2章1 『ひ・み・つ!』
人を救うとは、いったいどのようにして為されることなのだろうか。
例えば、こんな話を想定してみよう。
目の前に井戸に落ちそうになっている子供がいる。今この場にはあなたしかいない。ならば、あなたはどんな行動をとるだろうか。多くのものは、その子供を助けるかもしれない。
人間の性質が、最初から善に支配されているとするものだ。
だが、本当に子供を助けることこそが、本当の救いなのだろうか。
ここで子供を助けてしまえば、子供は井戸に落ちると危ないということを学ばない。子供の親は、自分の子供が危険なことをしていると知らないままだ。それでは、子供はまた井戸に落ちる危険を冒すだろう。この時、子供を助けることは、必ずしも人を助けることにはつながらない。
人間の性質が、最初は白紙で何も知らない。善すらもない状態にあるというものだ。
だとすれば、人を救うということは実際どういうことなのだろうか。
突き詰めれば、それは「命」へと帰結する。
人の「命」を救うことが、救いの道なのかということだ。命あっての物種という言葉があるように、生きて日常に返しさえすれば人を救ったと言ってよいのだろうか。
答えなど導くことはできない。命が無ければ、答えは出せない。命があっても、問題の自覚はできない。永劫に「救い」の定義など定めることなどできない。
だから人は神に縋るのだ。人の定義できぬ救いの理論を神という一言に収めてしまう。
――救いなど、所詮人の手に余る代物なのだ。
だが、もし――そうした「救い」を体現しようとした人がいたなら。それに悩む人が現れたなら。そして、それを実現しようと躍起になったなら。
もはやそれは人ではないのかもしれない。それはまさしく、神ならざる神によるもの。
――『魔神』でしかないのかもしれない。
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青く澄んだ空に、ぽっかりと浮かぶ白い雲。太陽は未だ空の中腹にあり、暖かな陽気を地上に降り注いでいる。遠くには峰が白い雲で覆われた山があり、目線を下に下げていくにつれて緑色の木々が風に揺れている。さわさわと風に撫ぜられ枝葉を揺らすと、それに驚いた鳥や獣が慌てて逃げる。草木をかき分け進む先には獣道が広がり、さらに森の奥へとつながっていくのだ。
そんなのどかな風景。どこにも危険など潜んでいないかのように平和ボケした世界だが、この世界には様々な危険が存在する。
――『悪竜』と言えば、この世界の人々が子供の頃より聞き知る危険の代名詞だ。『悪竜』に襲われた村はまず助からない。暴虐と悲劇をただただ振りまき世界を恐怖で震撼させる。かの龍に敵う者は誰一人としておらず、人間はただ『悪竜』に怯えて暮らすしかない。
しかし、【世界の屋根】と呼ばれる北の山脈を住処とする『悪竜』は頻繁に下界に降りてこない。もし『悪竜』が際限なく下界で暴れまわるような存在だったなら、世界はすでに滅びの道しかなかっただろう。世界は首の皮一枚で生き残ったというわけだ。だが、『悪竜』だけがこの世界の脅威ではない。
世界には、『悪竜』が生み出した6種の魔物がいる。それは『悪竜』が生きている限り生み出され続ける存在であり、悪竜が生きる限り滅びることのない存在だ。そして、この魔物たちは率先して生きるものを襲う。人間を視界に収めれば襲わぬことなどありえないのだ。そして、それはこの世界で最も恐れられる存在――『魔人』とて例外ではない。
「ほらよっと。一丁上がり。」
「ラーヴァ!――こっちも終わったんだよ!」
10もの赤槍が小さな燃えるトカゲを貫く。そして、別の方面では大きな黒い球が数多くの燃えるトカゲを引き寄せる。黒い球へと吸引されたトカゲは黒球に触れた瞬間に身を引き潰され、血を周囲へとまき散らす。
「ふぅ。相変わらず、『タルウィ』ってのは数が多くて素早いし、面倒だな。」
