1章7 『まだまだこんなの、甘い甘~いお菓子みたいなものですよ~』
「びくびくと震えて――可愛いですねぇ~」
ハドラはくふふと不敵な笑みを浮かべ、窓から覗くその焦った顔に満足そうに頬を赤く染めて見つめる。その姿はデュオンが悩むその姿を愛おし気に眺めているようでもあり、また苦しむ姿に愉悦を感じているようでもあった。
肩を震わせ恐怖におびえるエレナを抱き留め、優しく落ち着かせようと懸命になるその姿は、必死に飼い主を元気づける子犬のようで可愛い。嫌われることを恐れてびくびくしているさまは、憐憫を感じさせてもう抱きしめてあげたいほど愛おしさを感じる。
そんな内心のハドラは、うっとりとした表情――なんてものは浮かべておらず、外見にはただ顔に貼り付けたようなうさん臭い笑顔を浮かべて、デュオンの焦るさまを観察して浮いた。
「くふふ。焦ってもがいてどうにかしたくてまた折れて、なんだか水に溺れる蟻さんみたいで可愛いですねえ。抱きしめてあげたくなるほど可愛すぎて、ハドラさんは身悶えたい気分ですねぇ~。って嘘ですけど~」
くふふと不敵に笑う黒白の少女。真っ白なドレスに身を包む彼女は、背の高い建物の屋根の上に立ち、デュオンのその姿を追っている。ふと空を見上げればすぐにでも見つかりそうな目立つ格好なのだが、不思議と誰もその存在には気づかない。吹雪の去った翌日で、良く晴れた空は真っ青で、白い彼女の姿は雲のようだが、彼女の色の黒い肌がその存在を忘れさせることなく強く伝えるはずである。
「くふふ。わたしの存在はそう簡単にはばれないんですよぉ~。その理由は……ひ・み・つです~。ってそんなもったいぶらずともそのうちばれてしまいますけど~」
誰にふざけているのか、謎な一人芝居を繰り広げてハドラは勝手に自己満足する。
「まだまだこんなの、甘い甘~いお菓子みたいなものですよ~。誰が死のうと誰を殺そうと、あなたにとっては長い道のりの小石ほどにも満たない話ですからねぇ~」
なんだか愉快そうにその場でくるくる回って、一人奇妙な踊りを繰り広げるハドラ。能面のように貼りついた笑顔はそのままで、スケートでもしているように屋根の上をくるくる舞う。雪の降りつもった屋根だが、そんなことは関係ないようで一切バランスを崩すことはない。そうしてくるくる回った先にで、また別の人物を視界に入れる。
「くふふ。本当に、序盤の序盤。それこそ、どっかのねばねば液体モンスターみたいな相手なんですから、こんなところで立ち止まる暇なんてありませ~ん。って知ったこっちゃないでしょうけど~。
あなたの旅路は始まってすらいない。故郷の村の悲劇さえ序章とは呼べない。始まってすらいない物語なんですから~、ちゃっちゃと終わらせて次に行ってほしいものですねぇ~」
デュオンへと視線を戻して、ハドラはくふふと口を押えて笑う。たった一人きりのその言葉は誰にも伝わらない。それでも、彼女の独り言は止まることはなく、そのことに彼女自身愉快そうに笑う。
「ぼっちですねぇ~寂しいですねぇ~。話す人がいないとか悲しい人生生きてしまっていますねぇ~。ハドラちゃんも暇な人じゃないので時間は無駄にできませ~ん。なので、どんくさいデュオンさんとは違って優秀なわたしはちゃっちゃと自分のすべきことをしちゃいましょう」
そういって、くるりとデュオンの姿が残る部屋に背を向ける。そして、いつものごとくくふふと不敵に笑って――
「って、ハドラさんは時間なんて有り余るニート生活を送っているんですけど~」
その言葉が響いた時には、屋根の上に人の姿も足跡もどこにもなかった。
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最も宿から近い位置にある妙な魔力を感じる地点に出向くと、そこには予想通り火の魔鉱石が落ちていた。しかも、雪にうずもれる形で存在していたことから見て昨晩の吹雪の中でこれが落とされたことが分かる。それはやはり、違和感という形でアンラの胸に引っかかていた。
