7話
稽古3日目。酷い筋肉痛に悲鳴を上げながら、早朝の走り込みをする。初日と同じく周回遅れになりながらも走っていると、「嬢ちゃん頑張れ」「無理すんなよ」と声を掛けられるようになった。ただ残念なことは、その声に答えられないことだ。今の私にそんな余裕はない。
朝食を終えると剣術の稽古。模擬刀で型を習い、ひたすら反復練習。伯父様曰く『型を身体に染み込ませれば、いざと言うとき対応出来る』のだそうだ。『何事も基礎から。とにかく剣を振りまくれ』と言い置き、後の世話をワイマールに任せてどこかに行ってしまう。
伯爵だし、自分の仕事もある。伯父様を頼って来た弟子達も居る。私だけに時間を割く訳にはいかないのだろうが、ワイマールとの間には気まずい雰囲気が漂っていた。
初めての会話があれだもの、仕方ないわよね。コミュニケーションを取ることを諦めた私は、言い付け通り一心不乱に剣を振り続けた。
夕方になり伯父様は帰宅すると、とんでもないお土産を持ってきた。いや、正しくは捕ってきただ。
「サラに体力を付けてもらおうと思ってな。美味そうだろう」
すでに血抜きしてあるそれは大きな鹿だった。仕事に行ったと思っていた伯父様は、狩に行っていたらしい。普通の女の子ならば悲鳴を上げるところだろうが、あいにく私は普通ではないので、自慢気に胸を張る伯父様を尊敬の眼差しで見つめた。
「凄いわ!今度私にも狩りを教えてください!」
「いいぞ。なら弓と馬を覚えなくてはな」
「閣下もサラ嬢も止めてください。ワイマール、貴方も見ていないで一緒に止めてください」
「……エルディエス様が認めたことならば、自分は従うのみです」
残念。この場にクラリスさんの味方は居なかった。それでも負けじと止めるクラリスさんに「貴族の令嬢がすることではありません!」と強く叱責され、私と伯父様は顔を見合せ、まるで鏡のように首を傾げた。
「クラリスさんは確か子爵令嬢だったと記憶しています。ならばなぜ、騎士団に入り、さらには伯父様の副官となったのですか?」
「それは……。私の家系は代々騎士の家系です。騎士となるのは可笑しなことではありません」
「いいえ。先程のクラリスさんの言葉を借りるのならば、貴族の令嬢は剣を握り馬を駆り、弓を射るべきではないと言うことです。ですがクラリスさんは騎士に成ることを選択しました。それはご自分の内に譲れない物があったからではありませんか?」
私の質問にクラリスさんは耐えきれないと言うように視線を反らした。伯父様は面白い物を見る目で事の成り行きを見守っている。全く、意地が悪いですね。
「クラリスさんに譲れない物があるように、私にも譲れない物があります。そこに出自や家柄は関係ありません。自分がどうしたいか、どうなりたいかが大切なはずです。私は私の欲しい物のために努力しようと決めました。……確かに、周りから見れば私のしていることは馬鹿げて見えていることでしょう。ですが何と言われようと、どんな目で見られようと諦めないと決めたのです。公爵令嬢だから止めろと言うのは、受け入れられませんわ」
クラリスさんは口を開き何かを言いかけたが、それが言葉になることはなかった。
「どうやらこの勝負、サラの勝ちだな」
にやっと笑い「がはは」と豪快に笑う伯父様。本当に意地が悪い。
「……伯父様、試しましたね」
「うん?気付いていたか。クラリスの言ったことは大多数の者が思うことだ。サラがどんなに望んでいたとしても、考えは受け入れられず非難を受けることになるだろう。そんなときどう答えるのか興味があってな。どうだクラリス、サラは強いだろう」
気持ちを入れ換えるように大きく息を吐き出したクラリスさんは、顔を上げると私に向き直り、頭を下げた。
「申し訳ございませんでした」
「謝る必要はありません。クラリスさんにはクラリスさんの考えがあっての事なのですから。人間ですもの、意見がぶつかるのは良くある事ですわ。これからもよろしくお願いしますね」
その日の夕食のメインディッシュは鹿肉でした。料理長の腕が良く、臭みを取った鹿肉は美味です。ああ、リリーにも食べさせてあげたい……。
そんな想いが通じたのか、翌日リリーから手紙が届いた。歓喜のあまり言葉を失い喜びに打ち震える私を、ワイマールの冷たい視線が射ぬく。
「そんなに嬉しいですか?」
手紙が届いたのは丁度休憩中だったので、練兵場の壁を背に地べたに座って余すことなく読んだ。
伯父様の家に向かう当日、リリーは目に涙を一杯溜め『姉さまどこに行くの?リリーも行きます!』と私の乗った馬車が見えなくなるまで玄関先で泣いていた。そんなリリーからの手紙には、拙い字で会いたい、寂しいと書いてあり、思わず喉がきゅっと締まった。
「ああ、本当にリリーは可愛いわ。ワイマールもリリーに会ったらその魅力に囚われてしまうかもしれないわね」
「……それは無いですね。それに、リリアベル様はギルビック王子殿下との婚約が決まったそうではないですか。そんな方に懸想など、恐れ多いですよ」
