第2話 ④
ところで穴の中のエリオである。
イチかバチかっっ?!
岩穴の中で金獅子の骸骨と対面していた彼は、なぜか頭蓋骨へ飛び上がってそれを振り払った。
朽ち果てたムクロから、頭蓋がガランと音を立てて落ちた。
彼はそれを拾い上げた。なぜそんなことを考えたのかは分からない。金獅子なら、たとえ骸骨でも犬が恐れるのでないか?とかそんなことを考えたらしい。
そして、その頭蓋骨をすっぽりと被った。
それから、護身用に携えていたナイフを手に取ると、とにかく大きな声を上げて岩穴から飛び出したのだった。
これで、犬たちを追っ払えるか?そんな保障は無論なかった。
ロイヤルガードの見た、穴倉から出てきた『化け物』とはそれだった。
巨大な金獅子の頭蓋を肩の上に乗っけているせいで、それは頭蓋骨から細い手足が出ているみたいに見えた。とにかく異様な格好に違いなかった。が、みっともなくその細い腕を振っているだけでは、まったく恐ろしそうには見えなかった。むしろジッとしているほうがよっぽど不気味だったろう。
その光景に一瞬、ロイヤルガードたちが言葉を失っていた。
ただ一人、隊長と呼ばれているあの男だけが、骸骨の飛び出してきたその瞬間にサッと立ち上がった。
「全員騎乗せよッ!!私に続け!リージャは私とともにあの者を守る!あとのものは犬を追い払え、一匹たりとも彼に近づけるな!深追いは無用」
言うやいなや、背後に止めておいた馬の鞍にさっと飛び乗ると、他の隊員たちの行動を待つことなく一人、手綱を握り崖を下っていった。
そしてエリオ。
でっかい骸骨を被って穴倉から飛び出してからは、とにかく犬達のほうへ向かって一人でナイフを振り回すだけである。
彼のアイデアが当たったのかどうかはわからなかったが、さすがの野犬もしばらくは、ナイフを振り回すエリオから少し間をおく様にして遠巻きにその様子を伺うだけだった。
しかし、それは本当に恐れたからではなさそうだ。
決して逃げようとはしていないのだから。
少しづつエリオの体力も切れかけてきた。とうとう岩屋からも飛び出してしまっている。気がつけば野犬に背後をとられていた。退路はもうない。息は切れつつある。
そのとき。
彼の耳元に、甲高い音が聞こえてきた。
指笛の音だろうか?
短く何度も連続して響くその音の近づきとともに、今度は馬の蹄の音と思しき踏破音がそれに続いてとどろいた。
見ると、崖を下ってこちらへ向かってくる、真鍮色に光る全身鎧をつけた騎馬武者たちの姿だった。
先頭を切ってやってくる青いマントの騎士は、エリオの近くで馬の手綱を引いた。
馬はエリオの目の前で横腹を見せて止まった。
見上げると、抜刀姿のままひらりと飛び降りて、しばらくはあたりの様子を伺うその騎士。
続けて同じように、こんどはエリオの背後で止まっては、彼の背後を守るようにして、地に降り立つ騎士がもう一人。
後から続いた騎馬武者たちは原っぱの周囲へと広がるように散開してゆく。
が、もうそのとき野犬の姿はどこかに消えてしまっていた。
目の前でエリオを守るようにして立つ騎士は、危険の去ったことを確認すると、剣を収めて彼のもとへと歩み寄った。
「お怪我はありませんか?私は皇国のロイヤルガードのクロンハートと申します」
そう言って面貌の覆いを上げた。汗に濡れた柔らかそうな前髪の下に見えたその面立ちは、少し痩せこけているせいか戦士というよりは詩人のような繊細な印象がした。
そして、その瞬間、エリオが驚いたことがあった。
皇国のロイヤルガード。
とは言っても、今朝まで一緒に行動していた旅の陸艇の護衛とは格が違うことを示す紋章が見えたからだ。