「……どうしてこれがこんなところに落とされているのかが分からないんだよ」
一応人目は避けて魔鉱石を探していたが、案外近くに一つ目があったため、宿の前にいる人々には出くわさずにそれを探すのは少し難しかった。というより、村中の住人が宿の前で抗議に赴いているのかアンラの位置からは村人の怒声が聞こえる。村の周縁部に位置する宿に人が集まっているからか、逆に中心部は静かで人の気配はしなかった。
どちらにせよ、火の魔鉱石が何の変哲もない場所に落ちている理由の説明にはならない。この位置は宿からほど近くの位置だが、少し村の中心部よりの位置だ。周りに何か重要な施設があるわけでもなく、ただの開けた土地だ。開墾すれば畑にでもなりそうな場所だが、気候的な理由だろうかそのまま放置され、ただ雪の積もった場所になっている。いや、もしかしたら雪の下にはちゃんと畑が眠っているのかもしれない。どちらにせよ、やはりここに火の魔鉱石があるのは説明できない。
「それに、魔鉱石の魔力は、ここだけじゃなく村中から感じる。それも、これと同じくらい爆発力を秘めたものが」
アンラは雪の中から魔鉱石を掘り出して、それを掌の上に乗せる。ただ単に火を起こすような小さな魔力じゃない。下手すればここら一体を吹き飛ばすような威力を秘めた小さな爆弾だ。普通なら鉱山などで使われるような資材のはずなのだが、それがなぜ。
「これがもっとあるのは分かるんだよ。どちらかというと、ここよりももっと村の中心地――人が最も多く集まる地域になんだよ。これは、人為的なものなんだよ。この村を壊滅させるような類のもの――悪意があるんだよ」
手の中の魔工石を砕かないように服のポケットにしまい、アンラは村の中心地へと目を向ける。何かは分からないが、この村でなにか良からぬことが起こっているのは確実だ。そして、それは確実にデュオンとは関係ない。彼の冤罪を晴らす意味合いでも、その真犯人を見つけなくてはならない。
「そのためには、まず件の死体を見てみるんだよ。探偵気分――じゃないし、不謹慎かもしれないけど、デュオンを悪く言った報いを受けると思って、耐えてもらうんだよ」
死体の位置は――エレナには聞いていない。が、あちこちに散らばった火の魔鉱石も気がかりだ。それを探しながらでも探せばいい。第一村の中心部に集まっている魔鉱石を無視すれば、それが爆発でもした時の被害は甚大だ。まずはそれを処理することを念頭に置く方がよいだろう。
「やれやれ、あたしたちの目的とははずれた仕事なんだよ。面倒だけど、これを見過ごすのも寝覚めが悪いってやつなんだよ」
帽子を深くかぶりなおし、村の中心部へと駆けようとする。しかし、静かな朝の村に似つかわしくない怒声に、アンラは悔し気に顔をゆがませる。
「きっと……いや、必ず早く戻ってくるんだよ」
そう言い残し、アンラは雪の上を小走りにかける。少し駆けた先で、滑って転んだ。ぽてっと魔女の黒い帽子が、アンラの頭の上に落ちる。
「…………」
何もなかったとでもいうように素早く無言で立ち上がり今度こそ、しっかりと踏ん張りながら駆ける。しかし、実際のところアンラは何度も転びながら道中を駆けて行った。
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窓の外では、穏やかではない喧騒が続いていた。どうやら宿の戸を強くたたいたり物を投げたりといった暴力的な行動をとっている人物がいるのだろう。それくらいには同胞を殺された恨みが強いということなのだろう。はっきりいって身に覚えもないし、そんなことをする理由もないのだが。恐れられる理由は、よくわかる。ようは、意味の分からない恐怖に、何かしらの形を与えて責めないと不安で不安でしょうがないのだろう。それに一番適する人物が、ここにいるだけの話だ。
