1章6 『お気をつけて!』
吹雪の翌日は、前日の恐ろしいまでの雪が嘘であったかのような晴天だった。窓辺に座り空を見上げて、デュオンはこんなに穏やかな朝を迎えたのはいつ以来かと空しくなる。それとともに、前日宿に泊まれなかった場合の野宿の危険度がいかほどであったかに戦慄してもいた。
「ほんと、昨日はエレナ君の宿に泊めてもらえて感謝感激雨嵐なんだよ。あの吹雪の中野宿するとか、命知らずにもほどがあるんだよ」
「確かに。でも、アンラなら暑さはともかく寒さで死ぬことはないだろ」
「気分の問題なんだよ。あたしの力があれば確かに寒さはしのげるけど、それとは別問題であたしは寒いのが嫌いなんだよ」
「それもそうか。アンラ寒がりだからな。ただ寒いのが嫌でずっと引きこもりたがるのはどうかと思うけど」
「どうして自然界に冬眠という習性があるのか。それをよく考えてからもう一度あたしに文句をつけに来るんだよ」
「はは……取り付く島もないな」
デュオンが窓を開けると部屋内に新鮮な空気が流れ込むのと同時に冷たい朝の空気が肌を刺す。デュオンとしてはこの寒さが眠気覚ましにちょうどいいのだが、寒さに震えるアンラは毛布をさらに被りなおしてデュオンに態度で抗議する。
そんな軽口やふざけた態度をとれるのも、こうして宿に泊まることができたからだ。デュオンもアンラも旅の中で、少なくとも二人で旅をし始めて以来柔らかで暖かい布団に体を埋めてゆったり眠ったのは片手の指で数えるほど。満足に癒すこともできず積もりに積もった旅の疲れが、たった一日ぐっすり眠っただけで大分取れた。デュオンはすっきりとした顔で、エレナに心の底から感謝した。
「それはそれで置いておくとして、昨日はエレナ君と話して随分と幸せそうだったんだよ」
「ん?そうか……そうだな」
もぞっと顔だけを毛布から出すアンラ。その顔はどこか不満顔だ。
デュオンとしては急に話の矛先を昨日のエレナとの話に向けられて、驚き半分気恥ずかしさ半分といったところで、アンラと目を合わせていられず思わず俯いた。アンラは顔を赤くして恥ずかしさから逃れようとするデュオンをジトッとした目で睨み、口を尖らせて焦れる。
「まったくデレデレし過ぎなんだよ。確かに、ただでさえ君の境遇を思えば、あんな風に偏見の目で見て来ない子が大切に思えるのかもなんだよ?」
「いや、デレデレはしていない」
「けど、あくまでこの旅の目的を忘れられるのは勘弁なんだよ。あたしとしてもデュオンは必要なんだよ。ここであの子と仲良くなられてこの村に居座りますなんて言われた日には、竜の巣よりも高くマキア峡谷よりも深い怒りで血の雨を降らせないといけないんだよ!」
「そうだな…居座るとかそんなことは思っていないぞ」
「あたしだって分かってあげるべきだというのは重々理解の上なんだよ?エレナ君みたいな奇特な人は大切にしなきゃいけないし、君にとっては数少ない貴重な縁かもしれない。だからといってあたしの存在を忘れられるのはいささか傷つくというか、もうちょっと待遇改善してくれてもというか、なんかあたしが軽んじられているのように感じるんだよ。そこんところどうなんだよ?」
「俺はアンラを軽んじてなんかいない。ちゃんとアンラも大切な人だし、旅の目的だって忘れちゃいない」
相槌を打たないと怒るのだが、基本的にこちらの言うことは耳に入っていない。こうしてたまになんだかよく分からないスイッチが入ってしまうアンラだが、これもよくあることなので慣れっこだ。毛布からこちらを覗くアンラの頬はぷくっと膨れて拗ねている。出会いこそデュオンがアンラにおんぶにだっこだったのだが、今はこうしてアンラに甘えられることも多い。猫みたいなやつだな。
「まぁ、それならいいんだよ。あたしが空気みたいに思われるのは癪だから釘を刺しておいただけなんだよ。ただあたしの焼きもちに気付かないとか許せないから、あんまり無碍に扱うのもよろしくないんだよ。今ここではっきり言ったんだよ!」
「はは……分かったよ。アンラにはまた別で構うから」
「むぅ……あんまり納得いかないけど、エレナ君に免じてここは無理にでも飲み込んでおくんだよ」
