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1章エピローグ 「孤独な羊と白黒魔女の誓い/走馬燈と黒白魔女の取引」


「……」


 それは傷だらけの孤独な羊のようだ。

孤独を宿命づけられた存在であるのに、彼は孤独を最も恐れる。人とのつながりを、温もりを常に求めている。だから羊だ。一匹でいることが辛くて堪らない。孤独で過ごすことが不安で仕方ない。人の温もりの中でこそ誰よりも優しくなれるはずの彼なのに、そんな彼に与えられた運命は、どこまで残酷なのだろうか。


「うん。だから、今はゆっくり休むんだよ。目的も罪も、今は忘れて。ゆっくりまどろんでいいんだよ。今は、あたしが許してあげるんだよ。」


「……」


 膝にデュオンの頭をのせて、安心させるように撫でる。いつもこうだ。彼は優しい。優しすぎるから、自分で自分を傷つける。お節介焼きなのに、優しいのに、悲しいことにその優しさが、彼を「化け物」にしてしまう。目の前で困っている人を放っておけない。助けたいと思ったら、一直線だ。


「……この村も、生き残りはゼロなんだよ。たった1つの呪いの代償でこれか。やっぱり、すさまじい力なんだよ。」


 アンラはあたりを見回し、自分とデュオン以外の生き物の気配がないことを悟ると、黒い魔女帽を脱ぎ、目を閉じて犠牲者の冥福を祈る。それができないデュオンの分も含めて、長く祈りをささげた。


「あたしにも、その資格はないかもしれないんだけれどね。でも、デュオンの代わりだから。デュオンの気持ちに罪はないから。――《ウル・フィーア》」


 冥福を祈りながら、アンラはかつて――デュオンの故郷と同じように火の魔法で村中を焼いた。村人の死体も、その生活の跡も。まとめて彼らが天へと帰れるように。そして、デュオンのすぐ近くで倒れている死体――エレナへと目を向ける。


「本当にお世話になったんだよ。恩を仇で報いる形になって、ごめんなんだよ。でも、本当にデュオンはこの村の人たちを救いたかったんだ。たとえ自分が「化けもの」だったとしても。たった一人、君がデュオンのいる世界を許してくれたから。」


 そのエレナの安らかな死に顔をアンラがなでる。すると、その体は跡形もなく、炎となって消えた。願わくば、彼女の魂が安らかに天へと上り、眠れることを願って。そして、許されるなら――どこかからデュオンを見守ってあげてほしい。……さすがに傲慢かな。


「……雪が解けちゃうんだよ。ちょっと火力を考えれば……変わらないか。うん。今は、あたしもここでゆっくり眠っていたい気分なんだよ。」


 膝に乗せた頭をなでながら、アンラは思う。

本当に神は過酷な試練を課すものだと。これまでもこれからも、デュオンは人を助けずにはいられないだろう。その優しさが何よりも自分を「化け物」足らしめるものだとしても。世界から疎まれる存在に自らなるのだとしてもだ。

だとすれば、この深い眠りは、神からデュオンへのちょっとした褒美かもしれない。過酷な運命へと挑むための一時の安寧。彼が黒い槍を使うと、必ずその後は死んだように眠り続けるのだ。だから、この時ばかりは安らかに眠れ――。


「君が悪竜への復讐を忘れない限り、あたしはずっと一緒なんだよ。それが、あの夜君に救われた私の恩返しなんだよ。」


 アンラの瞳は慈しみにみちていた。だが、どこか寂し気だ。優しく頬を撫でるその仕種も。こんこんと眠るデュオンを見つめるその視線も。なぜか少しの悲しみを湛えている。やがて、村中を焼く炎の勢いも弱まってきた。


「……そろそろ、お暇するんだよ。デュオンが起きるまで待つと、日が暮れちゃうんだよ。だから、エレナ君――また会おう。」


 小さな体に無理してデュオンを背負う。もはや覆いかぶさられているとしか言えない様だったが、それでもアンラは何一つ文句も言わず、デュオンを背負う。そして一歩一歩と、歩を進める。物言わぬ村はただ静かに、小さな足跡が去りゆく姿を見送っていた。