「……そう恐れなくても、俺はすぐに出ていくつもりだったさ……」
「……デュオンさん?」
すぐ目の前で肩を震わし、恐怖に身をすくませているエレナは、しかしそれとは別の意味で身を震わせている。この娘は、自分を――『魔人』を恐れていない。むしろ、憧れをもって、感謝の念をもってデュオンに接してきた。そんな彼女が、デュオンに対して恐怖を抱くことはない。今、彼女が恐怖に身をすくませているのは、自身に向けられる憎悪の念と、起こしてしまった悲劇に対する自責の念だ。彼女のせいでは決してない。しかし、『魔人』でも笑顔でいられるような場所を作りたいと願うような、心優しい彼女にとっては、今回の事件はあまりにショックな出来事だったのだろう。そして、そんな風に彼女が自責の念を抱く理由になってしまうのも、デュオンだ。
「すみません。本当に。エレナさんに辛い思いをさせてしまいました」
「そんなこと……ないです!デュオンさんが理由なんかじゃ」
「いいえ。今回のこと、俺が原因です。いや、殺したのは俺じゃないけど、それでもこんな風にエレナさんが辛い思いをする原因になっているのは、やっぱり俺です。やっぱり、俺は「化け物」ですから」
「そんなこと……ない……ないです!」
目じりに涙をためて、必死に首を横に振るエレナ。それは、彼女の優しさで、だからこそそこに甘えてしまったデュオンの落ち度だった。どれだけ危険だろうと、どれだけ恵まれなくても、「人」でないのが自分――「魔人」だ。その現実は、否が応でもわかるべき事実だった。
「そんなことないことないです。こうして、エレナさんを危険に晒してしまった。辛い思いをさせてしまった。それが、証拠です。昨日の段階で気づくべきだった。俺の存在が、あなたを危険に晒してしまった。あんなふうに俺が助けられる保証なんてなかったんだから」
そうだ。それこそ、あの不気味な黒白の魔女に示されなければ気付かなかった。あのとき、彼女がエレナの危険を知らせてくれなければ、エレナは死んでいたかもしれない。そこまでいかなくても、必ず深い傷は負ったはずだ。なのに、彼女の優しさに甘えてしまった。
「だから、エレナさん。『魔人』になんて優しくしないでください。結局、どれだけ善人の皮を被ろうと、俺たちは「化け物」です。あなたたちとは、生きていけない。だから、俺たち『魔人』に向ける優しさを、村の人たちに、もっと別の「人」に向けてください。それで、あなたは幸せになれる」
「……」
俺の長い説得を、エレナさんは涙をためて聞いている。この言葉が、彼女にとってどれほど傷つく言葉か分かっている。彼女の憧れを穢しているのだから。ソールという『魔人』が、どれほどできた『魔人』かは知らない。彼女の語りでしか、分からないのだ。そして、優しい彼女のことだ。きっと、そのソールという『魔人』も――
「わたしは、あなたが優しい「人」だと知っています!それを知っているのに、ひどいことしたくありません!私を危険に合してしまったとか、辛い思いをさせてしまったとか、そんな風に私のことを思って、辛い顔する人が優しくないわけないじゃないですか!」
彼女は、とんっとデュオンの胸を押して、彼と離れる。それは初めての彼女から拒絶だ。それは違う。それは間違っているという強い否定だ。デュオンはその強い否定に、驚きを露わにする。彼女は恐怖に肩を震わせながらも、しかし強い意志の炎を瞳に宿して目の前のデュオンを捉える。
「デュオンさん、私言いましたよね。あまり自分を化け物だって責めないでほしいって。ちゃんとデュオンさんだって「人」なんだって。私言いましたよね!優しい人だって知ってます。人のことを優しき見ることができる人だって知ってます」