そういう話で、アンラの良くわからない不満はまとまった。正直何がまとまったのかデュオンには全く分かっていないのだが、知らぬが花だ。未だに自身を化け物と卑下する青年には、自分を好意的にみるという視点は皆無なのだろう。その点は、アンラもよくよく感じる彼の良くない点だ。何とかしていきたいが、あの悲劇を知る彼女には軽々しく踏み込むことがよいことなのか、いまだ判断がつかない。
「まぁ、今はその話はいいんだよ」
「何のことだ?」
「こっちの話なんだよ……朴念仁」
「やっぱり今日は機嫌悪いな」
ため息を吐いてかっくりと肩を落とすデュオン。二年の付き合いでも、やはり察しきれないアンラの気持ちに彼が気づく日は来るのだろうか。
「まぁ、雑談はここまでなんだよ。じきにエレナ君も来るだろうし、その前に済ませておきたい真面目な話なんだよ」
「なんだ?」
アンラは蹲っていた毛布を跳ね除け立ち上がると、小さなテーブルにちょこんと乗っていた彼女の黒い魔女帽を取り、手でそれを弄ぶ。
「話したいことは2つ。まずは……まぁ君にとっては悲しいことだろうけど、この村を発って、次の目的地に向かわないといけないことなんだよ」
彼女は帽子をいじいじといじったり、中に手を差し込んで回したりと弄びながらデュオンに話を進めていく。デュオンも真面目な話と切り出された手前、余計な口出しはせずに窓際に座りながら彼女の目を見て真剣に話を聞く。いや、アンラの方がまともに見てくれないが。
「あぁ。それは分かってる。エレナさんとお別れってことだろうけど、俺の精神面で気を使う必要はないよ。初めからそうだということは分かっていたんだから、気にすることはない」
「そういう意味合いでの心配はしていないんだよ。あたしが一番言いたいの問題は、彼女の方なんだよ」
「エレナさんの方……?」
アンラは、その言葉に首をかしげるデュオンを見て少し辛そうに口を引き結んで言葉を紡ぐ。その内容は、今の今までデュオンの頭には思い浮かんでいなかったことで、いつもなら真っ先に考えていたことだった。
「あたしたち――特に、デュオンを宿に快く泊めたことで、エレナ君がこの村で孤立してしまう危険性のことなんだよ」
「…………」
今の今まで本当に頭に浮かんでいなかった、なんてのは嘘だ。実際はエレナさんに笑顔を向けられてからずっと頭の片隅にあったはずで、ずっと視線を逸らせ続けていた問題だ。デュオンにとっては、すべての前提を覆すかのような彼女の存在と、彼女の憧れ。それは、彼女のこれからを危うくさせている。たとえ彼女が憧れるソールという魔人が、誰かに愛してもらえる化け物なのだとしても、それは彼女が障害なしに魔人を受け入れることにはつながらない。きっと、彼女は見えていないのかもしれない。そのソールという魔人を愛した、ルナという女性の苦悩を。そこにどんな試練が、苦難が、地獄が待っていたのか。
魔人と関わって幸せになれる人など存在しない。それは、この世界の大前提で、常識で、覆すことなどできはしない宿命で。
「だから、不用意に手を伸ばしてはいけないはずなんだ……」
だけど、デュオンは一縷の希望に縋ってしまう。そのソールという人物が恨めしい。きっとその人物は、化け物でありながらデュオンが求める何もかもを持っている。手を伸ばしてもきっと、それを取ってくれる誰かがいるのだ。
「まぁ、これに関してはそこまで問題じゃないんだよ」
「そこまで問題じゃないって……!?問題だろ!俺たちは、エレナさんに返しきれないくらい恩がある。それを仇で返すっていうのかよ!」
そこまで声を荒げて、デュオンは自分の軽率さに嫌気がさす。そんなことをアンラが考えるはずもない。それは、目の前でデュオンの怒声を黙って聞くアンラを見ても明らかだった。
「悪い……アンラがそんなこと言うはずないよな」
「いいんだよ。あたしの言い方も悪かったんだよ。今の言い方じゃそう取られてもおかしくはないんだよ。デュオンの気持ちを考えていなかった。そこはあたしの落ち度だよ」
アンラは目を伏せて、デュオンに謝る。少し落ち込んでいるようにも見えるが、そこは気持ちを切り替えて、アンラは話を先に進める。デュオンも思考を切り替えて聞くことに徹した。
「あたしが問題じゃないって言ったのは、二つ目の問題があるからなんだよ」
「二つ目?そういや話したいことは2つあるって言ってたな」