赤い外套を身に纏った青年は、溜息をつきながら被っているフードを取る。フードの中からは後ろで縛った少し長めの灰髪が露わになる。額から流れる汗をぬぐうその顔立ちは整っており、もっと格好をよくすれば目に映えそうだ。しかし、より目を引くのはその右目だろう。左は黒色の瞳をしているのに対し、右目は血のように赤い。それは、この世で最も恐れられる化け物の証、『魔人』を示す呪いである。
「しょうがないんだよ。魔物を倒すのもあたしたちの目的の一つなんだよ。見過ごしていくのは筋違いじゃないかな。それに、『タルウィ』は『悪竜』が生み出す魔物の中で一番下級だから、これに手こずってると『悪竜』に復讐なんて夢のまた夢なんだよ。」
その世界の敵たる『魔人』に容赦なく言い返したのは背の小さな女性だ。雪のように透き通った白い肌に腰まで伸ばした絹のような白髪。その美しい容貌をすべて台無しにするかのような黒いダボダボした魔女服。深くかぶった魔女帽の奥からやれやれといったような冷ややかな視線が青年に向けられている。
「分かってるよ。それに、手こずったわけじゃなくて面倒なだけだよ。先に『ザリチュ』を倒してるから妙に疲れただけだ。」
「『タルウィ』と『ザリチュ』は常に一緒に行動しているからね。先に『ザリチュ』を潰す方が安全なんだよ。あいつの力は身体を痺れさせる毒だから、野放しにしとくと危険なんだよ。」
そう言い合いながらもお互いの無事を確認し、安堵し合うあたりに二人の信頼関係が見て取れる。これでも二人はすでに2年もの間旅を共にしてきたのだ。言葉を交わさずとも分かり合えるような点は多い。それでも、戦闘後はやはりお互いに怪我がないかは気にしてしまうところだった。
「まぁでもデュオン。君はまだ目を覚ましてから3日目なんだよ。あまり無理はしないでほしいんだよ。3日眠り続けのすぐなんだから、肝を冷やすようなことはあまりしないでほしいんだよ」
「分かってる。ごめん、アンラ。心配かけて。」
「……分かればいいんだよ。」
アンラはデュオンの言葉を聞くと、顔をふいっと逸らす。どうやら少し気恥ずかしかったらしい。頬が少し赤らんでいる。とはいえ、アンラを本気で心配させてしまったことは確かだ。デュオンは3日間眠り続け、そして今現在から3日前になってやっと意識を取り戻したところだった。そのため、体も所々が重いままで未だ戦いも本調子で戦えていない。アンラの心配ももっともなのだ。
だが、本当のところは身体よりも心の問題の方が大きい。3日前、デュオンが意識を取り戻し、自分がしでかしてしまったことを理解した瞬間、奪ってしまった命のあまりの多さに目の前が暗くなった。
救いたい命を救おうとして、逆にすべてを取りこぼしてしまった。
その罪の意識に苛まれていた。その傷は、一生癒えることなどない。そんなこと、デュオン自身が許せなかった。自分の存在は、多くの屍の山の上に立つ、ただの化け物。化け物である自分に慈悲深く手を伸ばしてくれた存在でさえ、無情に牙をむく最低の存在なのだ、と。
「あまり気に病まない方がいいんだよ。エレナ君も、君の悲しい顔は見たくないと思う。彼女は優しい人だったんだよ。」
「……ああ。でも、許すことはしないよ。俺はあの村全員の命の重みを引きずって持って行かなきゃならないから。」
「……うん。」
重苦しい空気が二人の間に流れる。つい6日前の出来事だ。のどかな風景が広がるこの場所とは違う、雪に覆われたある村での出来事だった。そこでデュオンは掛替えのない命を守ろうとし――すべてを奪ってしまった。
『魔人』は、この世界で、最も忌まれるべきもの。
人を殺し、街を滅ぼし、栄えある国まで壊す破壊の化身。すべての人に仇為す狂人。世界を滅ぼす呪いの悪魔。伝わり方に違いはあれど、『悪竜』と並んで幼いころから伝えられる、人々の常識だ。
その『魔人』として生きるデュオンは、当然世界で最も忌み嫌われる存在である。街や村で普通の生活などできるはずもない。宿に泊めてもらうことだって満足に許されやしない。すべての人に忌み嫌われ拒まれる存在が魔人であり、デュオン自身も重々理解している。
