第五章「進言」
第五章「進言」
桐壷帝の容態が悪くなるにつれ、宮中では左大臣家と右大臣家による勢力争いが顕在化していった。
次位帝位である第一皇子の東宮は弘徽殿大后の子。源氏の中将の三歳上の異母兄であり、外祖父大政大臣である右大臣の孫である。
しかし帝の嫡男である光君は、高麗人の進言による臣籍降下で源氏を名乗ってはいるが、左大臣家にとっては娘婿の光君が帝の地位に戻る事は長年の悲願であった。
京の都は近年にない暑さに見舞われ宮中でも体調を壊すものが続出し、まつりごとすらままならない。
蔵人頭兼近衛中将である頭中将は桐壺帝を脅かす悪気について悩む日々であった。
暑さが増すにつれて内裏の異臭が酷くなり、女官達によって宮中では毎日のように香が焚かれていた。その異臭も悪気の仕業ではないかと頭中将に寄せられたのである。
貴族達は排泄を宮殿の外庭に放出していた。その為、衛生状態が酷く悪かった事など頭中将が知る由もなかった。
「このような事まで私が考えることになるとは、藤原の血筋も堕ちたものだな」
中庭を眺めながら頭中将が呟いた。
「頭中将様!」
「どうした?」
「従四位下 安部清明様より文が届いております」
「陰陽寮の主が宮中に文とは」
銀の鶴を模った文挿の嘴に文が挟まれて運ばれる。
頭中将はゆっくりと読み始めたが、しかしすぐに顔色が変わり使いの者に伝令を申しつけた。
夜半、土御門の晴明邸に頭中将が方違いに牛車で到着した。
「晴明!」
「は、」
「お主の役目は京の鬼門を封じ、内裏を守ること。そのような者が宮中の者を自邸に呼ぶとは、何事か?」
「は、京の守りは延暦寺を鬼門に置き、畿内堺十処疫病の祭を催し、更に京の周囲には・・」
「そのような事の聞いているのではない!何ゆえに近衛として進言をしてきたのだ」
「は、恐れながら、源氏の中将の方に不穏な噂がありまする」
「たわいもない噂だ、暇人の口車に過ぎぬ」
「しかし、帝の末子の噂となると・・」
「晴明!それ以上は許さぬぞ、どこでそのような事を聞いたのだ?」
「この晴明、常に鬼門である北東隅に近い土御門に屋敷を構え、常に内裏を見ております。恐れながら邪気により様々な風潮を見る事ができますゆえ」
「常に・・分るのだな?」
「桐壺帝の末子誕生の宴の際、頭中将様は源氏の中将様と青海波を共に舞われました。そのような方が事の真偽を知らぬとは思えませぬが」
「・・・」
「母君である桐壺更衣様が無き後、源氏の中将様はお心を満たされず様々な女性に遍歴されておられます。更にお方様の葵の上様を失ってからその傾向は強まるばかりでございます。しかるに、それは帝の嫡男である源氏の中将様だから許されている事。しかし藤壺中宮との契り、右大臣の姫である六の君に手を出されるのは」
「晴明、お主はどこまで知っておるのだ?」
「頭中将様、六の君は源氏の中将様の兄である東宮の女御になられる方ですぞ、しかも源氏の中将様が若紫の方を迎えてからは、六の君の姉上である弘徽殿女御の反感により右大臣家へのお見通りがままならない事、お忘れではございますまい」
「晴明、源氏の君は混乱しておるのだ。これまでの件、必ずこの頭中将が納めてみせる」
「頭中将様、右大臣家はすで六の君の方と源氏の中将様の媾曳について感づかれておられます」
「なに?」
「晴明は陰陽師でございます。占星術も大事な役目でございます。この宮中において更なる混乱の示唆があります」
「それは早良親王の怨霊によるものか?」
「いや、まったく別物でございまする。しかるに頭中将様、御貴殿の貴族の方が四名行方不明とか・・」
「いや、私にも分らん。それがどうしたのだ?」
「嘘をつかれますな!さろめ姫による所業でありましょう?」
頭中将は血の気が引く思いがした。
確かに蔵人頭兼近衛長である頭中将の申し立てだからこそ、四名の貴族が消えたという報告を帝は受け入れたのだ。しかし他の貴族からは疑心の目が無かったわけではない。
頭中将はこの件が後世には残るのを防ぐため、帳付には別件として記載させて御伽噺の類にして保存するようにしていた。
「頭中将様、さろめ姫には近づきなさるな」
「お主はさろめ姫を知っておるのか?」
「今は話せませぬが、晴明、生死をかけて宮中を守りますれば、何卒進言を受けて頂きたくお願い申し上げます」
頭中将はすでにさろめに心を奪われていた。
鐘七つになると源氏の君の牛車が山城国に向かって出ていく。その回数は近頃頻繁になり源氏の君のライバルと言われた頭中将とっては断腸の思いであった。
あの夜をもう一度味わいたい・・・しかしさろめ姫は源氏の君の妾。そして後ろ盾もすべて源氏の君の処遇であり、従一位の位には敵わぬ。
末摘花の時も源氏の君に負けたのだ。わたしは・・・
「晴明、源氏の君が宮中より・・」
頭中将は言いかけて慌てて口をつぐんだ。
何を考えている?
私は左大臣家を守るのだ。源氏の君は妹の葵の婿ではないか。
晴明の屋敷を後にした頭中将は混乱していた。
宮中に不穏の気がある。晴明はそれを察しており進言をしたのだ。
従四位下の陰陽師である晴明は宮中の陰陽での守り要。その進言を近衛中将である自分が自ら破る事は、宮中、ましてや帝への逆賊の行為に等しい。
「さろめ姫・・・」
あの夜、さろめ姫はわたしが欲しいと言ったのだ。
わたしが・・・
頭中将が宮中に戻った後、晴明は縁台にて月を見ていた。
「晴明様?」
下女が話しかける。
「頭中将様、すでに邪気にまみれておられる」
「なんと?」
「いや、独り言だ。他言するな」
「はい、晴明さま」
鏡のような月を睨みながら晴明は己の力のなさを不甲斐無く思っていた。