5本剣を彫りこんだ盾紋章。
皇国親衛隊の最高位、極騎兵のことで、騎士階級の最上級エリートだ。
戦場なら「隊長」でいいかもしれないが、平時なら「クロンハート卿」と呼ばれる人間である。
そんな人が、エリオに手を差し伸ばした。エリオはドキドキしながら握手の礼に応じた。
「こ、こちらそこ、あ、ありがうとございました……お、おかでげ助かりました」
犬の駆逐に向かっていた騎士たちも、じきにエリオと隊長のもとへ集まってくる。彼らは、さっきまで奇妙なドデカイ骸骨を被って犬と必死になって戦っていたこの小さな勇者を、愉快そうに囃すのだった。
「よおっ!小さいの!立派な戦いだったぞ!怪我はないか?」
「ハッハッハッハ!、おいまだ子供じゃないか!それにしても無茶するもんだ!」
「君のその兜は傑作だっ!」
「金獅子の兜とはなっ!はじめて見る!すばらしい装備だ!」
「まさに王の備えだ!金獅子の戦士!」
エリオの周りにはいつのまにかロイヤルガード隊の人垣ができていた。
いずれも皇国の最精鋭である彼らは、エリオにとっては見上げるような体格のものばかり。
よっぽどエリオのいでたちが気に入ったようだ。男達はみな愉快そうにそれを見て笑うのだった。
金獅子の大きな骸骨にぽっかりと開いた二つの目の向こうで、あどけない顔をした少年がキョトンとなっている姿は、エリオ以外の人間にはよっぽど滑稽な姿だったのだろう
エリオは、こそばゆいような気分で、彼らの言葉を受けていた。
やがて、ずっと彼の手を握り締めていたクロンハート隊長が、最後にこう短く言葉を添えた。
「お目にかかれて、光栄に存じます」
とても丁寧な挨拶をする人だと、エリオは骸骨を被ったまま思った。
「では、行くとしよう。ここらで今夜の宿りにしたいが。……近くにあるか?うん、ならそこにする。ここは、野犬の件もあるから長居には適せんかもしれん。エリオ、君は私の馬に乗って……。――ん、ちょっと待ちたまえ。泥だらけじゃないか。そこの小川で手足の泥ぐらいは落としたほうがいいかもな」
クロンハートがそう言って苦笑するので、エリオはさっき自分が崖をころげ落ちてきたあたりで静かにさやぐ小川の溜まりへと走った。ずっとあの骸骨を被ったまま。
「あいつは、いつまであれを被っているつもりだ?」
馬上の騎士たちは、そんなエリオの姿に噴き出さずにはいられなかった。
水場にやってきたエリオがそこにしゃがみ込んだとき、水面に浮かぶ自分の姿をみて見て、初めてその異様さに気づいた。
(なんだ、これ!?)
骨の中で軽く叫んでしまうエリオ。
こうしてみると、水面に映る頭の獅子は、最初に対面したときの恐ろしげな印象と違って、今は物思いに沈む憂鬱げな表情をしているように見えた。
もっとも、ただの骨に表情を見るというのは、観察者の勝手な思い過ごしかもしれない。エリオもそんなことにあまり気を払わなかった。
しかし水面が小さく波打つたび、その向こうにちらちらと、命ありしころのこの骸の姿が、豊かな肉付きや精悍な目の輝きとともに蘇ってくるような気もするのだった。
夢見がちなところはあったが、神秘主義者でもないエリオ。
そんなことに長く気をとられることなくすぐに骸骨を脱ぐと、軽く泥を払って顔を洗い、今度はこの骸骨を抱えて穴倉へと戻っていった。
「ちょっと待っててください、獅子へ頭を返してきます!」
彼は穴倉の中で首を失ったまま立つ金獅子の足元に頭蓋を置いてから、静かに手を合わせて簡単な弔いと感謝の祈りをささげた。
それっきり、エリオと獅子はここで別れた。
今日はここまで。また明日上げます。