***************************************


 日が落ち行く静かな村の中、怪しげな笑みを浮かべる黒くて白い存在がたたずんでいる。

鼻歌でも歌いそうなほど上機嫌な彼女――ハドラは、軽いステップを刻んで雪道を進んでいく。


「くふふ。今回は超絶バットエンドで終わってしまいましたねぇー。悲しいですねぇー。悔しいですねぇー。」


 口元を軽く押さえてからからと笑う彼女は、雪一色の景色の中、まるで空を舞う雪のように踊りを踊っている。よほど機嫌がいいのか、くふふと笑う回数も多めな気がする。濡羽色の髪をなびかせ、白い服を着て舞う彼女の姿は、どこか妖艶だ。しかし、急に動きを止め、笑うのをやめると大きなため息を吐いた。


「……飽きましたねぇ。誰も見てくれないのに踊っていてもむなしいだけですねぇ。これならデュオンさんに、ねぇどんな気持ち?今どんな気持ち?と煽る方が幾分生産的で楽しそうですねぇ。ってしませんけど~。」


 廃墟となった村に、夜の帳がおり始める。雪が降りしきる村だったのだ。夜の気温はもちろん寒い。容赦ない冷気が、彼女の肌を刺す。空は雲で濁り、雪が降りそうだ。今夜は吹雪くかもしれない。


「くふふ。それは面倒ですねぇ~。あんまり私には関係ない話かもですけどぉ。寒いのは嫌ですからねぇ。さっさと用事を済まして毛布にでもくるまりましょうかぁ。」


 それでも余裕のあるゆったりとした歩みはやめず、どこまでもマイペースに目的の場所へと進む。炎に焼かれ、すすけた炭が煙を燻らせている家々。もはや誰一人として命の鼓動は感じられない。すべての生命が根こそぎ存在を奪われたかのようだ。


「くふふ。あった。ありました。これですよぉ~。この時期は手に入れるのが困難ですからねぇ。くふふ。デュオンさんはケチンボですねぇ。」


 ハドラの目の前には黒い槍が1本突き刺さった壁がある。未だに黒い瘴気を空へと昇らせるそれは、この村をたった数秒で滅ぼしてしまうほどの呪いを秘めている。迂闊に障れば、無事では済まないだろう。


「くふふ。すでに私は埒外ですし、触っても大丈夫ですけどねぇ。でも、これは必要なものですからお借りしますよぉ~、デュオンさん♡」


 呪いの魔具を、しかし彼女は一切恐れることもなく指で触れる。触れただけで、黒い瘴気は彼女へと伸び、その命を喰らわんとする。しかし、彼女は涼しい顔のまま、くふふと笑う。


「3の刻アンデレさーん!」


 緊張感のない、間の抜けるような声をハドラが発する。しかし、その瞬間にはすでに黒い槍はなくなっていた。瘴気さえも残さず、すでにそこには何もなかったかのように消え去ってしまっていた。


「すげぇな。あの『救命者』の力をまったくものともしないなんて。いやぁ、俺とは違って末恐ろしいな。へぼいけど、俺はこの程度の力でよかったぜ。」


「くふふ。挨拶もなしに女性に口を利くなんて、礼儀知らずな人ですねぇ。思わず殺したくなっちゃいますねぇ。」


「なっ……!?それは勘弁してくれ!空気読めないのは自覚してるから、改善の余地ありってことで!」


「くふふ。嘘ですよぉ~。私があなたを殺して得られるメリットなんて何もありませんからねぇ。無駄な労力は使わないに越さないですよぉ。」


「そ、そうかよ。なら脅すなよ……。」


「ちょっと退屈だったんですよぉ~。」


「それだけで脅される身にもなれよ!」


 ハドラがひとしきり笑い、振り返った先には一人の男が立っていた。その男はすでにぼろぼろで、服も所々が燃えている。体つきはがっしりとしておりなかなか鍛え上げられている。黒い髪は遥か東方の地方で見られる髪色であり、大陸の中央部であるここでは珍しい髪色だ。目につく部分を取り上げればいくつもある。特にその右目の赤い瞳は何よりも目を引くだろう。それはこの世界において最も忌まれるべき存在である証である。

