2章2 『侵入大成功なんだよ!』
日がな一日歩き続け、途中夜になって野宿をし、そして再び歩き続けること半日がたった。すでにセト王国を抜け、スィエ教国の領土へと入りたどり着いた目的地。ずっと歩き続けてきた緑色の森はすでになく、頭上には雲一つない青空が広がっていた。
しかし、デュオンはその見事なまでの蒼天を仰ぎ見ることはなく、また別の蒼ばかりに目を奪われていた。それは――
「どうだい! これが『海』なんだよ!」
「これが……海。」
どこまでも広がる大きな水たまり。数多くの生物がそこから生まれ、いまだ謎を多く秘めた人間の母なる場所。広く深く壮大な海は、この世界の大地よりも広く、人間に多くの恵みと災禍をもたらしてきたと、そう言葉だけは知っていた。
デュオンの故郷は広い国土を誇るノートレルムの内陸部にある雪深き大地であり、アンラとの旅でも今まで一度も海へと訪れたことなどなかった。ゆえに、デュオンは今、生まれて初めて海を臨んだのである。
しかし実際に目の前にしてみるとなるほど壮観だ。どこまでも広がる水平線は空との境界を曖昧にし、どこからが空でどこからが海なのかが分からなくなってくる。驚くほど透き通った海の色は今まで自分が見てきた中では例えようもなく蒼く、それこそ本当にもう一つ空が落っこちてきたかのようなイメージをデュオンに抱かせる。
そのイメージを抱いたうえで、デュオンが海に対して言い放ったその感想は――
「塩臭いな。」
「一発目の感想がそれなんだよ!?」
感動とはかけ離れた言葉であった。
アンラも驚愕の後憤慨し、ムードもデリカシーも何もないんだよ! と文句を垂れる。
「いや、なんか嗅いだこともない匂いで慣れないっていうか。こう、雪山で生きてきた人間にとってはいささかキツイというか……。」
「想定外なんだよ……。傷心の君に海を見せれば、『あぁ、俺の悩みはこの海に比べればなんて小さいのだろう。:まだまだ負けられないな……』って言ってもらえるものだとばかり思っていたんだよ。」
「そんな理由でこんなところに来たのかよ……。丸6日かけたのに。」
「そんな理由って君のことなんだよ! 君にそこまで辛辣にされるとあたしも悲しくなってくるんだよ……。旅行に連れて行き甲斐のない奴なんだよ……。」
「旅行ってお遊びでこんなところに? 『悪竜』を探しにここに来たとかじゃないのかよ。」
「そんなこと一言も言ってないよね? 一応あたしが来てからそれなりに時間が経ってるから、情報収集も兼ねてのリゾートなんだよ。」
「情報収集も兼ねて、ね。んで、どうやって街に入るんだ? 見たところそれなりに大きな街だから容易には入れそうもねぇけど。」
街の入り口にはちゃんとした衛兵がいる。それだけでこの街がそれなりに大きく、栄えている街だということが分かる。アンラの話では、この街は『コチ』という名の街であり、『スィエ教国』の東の玄関口として栄えている貿易都市らしい。
当然、都市自体にも防衛機構が備えられており、特に栄えている街では自警団らしきものが街の風紀を守っている。おそらくあの衛兵たちもその自警団に所属する者なのだろう。それなりに値の張る武具を身に着け、門の両脇を微動だにせず守っている。おまけに都市の周囲には高い壁がそびえたち、侵入者を徹底的に排除する体制が整っていた。
「どう考えても俺が『魔人』だってばれずに行く方法は無さそうなんだが?」
「大丈夫なんだよ。あたしの重力魔法で壁を越えてしまえば誰にも気づかれないんだよ。」
「つまり不法に都市の中に入ると。」
「そうなんだよ。それ以外に行く方法が思いつかないんだよ。」
「……あのさ、なんでアンラはこの街にこだわるんだ? 別にリゾートっていうんならこんな場所でなくてもいいだろうに。」
