててやる。有り得ない事実が浮かび上がって来そうだしな。
ただ、俺を除いた全ての人間が人体実験を受けたとなると、謎の恐怖が湧いてくる。下手をしたら、何をどうされるか分かったもんじゃない。
俺の質問に、年配の女性は周囲に確認を取ってから答えた。やはり知られたくない人間もいるんだろう。
「見ての通り、この町は貧困だ。作物も育たないし、そもそも良質な物が何も無い」
何処か寂しそうに呟いた女性を見て、俺は眼だけを周囲に向けた。
確かに、上陸した時も感じたが、この町は目立つ物が何も無いし、かなり地味だ。食料は普通に売られているが、農業をしている訳ではなさそうだし。
つまり、
「何もかもを密輸で補っている。食料も衣服も、何もかもをな」
「何もかも……密輸かよ」
輸入とかじゃねぇのな。まさなの密輸の方で表すのな? ……この町、何の為に有るんだよ。
百年程前、貧しい暮らしをしていたらしい。この町の住民は外国に稼ぎに行ったりなどと聞き、どう生きてきたのか理解した。
だが、他国に住居を移した方が得策だともマジで思った。いちいち遠出するよりはな。
かなり昔の話をし終えると、年配の女性は声のトーンをかなり落とし眼をカッと見開いた。
爛々と光る眼球に、先程も見せた狂気に満ちた笑みを浮かべていてかなり恐ろしい。老婆だからより、な。
「私達は輸入された」
「え?」
思わず耳を疑った。
今老婆は、自分が『輸入』されたと言ったのだろうか。人間を『輸入』したと、そう言ったのだろうか。
固まる俺を馬鹿にしてるかの様に笑う周りが苛立つ程気になったが、それよりも続ける女性に集中した。
「人を増やせば貧困じゃなくなるとでも考えたのか、この町のお偉いさん方は、異国の人間を連れ込んだ。人が増えた分一瞬で廃国となったがの」
「連れ込んだって……」
何処の武装集団だよ、とツッコミたくなったが自重した。
作物もロクに育たない国で、人を増やしたらどうなるかなんて分かりきってるだろ。この国のお偉いさん方というのは頭が悪いと見た。
それよりも、そんな簡単に国が滅ぶなんてな……。
ちょっと待て、人体実験のことはどうなった。そっちが知りたいんだけど。
年配の女性は溜め息を吐き、ちょっと待てと首を振った。
「お偉いさん方は、そこである考えに到達した。改造人間を作り、有能な人間として他国に送り込めば金が稼げるのでは? ……とな」
漸く、俺が知りたいとこまで話が進んだ様だが、予測していなかった理由だった。まさかの金の為か。
だがまあ金が無ければ密輸も出来ないし、生きてもいけないから仕方ないと思うが。
それでも何故、人体実験などという考えに辿り着いてしまったのだろうか。謎だ。
「まず手始めに、この町の人間が全て改造されたが……失敗して死亡が殆どだった。成功者はその後何十年もいない。私達も皆、生き延びただけの失敗作だ」
「ちょっと待ってください、人体実験って何するんだよ。どんな改造をしてるんだ?」
もうタメ口で行くことにした。正直言って敬語なんて使うつもり無いからな。
俺の質問に戸惑っている住民達は、一丸となって説明を年配の女性に託した。
年配の女性は己の折れそうな程細い二の腕を指差し、
「筋力大幅強化に、知能を常人以上にするという実験だ。筋力は成功例の方が多い簡単なものだったが、脳を弄ったことで死んだり、廃人と化す人間が増えた。私達は皆、運良く生き延びただけだが」
どんな実験だよ。そもそも、未完成な改造なんかで頭が良くなるんなら、今多数の国が天才ばかりになってるだろうよ。
しかも殆どが失敗しているなら、わざわざ自滅していっただけじゃないか。
限度を考えろ、欲望に忠実過ぎるだろ。そんな頭痛が酷くなる話を聞いていると、年配の女性は悪魔の様な微笑みを浮かべた。
悪魔っていうのは失礼か。じゃあ化け物で。