二人の間を寒風が吹きすさぶ。もはやこの寒さの中立っているのが不思議なくらいの薄着なのだが、二人とも寒さ自体を感じていないのか、その体を震わせることすらしない。


「くふふ。ボロボロですねぇ。それで、あなたはまだこんなところにいるんですねぇ。暇人ですかぁ?それともニート?」


「いきなりご挨拶だな。こんなところにいるのはそっちもだろう?ここはついさっきある『魔人』に滅ぼされたばっかりだぜ?」


「くふふ。その『魔人』ってあなたのことですかねぇ?」


 怪しげに笑うハドラの指が男を指す。その指に男はびくつきながらも否定する。


「違う違うちがーう!確かに俺も『魔人』だけど!『魔人』だけど、こんなでかいことできる力なんて欠片ももっちゃいないよ!」


「知ってますよぉ~。あなた――ソールの能力は、ただの「走馬燈」程度の能力ですからねぇ。」


「なんだ知ってるんじゃないか……。脅かすなよ……。」


「くふふ。知ってるのは当たり前じゃないですかぁ。だって、ここで起きたことはずぅっと見てましたからねぇ、くふふ。あなたの悪役はやはり似合いませんねぇ」


「それは俺もつくづく思ってるよ。俺は何もできない無力な野郎だからな。大物ぶるなんて土台無理な話だ。ていうか、ずっと見てたのかよ。悪趣味だなぁ。」


 そういって肩を落とす男――ソールは、ハドラのからかいの言葉にいちいちオーバーアクションに反応している。ハドラはくふふと妖艶に笑いながら。ソールへと手を伸ばす。


「ところで、今のあなたはお人形じゃないんですねぇ。」


「ん?」


 ハドラがソールに確信をもって問いかけると、ソールは驚いたようにハドラを見て、そして頷く。今のソールからは、一切の悪意が抜け落ちていた。ともすれば、これこそがエレナの知るかつてのソールさんのようでもある。


「ああ。あのくそ「天使」……痛いのは嫌いとか抜かして俺の体から出ていきやがったからな。今はこうして自由の身だぜ。まぁそれも時間の問題だけどな。もうちょっとでここに別の人形連れてくるだろうし、そん時に見つかっちまえば、俺は変わらずあいつの『人形』だよ。」


「くふふ。別にいいですよぉ。今のあなたが「慈悲」と関わりが切れているのならそれでいいです~。これであなたを私のものにできますからねぇ。」


「あんだって?」


「くふふ。あなたを私のものにできるんですよぉ」


「……」


 しばし無言。ソールの顔色が真っ青になっていく。


「……なんだ!?何が目的だお前!」


 ズザザザァッと素早く壁まで後退りするソール。しかし――


「くふふ。別にあなたをどうこうしようとか考えてませんよぉ。私は常にデュオンさんのことで頭がいっぱいですからねぇ。って嘘ですけど~。私そんなメンヘラじゃありませんからねぇ。」


「!?」


 気づいた瞬間には、ソールはハドラに追い詰められていた。壁とハドラに挟まれ逃げ場が断たれている。だがそれ以上に、直感でハドラには敵わないとソールの本能は告げていた。このままハドラの思い通りにされるしか道がないと脳は理解してしまう。しかし、今この時ハドラに一体、何をされたのかは一切わからなかった。種も仕掛けも見えない。動きの予備動作さえもみせずにソールを追い詰めたのだ。まったく対処のしようもない。


「何をしようっていうんだ?すんごく穏やかじゃないことだけは、あんたの態度から伝わってくるんだが。」


「くふふ。冷凍ホルマリン漬けですかねぇ。あ、別の意味でお人形さんですねぇ~。くふふ。」


「うわー……俺ってばこんな変態にしか殺されないの引くわぁー……。」


 冷や汗を垂らしながらもソールは右目を閉じる。このよくわからないハドラという存在に圧倒される自分がいる。本能的に癖で、『魔人』の力に頼ってしまう。ソールの能力は未来を見る力だ。赤く輝く右目を閉じれば、限定条件付きの未来が見える。右目を閉じた先に見たものは――