そう言うものなのかしら?まあ、シナリオ通りにならなければ好き嫌いなどどうでも良いことよね。
「ふふっ」
『姉さまへ』その文字を指でなぞり、大切にポケットに仕舞った。リリーから初めての手紙。これは一生涯の宝物に決定だわ。
「……俺にも弟がいた」
「えっ?」
嫌悪を露にし、自分の事など一切話そうとしなかったワイマールが、唐突にこぼした言葉。それはなぜかとても哀しみの色を含んだ声だった。
ワイマールのことは誰に聞いてもはぐらかされるか、知らないと言われるばかりで、従兄弟であるにも関わらず何も知らない。知っている事と言えば伯父様が拾ってきた(本当ならばの話だけれど)と言うことだけ。
「あんたら貴族は見て見ぬふりをしている王都のスラム。俺はそこで産まれた……。誰も信用できない、誰が親なのかも分からない劣悪な環境は正に地獄だった……」
少し離れた所に座っているワイマールの小さな声は、やけに頭に響いてきた。ぎゅっと固く握り締められた拳が、微かに震えている。
話したくないことならば話さなくても良い。だけどこうして口を開いたと言うことは、聞いてもらいたいという想いがあるのだろう。
「生きるために盗みもした。人を傷付けたこともある……」
「……後悔しているのね?」
「ああ……。だが、そうしなければ生きていけなかった。弟は幼く自分の力では生きられなかった。血は繋がっていなかったが、俺にとっては間違いなく家族だったんだ……」
産まれた時から恵まれた家に生きてきた私には、ワイマールの気持ちを全て理解することは出来ない。でも、ワイマールが凄く傷付いていることは分かった。だってこんなにも胸が痛い。
私は仕舞ったリリーの手紙に服の上から触れた。
「その弟さんは……どうなったの?」
「死んだ。……3年前の寒波を覚えているか?毎日食うのも大変な生活だっていうのに、あの年は寒さも襲いやがった。身を寄せあって寒さを凌いでいたが、あいつにはあの寒さを乗り越える体力もなく、朝には冷たくなっていたんだ……俺の腕の中で……」
声なき嗚咽は確かに聞こえた。ずっとこんなふうに一人で耐えて来たんだろうか……。そう思うと私まで辛くなった。
3年前ということは、初めて会ったのは、伯父様に引き取られて1年程経ったくらいだろうか。そうか、だからあんなにも暗く、憎しみのこもった瞳をしていたのね。
気が付くと私は泣いていた。ポロポロ大粒の涙が地面を濡らす。
「何でお前が泣くんだ」
「分からないわ。でも、胸がとっても痛いの……。ごめんなさい、私はワイマールに掛ける言葉を持ち合わせていない。辛かったことは分かるのに、理解したいのに理解出来ないの……」
「そんなの当たり前だろ。軽い言葉をかけられたり、分かった振りをされるより良い」
「そう言うものなの?」と訊けば「そう言うものだ」とワイマールが答えた。なんだか可笑しくなって、二人で笑った。
「どうして教えてくれたの?えっと、あなたの家族のこと」
「……家柄や出自は関係無いと言っていたな、本当にそう考えているか?」
「もちろんよ。産まれた時から全て決まっていたなら、伯父様は騎士団長にならず優男のまま伯爵を継いたはずよ」
優男の伯父様を想像したのか、ワイマールは顔を背けて肩を震わせていた。そんなに面白いことを言ったつもりはなかったんだけど、ワイマールのツボだったみたい。
「それに、そんなのつまらないじゃない。最初から出来ないって決めつけられたくないの。なんでもやってみないとわからないでしょう?可能性があるならやってみる価値はあると思うの」
最初から決まっているなら、リリーにはろくな未来が無い。だから私は出来ないと言えないのだ。弱音なんて吐いている暇なんてないし、立ち止まる時間も勿体ない。打倒ヒロインのため、私は闘う!気分はヒーローだ!もちろんリリー限定の。
「夢はなんだと訊かれて、ずっと考えていた。スラムには今も泥水を啜り、盗みをしないと生きていけない子供がたくさん居る。俺はそんな子供達を救いたい。弟は救えなかったが、これから救える命があるんだ。死を待つだけだった俺がエルディエス様に拾われた意味は、そこにあると思う」
2年ぶりに会ったとき、ワイマールの瞳は変わらず暗い闇を宿していた。でも、今のワイマールの瞳には強い意志が宿っている。
辛い過去を忘れる必要は無いと思う。だってそれもワイマールの一部だから。忘れないことと、囚われることは違う。ワイマールは過去を強さに変えたんだ。
「そうやって笑えば良いのに。喜ぶわよ、伯父様」
ハッとしたように口元を隠してしまった。あら、照れ屋さん。
「笑うな!」と怒られる。だってなんか嬉しいんですもの。自然と笑ってしまうのよ。
「私にも遠慮する必要は無いわ、従兄弟なんですもの。そうだ!ワイマールの夢を叶える手伝いをさせて、一人より二人のほうが心強いでしょ?」
「おまえ、本当に変わってるな……。公爵令嬢ってみんな変わってるのか?」
「そんなわけないでしょ」と言えば「知ってる」とバカにしたように返された。他愛ないやり取りだけど、なんだか擽ったい気持ちになった。