「決まっているんだよ! ここがあたしの知る中で一番きれいな絶景ポイントなんだよ。デュオンと一度もここに来ないなんて選択肢はまずありえないんだよ!」
「そ、そうか……。」
よくわからないアンラのスイッチが入ってしまっている。これでも旅の経験がデュオンよりも長いアンラだ。旅行が趣味と言えるほどには、リゾート地にもこだわりがあるらしい。デュオンのことを気遣って行っていることだとは思うのだが、本来の目的を忘れてほしくはないものだ。
「まぁ、分かった。アンラにも何か考えがあるのかもしれないし。無理にでも入ってみよう。もしかしたら、『悪竜』の手がかりも見つかるかもしれない。」
「ふふん。それでこそなんだよ!」
デュオンの返答にアンラは機嫌よさそうに答える。
鼻歌交じりに歩き出すアンラは実に楽しそうだ。本当にただただリゾートしに来たようにしか見えないのが不安だが、デュオンは彼女の後をついていく。その上機嫌な様子に思わず頬を緩めてしまうあたり、デュオンももしかしたら期待しているのかもしれない。
こうして、『コチ』の街侵入作戦が決行されたのである。
まさか、この街でバカンスが楽しめるはずもないことを、この時点の二人はまったく気づいていなかったし、気づきようもなかったのだが。
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「ふっふっふ……侵入大成功なんだよ!」
「ほんとよく気づかれなかったな!? 重力魔法で飛ぶっていうから楽に入れると思ってたのに、実際はとんでもな侵入方法じゃねぇか!?」
「しょうがないんだよ。あれは『重力魔法』であって『飛行魔法』じゃないんだよ。大体飛行魔法が簡単に使えるんなら、もう少し世界は豊かになってるんだよ。」
「確かにそうだけど!」
高い壁を飛び越えて……否、跳び越えての方が近いかもしれない方法でコチの街への侵入に成功した。壁の向こうはすぐに街――というわけでもなく、南国風の濃い緑の植生が生い茂る森が続き、その少し先に賑やかな街並みが見えるといった形であった。おかげで街の中に侵入した際にすぐさま人に気付かれるということもなく、奇跡的に誰にも気づかれずに侵入できたと言える。とはいえ、もう二度としたくない侵入方法だった。
「あれなら俺の槍で足場作りながら登った方がまだ楽だったしスムーズな気がする。」
「……確かに! ラーヴァの魔法で重力球に引っ張ってもらいながら上に上がって、下がるときは重力球を下げながら入るなんて面倒しなくてもいいじゃんその方法!」
「え、えぇ……!」
まさかの天然発動に言葉もでない。アンラの天然は別に珍しいことでもないが、どうせなら戦いのときのように鋭い観察眼と推理力をいつでも発揮してもらいたいものだ。
「ま、まぁ無事に入れたことには変わりないんだよ! このままコチの街でリゾートなんだよ!」
「はぁ……先行きが不安でしかないんだがな。」
ふんすと小さな胸を堂々と張るアンラにため息をもらすデュオン。計画性の無さは一緒に旅をしていて十分に知っているのだが、そのせいで命の危機に陥ったことも幾度もあった。もう少し、旅の安全も気にかけてほしいものだ。
「さて、コチの街へと行こうか。」
「アンラの口ぶりだと、一度この街には来たことあるみたいだよな?」
「そうなんだよ。この街の魅力は世界でも有数の蒼さを誇る海なんだよ。」
「確かに、さっき見た海は綺麗だったな。塩くせぇけど。」
「本当に風情も何にもない感想だよ……。一昔前はこの景色を見るために世界中から観光客が訪れるほどの街だったんだよ?」
壁の上から一瞬覗いた街並みは、白塗りの壁が日の光を反射してまさしく常夏の街といった風情だった。雪国生まれのデュオンとしては見たこともない街並みに目を見張ったものだ。
とはいえ、今のアンラの発言でもやはり気になるのはコチの街についての評価ではなく別の部分だったりする。