「そうなんだよ。そして、ことと次第によってはこの二つ目の方が厄介なんだよ」
「それで、その中身は?」
「昨日から――より正確には昨日の夜中から、妙な魔力をこの村の中から感じるんだよ」
「魔力?それは、この村を魔物から守る魔鉱石とかとは別って意味か?」
魔鉱石――簡単に言えば魔力の籠った石なのだが、それは人々の生活には欠かせない必需品である。身近なもので言えば、この部屋の明かりだろうか。夜の間、明かりのない部屋は今やない。それは、この魔鉱石を使った灯火があるからだ。魔鉱石のうちにある魔力を引き出すことによって、簡単に魔法によって火を作ることができる。台所では焼いたり、煮たりのために魔鉱石のあしらわれたものが整備されたりしている。田舎とはいえ、この村でも宿屋であるエレナの家には完備されていた。
その魔鉱石がもたらした一番の恩恵が、村を守る結界としての役割だ。この世界では、村々に必ず一つは魔鉱石がある。それは、魔物を村に寄せ付けないという魔鉱石だ。あまりに強い――例えば「悪竜」なんかには効き目が薄いのだが、低級の魔物であれば村に寄せ付けない。アンラが言っているのは、その魔鉱石から漏れ出る魔力のことだろうか。だとしたら、そんな村にでも感じるはずだが。
「そんな当たり前の魔力のことを指摘するつもりはないんだよ。それに、結界の魔力はさすがのあたしも感じ取れないんだよ。あれはちょっと特殊な魔鉱石だからね」
「特殊?」
「そう。魔鉱石にも属性があって、普段使うことが多いのは火の魔鉱石なんだよ。火をつけたり、爆発させたり、そういった用途に使うのが火の魔鉱石。地水火風の魔鉱石があるけど、一番よくつかわれるのは、この魔鉱石なんだよ。でも、村を守ってる魔鉱石はその4種類すべてを含む魔鉱石なんだよ。そんな複雑な魔力、さすがのあたしも辿れないんだよ」
「なるほど。じゃあ、アンラが感じる妙な魔力ってのは何だ?」
「あたしが感じ取れるのは火の魔力だけ。そういう意味では、村中から魔力を感じることにはなるんだよ。それでも妙だと感じるのは、それが火を起こすというより爆発するほどの威力を秘めた魔力ということなんだよ」
「爆発……何か祭りでもするんじゃないのか?」
「あたしたちがいるのに?」
「……ないな」
魔人が村の中にいるのならどんなに大事な祭りでも、おそらく行わずに引きこもるだろう。デュオン自身、村人ならそうする。化け物が村の中にいるのに、お祭り騒ぎなんてできそうにない。
「そう考えると何のために爆発させるのか。しかもそれを夜中になぜ行うのか。疑問点はつきないんだよ」
「確かに妙だな……」
この村は別に鉱山が近くにあるというわけでもない。爆発させるようなものが近くにあるわけでもない。ましてやそれが一晩で増えたとなると確かに妙だ。
「いや、もしかしたら俺たちを追い出すために村人が行動したって可能性もあるだろ?」
「……むぅ。それは否定が難しい……かもしれないんだよ」
何だろう。アンラから言われると、結構傷つく。
そんな複雑な心情は別にして、考えるべきことは少しあるかもしれない。
「まぁただの杞憂って可能性も」
その時、戸の外から慌ただしく階段を駆け上がる音がする。それとともに、息を切らして困惑した声が響いた。
「デュオンさん!!アンラさん!!いますか!?」
そして、慌ただしくノックの音が響く。余裕もなく何度もノックする様子から、お客への配慮だけはしっかりとを意識するエレナには、あまり見られない焦り振りかもしれない。
「開いていますエレナさん!何があったんです!」
ただ事ではないと判断したデュオンは、アイコンタクトでアンラと会話するとエレナにそう答える。すぐさま戸が開いてなだれ込むようにエレナが部屋に入ってくる。その顔はひどく青ざめ、肩を震わせている。唇もわなわなと震えて、言葉を紡ぎたくても発せない様子だった。
「落ち着いてくださいエレナさん。何があったんです?」
「あ……そとに、で、でてたら」
「外に……やっぱり何かがあったのかもしれないんだよ」
アンラが窓から下を見下ろすと、そんな風に口を開いた。無表情で窓の外を見つめるその顔は、どこか悔し気だ。
「外に何があったんだ?」
「怒っている村人の群れがわらわらと宿の前にいるんだよ」
「……どういう……ことだ?」