「――っああああああああああ!!」


「くふふ。未来を見た代償ですかねぇ。でも、力を使っても私に関することは何も見れないと思いますよぉ?」


「ぐ……がぁ……はぁ……はぁ……その……通りだったよ。」


「そうですよねぇ。私は別にあなたを殺そうとは思っていませんからねぇ。」


「はぁ……はぁ……。」


 ソールの力、「走馬燈」とハドラは言ったがその通りだ。ソールの力は自身の死の間際の記憶を見ることができる。右目を閉じれば簡単に見ることができるが、より確実な未来を見るには、両目を閉じて眠らなければいけない。


「くふふ。目を閉じれば自身の死ぬ未来を見ることができる。あなたはそれを回避することで未来を変えてきたんですよねぇ。でも、あなたは一体何回死んだんですかねぇ?」


「ぐっ……!はぁ……もう、数えるのも馬鹿らしい数だよ」


「くふふ。未来の代償はとぉっても大きいみたいですねぇ。『魔人』は世間から恐れられてますけど、代償のことを考えるとそこまで気にすることもないと思うんですけどねぇ。」


 肩で息をするソールを横目に、からかい半分のハドラはくすくすと声を上げる。ソールは未だ代償によるダメージから立ち直ることができずに荒い息を吐いている。だが、その顔はどこか笑みを深めていた。まるで、求めていたものでも見つけたように。


「そうか……やっとここまで来たか。そうか……。」


「くふふ。お望みの死に場所でも見つかったんですかねぇ。ってもう私は知ってるんですけど~。」


 冷や汗を垂らしながら、しかし口角を上げて瞳に光を取り戻すソール。その様子を見て、ハドラもくふふと笑みを深める。それを目にし、ソールもハドラへと問いかける。


「……あんたは見たとこ『魔人』じゃないが、それ以上の存在だってことか?だから、初対面の俺の能力も末路も知ってんのか?」


 ハドラの話し方は最初からソールを知っていたようだった。先ほどの『救命者』との戦いもずっと見ていたならソールの能力も分かっていることかもしれないが、それ以上にハドラには見透かされている気がする。一切の隠し立てなど、彼女にはできない気がするのだ。


「くふふ。はて、何のことでしょうかねぇ?未来を見る代償の死の痛みで頭がおかしくなりましたか?」


「……かもな。まったく、死ぬ未来が見えるってのは確かに便利だが、その分死んだ痛みは現実の俺に返ってくるなんて……デメリットがでかすぎるぜ。しかもあの「天使」が使っても、使ったのは俺判定で痛みは俺に来るしな。おかげで「天使」のほうはぴんぴんだぜ。」


 死ぬ未来を見ることができるソール。その代償は、見た未来の「死の痛み」。死の痛みを感じることで、彼は何物にも代えがたい未来の経験を得ることができるのだ。『魔人』は、全員がこの代償をもっている。世間で恐れられている『魔人』だが、何も無制限に力が使えるわけではないのだ。


「だがこの未来が見えたってことは、もう「天使」の世話になりはしないんだろう。それだけで十分だ。この未来だけで、俺は十分だ。」


 望んだ未来を胸に、ソールが右手を胸のペンダントに持っていく。ソールはそれを優しく愛おし気に撫でる。不敵な笑顔を浮かべたままのハドラは、意味ありげに笑みを深める。


「くふふ。おひとりで満足してるところに悪いんですけどねぇ。話を聞いてもらってもいいですかねぇ。私も暇じゃないんですよね~。」


「……ああ。」


 満足いくまでペンダントをなでると、ソールはハドラへと向き直る。それを確認したハドラは満足そうに笑みを深めた。否、ハドラは常に笑っているため実質表情は変わっていなかった。ソールの意識がハドラへ向いたことを確認すると、ハドラは声を弾ませ問いかけた。