「十五年前、千七百五号が産まれた。今は『チカ』名乗っているらしい、あの子娘だよ」
「チカって、本名じゃないのか?」
「私みたいな昔の人間には本名も有るが、実験が始まってからは名前など無いよ」
「だから、実験番号か何かなのか……」
「そうだ」
人間が人間として見られていないぞこの町。そんなんで貧困脱出出来ると思ってんのか。
それに、突然チカのことを話し始めたということは、漸く知れるんだろう。チカがどんな存在なのか。
……まあさっき、『唯一の成功者』と言われていてその上、筋力も頭脳も高いから大体予想つくけど。
「チカは実験に成功した。ただの赤ん坊が、超人へと生まれ変わった。その実験が成功するや否や、お偉いさん方はこの世を去ったけどな」
「だと、思ったよ」
道理で、チカは怪力な訳だ。スタミナ切れも無い筈だ。実験に成功した、最強の人間なんだから。
ちょっと下品だけど。
そこまで教えると、住民達は散り散りになっていく。どうやら話が終わったとでも思ってるらしい。
だが俺が知りたいのは、もっともっと別のことだ。
年配の女性を引き止め、俺は先程までのことよりも更に知りたいことを声に出した。
「何でチカは、この国から出てったんだよ。まだ子供だってのに、稼げる訳がないだろ!」
俺の発言を嘲笑う住民達は、一度振り向いてそのまま去って行った。何事も無かったかの様に賑わいを取り戻した商店街で、俺と老婆だけが睨み合う。
先に目を逸らしたのは相手の方で、俺は内心安心してしまった。情けないことだけど。
目を逸らしたが去る訳ではなく、老婆はもう一度俺に眼を向け、先程までの笑みは見せなかった。
「それは、チカ本人に訊いてみるといいだろう。流石に私達では真相に辿り着けんよ。またな」
「チカに、か。何か直接訊くのは気が引けるんだけど、んなこと知ったらスルー出来ないしな……」
拳を強く握り締め、チカの待つホテルを見上げた。
どんなに嫌な気分になったとしても、俺はチカのことをもっともっと知らなくちゃいけないんだ。
まずは荷物取りに行こう。俺は気を取り直して海岸へ向かった。
うわお、海岸埋め尽くす程のカモメがいるよ。船の中にまで入ってるけど、服とか駄目になってないか不安だな。
……あ、何か食べてる。ありゃチカが焼いた魚をの残りだな。どんだけ鼻利くんだよ。
カモメの群れに突進し、飛び退かせて直ぐに船内を確認した。器用に魚だけがボロボロになってる。
待てよ? ここが貧困過ぎる町なら長居は不可能だな。生き延びられやしない。必要な分食料とか食器とか手に入れたら直ぐにでも出るか。
──ホテルに戻ると、背中を見ただけで分かる程チカが不機嫌オーラを出していた。
何でかは分からないが、マジで分からないが怒っているようだ。
「ここ、荷物置いておくな」
「あ、お帰りお兄ちゃん!」
「ただいま」
不機嫌オーラが一瞬で消し飛び、弾ける様な笑顔で駆け寄って来た。
今なら訊けるんじゃないかと、勇気を出して口を開いたが……それが完全なる失敗へと繋がるのだった。
「チカ、俺に何か説明することとかないか?」
両手を広げてハグしようとしていたチカは立ち止まり、静かに手を下ろした。同時に表情は笑顔でなくなり、背中には暗黒の蒸気が揺らめいている錯覚が見える。
不機嫌オーラ、再発。
だがそれでも俺は知りたい。チカの口から全てを聞きたい。
自分が改造された特殊な人間だということも、ここを出て俺達の町へ来たことも、何故俺に近づいて来たのか……も。全部。
不機嫌オーラ全開で無言を貫くチカの両肩を鷲掴みにし、固定する。そのまま視線を合わせて問いかけた。
「なぁ、何か有るんだろ? ここに来てから明らかに態度がおかしいし、今も不機嫌だし。説明してくれチカ」
「ヤダ」
白々しく、分かっていることを訊くのは少し気が引けるが、チカの口から──えっ、即答で拒否?