だが、6日前に滅ぼした村の宿屋の主人、エレナは快くデュオン達を迎え入れてくれた。『魔人』でも笑顔になれるような場所を作る――その夢をもつ彼女に支えられる形で、デュオンは宿に泊まることができたのだ。そこで彼女の優しさに触れ、この優しさをこそ守りたいと願った。
だが、その結果はまったく真逆のものとなった。エレナの村を危機に陥れたのは、彼女が魔人に手を差し伸べるきっかけとなった『魔人』――ソール。ソールによって襲われた村を守ろうと必死に動いたデュオン達だったが、彼の最後の策を前にデュオンの力が暴走。呪いの力でソールの策を阻止したものの、その代償に守りたいと願った村人の命すべてを失った。
エレナの命も含めて、すべて奪ってしまったのだ。
デュオンがあの場で力を暴走させてしまったがために。
『魔人』の力は、常人には計り知れない凄まじい力を秘めている。しかし、『魔人』の力には必ず代償がある。あのソールにだってあったはずだ。そして、それはデュオンも同じ。『魔人』の力を使えば、彼は必ず「守りたいと願った命」を奪ってしまう。それが、数々の悲劇を生み出してきた。6日前、デュオンが引き起こした新たな悲劇の記憶はこうして世界に爪痕を残した。
「ああ。本当に。――俺は『化け物』だよ。」
そう思わずにはいられなかった。そう自分を責めずにはいられなかった。自分は『化け物』なのだと、誰かに罵っていてもらいたい。そして、誰も自分に関わってほしくない。ならば、大衆の『魔人』への忌避は、デュオンにとって好ましいものだった。
「魔人だ。」「化け物だ。」「近づくな。」
その言葉は、自分に投げかけられるべき当然の言葉だ。
それでも、それが正しいと分かっていても、優しく差し伸ばされる手を望んでしまう自分は、愚かしい。許されざる存在で、許されざる思いで、許されざる温もりを望んでしまっているのだ。
「むぅ……あたしの言葉を右から左にはしないでほしいんだよ。」
「むぎっ!?」
一人暗澹とした自責の沼に嵌っていたところ、そこから救い上げるように、アンラに両の頬をひっぱたかれた。いや、正確にはむにむにされた。びにょんと伸ばしたり、むにむにこねたり。
「ふぁんふぁ? ふぁめへほひいんやが?」
「何言ってるか分からないんだよ……。だからやめてやらないんだよ。」
いや、伝えたいこと、ちゃんと伝わっているんだが……。
ちなみに先の言葉は、「アンラ?やめてほしいんだが?」と言っている。それを理解したうえで、理解していないとアンラは言っていた。
「戦いで疲れているんだよ? 暗い話は無しなんだよ。だから、あの村で起きたことも今は考えるの禁止。あたしともっと楽しい話をしてほしいんだよ。」
「ひや、えも……。」
「でももだっても知らないんだよ。ほら、無理にでも笑うんだよ! ほら、にま~って!」
「いひゃいいひゃい!いひゃいっへ!?」
「もっと! もっとなんだよ!」
「むぐぎっ!?」
痛いわ! そんなに頬は伸びないって! 思わずアンラの手を払いのける。
アンラはそれを見越していたのか、デュオンが払いのける瞬間に頬を引っ張る手を放した。
赤く腫れた頬はじんじんと痛み、情け容赦なくアンラが引っ張ったことをうかがわせる。
「いってぇよアンラ! 容赦なく引っ張りすぎだろ!」
「ふん! あたしと一緒にいるのに、そんな辛気臭い顔されてると景気が悪いんだよ! せっかく気を使って励ましてるのに、無視もひどいと思うんだよ?」
「いや、だからってこれは引っ張りすぎだろ……。いってぇ。まだじんじんする……。」
「あたしを長らく放置していた罰なんだよ。終わったことをくよくよ気にしてても始まらない! 過去にしろとは言わないんだよ。でも、あたしとの誓いのことも気にしてほしいんだよ。」
「……それは、そうだけど……。」
誓い――デュオンとアンラが出会った時に交わした約束。
一緒に『悪竜』に復讐するというアンラとの誓い。その誓いをもとに、2年間行動を共にしてきた。未だその誓いは果たされていない。それを考えれば、自分が彼女の足を引っ張るのも、行動を阻害するのも申し訳ない。それに、このまま立ち止まっていても先には進めない。
