第1話 ③
陸艇の客車というのは、だいたい同じような真四角いただの箱である。
車輪から、床や座席、壁や屋根など、目に見えるところがほとんど材木で作ってあるのはそれなりに乗り心地に配慮してもいるのだろう。
こんな大掛かりな一行が通る道は、すべてといっていいほどに皇国内の主要な街道ばかりで、それらはいずれも綺麗に表面をならした敷石を隙間なく敷き詰めて舗装されてある。
特にユトラントの中でも軍事、経済のいずれにおいても最大の強国であるウェストニア皇国ならば、その主要街道は100年も前からすべてこうである。
とはいっても客車内は、ガタガタとうるさい。
旅なれた人は耳栓をして平気な顔をしているが、隣の人としゃべるのだって、これでは自然と大きな声となってしまう。
「ボクは一体、何のために皇都まで行くの?」
丸太の長椅子に腰をかけたエリオが、横壁に背中を預けながら、薄暗い客車の中でものめずらしげにキョロキョロしていると、たまたま隣に座った、初老という感じの品のよさそうな女性から話しかけられた。
よくは分からないが、この人も、一人旅の様子だ。
「ボクですか?皇都で鍛冶屋で働くことになったんです……」
「え?なに?菓子屋?」
「いえ、そうじゃなくて、鍛冶屋。か・じ・や」
騒音がひどいのに加えて、このおばさん、ちょっと耳も遠いのかもしれない。
「おばさん!この子は鍛冶屋だっていってるんだよ!」
たまらず、近くの中年男がよく通る声で、言葉を添えた。
「ああ!そうなの、あなた鍛冶屋さんなの?まだ若いのに、立派なことねえ!」
微妙に会話が通じていない。エリオも他の客とともに、苦笑するしかなかった。これから見習いです、などと余計なことを言うのはやめた。
「大変だよなあ。まだ若いんだろ?それで皇都まで一人旅かい?」
反対に座った男が、エリオの耳元にまで口を寄せて聞いた。エリオはうなづいた。
「一人旅か……まあ、これに乗ってたらそんなに心配はないだろうが、きょうびは物騒になったから、旅するのも危なくていけないよ」
「俺も商売でいろいろと歩き回っているが、本当にここ最近はあんまり一人旅はしないようにしてるんだ」
エリオの隣では、旅で見知った同士らしい中年男が二人で世間話をしだした。
「あんたもあれかい?信じてるの?」
「なにを?」
「『竜の夜』の噂だよ」
「噂もなにも、居なくなったのは事実だろ?昨日も空を見たけど、やっぱりなかったぞ。俺はこのごろ、夜になると竜座ばかり探してるよ」
「それは俺だって知ってるよ。こっちも毎日、竜座を見上げてるんだ。そうじゃなくて、最近いろいろと噂があるだろ?あの竜が落ちたのは、悪いことの前触れじゃないか?とか、なにか天変地異が起こるんじゃないか?とかさ。それをどう思う?」
隣でなにやら熱心に話している二人の会話のすべては聞こえなかったが、彼らが使った「竜の夜」という言葉はエリオの耳にも入ってきた。
エリオも、この二人がそのことについて何か知っているのだろうかと、思わず聞き耳を立てずにはいられなかった。
”竜の夜”
今のエリオにとって、特別に関係のある話でもなかったが、田舎の村でも時々人々の話題に上るぐらいに、最近ではどこでも誰でも「竜の夜」なのだ。
自然と、彼の興味も惹いた。
――竜座、というと、それは夜空の星の巡りの中央で一際大きく輝く星座の名称である。
見上げると、常に変わることない位置で輝き続けるそれは、他の星座とは少し赴きを異にする特別な存在。
その中央の星は、数ある星のなかでもっとも強い輝きを放つとともに、全天の中央に位置していることから、「玉座」とも言われる。
そこから「竜王」の異名も持つ星座だった。
それはつい、ふた月ほど前のこと。
「竜が落ちてきた」という噂が、人々の口から立つようになった。
それというのも、その晩、竜座の星たちが流れ星となって地上に落ちてきたからだという。
実際に、竜座の星がいっせいに地上めがけて落ちていった様子は、さまざまな地方のさまざまな人々の目撃するところであった。
その後、太古の昔から変わることなく輝き続けていた竜座がそっくり夜空から姿を消したのだった。
天空の竜が、流れ星となって落ちていったその夜のことを、人々は「竜の夜」と呼ぶようになった。
エリオの隣の二人組みの話は続く。
「――信じたいわけじゃないが、国皇は『ドラゴン探索隊』を派遣したというじゃないか?」
「そんな話はこっちも聞いたが、本当かい?だって竜を探すって言ったって、どこを探すんだ?みんな、あそこにおちた、こちらに落ちたって好き勝手なこと言ってるだけだろ?だいたい『竜』って何だよ?俺は見たことないぞ、そんなもの」
「俺も知らないよ。けど実際に、完全武装した青マントの一隊が北に行くのを見たって言う話は、昨日、酒場にいた連中も何人もしていたから、派遣したことはしたんだろ。どうなったかは知らないがね」
乗り心地が決していいわけではなかったが、他の客たちのそんな世間話を聞きながら、エリオはいつの間にか眠ってしまっていた。
(あら、この子眠っているわ)
先ほど、エリオと話していた女客は、うつむき加減で口元をゆるめているエリオの寝顔を見つけると、彼の首元に垂れていた外套のフードをそっと被せてやった。
開けっ放しの小窓から入るすこし冷たい風で、首元を冷やさないようにというささやかな心遣いである。
目深に被ったフードの下に覗く口元と頬の様子は、まだ子供のようなあどけなさを残していた。
(16歳というけど、本当かしら?ひょっとしたら年齢を隠して働きに行こうとしているのかもしれないわね。さっきも見送りが年をとった老夫婦だけみたいだったけど、祖父母かしら?他にはあまり身寄り頼りもないみたいだし……まだ、若いのに大変ね……)
知らずにそんな同情を買っているとは、エリオは気づいていない。彼の少し女性的な面立ちは、時に庇護欲みたいなものを掻き立てるのかもしれない。
やがて日もだいぶ傾いできた頃、陸艇の一行はその日の宿りとなる街道の宿場へとたどり着いた。
明日の旅立ちは、日の出前となるらしい。
くれぐれも乗り遅れないようにと、何度も注意を受けた。
明日の旅程がことさらに早い出立にはわけがある。
この宿場を出るとすぐに差し掛かる「朧の森」という広大な森林地帯を一日で抜け出るためである。
葡萄色した空も少しづつ黒んできていた。夜はもう近い。
こうして、エリオの旅の一日目もようやく終わろうとしていた。
第1話 おわり
今日はここまで。明日もあげます。