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彼と結婚します




実家に行くのは、三が日が過ぎた一月の第二日曜にした。


はじめて彼を連れて行くのに、お正月の慌ただしさは避けたかったのだ。


私の実家は電車で四駅のところにあり、通勤できる距離ではあったが、私が二十歳のときに五歳上の兄が結婚したので、いつまでも私が居座っているのもどうかと思い、就職を機に家を出た。


こんな近くに実家があるのにどうして一人暮らしをしているのかと尋ねられることが多かったが、その度に私は、一度一人暮らしがしてみたかった、とか、適当に答えていた。


彼にも似たようなことを訊かれ、いつもの通りに返事をした。

付き合いはじめて間もない頃だったと思う。



年末、彼を連れて行く旨を母に電話で伝えたところ、母は大喜びしていた。

今まで実家に彼氏を連れて行ったことなどなかったから、当然、そういうことだと判断したのだろう。

父とは話さなかったが、その後母から送られてきたメールでは概ね歓迎の意思らしい。


けれど私は、彼の年齢についてはまだ説明していなかったのだ。


言えば、反対されるかもしれない。


もちろんその危惧があったからだが、それ以上に、


両親に反対されても彼と結婚したいという、強い想いが私に備わっているのか、それが分からなかったからだ。


きっと彼は、自分の年齢のことで私の親に反対されるかもしれない、そんな想定はとっくにたてていることだろう。


ちらりと運転席の彼を盗み見ると、気が付いた彼が私に笑いかけてくる。

これ以上はないほどの甘やかな笑みだ。


ドキリとした私は、思わずぷいっと顔を背けてしまった。


「もしかして、緊張してるんですか?そんな美咲さんも可愛いですけど」


会社での癖が抜けないのか、彼は時折敬語になる。

そんな彼を可愛いと思ってしまうのは、彼にも内緒だけれど。


やがて車は私の実家に着いた。


音を聞いた母が玄関から出てきて、ガレージに誘導してくれる。


そして彼より早く車から降りた私と新年の挨拶なんかしていたのだが、ふいに視線をやった先に運転席から出てくる彼の姿を認め、次に、絶句した。


母の絶句の原因は、彼の整った容姿だろうか。それとも、スーツを着こなしているとはいえ、明らかに私よりもずっと年下に見えたことだろうか。


「はじめまして。榊原 湊と申します。美咲さんとは真面目にお付き合いさせていただいてます」


丁寧に、礼儀正しく挨拶した彼にも、母は


「あら、まあ・・・・」


と驚きを隠しもしなかった。


「ちょっとお母さん、大丈夫?」


私が尋ねると、母は失礼にも、


「ずいぶんお若く見えるんですね」


と彼に向けて言った。

けれど彼は特に気にした様子もなく微笑んで返した。


「二十四です。今年二十五になります」


そう答えた彼に、母は今度こそ口を開いたまま絶句したのだった。






リビング横の和室で座って待っていた父は、彼の姿を見ても表情を変えなかった。

昔から無表情で口数も少なかった父は、考えていることや感情がいまひとつ掴めない、そんなところがった。

けれどおそらく、今の父の様子は、機嫌がいいというわけではないだろう。

長い付き合いなので、その程度のことは見て取れる。


母がお茶を出してる間も、父は胸の前で腕を組んで、じっと彼を見つめていた。


やがて彼が自己紹介を含んだ挨拶を述べたが、結婚・・・という言葉が出る直前で、


「結婚はみとめない」


低く、言い切った。


「お父さんっ!」


反射的に大声が出ていた私は、正座した足の上に置いた手が微かに震えていた。


「大きな声を出すんじゃない。落ち着きなさい」


「でもあなた、まず榊原さんのお話だけでも聞いて差し上げたら・・・」


母がそう言うと、父は湯呑に口をつけてから、彼に話しかけた。


「榊原さん」


「はい」


「二十四ということは、昨年入社したばかりでは?」


「仰る通りです」


「では、失礼だが、収入面では娘よりも劣るのでは?」


「はい、仰る通りです」


「それなのに結婚を?男としての面子はお持ちでない、そういうことでしょうか?」


「美咲さんと結婚できるのであれば、面子もプライドも捨てられます。私の望みは、美咲さんだけです。私の年齢のことでご不安やご心配もおありだと存じますが、私は、美咲さんを大切に想っております。まだ社会人としては未熟ですが、これから死に物狂いで働きます。決して美咲さんに苦労をかけたりいたしません。だからどうか、結婚を・・」


「結婚は許さん!」


「お父さんっ!」


怒鳴るように言った父に、私は無意識のうちにバンッ!と座卓を叩いていた。


「・・・・美咲?」


両親に対しここまで激しく感情を表したのは、はじめてだったかもしれない。

母は、さっき彼をはじめて見たときよりも驚いた顔をしていた。

だがそんなこと構っていられない。


「せっかくここまで来てくれたのにきちんと話も聞かないなんて、そんなの失礼過ぎるじゃない!確かに湊くんは私より十二も年下だけど、きっと、あっという間に私の立場を追い越していきそうなくらいに仕事ができる人なの!収入だって何よ!そんなの、結婚するんだから二人まとめての収入でいいじゃない!どっちが多いとかそんなの関係ないわ!」


「美咲、落ち着きなさい」


「でもお母さん!」


「美咲さん、僕は大丈夫だから。ね、ご両親がびっくりなさってるから・・・」


無我夢中で父に反論していた私を、母と彼が宥めるように言い聞かせてくる。


私はひとまず言葉を飲み込んだものの、自分の中にこんな激しい想いがあったことに、自分でも驚いていた。


さすがに父も無表情を解き、瞠目していた。

そして軽く咳払いをすると、また彼に向き直った。


「確かに、経済的なことは美咲が働いていれば問題ないだろう。だが、榊原さんは若い。それにとても優れた容姿をしてらっしゃる。きっと女性からも人気がおありでしょう。この先、もし心変わりなどと・・」


