……ハコイリムスメ? ってナンデスカ?
魔界にも、朝は当然やって来る。
「お早うございます、魔王様」
「………………あぁ」
たっぷりと間を置いて自室を訪れた従者に応じ、のそりと上半身を起こしたのは、黒いシャツを纏い胸元を大きくはだけた美丈夫。だが、彼はこの数日で幾分窶れていた。
と言うのも、だ。
「……彼奴の惚け話は何時になったら終わるんだ」
「いつ、でしょうねぇ……」
遠い目で呟く魔王。
それには有能な従者もこれには流石に答えを濁しざるを得ない。主たる魔王の切実な悩みだ、何とかしたいのは山々なのだが、魔王の自室に夜な夜な電話を掛けてくる相手は、物語上最も権力のある──勇者なのである。
魔王と勇者は対立する立場にあるのはあくまで物語上の話。実際『勇者』の神託を受けた男と魔王は不仲ではない。が、体裁云々の問題から形式的に平和協定を結び今に至る。
だから勇者からの連絡と言うのも何ら不思議なことでは無いのだが―――問題なのはその所要時間と内容だ。
「夜通し延々と妻と子供の話をした挙げ句、一方的に切られるのは……堪えますね」
「……あぁ」
言うだけ言って切る、何とも横暴な勇者を脳裡に浮かべた従者は「頭痛薬を手配させます」と一旦姿を消す。
心配げに幾度か瞬き、擦り寄ってくる使い魔の頭を撫でてやり、魔王が深く溜め息を吐いたところで、来客を報せるベルが鳴る。郵便か何かだろうと上手く回らない頭で魔王は考えるが、その予想はけたたましく外の廊下を駆けるふたつの足音に掻き消されてしまった。
「こ、困ります! 幾らあの方のお嬢様でも、許可無く魔王様の自室に踏み込むなんて──」
本当に困ったような従者の声。残念だが彼に助け船を出せるほど魔王の気力は回復していない。
したがって、来訪者の手で目の前の扉が無情にも開かれ──。
「初めまして魔王様! 私、貴方様の妻になるべく花嫁修行に参りましたわ」
唐突に現れた少女は胸を張ってそう言い切る。
「シャルロッテと申します。どうぞ末永く宜しくお願い致しますわ、魔王様」
「……待て、色々間違えてる。頼むから帰ってくれ」
「嫌です。お父様にはきちんと許可を戴きましたわ」
「……彼奴……ッ」
「で、す、か、ら」
にっこりと笑んで、少女は言う。
「勇者共々、宜しくお願い致しますわね、魔王様」
「……」
スカートの端を持ち上げ、ふわりと礼をした少女──勇者の一人娘──を前に、魔王はいよいよ目の前に星が回り始めるのを感じた。