アンラの言葉を聞いて、より状況が混迷する。怒る村人、青ざめた顔のエレナ、妙な魔鉱石の存在。すべてが何を意味しているのか。
「し、死んで……たんです」
「死んで……誰が」
ふらふらとした足取りのエレナをデュオンが支えると、エレナは力なくか細い声でそう告げた。デュオンの顔を見ると、その瞳は大きく揺らぐ。しかし、それでもエレナは頭を振って、デュオンの手を掴む。
「わ、わたしは、知っています……デュオンさんじゃないって、し、知ってます」
「エレナさん……?」
「昨日の夜、私と一緒にいましたよね?」
「ええ。いました。エレナさんの思い出もソールって魔人の人の話も、昨日の夜に聞いた話です」
そういうと、彼女は泣きそうに眼尻に涙をためて、ほっとしたように膝をつく。デュオンは訳が分かっていないながら、エレナが話せるようになるまで待った。外が騒がしいのは、先ほどアンラが言っていた村人たちのことだろう。物を投げられでもしているのか、何かが割れたり、壁に重いものでも当たったような音が屋内に響く。
「どうやら、村人の怒りの原因もそのあたりにありそうなんだよ」
窓の外で、村人の罵声を聞いていたのだろうアンラは、そう言うとエレナの許に近寄った。エレナの前にゆっくり優しく座ると、アンラは彼女の頭をなでながら、焦らせないようにゆっくりとした口調でエレナに問いかける。
「落ち着いて、ゆっくりと話してほしいんだよ。深呼吸してからでもいいんだよ。だから、君が何を知って、何を見たのか。あたしたちに教えてほしいんだよ」
エレナは、デュオンの顔を見て逡巡する。そこには様々な不安や恐怖が伺えたが、彼女も何かを伝えなければならないと口を引き結び、ゆっくりと深呼吸をして自身を落ち着かせる。
「もう、大丈夫です。私がみたことを、教えます」
「よろしく頼むんだよ」
「昨日、私とデュオンさんが言い争っていた、行商人の人がいましたよね」
「ええ。……もしかして、その人が?」
「はい。死んでいました」
その言葉を聞いた瞬間、またやってしまったのかと思って、目の前が真っ暗になった気がした。
「まだ、デュオンがやったとは決まっていないんだよ。どんな風に死んでいたか、説明できる?」
「はい……ひどい死体でした。ほとんど雪に埋もれていましたけど、足だけ、道にはみ出ていて……それで、凍死してしまったのかなと思った村の人が雪をかき分けて体を出したんですけど」
そこまで言って、またエレナの顔が真っ白といってもいいくらいに青ざめ、肩が震え始める。それほどまでにおぞましい死体というのは――
「顔がなかったんです――着ている服とか、持っているもので、誰か分かったんですけど……顔は、爆発したように飛び散っていて、首から上が――」
それを、直に見たということだろうか。首から上が、爆散している死体。そんなものを目にすることが、一生の中であるだろうか。――あるわけないだろう!
「爆発……」
アンラはその言葉だけをくみ取って、目線を鋭くさせる。その言葉は、ちょうどアンラが先ほど言っていた村内に存在する妙な魔力と一致する。それは、彼女の言っていた魔力がよくないものだという可能性を一気に押し上げるのに十分なものだ。
「やっぱり、昨日の夜から感じていた妙な魔力は、見逃すことは出来ないんだよ。デュオン、あたしはちょっと妙な魔力を感じるポイントを回ってみるんだよ。君は、ここでエレナ君と待っていてほしいんだよ」
「ああ。どのみち今、俺は外に出ない方がいい状況なんだろう?」
デュオンは窓の外を視線で示して、アンラにそう答える。
「確かに。君なら問題なくあの中を突っ切ることができるだろうけど、その間にエレナ君に被害が及ぶ可能性を考えるとここでじっとしている方が賢明なんだよ」
「了解だ」
エレナはアンラとデュオンの話を茫然と聞いていたが、混乱している頭ではやはり理解が追い付かなかったらしい。ただ、アンラが外へ出ていくことだけは察したようで。
「あの!」
「?何なんだよ、エレナ君?」
すっくと立ちあがり、もはや条件反射的にエレナはアンラに頭を下げる。
「お気をつけて!」
そのエレナの反応に微笑を浮かべて、アンラは壁に立てかけていた杖を取り、帽子をかぶりなおして戸へと向かう。そして、妙に機嫌のいい声でこう返した。
「行ってくるんだよ」