「あり得ません」


今度は、彼が父のセリフを遮って答えた。


礼儀正しくも鋭利な物言いだった。


「それだけはあり得ません。僕が美咲さん以外の女性を好きになるなんて、世界が変わってもあり得ません」


「そうかな?今はまだ付き合いも浅いからそう言えるかもしれないが、十年後、きみはまだ三十四だが美咲は五十手前だ。それでも今と変わらずにいられると?」


「美咲さんなら、例え顔中皺だらけになっても、背中が曲がってよぼよぼのお婆さんになっても愛せます。そのことだけは、いくら美咲さんのお父様だとしても否定していただきたくはありません」


皺だらけ・・ よぼよぼのお婆さん・・


どうしてだろう、胸が熱くなって、鼻先がツンとして、目頭にじわりと来るものがあった。



私は軽く握った拳を唇に当てて小さく呼吸を整えた。



「では、きみのご両親はどうかね?いくらきみが美咲のことを想ってくれたとしても、きみのご両親が十二も年上の嫁を歓迎してくださるとは・・」


「僕・・私の両親は、美咲さんとの結婚を喜んでくれています。まだ直接紹介したことはありませんが、私は実家住まいですので、美咲さんのことはお付き合いを始めたときから両親に話しております。年の差のことは驚いてはおりましたが、私が美咲さんと結婚できないのならこの先一生誰とも結婚しないと口癖のように言っておりましたので、結婚に関しても反対するようなことはございません」


一歩も怯まない彼。


すると、万策尽きたのか、父がいきなり立ち上がり声を上げた。


「とにかく私は認めん!人の気持ちなんて水物なんだからな。若くて容姿がいいきみが、いつまでも十二も年上の美咲を想い続けるなんて考えられん。榊原さん、申し訳ないがお引き取り願いたい」


「あなた、それはあんまりです」


頭に血がのぼった父を母が制するが、父は知らん顔で和室から出て行こうとする。

彼も「お待ちください」と立ち上がったけれど、当然今の父は聞く耳持たない態度だ。


とたんに私は息苦しくなり、ブラウスの胸元を握り締めた。


そして父が勢いよく襖を開いた瞬間、私の気持ちの扉も吹き飛ばされたように開いたのだった。


「もういいわっ!お父さんの許しがなくたって結婚はできるんだから!お父さん分かってるの?私三十六よ?もし湊くんと結婚できなかったら、きっともう子供を産むことだって難しくなるわ。そうしたらお父さんが私の子供、孫を抱くことは永遠に不可能になるのよ?!それでもいいの?!だいたい、十二も年上って言うけど、そんなの本人の私が一番気にしてるんだから!それでも湊くんと結婚したいと思ったから、こうやって挨拶に来てるんでしょう?!言っとくけど、もしこのままお父さんが結婚に賛成してくれなくても結婚はしますから!それでもし子供が生まれても、お父さんには一生抱かせてあげないんだからっ!」


最後の方は絶叫に近いものだった。



いつの間に零れていたのか、涙が後から後から頬を伝い、私は唇を噛み締めた。



「湊くん、帰ろう」



そしてコートと荷物を手に取ると、呆然と立つ父の横を通り過ぎて玄関に向かった。


「美咲さん、待って!このまま帰るのはよくないよ」


彼がそう言って私の肩を掴んで振り向かせたけれど、私の顔を見たとたん、


「・・・・・・やっぱり、今日のところはお暇しようか」


彼らしい、優しい声でそう言ってくれた。






コートを着る間すら惜しむように家を出た私達は、玄関横のガレージに停めてあった車に乗り込んだ。


エンジンをかけると二人のお気に入りの曲が流れてきた。


車内に微かに漂っている彼の香に、心から癒された。


私はコートを着ないまま、シートベルトをつけて、膝の上に乗せたバッグのハンドルを力いっぱい握っていた。



・・・・・・父にあんな言い方をしたのは、はじめてだった。



けれど、どこかホッとしている自分もいた。


私は、自分が考えていたよりも遥かにたくさん、彼のことを想っているのだと分かったから。


十二も年上の私なんかと結婚して、もしかしたら彼の人生を歪めてしまうのではないか。

二十四なんてまだまだ若いのに、家庭に縛り付けてしまうのはかわいそうなんじゃないか。

彼ほどの人間なら、私と結婚するよりもっといい道があるんじゃないだろうか。


十二歳という年齢の距離に、私は常に後ろめたさを感じていた。


けれど、何をどうこう言ったって、結局は彼のことが大好きなんだと、たった今、思い知った。


十二という年の差を言い訳にして、私はその自分の気持ちから逃げていたのかもしれない。


もしかしたらいつかその年の差のせいで傷付くかもしれないと、勝手に予防線を張っていたのかもしれない。



けれどさっき、似たようなことを父から言われて、激しく苛立った。


彼はそんな人間じゃない。

その思いが溢れかえったのだ。


そして私は今更ながらに、彼への恋心を熱く実感していたのだった。



やがて車はガレージを出て、左に曲がった。


すると、慌てた様子で門から飛び出してくる母が目に入った。


彼がブレーキを踏むと、母は運転席の側に駆け寄ってきた。

何事かと急いで窓を開けた彼に、母が申し訳なさそうに言った。


「ごめんなさいね。榊原さんにお話があって・・・・。ちょっといいかしら?」








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