第三章「庵」
第三章「庵」
朝廷より伝令の馬が着く。
造麻呂が室内に案内すると、白装束纏った伝令は恭しく書簡を櫃より取り出し読み上げた。
「さかきのみやっこに命を与える。月の通りに「さか」を御所の大膳まで送り仕れば、その折重々承知であるな?」
「は、すでに用意はしております」
「御所の大膳にはそのように返答するがよいか?」
「三の日もあれば牛荷車にて、羅城門から道祖大路を経て、御所に伺いますれば・・」
「あい分かった。しかるに、さろめ姫のご様子、源氏の中将がお気にかけている様子であるが」
「さろめの方は、このような雨の日には伏せっておられまして、私どもでもご平常を祈る事しかできぬのが常でございます」
「その件を源氏の中将に伝えるがよいな?」
「つきましては、さろめの方は事に源氏の中将を待っているご様子。できればまどうならずにお気にかけていただきたく、お願い申し上げます」
小雨の中、伝令は馬を飛ばして京に戻っていった。
造麻呂である「さかきのみやっこ」は朝廷直属の酒造であり、山城国の駅制における駅の長である。
京内にさろめを置くことは、京の人の戸によって卑しい身分の中傷に晒される。その為、源氏の中将は山城国の酒造、さかきのみやっこにさろめの周囲を任せたのだ。
しかし、さろめの美貌とその妖しさは山城国に留まらず、京の都までにも噂話として伝わっていた。
御所の牛車が京外に出て山城国まで忍ぶという事は普通はありえない事である。ましてや牛車には源氏の中将が乗っているとの噂が立つと、酒造の家には連日さろめ姫に会いたいと、貴族が訪れるようになった。
貴族達は左大臣家の為に姫のお力になりたいなどの口実を述べたが、さろめの美貌を一目見たいという気持ちに他ならなかった。
雨の日はさろめはいつも奥に引きこもっていた。雨が身体に沁みると言い外に出ようとしなかった。
さろめが好んだのは夜半であった。夜半になるとさろめは縁台の縁まで薄羽織で座り、妖しい魅力を放ちながら月を見ていた。
その姿を見た男どもはたちまちさろめの虜になり、夜半に酒造の家の周りに忍んでくる輩も多かった。
夜半に縁台を開けているさろめを見ると、酒造はたまらなく進言した。
「さろめ姫、夜半にそのような姿で外に姿を晒すのはお辞めくださいませ。この酒造は源氏の中将の命により、あなた様の身辺を任されたのでございます。もし何かありましたら、私が源氏の中将に会わせる顔がありませぬ」
「爺、私は大丈夫でございます。このように夜半に月を見るのが私の楽しみでありまするゆえ、どうかお許し頂けませぬでしょうか?」
「姫、何ゆえに月を見られるのですか?」
「月はすべての地の神が見ている鏡ですわ。天の日である天照をこの地に与えたとき、月は地の神の鏡としてあるのですわ」
「姫・・・翁には分らぬ諸言でございます。姫が心穏やかに過ごされるのがこの酒造の願いでございます」
「多くの殿方が私に会いたいと申されているとか?」
「なぜそれを知っているのですか?この酒造、源氏の中将の命にかけてそのような輩はすべてお断りしておりますれば、姫がご心配される事ではありませぬ」
「爺、その者達と会いましょう。座敷の一部屋を用意しその者達を案内して構いませぬ。ただ、その時は私とその者達だけで他の者は部屋に入れないでください」
「姫!そのような非な事は酒造が許しませぬ。ましてやこの屋敷は源氏の中将があしらえたもの、その屋敷に他の男子を入れるなど、許される事ではありませぬ!」
「爺、こちらに来られなさい」
「姫?」
さろめは両手で酒造の顔を包むように優しく包んだ。
「さあ爺、私の目をよく見なさい」
さろめの目から造麻呂は目を離せなくなっていた。そして一刻の後、造麻呂は配下の数名を呼んだのだ。
「酒造様!それは無理です!そのような事をすれば、・・もし宮中にその話が伝われば私達の命がありません」
「よいか?私はそなた達に命を与えたのだ、明日の日没後、ここに記する貴族方に酒造の館へさろめ姫がお呼びだと伝えろ。この夜半のうちに忍んで行くのだ」
「しかしその忍びが明になった場合、我々は・・」
「さろめ姫のお言葉だ!命に代えても行え。よいな!」
夜半、酒造の配下の豪族の人足が京の内裏に忍んだ。そのうちの幾人かは守護によって命を断たれた。
さろめは月をみながら微笑んでいた。それはまるで酒宴の前の高揚感を思い浮かべるように・・