「何気に思うんだけどアンラって何歳? 見た目的に俺より年下なのに俺より確実に年上だよね?」
「私は永遠の17歳なんだよ!」
「さいで。」
「むきー! なんだよ!」
ぷんすかと擬音が聞こえてきそうなほどアンラが手を振り上げてデュオンへの怒りを示す。そんな柄にもない平和的な調子で緑に生い茂る森を歩く二人。
ギザギアの大きな葉を大きく伸ばした木がそこかしこに生え、涼し気にその葉を揺らしていた。その大きな葉の根元には大きな実がついており、今にも落ちそうにゆらゆらと揺れている。
「こんな木、初めて見たな。ずいぶんと実が大きいんだな。」
「デュオンを南の国に連れてきたのは初めてだったからね。ずっとトロアとノートレルムの北部ばかり旅してたから、ヤシロの木を見てないのも当然なんだよ。」
「ヤシロの木?」
「うん。多分トロアの南部とスィエにしか生えてないんじゃないかな?暑い気候で雨の多い地域にしか生えない木なんだよ。あの大きな実はコロナッツの実といって、とってもおいしんだよ。」
「へぇ~。」
美味いと聞いては食べずにはいられない。デュオンは槍を作り、大きく実ったヤシロの実を貫き落とす。そうして落としたコロナッツの実を手に取る。
「ずいぶん物騒で豪勢なコロナッツの実の取り方なんだよ。」
「魔力使って作ってるわけじゃないから豪勢とは違うと思うけどな。物騒なのは認めるよ、でも一番手っ取り早いだろ?」
「そうだけど……何? もしかして食べるの?」
「そうだけど?」
「あー……くふふ。いいよ、食べてみるといいんだよ。」
「なんだ、その意味深な言葉? 美味いんだよな?」
「うん。おいしいよ。どうぞ。」
「?」
意味深なアンラの笑いをデュオンは訝しむも、アンラは不敵にニヤニヤと笑うだけだった。妙な嫌な予感を感じながら、デュオンはコロナッツの実にかぶりつく。そして――
「かっっっっっっっってええええええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!??」
「あっははははは!あたしは何も食べ物なんて言ってないんだよ。コロナッツの実は『飲み物』なんだよ。それを……くふふ、あっははは!」
歯が折れそうなほどの硬さに声にならない悲鳴を上げ、涙目でアンラに抗議するデュオン。その姿にくふふと抱腹絶倒するアンラは、いたずらっ子のように舌を出してデュオンに詫びる。
「くふふ……ごめんごめん。いやぁ、いつもならもっと慎重に行動するデュオンが、初めて子供みたいにはしゃいでるみたいで目新しかったんだよ。だから、ちょっとしたいたずら心ってやつなんだよ。アンラお姉さんの暇を持て余した遊びってやつ。」
「暇を持て余した遊びで歯を失いかけるとか……あー、本気で歯が痛い。というかこれ本当に歯折れてないよな?」
「大丈夫! 折れても魔法で治すんだよ!」
「アンラ治癒魔法使えないだろ!?」
「火で炙れば何とかなるでしょ?」
「荒療治だな!? あと歯の治療にはならないだろ!?」
「くふふ……久しぶりに心から笑ったんだよ。やっぱりここまで来た甲斐があったものなんだよ。」
「まったく……はは!」
無邪気に笑うアンラに、もらい笑いするデュオン。確かに、ここまで馬鹿な笑い方をするのも最近はなかった気がする。腹を抱えて、頬を紅潮させて、何の憂いもなくただ楽しいから笑うアンラ。その笑顔を見ただけで、重く心にのしかかっていた陰鬱な気持ちが少し軽くなった気がする。
この時になってやっと、デュオンは心からこのリゾートを楽しもうと思えた気がした。
「それで?このコロナッツの実はどうすればおいしいんだ?」
「それは……コチの街に入ってから!なんだよ!」
手に持ったコロナッツの実。どうすればおいしくいただけるのか、今から楽しみだ。