「でも、それでも、俺は……」
「デュオンさん。ちょっと傲慢です……全部そうやって、自分のせいだってしちゃうんですか。全部自分が化け物だからって、自分のせいにしちゃうんですか!そんなの、傲慢すぎます!自分は化け物だからって。その一言だけで全部片づけちゃう!そんなの!?」
「だってそうじゃないか!!」
エレナは怯えたように肩をびくつかせる。誰かに声を荒げるのは、久しぶりだ。頭の片隅の、冷静な部分がそんな風に告げたが、口から出るのはもっと別のよくわからない言葉だ。
「俺は「化け物」だ。俺が今までしてきたことなんて何も知らないじゃないか!俺が優しい?そんなことあるわけない。こんなのただの償いだ!俺のやってきたことに対する償いだ!俺は――この世界の誰よりも「化け物」だ!それをエレナさんは知らないじゃないか!俺のやってきたことから目を背けて!俺の何を分かったっていうんだ!」
そこまで言って、デュオンははっと冷静さを取り戻す。エレナはデュオンの叫びに目を見開いて、手を胸の前で抱いている。口は、何か言いかえそうと動こうとしているのに、何かを迷ったように言葉を発さない。――そう、それでいいんだ。
デュオンは何か大事なものを失ったような、そんなことを感じながらもこれが正しかったんだと思い込んだ
「――何を……したんですか?」
しかし、エレナは踏み込むことを恐れなかった。デュオンが何をしたのか、一番彼女が恐れるだろう部分を聞いて来た。彼女の理想。綺麗なままのデュオンではないということを、しかし彼女は知る覚悟を持っていた。そのことに、デュオンは絶望した。
「デュオンさん、「償い」って言いました。デュオンさんが過去に何をしたのか、私は確かに何も知らない。ひどいことしたのかもしれない。それでも、償いたいって気持ちがあるのなら、やっぱりデュオンさんは「化け物」なんかじゃない!――わたしは、優しいデュオンさんのすべてを知って、本当の意味でデュオンさんを優しいって言えるようになりたい」
どこまで――どこまで彼女は、優しいのだろうか。
エレナがデュオンを見限って、「化け物」だと断じて、見捨ててくれる方法は何なのか。
デュオンはそれを知りたかった。
――そんな時だった。
急に窓の外の空気が変わったのは。今まで騒がしかった村人の怒声が急に止んだ。
そして次の瞬間には、悲鳴に変わったのだ。
さすがのデュオンもエレナも、言葉を止めて窓の外の様子をうかがう。
そこには、一人の村人の死体が出来上がっていた。体のあちこちが切り裂かれ、そのどこかしこからも血がとめどなくあふれている。溢れる血が、白い雪に真っ赤な化粧を施している。宿の前にいた村人たちは三々五々散って、悲鳴を上げながら逃げ惑っている。
「そろそろだと思ってよぉ。ちゃ~んと、悲鳴が届かない位置まで誘導して、分断させないと、すっ飛んできちまうからなぁあの白黒の嬢ちゃん」
その声が聞こえてきたのは、ドアの方向。
「誰だ!?」
デュオンは先ほどの言い合いのことも忘れ、とっさにエレナを背に庇う。しかし、エレナの方は、その声の主を見た瞬間、驚きに目を見開き、声を失う。
「嘘……!?」
言葉を失ったエレナは、その場に膝をついて口元を抑え、動揺している。目の前の男をよく見ると、身長はデュオンより低い。といっても男の平均身長くらいだろう。短い黒髪に、黒い瞳。特徴と呼べる特徴はあまりない。がっしりした体格をしていていることくらいだろうか。それだけなら特に驚きはしない。しかし、その男の右目は赤く輝いていた。
そこまで見て取って、デュオンはこの人物の特徴が、ある人物とまるまる当てはまることに気付く。黒い髪に黒い目。そして『魔人』であること。これではまるで――
「ソール……さん――」
まさしく、エレナの憧れの人――ソールその人ではないか。