アンラの言うとおりだ。
「……そう、だな。そうだよな。俺がアンラの足を引っ張るわけにはいかない。それに、こんな感じで毎回落ち込んでるもんな。ごめん、切り替えるよ。」
「……なんだか、その言い方はあたしが悪い気もするんだよ。」
そうだ。こんなことは2年間の旅の中で何度もあった。
デュオンの余計なおせっかいで滅びた村や町は、何もエレナの村だけじゃない。何度もあったのだ。そのたびに、アンラにも迷惑をかけてきた。罪を忘れてはいけない。自分自身を許してもいけない。でも、それにアンラを巻き込むことだけはデュオンは避けたかった。
「いや、本当に切り替えた。アンラは何も悪くない。先に進もう。いつまでも立ち止まっていたら、『悪竜』への復讐もできない。それにうじうじ考えて俺が立ち止まっていたら、逆に俺がもっと殺しちゃうかもしれない。それは……嫌だ。」
「デュオン……。」
デュオンのその言葉を聞き、アンラはどこか悲しそうに目を伏せた。自虐的とも言えるデュオンの言葉を、アンラはやるせない表情で聞いている。ぎゅっと魔女服の裾を掴んでいたアンラだが、やがて大きなため息をつくと俺のそばにより、軽く腕を抓った。
「っ!?」
「今は、これで許すんだよ。」
「……ああ。分かった。」
デュオンの言葉を聞き届けると、アンラは魔女帽を深くかぶりなおし、大きくため息をつく。デュオンも気持ちを切り替えるように、戦闘で乱れた服装を直した。
「それで一つアンラに聞きたいんだが。」
「ん?なんなんだよ?」
「俺たちの今回の目的地はどこなんだ? 今ここに至っても、ずっと『ついてからのお楽しみなんだよ!』ってはぐらかされて未だに目的地が分からないんだが。」
「くっくっく。それはだね……。」
今までの雰囲気を変えるためだろうか。芝居がかった身振り口調でアンラは声を上げる。いや、妙にテンションを上げられても戸惑うばかりなのだが。まぁ、そこらは2年の付き合いだ。察しよう。
「ひ・み・つ!」
「ふざけんるなこの野郎!」
「ふきゃあ! 急に大声出すのはやめるんだよ! びっくりするんだよ……。」
「あざといわ! あざといだけならまだしも秘密をためすぎなんだよ! 3日前から目的地も聞かされずに歩かされるばかり……いい加減我慢できないぞ!」
そう。3日もの間、デュオンは目的地も聞かされることなく歩かせられているのだ。
雪原を抜け、森を歩き、山を越え、川を渡り……などなど3日かけて移動しているが、これがどこを目指してのものか一切知らない。分かることは、南に向かって進んでいるということだけだ。聞いても今のようにうさん臭く「ひ・み・つ!」と言われるだけで答えてくれない。アンラにも何か意図があるのだろうと我慢していたが、「ひ・み・つ!」があざとすぎてもう我慢ならない。
……あ、結局あざといのが一番の原因だった。
「なっ!? あたしだってデュオンに喜んでもらいたくて秘密にしていたんだよ! それをこんな、あたしの我儘みたいに言うなんて心外なんだよ!」
「だからって3日だぞ! 3日も何も知らされずに歩くのってなかなか厳しいんだからな!どこへ行くにしたって、俺はまず街や村には入れないし。」
「街に入れないのはあれなんだよ! 君の右目をどうにかすればいいんだよ! 街に入るのだって、右目が赤くなければ大丈夫なんだよ!」
「できればとうにやってるだろ!」
「やればいいんだよ!」
「どうやれば俺が街に入れるようになるんだよ!」
「そんなの簡単だよ! 右目をくりぬくんだよ。」
「その段階でアウトじゃないか!?」
右目をくりぬくとか。いくら忌々しい右目でも勘弁してもらいたい。それに右目をくりぬいたところで『魔人』の力はそのままだろう。右目はただ『魔人』の証程度の意味しかない。
「いいから向かっている国の名前だけでも教えてくれよ。それくらいなら大丈夫だろ?」
「む……まぁ、それくらいなら……。」