「私にはどうでもいいことなんですけどぉ、あなたは私が望むもののためには必要みたいなんですよねぇ。なので、私と取引をしませんかぁ?」


「取引?」


 くふふと笑みを深めるハドラが、ソールへと手を伸ばす。その笑みに、ソールは何か背筋が寒くなるような恐怖を感じた。底知れない何か、それを彼女は背負っている。黒く黒く濁ったよどみの中を揺蕩う何か。しかし、それを知る由は、ソールにはないのだろう。むしろ、知りたくない。


「あんた、本当に一体何者なんだ……?」


「くふふ。女の人は秘密が多いんですよ?特に私は秘密塗れなんです~。パンドラの箱ですよ~。くふふ。――それでも知りますか?」


 刹那――その言葉だけ、ひどく冷たく耳に響いた。

「いや、やめておこう……。」


 ハドラの態度を見るに、本当に教えるのもやぶさかではないのだろう。だが、その底知れない何かを覗く気にはやはりなれなかった。それを知れば、後戻りできない気がする。


「そうですか。あなたにならば私は教えてもよかったんですけどねぇ~。まぁいいでしょう。取引っていうのは簡単な話ですよぉ~。」


「それはなんだ?お前は一体、俺に何を求めているんだよ?」


「そうですねぇ。ありていに言えば死んでもらいたいってことですかねぇ。」


「いや、いきなり物騒だな。だが、あいにくそれは出来ない。俺にも目的があるからな。」


「だから取引なんですよぉ。察しが悪いですねぇ。ハドラさんは呑み込みの悪さに呆れているところですよぉ。」


「何が言いたいんだよ……あれ?」


 もはや言い方が回りくどすぎて面倒くささを感じてきたソールだったが、頬を掻こうとしてまったく体が動かないことに気付く。まるで体を壁に縫い付けられたように、体が動かない。


「おい、これはどういうことだ?」


「くふふ。拒否権はないということですかねぇ。僭越ながらあなたの動きを封じさせてもらいましたぁ。くふふ、でも強制するつもりは本当にありませんからねぇ。」


「この状況でそれ信じてもらえると思ってんのかよ……。」


 またも予備動作もなくソールの動きを封じ込めたハドラ。もはや恐れる暇すら与えてくれない。底知れない何かに底知れない力。もはや抵抗するだけ無駄なのかもしれない。ソールは半ば諦めかけていた。いや、厳密には理解した。死んでほしいと頼む余地はあるのだ。これだけの力を持っているのだから、いちいちソールに確認など取らずとも殺すことは簡単だろう。それをしないということは、別の目的があるはずだ。それが取引という形になっているのだろう。


「くふふ……私があなたに求めるのは、ある時ある場所である人物を道ずれに死ぬこと。そして、その交換条件にあなたに与えるのは、最愛の人との再会。そう言えば、納得してもらえますかねぇ。」


「何……!?」


「くふふ。あなたの奥さん――ルナさんでしたかねぇ。今もあなたの帰りをずぅっと待っているんですよ。子供たちの世話も一人でこなして毎日忙しい中でも、日が暮れるまでの1時間は必ず村の外であなたの帰りを待っているんですよ。健気ですよねぇ。」


 ルナ――その名を耳にした時、ソールの目が鋭くなる。それは、最愛のものを守ろうとする父親の顔であり男の顔だ。


「――それは、本当の話か。」


「くふふ。本当ですよぉ。取引に賛同してくれば、会わせてあげますよぉ。」


 最愛の妻と、もう一度再会できる。帰るという約束を破って、最悪の罪を犯し続けた自分を見られるのは嫌だ。だが、それでも、ルナに伝えなければならないことがある。そのためなら、自分はどうなろうとかまわない。


「――なるほど。さっき見た未来は、ハドラ……お前という存在が噛んでいるのか。」


「くふふ。何のことなんですかねぇ。ハドラさんは欠片も知らないですよぉ。って嘘ですけどぉ。ハドラさんはほとんどのことを知っていますからねぇ。」


 どこまでもふざけた口調は変わらない。ハドラの真意は読めない。彼女の目的も何もわからない。一体ソールの何が彼女に必要なのかもわからない。だが――


「いいぜ。その話、のってやろうじゃねぇか。ルナと会えるなら、俺の命、お前にくれてやる。あのくそ「天使」にやるよりはずいぶんマシな話だよ。」


「くふふ。取引成立ですねぇ。」


 ソールの賛同の言葉を聞き届けたハドラは、ソールから離れる。すると、ソールの身を縛っていた拘束感も瞬時に消える。壁を背にずるずると地面にへたり込むソールは、しかしその拳を固く握りしめていた。


