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第十一章「伶人」

第十一章「伶人」



 日中での紅の衣は、人々の脅威と好奇を浴びた。

 まして貴族が馬に乗り護衛も付けずに道を駆け抜けるなど、常識では考えられない行動である。

 頭中将は一心に馬を走らせた。まるで後続に帝の嫡男など存在せぬかのように。

 頭中将の後に冷泉皇太子、その後ろに夕霧が続く。夕霧の頭の中は複雑であった。


「あの紅の衣は私の叔父、そして前に居る皇太子は私の弟なのだ・・・」


 複雑な感情と久々に会える父との思いと、夕霧は動揺していた。

 しかしそのような思いは、頭中将から離れないように必死に馬を走らせる事で掻き消されていった。それは冷泉皇太子も同じであった。


 味木里の関所では既に頭中将が手回しをしていたのか、それとも紅の衣に恐れをなしたのか、殆ど検閲らしい事もせず役人は三人を通した。


 白覆面は日中には異様に見えるはずだが、関所のたびに頭中将は白覆面を外し顔を見せていた。

 まるでそれが通過の儀式のように。


 三島に入ると渡来人が多くなる。冷泉皇太子も夕霧も身の危険を感じずにはいられなかった。

 時には投石がどこからともなく飛んでくる。

 紅の衣は不吉な前触れと訝しがれ、予兆もなかった頭中将の行動は、隣国の斥候が走り抜けていると思われても仕方がなかった。


 三人は半日を駆け抜けた。普段、昼は食事をしないが、このような行程では飢えと渇きも限界に来ている。

 大物まで着くと頭中将はある伶人の屋敷に入った。

 すでに屋敷には噂を聞きつけた地の豪族が来ており、伶人が三人を部屋に通すと豪族がうやうやしく部屋に現れた。


「おお、これは宰相殿、待っておりました。今回は是非ともごゆるりとお食事をお楽しみに・・・」

「待っていたとはどういう事だ?時間が無いのだ。粥以外は出すなと申したはずだ!」

「し、しかしこのように地の産物も用意してますれば、是非とも我が娘に接待させて頂きたく・・・」


 豪族の狙いは貴族との繋がりを持つ事である。その為には自らの娘をもってしても、貴族との関係を何としてでも作りたかったのだ。

 すでに頭中将には正妻と複数の妻が居るが、その末席でもよいから我が娘を、という必死の行動である。


「娘?」

「は、恐れながら実の父が言うのはおこがましいのですが、我が娘は心映えもよくぜひ宰相殿にお目通りを」

「よかろう通せ。ただし別室でな」

「しかしお付きの方は・・・」

「お付きの方?そなた、その言葉は後に後悔することになるな」

「といいますと・・」

「知らぬ方がよい、二人には草々に粥を用意せい。私は要らぬ」

「しかし別室で、な、何を?」

「そなた、娘を私に献上したいのだろう?ならばさっさと別室に案内せい!」


 その気迫に不安を感じながらも豪族は頭中将を別室に案内し、娘に接待するようにと別室に向かわせた。



 半刻後、頭中将が冷泉皇太子、夕霧の前に現れた。


「お二人ともよろしいですか?」


 二人は黙ってうなずく。


「では参りましょう!」


 頭中将は早足で外の馬に向かった。


「お、お待ちください!宰相殿、我が娘は?」

「なかなか見どころがある娘だ。帰りにまた寄る」

「は!大変ありがたいお言葉、ぜひ我が娘を・・・」


 言葉が終らぬうちに頭中将は馬に鞭を当て、伶人の屋敷を早々に出て行った。

 その後ろに慌てて冷泉皇太子と夕霧が続く。

 屋敷を出てしばらくしてから夕霧がたまらなく頭中将に聞いた。


「叔父上、食事も水も飲まずにお身体はよろしいのですか?」

「夕霧、食なら十分に得たわ。それもかなり若い食をな」

「叔父上・・」


 そう言うと頭中将は馬の足を速めた。

 夕霧の声はすでに頭中将には届かなく、冷泉皇太子ともども離れずに付いて行くのが精いっぱいであった。



 頭中将が去った屋敷。豪族が娘を迎えに行くと、娘は御簾の後ろに静かに座っていた。


「どうしたのだ?都の高貴な方であるのだ。粗相はなかっただろうな?」


 娘は返事をしなかった。


「どうした?何をうつつであるのだ?」


 そう言いながら娘に近寄ると同時に豪族の腹部に鈍痛が走った。

 娘の手には鞘から抜かれた帯刀が握られており、刀は豪族の身体を貫いていた。


「そ、そなた、な、なにを・・」


 その時、娘の顔が不気味に笑い、眼は赤く輝いていた。

 一瞬目をそらした豪族が見た帯刀は・・・


「そ、それは宰相殿の・・・」


 息絶えていく豪族。そして娘も同時にだらりと倒れた。


 

 後刻、伶人が別室を覗きに来て部下に命じた。


「片付けろ。帯刀は洗って丁重に保管しておけ。宰相殿の帯刀であるからな。皮肉なものだ・・・」


 そう言うと伶人は自室に戻っていった。



 三人は焼け落ちた須磨の屋敷を尻目に明石へと馬を走らせた。

 夕刻が迫ると頭中将の紅の衣はさらに艶やかさを増した。

 夕霧も冷泉皇太子もその艶やかさに、血の匂いを感じざるを得なかった・・・

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