普段なら平然と答えてくれるチカだが、今回はそうもいかなかった。かなり嫌がっている様子で、睨む様な表情で強く拒否して来たんだ。
普段拒否するとしても、もっとはぐらかす様な感じなのに全然違う。
こんなチカの態度は初めてで、口を小さく開けたまま硬直してしまった。今のチカの態度が、別人みたいでかなり怖くて。
少し経つとチカは俺の手を逃れて、玄関に置いておいた荷物に手をかける。服を漁っているらしい。
二、三着程服を手に取ると、鋭い目つきのチカは振り向いた。
「たとえお兄ちゃんの頼みでも、何も言うことなんてないから。私とは今まで通りでいてよ。何も聞かないで、詮索しないで」
「でも」
「誰にでも言いたくないこと有るでしょ? それに、もう分かってるくせに訊いてくるなんて……お兄ちゃんのそういうとこ、嫌いかな」
一通り荷物を纏めたチカは部屋を出て行った。そこから、何十分経っても姿を見せなかった。
誰にでも言いたくないこと、か。そんなこと考えもせずに問い詰めたのか。俺。
しかもバレてた。隠せないもんだな。
何より……
「嫌われた、かな。初めて『嫌い』なんて言われた」
俺自身は、チカの本心が知りたくて、チカのことが知りたくて質問した。でもチカにとってそれは俺を『嫌い』と認識する程嫌なことだったんだ。
でもなチカ、俺だって傷つくんだよ。嫌いなんて言われたら。
──この世界で恐らく唯一俺を『好き』と言ってくれる女の子に嫌われたことショックを受け、その場に座り込んだまま一日を終えた。
それに気がついたのは翌日の朝五時で、周囲を見回すとチカの物だけが失くなっていた。恐らく、俺が寝ている間にでも取ってったんだろう。
家事も出来ない、何もしなかった俺には何をしたらいいのかもう分からない。このままでは食料も無いので、所持金を確認してから外に出た。
二万円はあるから暫くは保つな。
「げっ、この弁当三千円もするのかよ」
弁当屋と書かれた場所に寄ってみたが、一番安いもので三千百円。ぼってるだろ、そんな量も無いのに。
なるほど、この町の人間達も生きることに必死なんだな。だがこんなするもの毎日三回も買ってたら破産するぞ。
とにかく、五百円のおにぎりを一つ買っておこう。これじゃ腹も減る。
最悪とも呼べる町だな。さっさと出て行きたいが、俺一人じゃ何も出来ないからな。
働こうにも、どうするべきなのか分からない。
……住民達よく金保つな。
「あ……」
ホテルまで歩いてる道中、買い物袋を一つ持ったチカと遭遇した。
よかったな、お前は金があってよ。ここでも俺はダメ人間だ。見下したいなら見下せよ。
「あの、これ……」
チカが何かを言おうとしたと同時に、俺の眼は彼女の服に注目していた。昨日とは別の、綺麗なTシャツだ。
そこで、思わず口を開いた。
「俺が寝てる時に、気づかれずに荷物を持って行ったって訳だよな。流石だよ」
「え……」
「流石、改造人間だな。そんなことまでお手の物かよ」
言い終えて、やってしまったと心の底から後悔したものの、それを訂正する気にはならなかった。
チカは俺を見捨てたんだ。自分が居るから大丈夫だとか言っておいて、本当は俺のことなんてどうだってよかったんだ。
目を見開いて固まるチカに更に追い討ちをかける。
「自己中な奴で悪かったな。役に立たない奴で悪かったな。お前はもう別の奴のことでも好きになれば──」
全力でグチグチ言ってると、突如顔面に激痛が走った。弁当が二つ入ったビニール袋が投げつけられたのだ。
そのまま横転し、即座にチカを見上げた。今にも泣きそうな程ぐしゃぐしゃな顔で、震えている。
「お兄ちゃんのバカ! 一番嫌なこと言った! もう知らないっ! じゃあね!」
「……何なんだよ、本当に訳分かんねぇ」
悲しみの籠った怒声を上げたチカが走る姿を見送り、俺は袋の中を覗いた。
恐らく、この弁当はチカと俺のだった筈だ。チカは俺を見捨てた訳じゃなかったんだ……。
なのに、思い切り酷いこと言ったよな、俺。
袋を握り締め、激しく脈打つ頭を搔き毟り、その場に座り込んだままでいた。
走って行くチカは泣いていた。かなり傷つけてしまったに違いない。俺は兄失格か。
俺に怒りをぶつけて来た時のチカの顔を思い返し、項垂れた。
「最低だな、俺……」