「俺は、ルナに伝えなきゃいけねぇことがある。そのために――。」


「くふふ。やる気十分って感じですねぇ。まぁ、あなたが必要になる場面まで、私の力で封じますけどねぇ。」


「封じる?」


「そうですよぉ~。あなたは「慈悲」に対するとっておきとして死んでもらいますからねぇ。それまでは大事にホルマリン漬けですよ~。」


「そうか。だがまぁ、ルナに会えるならそれでもいい。あの「天使」に報いれるならより本望だ。ただ、その前にちょっといいか。」


「なんですかぁ?」


 ルナへの思いも、果たすべきことも決まっている。それに関しては、よくわからない存在ではあるがハドラを信じて置いておこう。今はそれよりも気になることがある。いや、してしまったことへの償いがある。それは、「天使」によって体を操られ、この村で暴れ続ける間にもずっと気にしていたことだ。


「エレナは、ちゃんと逃げられたのか?」


 そう、気になっていた。この村を目にした時からずっと、一時でも彼女を忘れたことはなかった。だが、「天使」に意識を取られて、彼女を危険に晒してしまった。それは悔やまれることだ。だが、一瞬だけ。一瞬だけ彼女に言葉を伝えることができた。それが、ちゃんと伝わっていれば――


「残念ながら、デュオンさんの代償で死んでしまいましたよぉ~。」


「――そう、か……駄目、だったか。」


 やはり、救うことは出来なかったか。あの時、ソールに約束をしてくれた彼女。魔人でも笑顔になれる場所をつくると、悔し気に泣いて約束してくれた、優しい彼女を自分は守ることができなかった。また、自分の無力のせいで――。


「安らかに眠ってくれ……ごめんな。エレナちゃん――。」


 目を閉じ、彼女の冥福を祈る。優しく温かかった彼女のまなざしを思いながら、ソールはハドラへと向き直る。


「くふふ。あなたの代償は、あなたで完結するものでよかったですよねぇ。もし、デュオンさんみたいな代償だったら、おいそれと未来もみれませんよねぇ」


「ああ。代償が「救いたい命」なんて――そんな悲しい救世主もなかなかいないだろうな。同情するよ。その報われない正義感には。」


 今この場にいない灰髪の少年――デュオンの目を思い出す。あの目は優しい。だが、同時に脆い。かならず、いつか擦り切れる。かならず、いつか折れる。悲しい運命に生まれた怪物だ。


「くふふ。果たして本当にそうですかねぇ。」


「ん?」


 意味深に笑うハドラの真意は読めない。しかし、どこか楽しそうであることだけは確かだ。


「くふふ。思い残しはありませんかねぇ。ここで封じると、あなたはもう私が許すまで起きれませんからねぇ。生かすも殺すも私次第になりますけど、いいですねぇ?」


 て拒否権はないですけどぉ。と加えるハドラ。一応確認をとるだけ良心的かもしれない。


「ああ。俺に残った仕事はあと一つだけ。ルナに伝えるべきことを伝えるだけだ。」


「くふふ。では、思い残しはないということで。」


 不敵な笑みを浮かべたハドラの表情は、どこまでも真意が読めなかった。見えるのは黒い黒い淀みに浮かぶ何かだけ。それだけが彼女を表す何かなのかもしれない。


「3の刻アンデレさーん」


 間の抜けた声が響く。それとともに、ソールの体は意識を手放していく。一体これが何をしているところなのか。それは分からない。だが、どっぷりと何かに埋もれていく感覚は海に溺れている感覚と言えばいいだろうか。ゆっくりと、意識を手放しうずもれていくソール。その耳は、最後にくふふという音を聞き取り、すべての五感機能を手放した。

 再びあたりは静けさを取り戻す。その場には濡羽色の髪を持つ浅黒い肌の少女が、たった一人たたずんでいるだけだった。

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