よくわからない痴話げんか的なしょうもない言い争いののち、妥協点を見つけそこに落ち着かせる。アンラも渋々と言った様子で首肯してくれた。まぁ、目的地は分からないままだが、どこの国へ向かっているかだけでもおおきな収穫だ。
「それで、どこへ向かってるんだ。今いるのが、大陸中央の国ノートレルム。雪と氷に閉ざされたスリュム大森林近くから大分南下してきてると思うんだが。」
「うん。今下っている山が大陸中央を東と西に分断しているエリ山脈。ノートレルムの国境を越えて、今は西のセト王国にいるところなんだよ。」
「セト王国……ということはこれから砂漠越えか!?」
「違うんだよ! 砂漠越えするんだったらもうちょっと準備してるんだよ!」
「だよなぁ。焦った。」
地図的な話をしておこう。
この世界には大きく分けて5つの国が存在している。
大陸東端の国『トロア』。
大陸中央の国『ノートレルム』。
大陸の南端にある突き出た半島の国『スィエ教国』。
大陸西端の国『ユートル公国』。
ユートル公国、スィエ教国、ノートレルムの3国に囲まれた国『セト王国』。
地理的にも気候的にもすべて異なる5つの国がこの世界には存在しており、それぞれが貿易などを通して関わり合っている。幸いなことに今現在国同士の争いは起こっていないのだが、それは魔物や『悪竜』の被害を通して5国が共同戦線を取っているというのが大きい。
今までデュオン達がいた国はノートレルム。南北で気候が大分異なり、北部は雪と氷に閉ざされた国だ。対して南部は比較的穏やかな気候をしており、海にも通じているため貿易や生産が盛んな地域だ。
そして、そのノートレルムとエリ山脈を国境にまたいだ国がセト王国。国土のほとんどが砂漠で覆われた国だ。そのため、このセト王国を移動する際には砂漠越えの準備が必須となる。もっとも、今回のアンラの話によれば砂漠越えはしなくてもいいようだ。
しかし、砂漠越えをしなくてもいける場所となると、あとの候補はあそこしかない。
「じゃあアンラの目的地はスィエ教国か!?」
「うん。その通りなんだよ。」
「なんでまたあのうさん臭い国に?」
「いや、そこまでうさん臭い国ではなかったんだよ! ここ最近おかしな動きが強いだけなんだよ。」
セト王国をさらに南下した位置に大きな半島がある。その半島部分をまるごと国にしたのが『スィエ教国』だ。半島だけあって貿易が盛ん……だったのだが、ここ数年貿易が激減し、かなり閉鎖的な国家となっている。
「確か何年か前は『スィエ教国』なんて名前じゃなかったんだったよな?」
「うん。前までは『ベツレム』っていう国だったんだよ。それが急に変な宗教を国教にしたかと思うと、貿易しなくなったんだよ。」
「やっぱりうさんくさくないか?」
「う……」
デュオン追及されたアンラが狼狽える。冷や汗を垂らしながらしかし、それでも目的地を変えるつもりはないのかそれでも食い下がることはなかった。
「まぁでも今回の目的地はスィエ教国のさわりみたいな場所だから大丈夫なんだよ。そこまで深刻なことにはならない……と思うんだよ。」
「目を逸らしながら言うなよ。せめて目を見ながら自信満々で言ってくれよ。」
「……景色は綺麗なんだよ!」
親指をぐっと立ててにかっと笑うアンラ。
露骨に話題を変えやがった。
「まぁいいか。でも、街には多分入れないだろ。そこらへんはどうするんだ?」
「……いつも通り、ついてから考えるんだよ!」
「行き当たりばったりなんだな……。」
ともあれ目的地の国が分かっただけでも僥倖か。目的地はアンラが決めているんだ。そこは彼女に任せよう。自分はそれについていくだけだ。今回大きく何かが起こっても、全部アンラのせいにしよう。今回に限り、街に入れなくてもアンラのせいだ。
先行き不安のまま、ずんずんと先を歩いていくアンラの後を追う。エリ山脈を超えているから、セト王国には入っているはずだ。ということは、あと1日もあればセト王国とスィエ教国の国境にはたどり着けるはずだ。それまでは、アンラの思惑通り何も聞いてやらないでおこう。
果たして彼女が何を企んでいるのか。お手並み拝見といこうか。




